↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/31

第28話 密室審理には、悪魔を仕込め

第八学生寮十三号室へ戻った時、窓の外には、星のない夜が広がっていた。


存在しない寮の、存在しない部屋。普通なら安心できる場所ではないが、今の学園内で、ここより盗み聞きされにくい場所も少ない。


卓の上には、才能保管院の原本台帳、カイの記憶返却証明、黒い瓶の破片、そして第零頁候補が刻んだ審理通知が並んでいる。


シグナは別室へ隠した。彼女は明日の審理で必要な証人だが、今夜これ以上、悪魔契約へ巻き込む必要はない。


リリは俺の隣に座り、袖を掴んだままだった。


「兄さん、どこにも行かない?」


「今は」


「今は、って言うところが嫌」


「嘘をつくより誠実でしょう」


「誠実な兄さん、ちょっと嫌い」


「少し傷つきました」


「嘘」


とりあえず妹問題には正解した。


ラファネスは台帳を確認し、リゼフィアは扉のない壁へ耳を当てている。ヴェルゴラは影の中で黙っていたが、機嫌が悪いことだけは黒い炎の揺れで分かった。


「まず、状況を整理しましょう」


俺は黒い瓶の破片を指で押さえた。


「第零頁は、まだ完全には発動していません」


「七十二座契約が未完了だから、ですね」


ラファネスが頷く。


「はい。ですが、クライ様は空白器であり、三柱との契約を維持し、旧マイト家当主として認定済みです」


「つまり、第零頁候補は兄さんに食いついた」


リリが小さく言う。


「食べ物を見つけたみたいに」


「契約書なので、もう少し事務的です」


「余計に嫌だよ」


同感だった。


第零頁候補は、俺を殺そうとしたのではない。空白器で、三柱契約済みで、旧マイト家の血を持つ候補として仮登録しようとした。


それが、あの白い手の正体だ。


シグナが証拠品として仮保全したことで、強制署名は止まった。ただし、その代わりに、俺と第零頁候補の接触記録が正式に残った。


敵はそこを使う。


「明日の封約議場で問われるのは、第零頁と契約するかどうかだけではありません」


俺は審理通知を裏返した。


「第零頁候補に触れた旧マイト家当主を、誰が、どう管理するかです」


ラファネスが審理通知の議題を読み上げる。


「旧マイト家危険遺産の封印責任。無名墓所脱走個体リリ様の処遇。才能保管院証拠品の取扱い。黒冠商会による未成年後見権の再審査」


リリの顔から、幼い甘さが消えた。


「兄さんを縛るために、兄さんが守ったものを縛るんだ」


「賢い相手です」


「嫌な賢さ」


「俺も嫌いです」


だが、感情的に嫌うだけでは足りない。


封約議場は密室だ。外部の世論も、学生の目も、商人たちの噂も届かない。


そこで決まったことは、王国、神殿、学園、歴史封緘局の合意として処理される。つまり、あの部屋では、正しさより権限が強い。


「明日の審理で、俺は弁明しません」


リリが首を傾げる。


「じゃあ、何をするの?」


「相手に弁明させます」


俺は原本台帳を叩いた。


「第零頁候補を違法に保管したのは誰か。子供の記憶を瓶へ詰めたのは誰か。偽造同意書を作り、後見契約を無視したのは誰か」


ラファネスが微かに笑った。


「被審理者として呼ばれた場で、審理の対象をすり替えるわけでございますね」


「ええ。檻の設計会議を、責任追及の場へ変えます」


ただし、それには三つ足りない。


権限。


隠蔽。


真意。


封約議場で発言権を奪われれば終わる。証拠を持ち込めなければ終わる。相手の契約文に隠れた狙いを読めなければ終わる。


ヴェルゴラは認識を現実にできるが、密室で使えば即座に警戒される。リゼフィアは道を開けるが、封約議場そのものは厳重に閉じられるだろう。ラファネスは模倣できるが、あの場では魂照合や契約照合が来る。


「だから、新しい悪魔が必要です」


リリの手に力が入った。


「また契約するの?」


「ええ」


「兄さん、身体は大丈夫なの?」


「空白器ですから」


「そういう意味じゃない」


リリは下を向いた。


「悪魔が増えるたびに、兄さんが遠くなる気がする」


少しだけ、言葉に詰まった。


彼女は人間が作った悪魔だ。その彼女が、俺を悪魔から遠ざけたいと願っている。


滑稽だが、温かい感情だ。


「遠くへ行くためではありません」


俺は言った。


「帰るために増やします」


リリは顔を上げた。


「帰る?」


「黒冠街へ。ノアとマナのところへ。カイがいる場所へ。あなたが、妹だと言い張れる場所へ」


リリの目が揺れる。


それから彼女は、袖を掴んだまま小さく笑った。


「じゃあ、ついていく。兄さんが悪魔に騙されないように」


「そこは心配しなくて結構です」


「兄さんが悪魔を騙しすぎないように」


「それは約束できません」


◇


背神契約大典は、学園にはない。


王都西部の地下遺跡。俺が五歳の時に落ち、ヴェルゴラと出会った、あの古い穴の奥に残してある。


持ち歩くには危険すぎる。だから俺は、必要な時だけそこへ戻る。


「リゼフィア」


『ええ、もちろんですわ』


リゼフィアが十三号室の壁へ指を這わせる。


存在しない寮の壁に、古びた石扉の輪郭が浮かび上がった。


『黒冠街の地下、古き遺跡、最初の契約の間。ああ、懐かしい道ですわ。子供が悪魔を値切った、最低で最高の扉ですこと』


「余計な説明は不要です。それにラファネスの時に行ったばかりでしょう」


扉を開く。


向こう側から、湿った石の匂いが流れ込んだ。


俺、リリ、ラファネスが入る。ヴェルゴラは影の中。リゼフィアは最後に扉へ口づけし、名残惜しそうに境界を閉じた。


遺跡の契約室は、七年前とほとんど変わっていない。


崩れた石柱。


古代文字の床。


中央に置かれた黒い書架。


そして、その中に収まる背神契約大典。


表紙は閉じているのに、こちらを待っていたような気配があった。


ヴェルゴラが、影の中から露骨に嫌そうな声を出す。


『本当に呼ぶのか』


「心当たりがあるのでしょう」


『今のお前にぴったりな悪魔がな。だから嫌なのだ』


リゼフィアも珍しく苦笑している。


『あの三柱は、扉の前にきつい香水を撒き、ずけずけと入ってくるような方々ですわ』


「能力は?」


ラファネスが答えた。


「第三十二座バルナ。権限と命令系統を偽装する悪魔。第三十三座バルミア。存在と認識を隠す悪魔。第三十四座バルバレア。言葉と契約の真意を聞く悪魔」


必要な三つが揃っている。


問題は、性格らしい。


背神契約大典の頁が、三枚同時に開いた。


そこから、甘い香りと、金色の煙と、小さな笑い声が漏れ出す。


最初に現れたのは、黒金のドレスをまとった小さな女王。


身長は皆十センチほど。小さいくせに、胸を張る態度だけは王より偉そうだった。


「よく呼んだわね、人間。わたくしはバルナ。契約するなら、あなたへ命令する権利を寄越しなさい」


次に、透明な羽を震わせた、涙目の女悪魔が出てきた。


薄布をまとい、怯えたように両手を胸の前で握っている。


「わ、私はバルミアです……ごめんなさい。契約には、あなたの存在をいただきます……本当にごめんなさい」


最後に、竪琴のような飾りを持った、小さな貴婦人が微笑んだ。


声は柔らかいが、目は一番意地が悪い。


「私はバルバレアと申します。契約者様の財産、きっちりいただきますね」


彼女は扇のような羽を口元へ当て、こちらを上から下まで眺める。


「まあ、たいへん可愛らしい坊ちゃまですこと。財産と呼べるものがあるとよろしいですね。石ころを宝石箱へ入れて喜ぶお年頃にも見えますけれど」


リリがむっとした。


「兄さんはすごいんだから」


「あら、頼もしい妹さんですね。身内びいきは美徳ですけれど、目を曇らせる布としても上質ですから、お気をつけあそばせ」


「この人、感じ悪い」


「京言葉の香りがしますね」


「何それ」


三柱の要求を聞いて、リリは俺の袖を掴んだ。


「兄さん、帰ろう」


「まだ見積もりを見ていません」


「命令権と存在と財産だよ? 見積もりじゃなくて身ぐるみ剥がされてるよ?」


バルナが得意げに笑う。


「ふふん。ようやく価値の分かる小娘が出たわね」


バルミアは申し訳なさそうに頭を下げる。


「で、でも、たぶん痛くないように取りますから……」


バルバレアはにこにこしている。


「まあ、痛みがあるかどうかは、取ってからのお楽しみですね。先に説明して怖がらせるほど、私も野暮ではありませんので」


「十分怖いよ」


リリが小さく呟く。


三柱とも、悪魔らしい重い代償を要求している。


だが、俺には別のものが見えていた。


命令権。


存在。


財産。


どれも定義が広すぎる。


そして、定義が広い請求なら、請求先も自由だ。


「契約前に確認します」


俺は三柱を見た。


「代償は、契約書上の名目が満たされればよいのですね?」


バルナが鼻を鳴らす。


「当然よ。悪魔の契約は格式が大事なの」


バルミアがこくこく頷く。


「書いてあれば、だいたい大丈夫です……たぶん」


バルバレアが微笑む。


「まあ、書類を信じる方ほど、立派なお顔で落とし穴へ歩いていかれますからね」


「自覚があるのに?」


「私は、他のお二人よりは少しだけ賢いつもりです」


「ちょっと、どういう意味よ!」


「ひ、ひどいですぅ……」


三柱が小さな空中で揉め始める。


リリが俺を見た。


「兄さん」


「何です?」


「この子たち、本当に大丈夫?」


「大丈夫です」


俺は羽根筆を取り出した。


「かなり、相性がいい」


三柱がこちらを向く。


俺は笑って告げた。


「では、契約書を作りましょう」


バルナは嬉しそうに腕を組んだ。


バルミアは安心したように胸を撫で下ろした。


バルバレアは、にこやかに毒を吐いた。


「まあ、素直な契約者様ですこと。明日の朝には、財産も命令権も存在も、綺麗に棚卸しされていることでしょうね」


俺は白紙の契約書を石卓へ置いた。


三柱が期待に満ちた顔で覗き込む。


リリだけが、不安そうに俺の横顔を見ていた。


俺は羽根筆へインクを含ませながら、三柱には聞こえないほど小さく呟いた。


「空っぽなのは、請求先の方です」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。