第十一話:咲き誇る冬の薔薇と、漆黒へ誘う招待状
宿場町での事件を解決し、旅を再開させたアリシア一行は、ついに目的のベアトリクスが待つ侯爵領へと足を踏み入れた。
──ベルフォード侯爵領
広大な敷地に足を踏み入れると、一面に咲き誇る大輪の薔薇が甘い香りを漂わせている。
白亜の豪奢な城館の前で待っていたのは、元第二王女であるベアトリクス夫人と、その夫ルーカス侯爵だった。
「アリシア~っ! 会いたかったわ、私の可愛い妹!」
馬車の扉が開くやいなや、ベアトリクスはアリシアを抱きすくめ、その頬をすりすりと寄せた。
「ベ、ベアトリクスお姉様! くっ…苦しいですわ!」
「まあ、相変わらず可愛らしいこと! 今日のドレスも素敵だけれど、明日のパーティー用にもっと素晴らしいドレスを用意してあるのよ。完璧にプロデュースしてあげるわね!」
相変わらずの全力すぎるアリシア愛に、隣で温厚そうなルーカス・ベルフォード侯爵が苦笑いを浮かべた。
「ハハ、ベアトリクス。アリシア殿下も長旅でお疲れだからね。まずは旅の疲れを癒やしていただこう……」
ルーカスは貴族特有の品格を漂わせつつも、温かな眼差しで一行を迎えてくれた。
彼の傍らには、老執事バートン・ハミルトンと、その孫で侯爵の右腕を務めるノア、そしてメガネをかけた知的な佇まいの執事補佐、クリス・ヴァルモントが恭しく控え、寸分の隙もない礼を執っている。
その時、馬車から大きな旅鞄を軽々と運び出していた一人の若きフットマンが、アリシアの足元に荷物を置かないようサッと身を引いた。
どこかすっきりと洗練された身こなしを見せる、綺麗な褐色肌の青年だ。
「失礼いたしました、殿下……」
「いいえ、ありがとう。手際がとても素晴らしいわね。お名前は?」
「ロンと申します。お気遣い痛み入ります……」
ロンは恭しく一礼すると、再びテキパキと荷物の運搬へと戻っていった。
──翌日
雲ひとつない快晴のもと、薔薇が咲き誇る美しい庭園でティータイムが催された。
「どうぞ、殿下。当邸自慢の薔薇をブレンドした紅茶でございます……」
メガネの奥の瞳を優しく和ませ、手際よく美しい所作で紅茶を注ぐのは執事補佐のクリスだ。
非常に優秀で誠実な仕事ぶりに、ベアトリクスも満足そうに頷いている。
「ありがとう、クリス。とても良い香りね」
(……あら? この香り、ほんの少しだけ……焦げた羊皮紙と、独特なオイルの匂い?かしら……?)
アリシアは少し首をかしげた。
テーブルを囲むフェリシアや、端の方で「うう、優しい…ハーブティーはないのかな……」と胃を押さえるユリウス……いつものように和やかな時間が流れていた。
──同時刻 執務室
だが、その穏やかな静寂は、突然の異変によって破られた。
──カツンッ……!
執務室の重厚な木製扉に、鋭い音が響く。
「なっ……!?」
ルーカスとノアが即座に扉へ駆け寄ると、そこには一本の銀のナイフで、鮮やかな"赤い封筒"が突き立てられていた。
誰の気配もなかったはずの廊下から、一瞬の隙を突いて投げ込まれたのだ。
「ルーカス様、これは……!」
ノアが慎重にナイフを抜き、"赤い封筒"を改める。
そこには優雅な筆跡で、こう記されていた。
『今夜の月が頂点に達する刻、
貴邸に眠る魔導書をいただきに参ります。
──怪盗:銀狐──』
「「怪盗銀狐……!?」」
──応接室
カイン副団長が表情を険しくした。
最近、王国を騒がせる、変装の達人にして狙った獲物は逃さないという怪盗だ。
「まさか、当家に伝わる魔導書を狙ってくるとは……」
ルーカスは冷静さを保ちつつも、重厚な瞳で老執事バートンと視線を交わした。
応接室が一気に緊張感に包まれる中、アリシアの瞳にふっと探偵の光が宿る。
(赤い予告状…。怪盗銀狐は変装術に長けていると聞くわ。だとしたら、もうすでにこの屋敷の誰かに……?)
アリシアはさりげなく視線を走らせ、忙しなく動き始めた屋敷の人々……知的で優しげな執事補佐のクリス、テキパキと警備の指示を出す侯爵補佐役ノア、そして青ざめながらも応接室の扉の前に立ち周囲を警戒するドアマンのロンの姿を、じっと観察し始めるのだった。
──夜 十一時半
侯爵邸はいつになく重苦しい緊迫感に包まれていた。
怪盗銀狐の予告通り、もうすぐ月が頂点に達しようとしている。
魔導書が安置されているのは、本館三階の最奥にある開かずの書庫。
重厚な鉄製の扉には厳重な鍵がかけられ、廊下にはカイン副団長率いる近衛騎士隊が数名と、ノアが指揮する侯爵家の警備兵たちが二重三重の陣を張っている。
「窓からの侵入経路もすべて塞いだ。ネズミ一匹通さん」
腕を組み、廊下の闇を睨みつけるカイン。
その脇では、カイルとセシルが油断なくアリシアの周囲をガードしており、その背後ではユリウスが「あ、アリシア……大丈夫かい……?」と不安そうに彼女の袖をキュッと掴んで寄り添っていた。
──ゴーン……ゴーン……
館内に、深夜十二時を告げる時計の鐘が響き渡る。
その最後の音が消え去った、まさにその瞬間だった。
カラン、と書庫の扉の前で金属が転がる軽い音が響いた。
「ん……? なんだこれは!?」
警備兵が足元を見下ろした瞬間、転がった丸い球体の魔導具から、猛烈な勢いで濃密な紫色の「催眠煙」が噴き出した!
「いけない、催眠の魔導具よ!」
廊下の後方に控えていたフェリシアが、即座に手をかざして静かに詠唱を紡ぐ。
「──去りなさい、不浄の煙。風よ、すべてを窓の向こうへ! 『風幕』!」
フェリシアの凛とした声とともに、優美で鮮烈な突風の幕が廊下に巻き起こった。
溢れ出そうとしていた濃煙は一瞬で風の幕に包み込まれ、そのまま一気に開け放たれた窓の外へと吹き飛ばされていく。
だが、魔導具の真横で直接煙を吸い込んでしまった数名の警備兵たちは、すでにバタリと膝をついて倒れてしまっていた。
煙幕が晴れた直後、廊下の奥からルーカス侯爵が慌てた様子で駆け込んできた。
「みんな無事か!? 中を確認する!」
そう叫ぶと、ルーカス侯爵は懐から手慣れた仕草で鍵を取り出し、書庫の重厚な扉を迷いなく解錠して踏み込んだ。
台座へ一直線に向かい、鎮座していた魔導書を手にとる。
「よかった、無事でしたね──」
「待て! カイン副団長、騙されるな! 私が本物のルーカスだ!!」
廊下の向こうから、息を切らしたもう一人のルーカス侯爵が駆け込んできたのだ!
「バカな! 当家に代々伝わるマスターキーは今、私の懐にあるというのに! お前は誰だ!?」
「なっ……!? 侯爵様が二人……!?」
カインや警備兵たちが大混乱に陥る中、魔導書を手にした偽物のルーカスは不敵にニヤリと笑った。
「ふふッ、このお宝はいただくよ!」
偽物のルーカスは、すばやい手つきで窓の鍵を弾き開けると、夜風が吹き込む窓枠へとしなやかに飛び乗った。
そのまま外の暗闇へと躍り出て、屋根の上へと身軽に逃走する。
「セシル、カイル! すぐに追って!」
「はっ!」「はい!」
アリシアの即座の指示を受け、セシルとカイルが一瞬で窓から躍り出た。
──数分後
月明かりが照らす侯爵邸の広大な屋根の上。
逃走を図ろうとしていたルーカス侯爵の姿をした男の前に、滑り込むように二つの影が立ちはだかった。
「そこまでよ……怪盗銀狐!」
屋根の端に降り立ったセシルが、鋭い視線で逃げ道を塞ぐ。
その頭上、煙突の陰からはカイルが静かに剣を抜き、逃走経路を完璧に遮断していた。
「やれやれ……ふふッ……」
逃げ場がないことを悟った男は、苦笑しながら顔に手を当てた。ペリリと精巧な変装用マスクを剥ぎ取ると、中から現れたのは褐色肌のフットマン──ロンの顔だった。
「初めまして、可愛い王女様の手下さんたち。僕が怪盗銀狐さ!」
ロンは普段のフットマンのトーンから、少しだけ低く不敵な響きへと声を変え、抱えていた鞄を愛おしそうに撫でたのだった。
「でも、残念だけどこの魔導書は渡せない。これは元々、僕たちの国から奪われたもの……そして今、とても危険な連中に狙われていたものだからね……」
「話は下で聞く!!大人しく……ッ!?」
カイルが間合いを詰めようとした、その瞬間。
ロンが抱えていた革鞄の中から、突如として不気味な漆黒の魔法陣が眩い発光とともに浮かび上がった!
「なっ……何!? 魔導書が……!?」
ロン自身も驚愕に目を見開く。
悪魔や精霊を喚び出す危険な魔導書を台座から勝手に持ち出したことで、最初から仕掛けられていた"自爆術式"が作動したのだ。
魔法陣から放たれた不気味な黒い炎が、一瞬にして革鞄と中の魔導書を包み込み、木ノ葉のように焼き尽くしていく。
「くっ……! 自爆術式か!? 」
ロンは唇を噛みしめ、燃え落ちる灰を見つめた。次の瞬間、魔導弾を屋根の上に叩きつける。
「侯爵に伝えてよ!この借りは必ず返すって!」
──バンッ! と弾ける音とともに、目が眩むような白い閃光が夜の屋根の上を覆い尽くす。
「うわっ……!?」
カイルとセシルが思わず目を庇い、視界を確保した時には、ロンの姿は夜の闇へと消え去っていたのだった。
──同時刻 書庫
怪盗が屋根の上へと逃走し、カイルとセシルが追撃に向かった直後。
混乱が残る書庫の中で、アリシアの視線は静かに別の方向へと注がれていた。
アリシアは優しく、けれど逃れられない視線を、メガネをかけた執事補佐のクリス・ヴァルモントへと向けた。
「クリスさん。あなたもまた、魔導書を狙っていたのですね?」
「えっ!? お… 王女様、何の冗談ですか! 私はずっと旦那様の側で……」
しかし、アリシアは静かに首を振った。
「嘘は決して逃しませんわ……クリスさん。昼間のティータイムで私に紅茶を入れてくださった時、あなたから……焦げた羊皮紙と、独特なオイルの匂いがほんのり漂っていましたわ」
「あ……」
動揺してメガネの位置を直すクリス。
「あの時は気のせいかと思いましたけれど……先ほど煙を撒いた魔導具から、昼間と同じ独特なオイルの匂いがしましたの。事前にあの仕掛けを準備し、触れていたのはあなたですわね?どさくさに紛れて魔導書を盗もうとした…それと、その胸ポケットから覗いている黒い紙は一体何なのかしら…?」
カインが素早く詰め寄り、クリスの胸ポケットから漆黒の封筒を抜き取る。
「ッ…!?」
そこには金色の文字で、不気味な闇市の案内が記されていた。
「これは…黒の封筒!?いや、 闇市への入場証ではないか!」
ノアの叫びに、ルーカス侯爵の顔色がガラリと変わる。
「闇市!? クリス、お前は闇社会の連中に手を貸していたのか!?」
「う……うあああっ……!」
観念したクリスは膝をつき、メガネを落として床に泣き崩れた。
「申し訳ございません、旦那様! 実家の膨大な借金を盾に、闇市の支配人から『魔導書を奪ってこい』と脅されていたのです! 怪盗が現れると聞いて、その混乱に乗じて自分も盗み出そうとしたのですが…私にはできませんでした…!」
床に落ちた漆黒の紙面には、金色の不気味な文字で『闇オークション』の刻印が踊っている。
怪盗が寄越した華やかな"赤い予告状"の影で、ひそかに屋敷を侵食していた一筋の不気味な闇。
アリシアは、黒の招待状を静かに見つめ、ゆっくりと息を吐いた。
「嘘をつくのは、誰のため? クリスさん、あなたが闇の誘惑に負けてついた嘘が、この屋敷を危険に晒したのですわ……」
「……ううっ、胃が……うっ……」
騒然とする書庫の隅で、ユリウスがみぞおちを押さえて情けなく顔を歪めていた。
「ちょっと、ユリウス兄様! 大丈夫ですの!?」
「またなの!?情けないわねぇ……」
アリシアとフェリシアが慌てて駆け寄り、背中をさすって甲斐甲斐しく介抱する。
そこへ、屋根の上からカイルとセシルが書庫へと戻ってきた。
「殿下 ……申し訳ございません、怪盗に逃げられてしまいました……」
カイルは悔しそうに頭を下げると、布に包んだ小さな『黒い灰』を差し出した。
「それと、奴が持ち出した魔導書には…自爆術式が仕掛けられていて…それが発動し…このように焼き尽くされてしまい…これが現場に残されていた灰です……」
「なんですって…!? 魔導書が焼失してしまいましたの!?」
アリシアが驚愕の声をあげ、介抱されながら身体を起こしたユリウスもまた、心配そうにその灰を一緒に覗き込んだ。
そこへ廊下から、別室で護衛されていたベアトリクスが青ざめた表情で駆け込んできた。
「アリシア! 無事なの!? 怪盗が本当に出たと聞いて……!!」
「お姉様! ええ、わたくしは無事ですわ!」
妹たちの無事な姿を確認し、安堵からアリシアを強く抱きしめるベアトリクス。
現場の意識が一気にそちらへ向かった…その一瞬ユリウスの瞳から、情けない光が消え去る。
覗き込んでいた『黒い灰』へとさりげなく細い指先をかざし、その中に漂う微かな魔力の残滓を、冷徹な視線で鋭く拾い上げた。
(この自爆術式……闇市では禁忌の呪符か……)
ユリウスは冷ややかな光を宿したまま、カインの手に握られている『黒の招待状』を盗み見る。
(……闇市を荒らすネズミは、綺麗に掃除しておかないとね……)
一瞬でいつもの情けない顔に戻ったユリウスは、「ううッ……いたたた……」とみぞおちを押さえた。
──事件の翌朝
応接室の重厚な机の上には、カイン副団長の手によって厳重に回収された『黒の招待状』が置かれていた。
「王家の皆様、今回は当家の不徳の致すところです。大変申し訳ございません。この不始末、いかようにも罰をお受けいたします……」
ルーカスは深々と頭を下げたあと、どこか痛むような重い眼差しをアリシアへと向けた。
「そして、アリシア殿下。危険な調査を好まれるお人柄は伺っておりますが、どうか今回の『黒の招待状』の件からはお手を引かれませんか……」
だが、ここで思わぬ人物が声を上げた。
「まあ、ルーカス! 何を言っているの?」
扇子をパチンと閉じたのは、ベアトリクスだった。
「アリシアが真実を解き明かしたいと言っているのよ? 危険だからと閉じ込めるのではなく、誰にも王女だと気づかれないように変装させればいいじゃない! それが、姉たる私の務め!!ふふ、闇のオークションに咲く"一輪の薔薇"最高にミステリアスだわ!美しくドレスアップしてあげるからね、アリシア!」
「ベ、ベアトリクス!? 本気かい!?」
「当たり前でしょう? 私のプロデュースに破綻などなくてよ!」
頭を抱えるルーカスと、ノリノリでアリシアの変装計画を練り始めるベアトリクス。
──ベルフォード侯爵領の外れ
かつて没落し、侯爵領へと併合された旧伯爵家が遺した古い洋館。
長年の手入れも途絶え、錆びついた鉄門と蔦の絡まる外壁が佇むその廃墟に、夜な夜な欲望と裏切りが集う『闇市』
そこが、さらに巨大な陰謀の入口であることを、アリシアはまだ知らない──
◆ ルーカス・ベルフォード侯爵(27)
◦ 温厚で妻ベアトリクスを深く愛する若き領主。
◆ベアトリクス・ベルフォード侯爵夫人(26)
◦ 元アステリア王国第二王女。
◦ 「アリシアは世界で一番可愛い」が信条の自称アリシア専属プロデューサー。
【執事】バートン・ハミルトン (高齢の重鎮)
【執事補佐】クリス・ヴァルモント(没落子爵家出身のメガネイケメン)
【侯爵補佐官】ノア・ハミルトン(バートンの孫。ルーカスの右腕)
【怪盗】
コードネーム: 『銀狐』
変装・名乗り: ロン(侯爵家 フットマン/綺麗な褐色肌の青年)
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第十一話【完】
次回は、10/3(土)公開します。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




