6-5 静かな年越しと、温かな出汁の香り
圭祐が出て行ってから、家の中にはどこか冷え冷えとした空気が漂っていた。
だが、一人きりではなかった。
「あの子には本当に呆れたわ。年末だというのに、どこで何をしているのやら……」
義母はため息をつきながらも、蓮をあやす手に優しさを込めていた。
義父や義妹も、逃げるように家を出た圭祐の無責任な態度に激怒し、そして傷ついた律子と生後間もない蓮を心配して、年末の支度を手伝いに駆けつけてくれたのだった。
年の瀬の押し迫った大晦日の夕方。
台所には、カツオと昆布の豊かな出汁の香りが満ちていた。
「律子ちゃん、本当にごめんね。私、昔から料理だけはさっぱり駄目で……年末の支度まで律子ちゃんにお願いしちゃって」
申し訳なさそうに台所を覗き込む義母に、律子は少しだけ微笑んだ。
「いいえ、お義母さん。料理をしている間は余計なことを考えずに済むので、むしろありがたいんです」
それは強がりでもあり、本心でもあった。
大根や人参を丁寧に切りそろえ、元旦に食べるお雑煮の汁や煮物を仕込んでいく。
手元を動かしている間だけは、胸の奥を重く締め付ける怒りや虚しさを忘れることができた。
「律子ちゃん、蓮ちゃん寝たよ〜」
リビングから義妹が声をかけてくる。義妹も手際よくお掃除や蓮の世話を手伝ってくれていた。
義母は台所の脇に立ち、包丁を動かす律子の横顔を悲しそうに見つめていた。
「あんな馬鹿な息子で……本当に申し訳ないわ。でもね、律子ちゃん。私たちは何があっても律子ちゃんと蓮ちゃんの味方だからね」
義母の真っ直ぐで温かい言葉に、出汁の湯気で視界がじんわりと滲んだ。
リビングでは、義父がスマートフォンを耳に当て、険しい表情で受話器に向かって低い声を張っていた。
「おい圭祐、どこにいるんだ。年越しくらい、親や自分の家族のところへちゃんと帰ってきなさい!」
強い口調で息子を叱りつける義父の声が、静かな部屋に響く。
夕方遅く、新年の準備がいよいよ整おうとしていた頃、カチャリと玄関の鍵が開く音がした。
ぬっと姿を現したのは、圭祐だった。
悪びれる様子を見せるわけでもなく、かといって堂々としているわけでもない。ただ気まずそうに、ふらーっと戻ってきたのだ。
「……ただいま」
ぼそりと呟く夫に、律子は視線すら合わさなかった。
「お帰り」の一言も出ない。必要な言葉以外、二人を繋ぐ会話は完全に途絶えていた。気まずい沈黙のまま、義父母と義妹は「また明日ね」と律子に温かい言葉を残し、一旦自分たちの家へと帰っていった。
その夜、同じ屋根の下に居ながら、律子と圭祐の間には冷たく厚い壁が立ちはだかっていた。
◇
あくる元旦の朝。
晴れやかな新年の光が差し込む部屋に、義父母と義妹親子、そして義姉家族が続々と集まってきた。
「律子ちゃん、あけましておめでとう! 蓮ちゃん、大きくなったねぇ」
賑やかな声とともに、一気に部屋が華やぐ。
律子が前日から心を込めて準備したお雑煮やおせち料理がテーブルの上に並べられた。
「おいしい! 律子ちゃん、本当にお料理上手ね」
「お雑煮の出汁がすごく優しい味」
義母や義姉たちが口々に褒めてくれ、義父も満足そうに箸を進める。
大勢で囲む食卓は温かく、笑い声に溢れていたが、その輪の端に座る圭祐だけが、どこか浮いたように所在なさげにしていた。義家族からの冷ややかな視線と気まずさに耐かねているようだったが、律子はもう彼を気遣うことすらしなかった。
お祝いの食事が終わると、全員で揃ってお墓参りへと向かった。
新年の澄み切った冷たい空気を吸い込みながら、墓前に手を合わせる。
義家族の温もりを感じつつ、腕の中の蓮の重みを感じる。
(私には、守るべきものがある)
家族の輪の中で静かに佇みながら、律子の胸の中には、逃げ続ける夫への冷めた決意と、新しく始まる年への強い覚悟がしっかりと根を張っていた。
気付けば前回更新から10カ月も過ぎていました、すみません。
またお読みいただければ嬉しく思います。




