20
「まぁまぁ、吾郎ちゃん。あら……、ちょっと吾郎ちゃん、どうしたの? 吾郎ちゃん、何かに呪われてるわ」
僕が屋敷に入ると、何時ものように縁側で猫を撫でてた角の生えた老女、吉祥婆ちゃんが、驚きに目を丸くしてそんな事を言う。
それは何時も動じない彼女の反応としてはとても珍しい物で……いや、それよりも、僕が呪われてるって?
猫も顔を上げて僕を見て、それから毛を逆立ててシャーと鳴く。
「そのまま動かんで、ちょっと待ってて頂戴な」
状況が掴めず戸惑う僕に、吉祥婆ちゃんは立ち上がって奥に引っ込むと、塩の入った壺を持って戻って来る。
それから彼女は塩を一つまみ、僕の両肩にさっと撒いて、パンっと両手を打ち合わせた。
その途端、クラりと僕の視界が歪む。
立っていられなくて、思わず膝を突くけれど……、どろりと何かが、僕の背中から抜けた気がした。
すると急に気分が楽になって、呼吸が楽に、視界も元通りに、いや、さっきまでとは全然違って色がクリアになる。
「吉祥ばあちゃん……?」
顔を上げて問い掛ければ、吉祥婆ちゃんはにこりと笑って、一つ頷く。
どうやら僕に掛かってた呪い?とやらは無事に解けたらしい。
そうなると問題は、一体僕はどこでその呪いとやらを受けたのかって事になるけれど……、そんなの心当たりは一つしかなかった。
「じゃあ吾郎ちゃん。……まずはお茶でも飲んで落ち着いてから、聞かせてね。ここに来る前、何があったか。できるだけ詳しく、お願いね」
突然の神隠しは、恐らく吉祥婆ちゃんに助けを乞う為だ。
だったら全部話してみよう。
彼女が僕の味方である事は、ずっと以前から知っている。
呪いとは、誰かが人に向けた強い恨みの念が形を成した物、或いはそれを制御して操る術、なんて認識が一般的だ。
だったらクラスメイトである笹見・彩が、僕への恨みを持って呪いを放ったのかと言えば、どうやらそれも違うらしい。
僕に掛かっていた呪いは、人が人へ放つ恨みの念による呪いではなくて、より恐ろしいもう一つの呪いだったから。
この世には、……いや、この世だけじゃなくて別の世界もそうだけれども、人が触れてはいけない物が沢山あった。
例えば以前に、夏休みの特別なお勤めで遭遇した、湖の底に眠る荒ぶる物。
あぁいったあまりに強過ぎる何かは、その存在だけで人に影響を及ぼし得る。
それこそが、障りや祟りと呼ばれる、もう一つの呪いだった。
吉祥婆ちゃん曰く、僕に掛かっていた呪いは、どうやらそちらだったらしいのだ。
そうなると、そんな物を軽々と祓えてしまった吉祥婆ちゃんは一体何なのかって話になるのだけれど、そこは今気にしても仕方がない。
多分、本当は、吉祥婆ちゃんも人が触れてはいけない類の何かで、……彼女が敢えて人間に合わせてくれているから、僕ともこうして接する事ができるのだろう。
まぁつまり、あれは笹見・彩が僕に掛けれる筈のない呪いだった。
でも僕に、他に呪いを掛けられそうな心当たりは、ここの所は皆無である。
だとすれば、一体どういう事なのか。
「それはきっと、その彩ちゃん?って子が、えらい強ぅ呪われてるんやろうかね。強過ぎる呪いは、周囲も汚染するのよ」
吉祥婆ちゃんの言葉が、腑に落ちる。
あぁ、恐らくそうなのだろう。
笹見・彩は、殊更に善良でも、悪性でもない普通の女子高生だ。
少なくとも僕が知る彼女は、あんな伽藍洞のような目をする人間じゃなかった。
だとすれば笹見・彩を呪った何かは、その呪いを広く拡散する為に、彼女をあんな風にしたのだと、僕は思う。
あの時、笹見・彩は何の話をしてたっけ。
駅裏のビルの、五階の占い屋?
……あれは確かに、違和感のある話だった。
彼女の呪いと、全くの無関係だとは思えない。
「呪われ、魅入られ、操られ。……そうなると相手は、強い魔性や、悪魔だわ。吾郎ちゃん、悪い事は言わないから、暫くここに隠れてなさいな」
普段はのんびりした雰囲気の吉祥婆ちゃんが、真顔で僕に忠告してる。
要するにそれだけ、今回の件に絡む何か、その魔性だか悪魔だかは、危険なのだろう。
あぁ、そう、今回の件は神隠しじゃないから、僕にどうにかできるとは限らない。
否、むしろ僕にはどうでもできないからこそ、神隠しを行う神様は、僕をここに逃がしたのだ。
だけど僕は、吉祥婆ちゃんの言葉に、首を横に振った。
それじゃあ、駄目なのだ。
ここに逃げ込んで、神隠しの神様に守られて、助かるのは僕一人だけ。
あの世界にも、そういった難事に対処する組織がある事は、従妹の恵理から聞かされたし、知ってる。
だから僕が動かずとも、いずれは解決するかも知れない。
しかしその解決までに、一体どれだけの被害が出るのか、僕には想像も付かなかった。
そして真っ先にその被害を受けるのは、拡散した呪いを受ける僕のクラスメイトだ。
佐野・祥子や、西野・昭。
人付き合いは苦手な僕だが、それでも色々と良くしてくれるクラスメイトは居るのだ。
それに万一、運良くクラスメイト達が難を逃れたとしても、……既に強く呪いを受けてる笹見・彩だけは、どう考えても助からないだろう。
そうと分かってここに隠れ続けていられる程に、僕の神経は図太くはなかったから。
「ありがとう、吉祥婆ちゃん。本当に助かった。でもさ、僕もやられっぱなしは嫌だから、クラスメイトを助けに行くよ」
強く拳を握って胸に当て、覚悟を作って、言葉を吐いた。




