第十話:薄雪の宿場町と、合わせ鏡の呪い
─ヴォルフラム辺境伯領の境界線
深く色づいた木々と薄っすらとした初雪が混ざり合う、冬の訪れを告げる山並みが広がる街道の分岐点では、王都へ戻る本隊と、侯爵領へと向かう別動隊の馬車が立ち並び、出発前の大騒ぎが繰り広げられていた。
「いいか、カイン。万が一にもアリシアを危険に晒すんじゃないぞ」
騎士団長のライアンは、副団長のカインの肩を脱臼しそうな強さで掴み、その美麗な顔に恐ろしいほどの圧を浮かべていた。普段の冷静沈着な姿は微塵もない。
「もしアリシアの髪の毛一本でも傷つくようなことがあれば……お前がどうなるか、分かっているな?」
「……は、はは。身に染みて理解しております、団長。この命に代えましても、アリシア様とご一行の皆様をお守りいたします!」
カインが冷や汗を拭っている横で、王太子エドワードもアリシアの手を両手で包み込み、悲壮感たっぷりに身を乗り出していた。
「アリシア、本当に侯爵領へ行くのかい? 王都へ戻って私と一緒に過ごした方が安全じゃないか? 美味しいお菓子もたくさん用意させるよ?」
「もう、お兄様方! 私なら大丈夫ですわ! カイン副団長も困っています!」
アリシアが呆れ顔をしていると、馬車の窓からマーガレットが優しく、けれど一歩も引かないトーンで声をかけた。
「エドワード様、ライアン様。いい加減になさいませ……それではアリシアに嫌われますわよ…」
「なッ!!きら!?」 「……はい」
マーガレットの一言でシュンと引き下がる過保護な兄たちをよそに、アリシアたち一行を乗せた馬車は、賑やかな見送りに包まれながら静かに走り出した。
深い山道を抜け、日がすっかり傾いた頃、一行は山あいにひっそりと佇む小さな宿場町へと到着した。
代官邸へ到着すると、この町を治める代官のセルジュが気さくに出迎えてくれた。
「ようこそ我が町へ! 長旅でお疲れでしょう、王家の皆様!」
王族を前にしても媚びるような態度は一切なく、爽やかな青年だ。
その日の夜、部屋でセシルがアリシアの髪を梳かしながら、そっと小声で教えてくれた。
「……アリシア様、少し小耳に挟んだのですが… この町には“合わせ鏡の呪い”という古い言い伝えがあるそうです……」
かつて鏡を向かい合わせにして悪霊を閉じ込めたという伝承があり、夜になると合わせ鏡の間には近づいてはならない、合わせ鏡をしてはならないとされているらしい。
「…合わせ鏡の呪い?」
怪談話に首を傾げつつも、アリシアは旅の疲れを癒やすために眠りについた。
──翌日の昼下がり
アリシアたちが町の散策へ出かけると、そこには温かい光景が広がっていた。
「セルジュ様、いつもありがとう…」
「困ったことがあったら何でも言いなよ!」
「セルジュさん!これ持っていきな!」
「セルジュさまぁー!これ見てー!」
町を行き交う人々に気さくに声をかけ、子供たちと笑顔で接しているセルジュの姿があった。
散策を終えて代官邸へ戻ると、セルジュは手際よく応接室へ案内し、自ら温かいお茶を振る舞ってくれた。
「どうぞ、この土地特有の山ハーブを使ったお茶です。少し独特な香りがするでしょう?」
「まあ…良い香りね。私は好きだわ。セルジュさんは本当に身軽に動かれて、町の方々にも心から親しまれているのですね」
アリシアが微笑むと、セルジュは「はは、照れますね」と少し不器用そうに手元を弄びながら笑った。
だが、その爽やかな瞳の奥に、ふと影が落ちる。彼は声を潜め、真剣な眼差しをアリシアへと向けた。
「……実は、王女殿下。この町は王都と侯爵領を結ぶ重要な宿場町なのです。ですが最近、不穏な動きが絶えないのです。夜陰に乗じて町を通る『紋章のない謎の馬車』や、不審な荷物の存在…。私は代官として、この町が恐ろしい犯罪の片棒を担がされるのを黙って見過ごすわけにはいきません。必ずや真相を…暴かなければ…」
「セルジュさん…。町を思うお気持ちは素敵ですが、決して一人で無茶はなさらないでくださいね」
アリシアは彼のまっすぐな正義感に感銘を受けつつも、胸騒ぎを覚えていた。
──その日の夕方
代官邸の中庭から激しい怒号が響き渡った。
「おいセルジュ! お前なにか余計な真似をしてねぇだろうな!? 青臭い妄想で首を突っ込むんじゃねぇ! 殺されてーのか!」
「ベルナールさん、落ち着いてください! 私はこの町を守りたいだけです!」
窓から覗くと、大工道具を腰に下げた頑固そうな男が、セルジュの胸ぐらに掴みかからんばかりの勢いで怒鳴り散らしていた。
「ちッ、勝手にしやがれ! ガタが来てる屋敷の壁なんざ、二度と直してやらねぇからな!」
ベルナールは悪態を吐くと、ドカドカと不機嫌そうに去っていく。
だがアリシアは見逃さなかった。彼が去り際、代官邸の『西棟の壁』を、まるで何かを気にするかのように苦々しく見上げていたことを。
そして、夕食の準備が整おうとしていたその時……静寂を切り裂くような、若い女性の金切り声が屋敷中に響き渡った。
「きゃああああああっ! た、助けて! 呪い!!合わせ鏡の呪いだわ!!」
──バタンッ!!
悲鳴が終わるか終わらないかのうちに、アリシアは考えるより先にドレスの裾を翻し、無言で部屋を飛び出していた。
「「あっ、アリシア様!? 危険です!!」」
驚いたカイルとセシルが慌てて後を追い、その直後、凄まじい踏み込みの音と共にカイン副団長が弾け飛ぶように廊下へ踊り出る。
さらに隣の部屋から飛び出してきたフェリシアとユリウスの姿を認め、カインは咄嗟に大声を張り上げた。
「フェリシア様、ユリウス様! お部屋でお控えを──って、聞いてないし!!」
カインの制止も聞かず、二人は「アリシア!?」とそのまま悲鳴の上がった西棟へ向かって猛ダッシュしていく。
「くそっ、誰一人言う事を聞かん…! 一人じゃ護衛しきれんぞ……ッ!」
カインは頭を抱えながらも、すぐさま全員の先頭へと追いつくべく疾走した。
悲鳴が上がったのは西棟の突き当たりにある、噂の「合わせ鏡の間」だった。
扉の前で青ざめて腰を抜かしているのは第一発見者の使用人だ。
そして、夕方の口論の後も西棟付近で建具の点検をしていたのか、騒ぎを聞きつけたベルナールが息を切らせて駆け込んできた。
「おい、何の騒ぎだ!?」
「扉が…… 中でセルジュ様が……!」
カインが重厚な木造の扉に手をかけるが、びくともしない。
「くっ、内側から頑丈な木製の閂が下りている! カイル、体当たりで破るぞ!」
「待ちなさい、脳筋二人組。無駄に扉を壊せば、中の証拠まで荒れてしまうわ」
すっと前に出たのはフェリシアだった。
彼女は懐から小さな水晶の鍵…魔導解析器を取り出すと、扉の鍵穴にかざす。繊細な魔力の光線が隙間から滑り込み、内部を透過していく。
「……なるほど。内側の閂は下りているけれど、複雑な魔術じゃないわ。細い糸で引っ張り上げ、それを焼き切った【微弱な熱魔術の痕跡】が残っているだけよ。──解除」
フェリシアが指先をひねると、澄んだ鈴のような音と共に魔術が解け、ガタリと重い木が滑る音を立てて閂が外れた。
カインが扉を押し開けると、そこには異様な光景が広がっていた。
部屋の東西の壁一面には大きな鏡が向かい合わせに設置され、無数の反射が奥行きのない空間を作り出している。
その奥で、代官セルジュが血の海の中にうつ伏せで倒れていた。
「セルジュ様……! そんな……!」
駆けつけてきた副代官が、顔を蒼白にしてその場にへたり込んだ。
「ああ、なんてことだ……胸を突かれてお亡くなりになるなんて……!」
カインが素早く駆け寄り、うつ伏せに倒れていたセルジュの体を慎重に仰向けへと返す。そして頸脈にそっと指を当て、静かに首を振った。すでに息はなかった。
すかさず副代官がベルナールを指さして叫ぶ。
「犯人はこの大工だ! 部屋の構造に詳しく、先程もセルジュ様に『殺されてーのか!』と脅していた! 警備兵、こいつを拘束しろ!」
カインが険しい顔でベルナールへ歩み寄ろうとした、その時。
「待ってください!」
アリシアがすっと間に立ち、堂々と手を広げた。
「ベルナールさんが犯人なはずがありません! 本当に彼が殺意を持って計画したなら、こんな目立つ痕跡を残すはずがないわ!」
「……ちっ」
庇われたベルナールは苦々しく顔を背け、ポツリと吐き捨てた。
「あいつ(セルジュ)が…『西棟の壁の改修跡が不自然だ、隠し構造や不正の証拠があるんじゃないか』なんて青臭いこと言い出しやがったから…危ねぇから首を突っ込むなと説教しに来ただけだ…!」
「ベルナールさん。この部屋の壁、少し厚みが不自然ですよね?」
アリシアが尋ねると、ベルナールは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……ふん、よく気づいたな。そこは数年前、副代官の指示で外側から厚みを増した不自然な改修跡がある。あいつ(セルジュ)はそこを怪しんでたんだ」
その瞬間、アリシアの頭の中に、第一発見者の証言と副代官の言葉が駆け巡った。
──『小窓の隙間から、鏡越しに倒れているセルジュ様が見えて……!』
──『ああ、セルジュ様……胸を突かれてお亡くなりになるなんて……!』
(あの小窓からじゃ、奥は死角になって鏡には映らないはず……! それに、うつ伏せで倒れていたセルジュさんの『胸の傷』なんて、誰も遺体を動かしていないあの段階で分かるはずがない……!)
脳裏でバラバラだったピースが、カチリと音を立てて繋がる。
「カイン副団長、犯人が分かりましたわ。呪いなど存在しません。すべては、ある人物が仕組んだ浅はかな計画です!」
アリシアは堂々と応接間の中央へと歩み出た。
「まず、第一発見者の使用人さん。『小窓の隙間から鏡越しに倒れているセルジュ様が見えた』とおっしゃいましたね? ですが、私が検証したところ、あの小窓からは部屋の奥は完璧な死角になり、鏡にすら映り込みません。あなたはあらかじめ殺害を知っていたからこそ、さも今見たかのように叫んで見せたのですね?」
「えっ…そんな…! わた、私は……!」
使用人がへたり込むと、副代官が汗をかきながら声を荒らげた。
「お…王女様、いくらなんでも使用人を苛めるのはおやめください! 彼女はパニックで言い間違えただけかもしれない! それに、あの部屋は内側から固く閂が下りていた完全な密室です! 外部から人が入るなど不可能です!」
「いいえ、可能です…フェリシアお姉様が解除された時に密室のトリックは解決済みでしたわ…」
アリシアは、不敵な笑みを浮かべて副代官をまっすぐに見つめた。
「そして、使用人の方を責めるつもりはありませんわ。だって彼女に嘘をつかせ、あの『小窓の隙間から見えた』と嘘をつかせた誘導者は、あなたなのですから…」
「なっ、私に何の疑いがあるというのですか!? 私には動機がない!」
「動機なら、俺が知ってるぜ!」
壁際で腕を組んでいたベルナールが、冷ややかに告げた。
「セルジュはな…お前が屋敷の隠し壁を利用して、夜中に運び込ませていた『名のない黒い荷物』と、そこから流れる巨額の裏金に気づいていたんだよ! お前は不正を暴かれそうになって、口封じにセルジュを殺したんだ!」
「な……ッ!?」
「そして何よりの証拠は、あなたご自身の言葉ですわ、副代官さん」
アリシアの瞳が、犯人を鋭く射抜く。
「事件直後、誰も現場の奥へ入っておらず、セルジュさんがうつ伏せで倒れていた段階で……あなた仰いましたね? 『ああ、胸を突かれてお亡くなりになるなんて』と」
「ッ──!?」
「背中の血しか見えないあの状況で、なぜ彼が『胸を突かれた』と知っていたのですか? 犯人として、彼の正面から刃を突き刺した記憶があったからではありませんか!?」
静寂が部屋を支配した。
副代官の顔から一気に血の気が引いていく。
「ぐ……っ……うああああああっ!!」
崩れ落ちる副代官と、泣き崩れる使用人。
事件はアリシアの見事な名推理と、ベルナールの証言によって解決を迎えたのだった。
すべてが終わり、連行されていく副代官の背中を見送りながら、アリシアは昼間見たセルジュの眩しい笑顔を思い出していた。
(……こんな解決、少しも救われませんわ……)
悪を暴いたところで、奪われた命は二度と戻ってこない。やり場のない胸の痛みに苛まれながら、アリシアは固く拳を握りしめた。
「……惜しい方を、亡くしましたわね……」
ぽつりと溢れ落ちた呟きは、薄雪の舞う夜の静寂の中に、切なく消えていく。
事件が残した深い爪痕と命の尊さを噛み締めながら、アリシアの心には新たな警鐘が鳴り響いていた。
この町を密かに通過していた『名のない黒い荷物』──そして、裏に潜む闇の存在。
(侯爵領の近くで、一体何が起きようとしているの……?)
事件を解決したアリシアの胸に、これから立ち向かうべき巨大な悪意の気配が、静かに影を落としていた──
第十話【完】
いかがでしたか?
次回は、9/27(日)に公開予定です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




