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幽霊とは、この世に恨み、未練を残す死者の霊が形となって表れた現象だとされる。
または死者の霊そのものではなく、恨みや未練が霊の形に、この世と言うフィルムに焼き付いた影法師だとも言われるとか。
詳しい事は僕も霊能者じゃないのでよくわからないが、取り敢えずそう言ったあやふやな存在だ。
世間一般のイメージでは、とにかく怖い物だったり、人を呪ったり祟ったりしたり、こちらからは触れられないのに幽霊からは触れて来たり、見た目とは関係なく恐ろしい力を持っていたりするだろう。
そう、基本的に、幽霊に対しては物理的な攻撃は意味がないとされていた。
こちらからは触れられないのに、あちらからは危害を一方的に加えられると言うのは、幽霊が恐れられる大きな要素の一つである。
しかし何故に向こうは触れれるのに、こちらからは触れられないのか。
これはどうにも理屈に合わない。
例えば屈強で泳ぎの達者な男が、女の霊に足を掴まれ水の底へと引きずり込まれた。
まぁこれは川でも海でもプールでも何でも良いのだけれど、聞いた事がある様な話だろう。
ではどうして屈強な男が、力では劣る筈の女の霊に引っ張り負けるのか。
焦りや恐怖が身体をこわばらせた事も関係はあろうが、それでもやはり少し理屈としては納得し難い。
但しこの何故、どうしてに対する答えを、僕は教えられて知っている。
何でも人の身体の外側には、エーテル体やアストラル体と呼ばれる物が存在していて、これを霊体と呼ぶそうだ。
尤も更に他にも色々とあるらしいけれど、取り敢えずややこしいから省略しよう。
幽霊が加えて来る危害に人が抵抗できないのは、肉体への干渉じゃなくてエーテル体やアストラル体に干渉されているから何だとか。
要するに屈強な男性の足を掴んでる女の霊は、実はエーテル体やアストラル体を掴んで引っ張っていた。
だから男性が肉体を使って振り解こうとしても女の霊には触れないし、引っ張られたエーテル体やアストラル体に引き摺られて、肉体も水の底に沈む。
つまり真っ当な力比べの形になっていないから、屈強な男性も女の霊に力負けするのだ。
なので逆に言えば肉体と同じ様にエーテル体やアストラル体を操作し、エーテル体やアストラル体に力を籠められる様になれば、女の霊は単なる見た目通りの女性に過ぎなくなる。
そしてその為の方法を、僕は異世界で聖女とやらをやってた婆ちゃんから、この世界で言う所のプロの霊能者や神職にあたる人から学んでいた。
いや、まぁ、最初は爺ちゃんが教えてくれようとしたのだけれど、手に気合を入れて触れると思って触れば、幽霊も触れるなんて教えられても、どうしてもピンと来なかったから。
一旦その方法を理解してしまえば、爺ちゃんが間違いなくそのコツを教えようとしてくれていた事も理解は出来たが、初心者に理屈の伴わない感覚だけで物事を教えられても、習得は難しい。
と言う訳で結局何が言いたいのかと言えば、僕の拳は幽霊にも通用するって話だった。
勿論、人を襲ってる訳でもない幽霊を、いきなり殴り付ける様な事は僕もしないけれど、人を襲ってる最中の悪霊相手に遠慮をする必要はないだろう。
『ぶぎゃっ!?』
こちらからは触れられないと思って油断していたのだろう悪霊が、僕の拳を喰らって叫びながら地を転がる。
物語のヒーローなら、先ずは襲われてた少女を助け起こし、それから起き上がって来た悪霊を打倒するのだろうけれど、残念ながら僕は頻繁に神隠しに遭うだけの一般人だ。
故に相手に生まれた隙を見逃す余裕なんてなく、僕は拳だけでなく全身のエーテル体やアストラル体を操作し、力を込めて、悪霊の上に馬乗りになって拳を振り下ろし続けた。
『あっ、ぎゃあっ、痛いっ、やめてっ、やめてっ、ぶたないでっ!?』
拳を振り下ろす度に上がる悲鳴は、僕のやる気を萎えさせるけれども、けれども加減はしない。
婆ちゃんや、ちゃんとした霊能者なら、こんな苦痛を与えずに悪霊も成仏させてしまえるのかも知れないけれど、僕の拳にそんな力は宿ってない。
単に幽霊も殴れるってだけで、一度死んでる霊を二度殺したりも不可能だ。
だから僕の拳は、徐々に黒い影の姿から古めかしい詰襟の学生服を着た、男子高校生らしき姿に変わって行く幽霊に、苦痛を与える為だけに振るわれている。
要するに暴力だった。
もし成仏させるなら、話し合いで説得するより、僕に可能な方法はない。
完全に黒い影の姿から、つまり悪霊から、男子高校生の幽霊に変わった彼の胸ぐらを掴んで引っ張り上げる。
「何があったか知らないけれど! 関係ない人に危害を加えるなッ!」
彼が僕を見る目は完全に恐怖の色に染まってて、振り被った拳にヒッ、と短く悲鳴を上げた。
そう、彼の恨み辛み、暴力的な衝動が恐怖で塗り潰されて、悪霊から元の幽霊に戻っている状態だ。
他にどうしようもないとは言え、物凄く罪悪感が湧く。
悪霊の中には生きてる時から歪んでて、死んでからも全く変わらず人に害を成す事を当然とする、どうしようもないのもいるけれど、多分この男子高校生はそうじゃないだろう。
何らかの恨み辛みがあって、そうならざる得なくて、あんな真っ黒な影の様な姿に成り果ててた。
本当にどうしようもない悪霊は、霊能者や神職の力、つまり僕の場合は婆ちゃんから預かった札を使って消滅させて対処するが、彼にはそこまでしたくない。
そもそもこんなに簡単に悪霊から幽霊に戻るのならば、間違いなく人を手に掛けた事はこれまでなかっただろうし。
時と共に積み重なった行き場のない恨み辛みが彼を悪霊にして、今夜戻れない一歩を踏み出す所だったと言う訳だ。
『ご、ごべんあさい。でも、俺っ』
震えて涙を流す幽霊の胸ぐらから、僕は手を放す。
流石にこんな風に泣いてる相手を殴り付けるのは、僕だって手が痛い。
「良いよ。今日の所は行って良いよ。今度話を聞きに来るから、その時に話そう。……ごめんね、もう殴る心算はないから、怯えなくてッて、あぁ、逃げたか」
僕の言葉に男子高校生の幽霊は大慌てで逃げ出して、散々に殴ったから無理もないけれど、なんとも胸中がやるせなかった。
まぁ居場所はわかっているのだから、このまま放置する心算はない。
普段の神隠しなら未解決のまま放ってはおかないだろうけれど、何せここは僕の通う学校の敷地内だから。
明日だって明後日だって、何時だって解決は可能である。
向こうが落ち着いて、僕も油断しなければ対話で解決する筈だ。
それよりも今は、
「君、大丈夫? ここは立ち入り禁止だ。夜中にこんな場所に来たら危ないよ。不審者が出るかも知れないしね」
襲われていた女生徒を助けよう。
身バレを防ぐには、もうこのまま立ち去るのが一番良いのだけれども、……でもそれをするのはちょっと人としてどうなのかって話である。
手を差し出すと、状況を良く掴めてなかったのか女生徒は、
「あ、はい、すいません。……あの、あれって一体?」
その手に縋って立ち上がりながら、不思議そうに首を傾げる。
でも当然ながら僕には、その疑問に答える心算はない。
適当に言いくるめて旧校舎の外に追い出したら、さっさとお暇する心算だった。
だけどそんな風に考えてた僕は、間近で彼女の顔を見た途端、
「えっ、佐野さん?」
迂闊にも思わずそう口に出してしまう。
何故なら彼女の顔は、僕のクラスメイトである佐野・祥子にそっくりだったから。
しかしそれは、我ながら迂闊過ぎた。
もしかすると今助けた彼女は、祥子の妹か何かかも知れない。
中学生の妹が居ると聞いた事はなかったが、……そもそもそんなに話さないし、居たとしても不思議ではなかった。
だとすると、適当に言いくるめた所で、僕の身バレの確率は高まってしまう。
「えっ? あっ、はい。佐野・祥子です。……あの、えっと、高等部の方ですよね? どうして私の事を?」
驚き、それから少し警戒した様に、彼女は僕の手を離して距離を取る。
その言葉に、彼女が佐野・祥子と名乗った事に、僕は二重の意味で自分の失敗を悟った。
あぁ、見知った場所だからてっきり今、僕が通ってる七白学院での出来事だと思い込んでしまっていたが、中学生にしか見えない祥子が目の前に居ると言う事は、ここは僕が暮らす時間帯から数年前の過去だ。
そりゃあ幾ら学校に通っていても、あの幽霊の気配を感じない訳である。
多分あの幽霊は悪さもせずに、学校にやってくる僕から隠れようと、必死で気配を消していただろうから。
つまり僕は、可哀想にも幽霊を怯えさせながら数年間放置してしまった形になっていた。
これはあまりに手痛いミスだ。
祥子を助け終わった以上、彼女を旧校舎から送り出せば、僕は自宅に戻るだろう。
このミスの後始末は数年後、僕が暮らす時間帯に戻ってから付けるより他になかった。
「あっ、あの、すいません。助けて貰ったのに、えっと、すいません」
僕が落ち込んだ様子を、どうやら祥子は勘違いしたらしい。
オドオドと気弱な所を見せ、謝って来る彼女。
そんな風だと悪意ある他人に漬け込まれてしまうと思うのだけれど、過去の祥子に僕がどれだけ干渉して良いのかがわからずに、言葉は出ない。
そもそも悪霊から助けた事自体が既に干渉だとは思うのだけれど、でもあれは助けなければ命が危なかったし……。
しかし仮に彼女を悪霊から助けられていなかったら、僕が暮らす時間帯の祥子は、一体どうなっていたんだろうか。
祥子を旧校舎から送り出しながら話を聞けば、彼女は友人の悪戯で隠された明日の提出物を取りに来たらしい。
それはもう悪戯ではなく虐め、友人ではなく加害者だと僕は思うのだけれど、祥子の中ではまだ相手は友人のカテゴリーに入ると言う。
だけど流石に今回の件は度が過ぎるので、ちゃんと抗議すると彼女は僕に約束した。
……と言うよりも僕がさせた。
いやこれも干渉になるのはわかるけれども、ほら、やっぱり具体的な事を言われると放って置けないし。
旧校舎から出て、こちらに手を振り帰路に着く祥子を見送って、僕は溜息を一つ吐く。
本当ならばもうちょっとちゃんと送ってあげたいとか、明日、僕が暮らす時間帯の彼女と顔を合わせるのが少し怖いとか、色々と考えながら。
でもまぁ取り敢えず、僕は旧校舎を振り返ってこう告げる。
「じゃあ、また明日」
そう、今日の所は帰って寝よう。
残る全ては数年後の、また明日に。
一章終了
続きはまたそのうちに




