第六話:湖畔の静寂(しじま)と、精霊の処刑②
──翌朝
静寂を切り裂くような、女の鋭い悲鳴が響き渡った。
「…なんだッ!?」
真っ先に部屋を飛び出したのは、護衛のカイルだった。
アリシア、セシル、そして近衛騎士のカインとボリスが悲鳴の聞こえた湖畔へと駆けつける。
朝日が差し込む桟橋の先端。
そこに、異様な光景が広がっていた。
「……っ、これは……!」
カイルが息を呑む。
そこにいたのは、直立不動の姿勢で絶命したバルトロメオだった。
彼の胸には、心臓を正確に貫く「巨大な氷の杭」が突き刺さり、彼を桟橋の床へと縫い止めている。
「精霊の呪いですわ……! 古い伝承にある、湖を汚した者を裁く『精霊の処刑』……!」
駆けつけた側妃マーガレットが、青ざめた顔で十字を切る。
その隣で、クラリスとフェリシアも、互いに抱き合って震えていた。
「高い水柱が立ち上がり、罪人の首を落として一瞬で氷の彫像へ変える……という、あの伝承ですね」
アリシアは冷静に、だが鋭い観察眼で死体を見つめた。
(……でも、何かおかしいわ。バルトロメオは全身が凍りついた『彫像』にもなっていないし、首ではなく胸を貫かれている。伝承にある『ギロチン』の姿とは、あまりにもかけ離れている……)
アリシアは冷静に、だが鋭い観察眼で死体をみつめた。
バルトロメオの死に顔は、まるで死ぬことを受け入れたかのように、どこか満足げで、それでいてひどく不気味だった。
「アリシア様。精霊の呪いかどうかを議論する前に、まずあの死体の手首を見ていただけますか? 私の目が節穴でなければ、何か光るものが絡みついているようですが」
セシルの冷静な言葉に促され、アリシアは死体の手首に目を凝らす。
そこには、砕け散った「宝石のペンダント」の破片が、凍りついた血の中に閉じ込められていた。
「精霊は……宝石のアクセサリーなんて身に着けないわ、セシル」
アリシアの瞳に、探偵の光が宿る。
湖畔の静寂の中に、見えない悪意の足音が響き始めていた。
「カイン、ボリス。現場を保存してください。足跡一つ、氷の欠片一つも見逃さないで」
アリシアの凛とした声に、近衛騎士の二人は「はっ!」と居住まいを正した。
アリシアは桟橋に膝をつき、バルトロメオの死体を観察する。
胸を貫く氷の杭は、朝日に照らされてキラキラと輝いているが、その断面は恐ろしいほどに鋭利だった。
「フェリシア姉様、少しよろしいですか?」
「なあに、アリシア? こんなに怖い死体の近くに寄るなんて……」
魔術研究所の研究員であるフェリシアが、おどおどしながらも近寄ってくる。
「この氷、ただの湖の水が凍ったものかしら? 魔術的な性質を感じないか、調べてほしいのです」
「……そうね。ちょっと待って。えいっ」
フェリシアが愛用の魔道具をかざすと、氷の杭から微かな魔力の残滓が浮かび上がった。
「これは……『水の時間操作』の術式ね。しかも、かなり高度な。無理やり水の時間を『停止』させて、氷の硬度を持たせているわ。でも、術者の魔力が弱すぎるのか、術式がボロボロに崩れている……まるで、魔力を無理やり引き出されたみたい」
その言葉に、アリシアの疑念は確信に変わった。
一方、別荘内を調べていたセシルとカイルが戻ってくる。
「アリシア様、収穫です。バルトロメオの私室から、王家の紋章が入った帳簿が見つかりました。中身は……まあ、横領の記録ですね。」
「それとアリシア様、フィリップの様子が変だ」
カイルが低い声で付け加える。
「妹のエルザの部屋の前で、ずっと震えて座り込んでいる。エルザは、ひどく魔力を消耗して倒れているみたいだ」
アリシアは、バルトロメオの手首に絡みついたペンダントの破片と、フェリシアの言葉、そして横領の事実を頭の中で繋ぎ合わせた。
「……悲しいパズルが完成しそうね。みんな、広間に集まって。―『精霊の処刑』の正体を暴きましょう」
別荘の広間には、王家の方々と、青ざめた顔のフィリップ、そして意識を取り戻したばかりのエルザが集められていた。
「皆様、お騒がせして申し訳ありません。ですが、精霊の呪いなどという不吉な噂は、ここで終わりにしましょう」
アリシアは、一同を見渡して静かに語り始めた。
「犯人は、バルトロメオを殺害するために、エルザさんの『水の時間操作』の魔法を利用しました。高圧の水流を放ち、それを魔法で『時間停止』させることで、物理的な氷の杭へと変えたのです。これが桟橋に直立不動の死体を作り出したトリックです」
「な、何を……! エルザにはそんな大それたことは……!」
フィリップが声を荒らげる。
「ええ、エルザさん本人に殺意はありませんでした。犯人は、エルザさんが大切にしていたペンダント―魔力を蓄積し、増幅させる機能を持つそれを利用したのです。彼女に魔法を使わせ、その魔力をペンダント経由で強引に引き出し、凶器へと変えた」
アリシアは、フィリップの前に立った。
「フェリシア姉様が、氷に残った魔力残滓を特定しました。それは、エルザさんのものと完全に一致しています。……そして、そのペンダントを預かり、細工ができたのは、兄であるあなただけです、フィリップ」
「……っ!」
「バルトロメオの横領を知り、妹を汚されたあなたの怒りは正当なものだったかもしれない。でも、あなたは妹を『殺人犯』に仕立て上げてしまった。……そうでしょう?」
広間に、フィリップの荒い呼吸だけが響いた。
「……ああ、そうです。私がやりました」
フィリップは糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。彼の目から涙が溢れ、床を濡らしていく。
「あいつは……バルトロメオは、ずっと狂っていた。自分が陛下の血を引く王子だと僕たちに言い、この屋敷を『自分の領地』だと言い張った。横領した金で贅を尽くし、私やエルザを……本当の奴隷のように扱った。逆らえば『王家への反逆』だと言ってね」
フィリップは、まだ幼い面影の残る妹・エルザを見つめた。
「私はあいつが本当に王子だと思っていた…。だから、エルザが手篭めにされ、身籠ったと知っても、最初は跪いて許しを請うことしかできなかった。でも…! 妹の腹を蹴り、汚物を見るような目で笑ったあいつを見た時、私の中で何かが壊れたんだ」
フィリップは、エルザの魔力を封じ込めたペンダントを握りしめた。
「妹の純粋な魔法を汚してでも、あいつを消さなければならなかった…。あいつは死の間際まで、自分が精霊に選ばれ、王として処刑されるのだと信じて、満足げに笑っていましたよ。滑稽でしょう?」
広間に沈黙が流れる。
自分こそが特別な存在だと信じ込み、他者を踏みにじった男の最期。
すると、エルザが震える声で叫んだ。
「お兄ちゃん……どうして! 私の魔法を、人殺しに……っ。この子に、どんな顔をすればいいの!」
絶望に染まった兄妹の叫びが、豪奢な広間に虚しく響き渡る。
近衛騎士のカインとボリスが、静かに、だが峻厳にフィリップの肩を掴み、連行していった。
──数日後
別荘に漂っていた重苦しい空気は、アリシアが陛下に「エルザさんは被害者です」と強く進言したことで、少しだけ和らいだ。
エルザは王宮の直轄地で保護されることが決まり、お腹の子と共に新しい人生を歩むことになった。
アリシアは出発前の桟橋に立ち、今はもう溶けてなくなった「氷の杭」の跡を見つめていた。
「……悲しい事件だったね、アリシア」
背後からかけられた声に振り向くと、ユリウスが胃のあたりを押さえながら立っていた。
「ええ、ユリウス兄様。人の思い込みは、時に魔法よりも恐ろしい凶器になるのですね」
「そうだね。でも、終わったことだ。さあ、帰ろうか。王宮では、きっと兄上たちが首を長くして待っているよ……」
ユリウスはいつものように優しくアリシアの肩を抱き、歩き出した。
「アリシア様、出発のご準備が整いました」
離れた場所からセシルに声をかけられ、アリシアが「ええ、今行くわ」とそちらへ視線を向けた、ほんの一瞬……ユリウスの視線が、静まり返る湖面へと向けられた。
その瞳に宿っていたのは、いつもの気弱な光ではなく…どこか遠くを見つめるような、静かな眼差し。
「ユリウス兄様?」
アリシアが不思議そうに顔を覗き込むと、彼はいつものように少し胃を押さえながら、ふわりと弱々しく微笑んだ。
「…なんでもないよ。少し冷えたのかな。さあ、行こうか」
──王宮
王宮に戻った一行を待っていたのは、予告通りの『シスコン包囲網』だった。
「アリシア! 無事か!? 精霊の処刑なんて…怪我はないか? 大丈夫か!?」
王太子エドワードが、全力の全力で駆け寄ってくる。
その後ろからは、いつもの凛とした佇まいをどこかに置き忘れたライアンが、全速力で追いかけてきた。
「アリシア、渡したペンダントは役に立ちましたか? 足りなければ、今度は魔導騎士団の総力を挙げて、さらに強力な防壁を……」
「お兄様方、ただいま戻りましたわ。…ふふ、ちょっとだけ疲れました」
アリシアがふんわりと微笑むと、二人の兄は一瞬で毒気を抜かれたように顔を見合わせた。
「騎士団長様、アリシア様を抱き上げる前にご自分の制服の埃を払ってください。…全くもう…」
セシルの毒舌が、いつものように響き渡る。
その賑やかな喧騒の中で、アリシアはもう一度、空を見上げて微笑んだ。
第六話【完】
いかがでしたか?
■実は今回の湖畔の別荘旅行、アステリア王家からアリシアへの17歳の誕生日プレゼントも兼ねたバカンスだったりします!15歳で入学したアリシアも、あっという間に17歳。お兄様たちの溺愛もますます過熱中です(笑)
次回は、9/19(土)に公開予定です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




