第29話 悪魔の請求書には、存在しない代償を作れ
三柱の小さな悪魔は、石卓の上に並んで座った。
バルナは一番高い石片に腰かけ、
バルミアは羽を震わせながら隅に寄り、
バルバレアは上品な笑みで俺を眺めている。
リリは俺の袖を掴んだまま、三柱を警戒していた。
「兄さん、本当に契約するの?」
「します」
「命令権と存在と財産を取られるんだよ?」
「取られるとは限りません」
「本人たちは取る気満々だよ」
その通りだった。
だからこそ、売り込む。
騙す時に大切なのは、相手から奪うことではない。
相手に、自分から得をしたと思わせることだ。
俺は三枚の契約書を石卓へ置いた。
金縁、旧マイト家の紋章、黒冠商会本部印。
中身より、まず見た目だ。
人も悪魔も、立派な紙には弱い。
「皆様、本日は大変お得な特別契約をご用意しました!」
三柱の目が、ぴくりと動いた。
「まず能力を確認しましょう。バルナ様」
「ふふん、聞きなさい」
黒金の小さな女王が胸を張る。
「わたくしの《王権偽装》は、権限と命令系統を偽装する力よ。
本来なら持っていない発言権、閲覧権、通行権、監査権を、
もっともらしい肩書きとして一時的に成立させるの」
「封約議場では発言権と証拠閲覧権が必要になりますからね。最高でございます!」
「最高でしょう?」
バルナはすぐ乗った。
「次にバルミア様」
「は、はい……」
透明な羽の悪魔が、おどおどと頭を下げる。
「私の《不可視幕》は、人、物、魔法、契約文、痕跡を、
見る者や探る者の認識から隠します。消すんじゃなくて、
見つけられなくするんです……ごめんなさい」
「証拠品を持ち込み、監視を抜けるために必要です!実に実用的だ!」
「じ、実用的……!」
バルミアの頬が赤くなる。
「最後にバルバレア様」
「はい、よろしくお願いします」
竪琴飾りの小さな貴婦人が、にこりと微笑む。
「私の《真意聴取》は、言葉や契約文、魔法陣、人や物まで、沈黙の奥にある意図を聞く力です。
相手が何を隠し、何を狙っているか、何を知っているかを、声として拾えます。
まあ、薄っぺらい方からは薄っぺらい音しか聞こえませんけれど」
「封約議場の契約文を読むには、最適な能力ですね!」
「お上手ですこと」
三柱は、すでに少し気分が良くなっていた。
そこで畳みかける。
「通常、悪魔契約は能力使用ごとに対価が発生します。
しかし今回は緊急案件。明朝までに封約議場へ入る必要がある。
そこで今回は、初回一括払い、権能使用権まとめ買い方式です!」
「まとめ買い?」
バルナが身を乗り出す。
「はい。最初に大きな対価を受け取っていただく。
その代わり、俺は契約期間中、必要な時に権能を任意発動できる。
しかも、今夜契約した方””限定””で、追加対価は指定請求先へ自動計上!」
「自動で増えるの!?」
「増えます。眠っていても積み上がります。取りっぱぐれなし!
三柱様にとって、これ以上ない安定回収型の契約です!」
「すごいですぅ……!」
バルミアの目が潤んだ。
バルバレアも、口元を隠しながら前のめりになる。
「自動計上という響き、悪くありませんね」
リリが小声で言う。
「兄さん、今すごく悪い営業の人みたい」
ヴェルゴラが影で笑った。
『営業などという可愛いものか。あれは魂に羽毛布団を売っている』
リゼフィアもうっとり囁く。
『扉の先に豪華景品を見せて、入口で契約印を押させていますわ』
ラファネスは契約書を見て、静かに頷いた。
「契約者保護条項も、奥に美しく隠れております」
「格式ある契約書だから当然よ!」
バルナが勝手に誇った。
読んでいない。
実に助かる。
◇
最初はバルナだった。
「バルナ様への初回対価は、契約者へ命令する権利。
そこで、最も価値ある命令権を設定します」
「最も価値ある!」
「黒冠商会本部第七塔夜間管理代表クライ・マイトに対する命令権です!」
バルナの瞳が輝いた。
「本部! 第七塔! 夜間管理代表!
表に出ない中枢役職ね!」
「その通り。表に出ないからこそ希少です。
しかも夜間管理。昼の者が知らない裏の命令系統です」
「裏の命令系統……!」
バルナは完全に食いついた。
俺は条文を読み上げる。
「さらに特典です。今後《王権偽装》を使うたび、
契約者が指定する職務上人格への命令権が自動で追加計上されます。
一回限りではありません。使えば使うほど、命令権の名目が増える!」
「増えるのね!」
「増えます!契約書には今回""限定""で、そう書かせていただきます」
その裏に、俺は小さく忍ばせる。
――契約者本人の生命、身体、精神、記憶、魂、自由意思、
および契約者が保護対象と定義した者へ損害を与える命令は無効。
――初回対価の受領により、契約者は《王権偽装》を任意発動できる。
バルナは上段しか見ていない。
「素晴らしいわ! 契約する!」
一柱目、署名。
ヴェルゴラが呟く。
『よく釣れる餌だ』
◇
次はバルミアだ。
「バルミア様には、契約者の存在をお渡しします」
「ご、ごめんなさい……重い代償ですよね」
「いいえ。むしろ能力と相性抜群の、厳選した存在をお渡ししますよ!」
「厳選……!」
「黒冠商会王都支部代表クライ・マイトの本日分の出勤存在記録」
バルミアが目を丸くする。
「出勤、存在記録……?」
「俺は今、学園にいます。つまり今日、王都支部には出勤していない。
これは、存在しない日の存在記録です。透明化の素材として極めて純度が高いと思いませんか?」
「存在しない存在……透明です……すごく透明です……!」
「しかも今後は、不在記録、欠席記録、未確認存在を自動計上!
あなたは毎回、透明化向きの存在在庫を受け取れます」
「在庫が増えるんですか……!」
「増えます。安定供給です!」
バルミアは両手で頬を押さえた。
「私、そんなにたくさん存在をいただいていいんですか……!」
「いいんです。今夜””限定””ですから」
「契約しますぅ……!」
俺は同時に保護条項を入れる。
――契約者の実在性、対人関係、記憶上の存在、法的身分、
魂の所在を消去、希薄化、譲渡、改変することを禁ずる。
――初回対価の受領により、契約者は《不可視幕》を任意発動できる。
二柱目、署名。
リリが呆れた顔で言った。
「兄さん、存在しないものを、すごく良いものみたいに売ってる」
「需要に合わせた商品設計です」
「言い方」
◇
最後はバルバレアだった。
彼女は一番慎重そうに見えたが、財産という言葉が絡むと目の奥が光った。
「私は財産をいただきます。薄い財産でしたら、少し寂しいですね…」
「ご安心ください。今回は大口です!」
「大口…!」
「旧マイト家は百年間、王国に資産を管理されていました。
土地、封印資産、利息、名誉回復、未返還物…。
これらの補償請求権を合算すれば、おそらく金貨が数億枚は視野に入ります…!」
「数億……!」
バルバレアの羽がぴんと立った。
鼻息が、明らかに荒くなる。
「もちろん、まだ未確定です。しかし未確定だからこそ伸び代がある。
査定前、承認前、係争準備中。つまり、今が一番安く押さえられる」
「まあ……今、押さえるのが一番お得ということですね!」
「ええ。明日になれば王国財務局が絡みます。
今日この場で契約できる悪魔だけが取れる、先行利益です!」
「先行利益……!」
金が好きな悪魔は、未来の金にも弱いようだ。
俺は契約書へ書いた。
――旧マイト家百年分未回収補償請求権のうち、
未確定、未査定、未承認、未発生、係争準備中の一部。
「これが初回対価です」
「未発生まで含めるのですね?」
「将来財産です。伸び代を丸ごと押さえる形でございます」
「素晴らしいです!まだ誰も値段をつけていないものほど、
高く売れる可能性がありますものね!」
「おっしゃる通りです!」
俺は最後に、こっそり条項を差し込む。
――契約者が現に所有し、生活、生命維持、契約履行、
保護対象の救済に必要とする財産への直接請求を禁ずる。
――初回対価の受領により、契約者は《真意聴取》を任意発動できる。
――発動時の追加対価は、契約者が指定する未確定財産、
請求予定財産、評価待ち財産、名義上財産をもって自動計上され、支払済みとみなす。
バルバレアの目は、もう数字の方しか見ていなかった。
「能力を使うほど、将来財産が積み上がるのですね」
「積み上がります。しかも、三柱様""限定""の先行案件です!」
「契約いたします!!!」
即答だった。
三柱の署名が揃う。
バルナ。
バルミア。
バルバレア。
背神契約大典の三枚の頁が同時に光り、黒い文字が俺の左腕へ流れ込んだ。
第三十二座、契約成立。
第三十三座、契約成立。
第三十四座、契約成立。
俺の中に、玉座、透明な幕、囁く竪琴が生まれる。
三柱は大口契約を取ったと思い込み、満足そうに空中で回っていた。
「裏の命令権を得たわ!」
「存在の在庫が増えます……!」
「数億規模の将来財産……たいへん結構です!」
ラファネスが静かに一礼する。
「契約者保護条項、任意発動条項、追加対価自動処理条項。
全て有効に通っております」
バルナが振り返る。
「何か言った?」
「非常に格式高い契約であると」
「でしょう!」
まだ気づかない。
あとで気づいても遅い。
契約書は、署名した瞬間に牙を閉じる。
◇
試験はすぐ行った。
《不可視幕》。
原本台帳が視界から消えた。
触れればあるが、視覚、魔力探知、一般的な契約検査から外れている。
《王権偽装》。
俺の胸元に、王家封印資産臨時監査権の印章が浮かぶ。
実在しない権限だが、制度上の隙間に肩書きが滑り込む。
《真意聴取》。
黒い瓶の破片から、目的が聞こえた。
――候補を縛れ。
――逃がすな。
――リリを分離しろ。
――黒冠商会との連絡を切れ。
――シグナを証人ではなく管理責任者へ戻せ。
予想通りだった。
明日の審理は、第零頁との契約審理ではない。
俺の手足を切り落とすための、管理権審理だ。
だが、手札は揃った。
権限を借りる。
証拠を隠す。
真意を聞く。
そして、相手の契約を、相手の言葉で殴る。
その時、バルバレアがふと首を傾げた。
「契約者様」
「何です?」
「明日の封約議場から、もう声が聞こえます。
あなたを閉じ込める会議ではないようですね」
「では?」
彼女は、金貨を数える時のような顔で微笑んだ。
「あなたを、王にするための会議です」
遺跡の空気が冷たく沈んだ。
王。
何の王だ。
旧マイト家の王か。
無名墓所の王か。
第零頁候補が求める、人類代表という名の王か。
答えを出す前に、背神契約大典の閉じた表紙が、勝手に一度だけ震えた。
まるで、誰かが内側から拍手したように。




