第九話:純白の花嫁と、沈黙する悪意の祝祭
──結婚式 当日
神隠し、そして毒殺未遂……重なる不穏な影を強引に振り払うかのように、ヴォルフラム城の朝は澄み渡る白銀の光に包まれていた。
だが、城門を潜る祝賀客たちの目を奪ったのは、華やかな祝祭の装飾だけではない。
王都から同行したライアン率いる精鋭近衛騎士団と、この地を守るヴォルフラム辺境伯領の重装騎士たち……ふたつの精鋭が隙なく入り混じり、鈍い銀光を放つ鉄甲で城郭を厳重に埋め尽くしていたのだ。
一歩歩くごとに重厚な甲冑が擦れ合い、緊迫した金属音が空気の粒を揺らす。
出入りする商人や給仕の一挙一動に鋭い視線が注がれ、まさに城全体が息を潜めた要塞と化していた。
(ダメよ。これだけ厳重でも、あの悪意は必ず隙を突いてくるわ!)
アリシアはドレスの裾を強く握りしめた。
本当なら、今すぐにでもカイルやセシルを走らせ、式場の隅々や給仕の動線、厨房の食材まで再点検させたい。
けれど、それは叶わない。
前回の騒動を経て、長兄である王太子エドワードと義姉のシャルロットから……
「今日は捜査も警備も騎士たちに任せ、アリシアは一人の妹としてクラリスの門出を祝いなさい」
と固く釘を刺されてしまっていたからだ。
専属護衛のカイルも、専属侍女のセシルも、今日はアリシアの『探偵ごっこ』を手伝うことを禁じられ、ただ静かに脇に控えている。
動けない……調べられない……そのもどかしさと焦燥感が、アリシアの胸を締めつけていた。
「見てごらん、アリシア。秋だというのに、素晴らしい雪晴れだ。まるでクラリスの新たな旅立ちを世界が祝福しているようじゃないか!」
傍らでエドワードが優しく目を細め、その隣ではシャルロットが華麗なドレスをなびかせ、眩しいほどの気品と笑みを振りまいている。
城内はすでに、遠方から集まった貴族たちの熱気と華やかな歓声で満ちあふれていた。
色とりどりのシルクやベルベットの衣装が翻り、城壁にはヴォルフラム特有の氷雪を模した白銀の飾りが輝いている。
誰もがこれから始まる最高に美しい結婚式を心待ちにしていた。
そして皆が、無邪気に浮かれていた。
だからこそ、アリシアはひとり…目に入るすべてのものに疑いの視線を走らせる。
(あのお祝いの花束に、幻惑の魔導具は仕込まれていない? 運ばれていく料理やグラスに、毒は仕込まれていない!? 今日こそは、何が起きても絶対に見逃さないわ!)
大好きなクラリスを何としても守り抜くため、アリシアは祝祭の華やぎの中で、探偵の瞳をギラギラと光らせていた。
──花嫁の控え室
賑やかな外の喧騒から隔てられた控室には、甘いバラの香りと、穏やかで温かな時間が満ちていた。
陽光が差し込む大きな鏡の前。
純白のシルクに繊細な銀糸の刺繍が施されたドレスを纏うクラリスの頭上に、母であるマーガレットが慈しむような手つきでそっと純銀のティアラを載せた。
鏡越しに目を合わせ、マーガレットはふっと目元を緩める。
「……本当に綺麗よ、クラリス。幼い頃からおとなしく、静かに本を開いているような子でしたけれど…こんなに立派なお嫁さんになるなんて……」
ティアラの位置を微調整する母の指先が、ほんの少しだけ震えている。
「こちらは雪深くて寂しい夜もあるでしょうけれど…ギルバート様と二人なら、大丈夫ね……」
「お母様……」
目元を潤ませるマーガレットは、そっと小さな宝石箱を取り出した。
蓋を開けると、そこには優美な輝きを放つ、サファイアと真珠があしらわれたロケットペンダントが収められていた。
「貴女がヴォルフラム辺境伯に嫁ぐと決まった時から、職人に頼んで作らせていたの。中には私たち家族の肖像を入れてあるわ。たとえ遠く離れても、私たちはいつもあなたの味方で、あなたを愛していることを忘れないでね……」
差し出されたロケットを胸に抱きしめ、クラリスの瞳から静かに涙が零れ落ちる。
「ありがとうございます……私、きっと幸せになって見せますわ」
「ちょっと! クラリスお姉様、ダメですわ! せっかく綺麗にお化粧したのですから、泣いてしまっては台無しになってしまいます!」
慌てて絹のハンカチを手に飛んできたのは、妹のフェリシアだった。
小悪魔のように軽やかに笑いながらも、その目には大好きな姉の美しさに感動した色が隠しきれていない。
「ふふ、ありがとう…フェリシア…私、本当に幸せよ……」
泣き笑いのような表情で微笑むクラリスの姿を、控室の入り口近くで見守っていたアリシアも、胸がキュッとなるような愛おしさに包まれていた。
その時、静寂を保っていた扉がコンコン、と控えめに叩かれた。
「失礼いたします。ルミナリス王国より、エレオノーラ王妃殿下がお着きになられました」
侍女の恭しい案内に続いて静かに扉が開くと、そこには溢れんばかりの神々しい気品を纏った女性が立っていた。
一歩踏み入れるだけで場の空気が一変するような圧倒的な存在感に、その場にいた者たちが自然と背筋を伸ばし、深く礼を執る。
だが、扉が閉じられた瞬間、アステリア出身の第一王女でもあるエレオノーラは、ふっと花がほころぶような柔らかい笑みを浮かべた。
「みんな、そんなに固くならないで頂戴。今は王妃としてではなく、家族としてここに来たのだから」
エレオノーラは優雅な足取りでクラリスへ歩み寄ると、その美しい頬をそっと撫でた。
「まあ……本当に美しいわ、クラリス……」
「エレオノーラお姉様! お忙しいのに、来てくださって…本当にありがとうございます……」
静かにクラリスを抱きしめるエレオノーラを囲み、家族たちの温かな輪が広がる。
伝統ある王家の威厳と、互いを思いやる純粋な愛が満ちた、絵画のように美しい一幕だった。
「エレオノーラお姉様、お久しぶりです」
アリシアが歩み寄ってドレスの裾を持ち上げ挨拶を交わすと、エレオノーラはその端正な顔立ちを一層和らげ、愛おしそうにアリシアの頬を両手で優しく包み込んだ。
「アリシア…また少し背が伸びて、綺麗になったわね。王都で色々大変な思いをしていると聞いているけれど、今日は何もかも忘れて甘えていいのよ?」
長女ならではの深く温かな包容力で額にそっと キスを贈られ、アリシアの心がふっと解けていく。
「お姉様…っ…」
ずっと一人で肩に力を入れていた警戒心が、その温もりに触れて一瞬だけ緩む。
この優しく温かな時間を、絶対に誰にも邪魔させない。
額に残る微かな温もりを感じながら、アリシアは静かに深呼吸をした。
──結婚式
大聖堂の宙に舞う、光の音符たち。
それが弾けるたびに、美しい旋律が遠く鳴り響く祝福の鐘の音と重なり、聖堂を優しく包み込んでいく。
繊細な装飾が施された高窓から注ぐのは、まるでダイヤモンドの粉を散りばめたような白銀の光。
その幻想的な光彩のなか、雪のように清らかなドレス姿のクラリスと、凛とした騎士の正装に身を包んだギルバートが並び立つ。
神前で永遠の愛を誓い、二人が静かに誓いのキスを交わした瞬間、大聖堂は揺れんばかりの喝采に包まれた。
「ううっ……!」
「まあ、オズワルド様ったら。目立ってしまいますわ」
新郎席では、新郎の父である先代ヴォルフラム卿がハンカチを目元に当てて豪快に感涙し、隣の妻ロレーヌが呆れつつも誇らしげに涙を拭っている。
その傍らでは、兄を奪われる寂しさと葛藤する妹のロザリンドが、どこか不満そうに、けれど目を潤ませて二人を見つめていた。
一方、新婦側にも温かな感動が広がっていた。
拍手を贈る王太子エドワードとシャルロット夫妻。母マーガレットは涙で滲む瞳で愛娘を見つめ、隣国の王妃となったエレオノーラも誇らしげに微笑んでいる。
そして、その少し後方。
「うぐっ……ハッピーエンドすぎて……胸がいっぱい……胃が痛い……っ」
ユリウスがみぞおちを押さえ、情けない顔で今にも倒れそうに顔を歪めている。
周囲の兄妹たちから「こんな時まで…」と呆れ顔で、フェリシアに背中を叩かれる。
アリシアは拍手を送りながらも、背中に冷たい汗が伝うのを感じていた。
(えぇ!?何事もなく式が終わった…?)
──披露宴会場
北の守護者たるヴォルフラムの威信をかけ、華々しい披露宴が幕を開ける。
厳選された北国の豊かな味覚が一堂に会し、惜しみなく注がれる名酒と、魔導楽器が奏でる軽やかな旋律が会場を満たしていた。
クラリスとギルバートが笑顔でグラスを傾け、ゲストたちからの祝福に頬を染めている。
どこを見渡しても幸せと歓喜に満ちあふれ、隙などどこにも生まれなかった。
けれど…アリシアの胸を占めていたのは、安堵ではなく底知れぬ違和感だった。
(おかしい…絶対に何かがおかしいわ。あの霧の中の人影も、全員が怪しくて、全員の手がかりが消えた、あの悪意も…どうして今日は、影すら見せないの!?)
運ばれてくる極上の料理を前にしても、アリシアの頭は「毒の可能性は?」と巡り、舞い散る祝いの花びらを見ても「幻惑の触媒では?」と体が強張る。周囲が祝祭の熱狂に包まれれば包まれるほど、アリシアひとりだけが冷ややかな孤独に取り残されていく。
(静かすぎる…。まるで、誰かの描いた筋書き通りに、すべてが幕を閉じていくみたい……)
幸せに満ちた喝采の渦の中で、アリシアの胸に落ちた小さな不気味が、静かにその影を広げていた。
宴が最高潮を迎え、会場のあちこちで歓声と乾杯の音が響き渡っていた頃。
給仕がうやうやしく運んできたのは、王宮や各国の貴族から届いた数々の祝福の書簡が載せられた銀のトレーだった。
歓談の輪からそっと離れたユリウスは、「どれどれ、僕もお祝いの言葉を確認しようかな」といつもの呑気な手つきでそれらに手を伸ばす。
だが、その指先が一通の封筒に触れた瞬間、彼の動きが微かに止まった。
華やかな祝状の中に混ざり込む、差出人の名も紋章もない、不気味な漆黒の封筒。
ユリウスは誰にも気づかれないような滑らかな動作でそれを指に挟むと、そのまま傍にあった暖炉の炎の中へと滑り込ませた。紙片は一瞬で黒く縮み、灰となって消え去る。
遠く離れた歓談席から、エレオノーラがその一連の動作を逃さず見つめていた。
やがて祝宴も終盤となり、主役であるクラリスとギルバートに、会場全体から惜しみない拍手と祝福の声が送られると、二人は幸せそうに微笑み合いながら会場を後にした。
新郎新婦を見送った後も会場の熱気は冷めやらず、来客たちは名残惜しそうにグラスを傾けながら、北の守護者の誕生と二人のかけがえのない門出を祝うのだった。
すべてが無事に終わった。誰も傷つかず、何のトラブルも起きなかった。
静まり返った城のバルコニーで、アリシアは一人たたずむユリウスの背中を見つけた。
月明かりの下、いつもの気弱な面影はどこにもなく、冷たく澄んだ横顔で城下を見下ろしている。
「……これで……よかったんだ……」
アリシアが息を飲み、その背中に声をかけようと踏み出した、まさにその瞬間。
ふっとユリウスの肩から力が抜け、冷徹な気配が綺麗に霧散した。振り返った彼の顔には、いつもの頼りない、へらりとした笑みが張り付いている。
「あ、アリシア! ふう、飲みすぎちゃったかな。急に胃が痛くなってきちゃったよ……あはは、おやすみアリシア……」
ぽんぽんと優しく頭に手を置き、おどけた足取りでアリシアの横を通り過ぎていく。
残されたアリシアが、胸のざわめきを抑えきれずに暗い城下へと目を向ける。
城郭の闇の中、一瞬だけ黒い人影が見えたが、すぐに夜の静寂へと消えていった。
事件を未然に防ぎ、姉の幸せを守り切ったはずだった。
何のトラブルも起きず、完璧なハッピーエンドを迎えたはずなのに……アリシアの足元は、まるで底なし沼に沈んでいくように重かった。
(私、何かを見落としてる…? ううん、違う。私は…最初から誰かに踊らされていたの!?)
犯人と対峙することすら許されず、事件を起こさないという形で手も足も出せずに完了させられてしまった。
(これは、敗北!?)
夜のバルコニーにポツンと取り残されたアリシアの胸に満ちていたのは、安堵などではなく、冷たい敗北の味だった……
第九話【完】
今回は事件もありませんでした…アリシアだけが心から祝えなかったクラリスの結婚。
でも、クラリスは幸せそうで良かったのです(笑)
次回は、明日公開予定です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




