13
溝と壁を這い上がって来た妖に向かって、僕は大刀を振り下ろす。
既に矢は尽き、戦いは接近戦へと移行している。
頭を割られた小鬼の様な妖が、息絶えて溝の下に落下していく。
攻め寄せる妖は、非常に弱い。
僕が戦った事のある妖怪の中でも、特に弱い部類に入るだろう。
だけどその分数は多く、殺しても殺しても、後から後から溝と壁を這い上がって来る。
作業の様に大刀を、振り下ろし、振り下ろし、振り下ろす。
本当は大刀で切り殺すよりも、小刀で刺し殺した方が楽なのだろうけれど、武器が身体に突き刺さったまま奪われたなら、取り戻す術もなく一気に敵に押し切られるので突き刺しは厳禁だ。
「燃え尽きろっ!」
溝が一杯になり、仲間の躯や身体を足場に登る小鬼が増えた所で、僕は籠手から札を引き抜き使用する。
燃え上がった札から広がった炎は、勢い良く降る雨も物ともせず、溝の中をべろりと舐めて小鬼を躯も残さず焼き尽くした。
一つ幸いと言えるのは、今回の相手が妖だった事か。
……僕も丸一日かけて心の準備をして来たが、それでもこれだけの数の人間を殺戮していたら、とても平気な顔はしていられなかっただろうから。
しかし弱い妖が相手ではあっても、流石に身体に疲労が溜まって来てる。
身体が重いと言うか、鎧兜がとても重い。
特に兜が邪魔っけだが、戦いの最中に脱ぐ訳にもいかない。
でも自我の薄い妖達も先程の炎を見て理解したのだろう。
ただ闇雲に突っ込んでも無駄死にをするだけだと。
勿論あの炎は、婆ちゃんがくれた札は、文字通りの切り札であって連発できる代物じゃないのだけれど、そんな事は妖達にはわからない。
故に彼等の進行速度は、確実に鈍くなっている。
そして同時に、背後の湖の奥底で荒ぶる何かは、確実に焦れ始めていた。
大量の雨が降り注ぎ、湖の水量は刻一刻と増しつつある。
本当ならば、既に呼び出された妖を喰らって、荒ぶる何かが暴れ出していてもおかしくない頃合いだ。
なのに彼のもとに、未だ贄は届いていない。
降る雨に雷が混じり、森の木々を焼く。
あの雷光は、轟音は、まるで荒ぶる何かの怒りの様で、自我が薄い筈の妖達に脅えが走った。
けれども僕は、その怒りを感じる事で、寧ろテンションは上がる。
ざまぁみろって嘲笑う気持ちが、疲れた僕の身体で活力に変わるのだ。
そうでも思わなければやってられないから、僕はククッと引き攣った笑い声を上げながら、思い切り大刀を振り下ろす。
僕が使った二枚目の札に込められた魔法は氷。
状況から言えば炎の魔法が最適解ではあったけれど、婆ちゃんがくれた守り袋に入ってる札は、一種類の魔法に付き一枚だ。
だから同じ魔法は一度しか使えない。
発動した氷の魔法は溝に入った小鬼達を残らず氷像と化したが、次に押し寄せた連中はその仲間の氷像を足場として使うだろう。
それに氷から発せられる冷気が伝わって来て、雨に濡れた僕の身体を奥底から冷やす。
使わざる得ない状況だったが、出来れば切りたくない札だった。
そんな事を頭の片隅で考えていたからだろうか、不意に首の辺りに感じた殺気に対しての反応が一瞬遅れる。
襲い来る攻撃を、咄嗟に構えた大刀の腹で受け止めてしまい、ガギッと鈍い音と共に、刀身が二つに圧し折れた。
名工の打った高価な刀と言う訳ではなかったし、幾度となく妖の頭を割ったから大分とへたってはいたけれど、それでもこうも簡単に圧し折られるのは尋常な事じゃない。
すぐさま大刀の柄から両手を離し、右手で小刀を抜いて振るったけれども、その刃は相手を掠める事すらなく宙を切る。
僕の大刀を圧し折り、反撃をいとも容易く躱したのは、額に二本の角が生えた白い毛並みの狒々だ。
爛々と輝く目は強い殺意を宿していて、とてもじゃないが自我の薄い妖には見えない。
であるならば、この狒々は言うなれば他の妖を、贄を誘導する羊飼いや、牧羊犬の様な役割を担うのだろう。
つまり僕の粘り勝ちである。
変わらぬ戦況に敵は焦れ、小鬼が押し寄せるだけでは埒が明かぬと、百鬼の行列を率いる者が前に出て来た。
そう、戦いの潮目が変わったのだ。
後はこの目の前に出て来た狒々を打ち取れば、贄たる小鬼は行動の指針を失う筈。
まぁ問題があるとするならば、あまり体力の残らぬ今の僕には、この狒々が多少荷が重そうな事くらいだろうか。
長々と時間を掛ける余裕は、お互いにない。
僕は体力の限界が近いから。
狒々は一刻も早く自分の主に贄を届けなきゃいけないから。
故に勝負は、一瞬だった。
心臓を狙って迫り来る白い狒々の攻撃を、僕は小刀を折られながらも必死に逸らす。
その結果、狒々の爪がずぶりと突き刺さったのは僕の右肩。
白い狒々は勝利を確信したのだろう。
顔に醜悪な笑みを浮かべて、そのまま僕の頭を噛み潰そうと口を大きく開く。
けれどもだ。
ダァンと言う火薬の炸裂音と共に、白い狒々の身体はびくりと震えて、その動きを止めた。
だけど僕に容赦はない。
カチリと撃鉄を左手の親指で起こし、人差し指で引き金を引き絞る。
そして再び火薬の炸裂音……、いや、より正しくは拳銃の発砲音が響く。
それでも止まらず、三発目、四発目、五発目、六発目と、装填されていた全ての弾丸を、僕は狒々の身体に叩き込んだ。
普通に銃口を向けていれば、この狒々の運動能力なら弾丸すら回避して見せたかも知れない。
でも勝利を確信した隙を突き、超至近距離で弾丸を叩き込めば、幾ら運動能力が高くとも回避する術はなかった。
予備の弾丸は持って来ていない。
しかしこれで十分だ。
白い狒々はまだ生きているが、動きは完全に止まってる。
僕は動かぬ右手の籠手から、左手で仕込んだ最後の一枚の札を取り出し、その魔法を発動させる。
三枚目の札に込められた魔法は、風。
札が発する風の刃は白い狒々を粉々に切り裂いて、僕の右肩に爪を突き刺す手首を除き、他の全てを挽肉に変えた。
だけど僕の体力も限界で、折れた膝が地を突く。
身体が、寒い。
また尽きたのは、体力や熱量だけじゃなく、大小の刀も、矢も、弾丸も、魔法を込めた札も、全てを使い切ってしまった。
正に刀折れ矢尽きるとの言葉が、そのまま当てはまる状況だ。
あぁ、いや、守り袋の中にはまだ札は残っているけれど、震える指でその中身を取り出すのは、きっと骨が折れるだろう。
だがどうやら、ギリギリではあったけれど、この戦いは僕の勝利に終わったらしい。
誘導役を失った小鬼達が、バラバラに森の中に逃げて行くのが見える。
湖の中で荒ぶる何かの怒りは強まっているけれど、空を見上げれば雲は若干薄くなってた。
大きく大きく息を吐いてからゆっくりと倒れ込めば、そこは雨に濡れた地面ではなく、爺ちゃんと婆ちゃん、それから恵理の待つ鍛錬の間。
「吾郎!!!」
珍しく焦った様な爺ちゃんの声が聞こえ、三人が駆け寄って来る。
大丈夫。
ちょっと疲れただけである。
怪我も多少しているけれど、婆ちゃんが居るから、きっと跡形もなく治してくれるだろう。
そう考えるとやっぱり、婆ちゃんの才を受け継いで魔法の使える恵理が、少しばかり羨ましい。
「ふふ、勝った、よ……」
右手は動かないから左手で、僕は三人に向かって握り拳を掲げ、それから意識を失った。




