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爺ちゃんの家から二十分ほど歩くと、高比奈の家が所有してるらしい山の入り口に辿り着く。
正式名称は、知らなかった。
爺ちゃんも藤九さんも近所の人達も、皆が裏山としか呼ばないから。
まぁ山の名前なんて気にした所で何も変わらない。
しかしそんな裏山だけれど、下手に迷い込めば普通に死の危険性がある険しい山だ。
木々は生い茂って見通しは悪いし、所々に崖もある。
熊は多分いないけれど、鹿や猪、或いは蛇なんかは普通に出くわす。
ハイキング気分で登るのならば、誰もが近くの別の山を勧めるだろう。
何せそっちにはロープウェイもあるのだし。
だけど今日の訓練は、敢えてその裏山を登る。
実は僕が裏山を登るのは、今回が初めてではない。
そもそもサバイバルに関しての訓練は、爺ちゃんにこの山に放り込まれて行ったから、木々に惑わされて迷ってしまった場合でも、普通に登頂してから方角を確認して降りて来れるのだ。
なので今日の訓練は、僕にとっては風邪で落ちた体力がどの程度まで戻ったかを確認する意味で行う。
けれども、そう、それは僕にとってはの話だ。
ちらりと横を見れば、緊張した面持ちで登山靴の紐を結び直してる恵理が居た。
そして彼女はこの山に登るのは初めてだから、きっと今日は恵理にとって試練の日となる。
「じゃあ二人とも、決して油断をせぬ様にな」
見送りに来た爺ちゃんは、心配げな様子を隠し切れていない。
多分爺ちゃんは、恵理にはこの登山が厳しいと思っているのだろう。
逆に婆ちゃんは、恵理ならやり遂げると思ってる風で、家を出る時も笑顔で見送っていた。
……今回の訓練、裏山への登頂を言い出したのは、僕だ。
結局、僕は恵理がどうして神隠しに同行すると言い出したのかを、聞くのはやめた。
それは彼女が素直に話してくれそうにない事もあったが、理由を聞いてしまえば僕が性格的に同行を断れなくなるだろうとも思ったから。
故に連れて行くかどうかは単純に、恵理の能力を測って決める。
魔法を使える以上、彼女が有用である事は間違いがない。
尤も婆ちゃん程に大きな力を操れる訳ではないらしく、広い範囲に作用する魔法はまだ不得手なんだとか。
でも回復に関しては長けていて、僕が預かってるお札と同程度の治癒力のある回復魔法を、複数回使えると言う。
なので有用である事は疑う余地がないのだけれど、僕が重視する点はそこじゃなかった。
神隠しに遭った際に大切なのは有用かどうかじゃなくて、僕に付いて来られるかどうかだ。
極端な話をすれば、僕の行動に付いて来られさえすれば、後は戦う際には隠れてて、予備の武器を持っててくれるだけでも充分に助かる。
逆にどんなに有用な力を持っていても、僕に付いて来られる体力がなかったり、状況を把握せずに勝手な行動を取られれば、酷く足手纏いになるだろう。
だからこその、この裏山への登山である。
裏山も神隠しに遭った先も、恵理にとって未知の場所である事に違いはない。
未知の場所で彼女は僕の指示に従えるのか否か。
全力移動はさて置いても、ある程度気遣って歩を緩めれば付いて来れるのか否かを、この登山で知る必要があった。
恵理からすれば何様の心算だと思われるかも知れないが、僕だって無駄なリスクを背負って命を懸けたくはないのだ。
神隠しを行う何か、祀る神は、そこにも配慮してくれるのかも知れないけれど、最初からそれを期待するのは違うと思うし。
軍手を付けた手に鉈を握って、蔓や枝を払いながら古い山道を進む。
本当は多少の枝は潜ってしまっても良いのだけれど、後ろを歩く恵理の事を考えるなら、通り道は作ってやった方が良い。
昔は爺ちゃんが前を進んで、同じ風に道を作ってくれてた事を思い出す。
尤もあの頃の僕は何でも自分でやりたがって、爺ちゃんに前を換われと無茶を言ったりもしたけれど。
それに比べるのは流石に失礼だが、恵理は余計な事は喋らずに、黙って後ろを付いて来る。
その姿はこれから先の困難を予想し、体力を温存してる風に見えた。
もしかしたら僕は、彼女を甘く見てたのかも知れない。
そりゃあ恵理は山に慣れてないから、僕の指示に従うのは当然だろう。
だけどあれやこれやと、質問位はされると思ってたのだけれど。
しかし彼女は僕の行動をジッと観察して、その意味を理解して真似るべきを真似ている。
つまり恵理はこの裏山への登山が、神隠しへの同行を想定して、彼女が未知の場所でどう言った行動を取るかを測る物だと、察した上で行動していた。
要するに質問をして来ないのは、邪魔をしない、足を引っ張らないとの、恵理の声に出さない主張だ。
勿論普通の登山なら、わからない事はちゃんと質問すべきである。
だけどこれが神隠しだとするのなら、動く根拠は僕の経験上の判断や、それどころか単なる勘である場合が非常に多い。
質問に答えてる時間の余裕がない事も多々あるし、そうでなければ僕の方から説明したり、或いは意見を求めるだろう。
明らかに恵理の動きは、それを理解して弁えた動きだった。
でもそんな事を、この間の話だけで理解出来る物なのだろうか?
僕が恵理に神隠しの話をしたのは、子供の頃を除けば、先日の風邪の時の話位なのだが……。
あぁ、もしかすると彼女は、爺ちゃんが纏めてる僕の神隠しの報告を、この一週間で読んだのかも知れない。
爺ちゃんなら恵理が、神隠しに興味を持ってアレを読む事を咎めないだろうし。
だとすると余計にわからないのが、何故彼女が急にそこまで神隠しに興味を持ったのかだった。
問わぬとは決めたが、それでも疑問には思ってしまう。
ふと後ろを振り返ると、目が合った恵理は大丈夫だと言わんばかりに頷くから、僕はやはり何も問わずに歩く。
そして結局、彼女は崖や藪等、何ヵ所かの難所を越えても脱落せずに、時には魔法も使ったけれど、無事に裏山の登頂に成功する。
山の上から見下ろした景色は、子供の頃に初めて見た時と何ら変わらぬ絶景で、僕の心を喜びで満たす。
「ねぇ、吾郎」
地べたに座り込んだ僕の隣に腰を下ろして、恵理が呼ぶ。
彼女に名前で呼ばれるのは、何時ぶり位だろうか。
「何だよ、恵理姉ちゃん」
なのであまりに懐かしくて、僕も久しぶりに恵理の事をそう呼んだ。
すると彼女は少し驚いた顔をした後、嬉しそうに微笑んで、
「神隠しに、連れてってよ。私が、吾郎を守るから」
なんて事を言い出した。
だから僕は思わず笑ってしまう。
そうか。
僕は守られるのか。
そんな訳ないだろうと突っ込みたくなったけど、同時に恵理が小さな頃と変わらない優しさを見せたのが嬉しくて、それ等がごちゃ混ぜになって出て来たのが笑いだった。
いや本当に、彼女の考える事は良く分からない。
僕が気に食わないんじゃなかったんだろうか。
神隠しの事だって、てっきり嫌ってるものだとばかり思っていたのに。
まぁでも良い。
恵理は足手纏いにはならないと、ハッキリ証明して見せてくれた。
だったら僕も躊躇いなく、彼女が対等な仲間だと心から思える。
「じゃあ、日曜日はよろしくね」
僕がそう言って、右手の軍手を脱いで差し出せば、恵理はその手を固く握った。




