↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
詐欺転生〜詐欺師は禁術で世界を騙す〜  作者: キラーダミズハ
第一章 詐欺師の第一歩
PR
15/31

第15話 捨てられた街に、王冠を

七年後。


王都西部から、スラムと呼ばれる場所が消えた。


正確には。


王国の古い地図には、今も《西部第七貧民区》と書かれている。


役人が地図を書き直すには、申請書が十四枚。


現地調査が三回。


なぜか担当官への食事代まで必要だと言われたため、まだ放置している。


だが。


住民は、もうその名前を使わない。


商人たちは《西冠区》と呼び。


王都の人間は、少し恐れを込めて《黒冠街》と呼んでいた。


七年前。


泥とゴミしかなかった大通りには、石が敷かれている。


雨が降るたび汚水をまき散らしていた溝には蓋がつき。


共同井戸の隣には、煮沸場と貯水槽ができた。


崩れかけた小屋の代わりに。


倉庫。


商店。


食堂。


工房。


診療所。


そして。


三階建ての黒い建物が立っている。


入口の上には。


金色の目を持つ王冠。


周囲を囲む、切れた鎖。


黒冠商会王都支部。


俺の職場だった。


「代表」


執務室の扉が開く。


薄茶色の長い髪を、横で細く編み込んだ少女が入ってきた。


ノア。


十七歳。


七年前と比べれば、随分と大人びた。


柔らかい顔立ちは変わらないが。


市場の噂を聞いて喜んでいた少女は、今では王都西部全体の情報をまとめる責任者だ。


役職は。


黒冠商会王都支部調査部長。


兼。


俺の秘書。


本人は。


後半の役職だけ、少し不満らしい。


「十五分後に、東門商人組合との会議です」


ノアは書類の束を卓へ置いた。


「その前に、南部倉庫から届いた魔物素材の確認」


「自衛団から護衛増員の申請」


「午後は黒冠学舎の修了式」


「それからマナさんが、昼食を抜いたら怒るって」


「最後の報告だけ、業務と関係ありませんね」


「最重要よ」


ノアは真顔だった。


俺は卓の前で立ち上がる。


黒髪。


金色の目。


身長は、ようやくノアの肩を少し超えた。


十二歳。


前世を含めれば、四十一歳。


それでも。


ノアには今も、食事と睡眠を管理されている。


「代表としての威厳がありません」


「昨日、書類を読んだまま机で寝た人に威厳はありません」


「三刻は寝ています」


「寝台で寝て」


反論できない。


黒冠商会王都支部代表。


それが。


現在の俺の肩書きだ。


もちろん。


任命したのも俺。


任命書を書いたのも俺。


本部代表印を押したのも俺である。


黒冠商会の本部。


誰も場所を知らない。


王都支部の職員ですら。


見たことがある者はいない。


本部からの指示は。


黒い封筒で届く。


魔物素材は、夜の間に施錠された倉庫へ運び込まれる。


強大な敵が現れれば。


顔のない黒い執行役が派遣される。


希少な薬。


古代の魔道具。


王都では入手できない鉱石。


それらも時折。


本部から届いたことになっている。


実際には。


《境界回廊》で森や遺跡から運んだ物。


冒険者へ採取させ、出所を隠した素材。


《虚王顕現》で作った執行役。


そして。


俺が悪魔との契約で得た物だ。


だが。


王都の人間は、そう考えない。


これほどの品と戦力を。


一つの支部だけで用意できるはずがない。


ならば。


黒冠商会の本部は。


王都支部より、はるかに巨大な組織なのだろう。


人間は。


見えない部分を。


自分が最も納得できる形で補う。


七年間。


誰一人として。


本部が最初から存在しない可能性を考えなかった。


今では。


俺自身も時々。


本部からの指示という言葉を使いすぎて。


本当に上司がいるような気分になる。


『我が本部長になってやってもよいぞ』


机の影から。


ヴェルゴラが言った。


「却下です」


『なぜだ!』


「三日で倒産します」


『悪魔の権能を何だと思っている!』


「経理ができない本部長は不要です」


ヴェルゴラが怒っている間に。


ノアが窓を開けた。


朝の光と。


街の音が入ってくる。


荷車。


商人の呼び声。


学校へ向かう子供たち。


七年前。


この窓から見えるものは。


何一つ存在していなかった。


◇


最初に作ったのは。


建物ではない。


数字だった。


五歳の冬。


黒冠商会の会議室は。


共同寝床の隅に置いた、壊れかけの卓だった。


俺。


ガルド。


ザイラス。


ノア。


そして。


数字を理解できる会計役が二人。


「王都西部に、住民は何人います?」


俺が尋ねると。


全員が黙った。


誰も知らなかった。


何人住み。


一日にどれだけ食べ。


何人が働き。


何人が病気で。


何人の子供がいるのか。


記録がない。


セヴランは言った。


スラムの子供など。


誰も数えていないと。


だから。


最初に数えた。


家。


人間。


井戸。


荷車。


店。


一日に必要なパン。


冬を越せない可能性のある者。


数字が分かれば。


不足が分かる。


不足が分かれば。


金を使う場所を決められる。


最初の冬。


共同倉庫へ食料を集めた。


黒冠商会が大量購入する代わりに、商人へ値下げさせた。


食事は無償で配らない。


井戸掃除。


道路補修。


倉庫整理。


子供の世話。


働ける者には仕事を渡し。


働けない者へは救護証を出した。


「ただで配った方が早くないか?」


ガルドに聞かれた。


「早いです」


俺は答えた。


「でも、来年も俺が全員の食料を用意することになります」


食料を一度配れば。


一日助かる。


仕事の仕組みを作れば。


次から自分で買える。


貧困は。


人間の性格ではない。


金が生まれない構造だ。


ならば。


構造を変える。


前世で。


詐欺のために何度も会社を作った。


架空の投資会社。


偽の貿易会社。


存在しない資産管理組織。


皮肉なことに。


そこで覚えた知識が。


本物の街を作る時に役立った。


共同仕入れ。


定額契約。


倉庫証券。


護衛料の分担。


商品の規格化。


重さと長さの共通基準。


店頭への価格表示。


商人同士の支払い記録。


売れる物をまとめて運び。


帰りの荷車を空にしない。


一つずつは。


特別な発明ではない。


だが。


スラムには。


誰も仕組みを作る者がいなかった。


七歳になる頃には。


黒冠街を通る荷車の数が。


以前の五倍になった。


十歳になる頃には。


王都東部の商人が。


わざわざ西冠区の倉庫を借りるようになった。


理由は単純。


物がなくならない。


護衛がいる。


重さをごまかされない。


契約が守られる。


商売に必要なのは。


豪華な建物ではない。


明日も同じ条件で取引できるという信用だ。


黒冠商会は。


その信用を売った。


◇


七年で。


最も利益を生んだ建物は。


倉庫でも。


市場でもない。


学校だった。


黒冠学舎。


最初の教室は。


旧公設市場の壁へ。


黒板代わりの木板を置いただけ。


教師は。


エドム。


神殿書記官としての仕事を終えた後。


小遣い目当てで読み書きを教え始めた。


「文字を覚えても、腹は膨れない」


最初。


大人たちはそう言った。


だから俺は。


文字を覚えれば金が増える仕組みを先に作った。


商品名を読める者には。


倉庫管理の仕事。


数字を数えられる者には。


会計補助。


契約書を読める者には。


商店との交渉。


三か月学べば。


給料の高い仕事へ移れる。


すると。


教室の席が足りなくなった。


「文字は、パンより先に食えない」


俺は。


最初の授業で言った。


「でも」


「文字を読めれば」


「パンを売る店を作れます」


子供たちは。


読み書き。


算術。


帳簿。


契約。


王国の法律。


衛生。


一般常識を学んだ。


夜には。


大人向けの教室も開いた。


最初は。


自分の名前を書くのを恥ずかしがった男が。


一年後には。


小さな靴屋を開いた。


数字が苦手だった洗濯場の女性は。


共同洗濯所の代表になった。


路上で物を盗んでいた子供は。


荷車の運行表を作るようになった。


学力は。


剣のように目立たない。


魔法のように光らない。


だが。


一度持てば。


誰にも簡単には奪えない。


七年間で。


黒冠学舎を出た者は。


六百人を超えた。


そのうち。


百四十人が自分の店か工房を持った。


三十七人が。


王都中心部の商会へ雇われた。


魔力を持って生まれた子供には。


測定費。


装備。


紹介状。


学費を黒冠商会が出した。


剣術に秀でた者には。


正式な訓練所と騎士団への道を用意した。


スラム出身だから。


入口へ立てない。


そんな理由で才能を腐らせるのは。


利益の損失だ。


送り出した子供が。


王都の中心で働き。


黒冠街の商品を買う。


別の商人を連れてくる。


新しい情報を持ち帰る。


善意だけではない。


全員。


将来の取引相手だ。


「卒業生を投資商品みたいに言わないで」


ノアには怒られた。


「人材投資です」


「言い方を変えただけ」


それでも。


卒業生が帰ってくるたび。


ノアは一番喜んだ。


◇


灰鼠団と赤蛇会は。


三年目に名前を失った。


正確には。


両方の名前を。


俺が消した。


灰鼠。


赤蛇。


どちらの構成員かで。


喧嘩が起き続けたからだ。


ある朝。


黒冠会館の前へ二組を並べ。


全員から。


古い腕章を回収した。


代わりに。


黒い制服と。


灰色と赤色を一本ずつ入れた腕章を渡した。


黒冠自衛団。


王都西部の警備。


荷車の護衛。


火災対応。


迷子の保護。


店同士の揉め事。


魔物が出た時の避難。


役目は。


奪う側から。


守る側へ変わった。


最初。


ザイラスは不満そうだった。


「赤蛇会って名前、強そうだったんですけど」


「人身売買組織として有名です」


「では消しましょう!」


決断は早い。


七年経っても。


ザイラスは俺を。


クライ様と呼ぶ。


現在の役職は。


黒冠自衛団副団長。


団長はガルド。


本人は。


自分が副団長であることへ少し不満を持っている。


だが。


ガルドが休みを取ろうとすると。


「俺一人で書類を全部見るんですか!?」


と泣きそうになるため。


昇進は当分ない。


「クライ様!」


黒冠商会の一階へ下りると。


ちょうどザイラスが入ってきた。


三十人の自衛団員を引き連れている。


七年前より体格は大きくなった。


赤淵大蛇も。


今では俺を見つけると、ザイラスより先に頭を下げる。


「東門商人組合の護衛準備、完了しました!」


「人数は?」


「三十人!」


「申請は十二人です」


「多い方が強そうなので!」


「十八人を戻してください」


「はい!」


ザイラスが振り返る。


「お前ら十八人、帰れ!」


団員たちは慣れた様子で。


どの十八人が帰るか、じゃんけんを始めた。


「彼らは成長したの?」


ノアが小声で尋ねる。


「昔より、命令を聞くようになりましたよ」


成長の基準は低い。


ガルドは。


以前より白髪が増えた。


だが。


表情は穏やかになった。


魔眼で嘘を見抜き。


自衛団の裁定を行う。


昔のように。


指を切って終わらせることはない。


理由を聞き。


記録し。


補償を決める。


「お前が七年前に来なかったら」


一度だけ。


酒を飲みながら言われたことがある。


「俺は、灰鼠団と一緒に死んでたかもな」


「死ななかった可能性もあります」


「赤蛇会を潰して、俺がスラムの王になってたか?」


「もっと可能性が低いですね」


「少しくらい夢を見させろ」


今では。


ガルドはスラムの王ではない。


黒冠街の。


最も信頼される番人だった。


◇


七年間。


平穏だったわけではない。


最も危険だったのは。


セヴランを殺した直後だ。


神殿特務審問官。


神殿兵。


神官。


旧施療院で。


二十人近い人間が死亡した。


現場には。


黒冠商会の紋章。


俺が持ち出した研究資料。


解放された子供たち。


神殿が。


調査へ来ないはずがない。


最初の調査団は。


百二十人いた。


神官。


神殿騎士。


書記官。


異端審査官。


黒冠街を囲み。


俺の引き渡しを要求した。


「クライ・マイトを、異端審問へ出頭させよ」


神殿騎士の声が。


街中へ響いた。


当時。


俺は七歳。


黒冠会館の二階から。


彼らを見下ろしていた。


怖かった。


《偽王戴冠》を使えば。


戦うことはできたかもしれない。


だが。


神殿全体と戦えば。


スラムが消える。


勝っても。


住民が死ぬ。


だから。


戦わなかった。


代わりに。


証拠を三つへ分けた。


一つ。


セヴランが無許可で行った人体実験の記録。


これは本物。


一つ。


実験で死亡した子供の名簿と。


救出した者たちの証言。


これも本物。


最後の一つ。


セヴランが神殿の研究成果を。


国外の異端組織へ売ろうとしていた帳簿。


これは偽物だ。


公式な神殿文書は偽造していない。


神聖公証書体なら。


専門家に見抜かれる。


だから。


私的な帳簿。


商人との取引記録。


匿名の手紙。


実際に存在する支払いと。


実際には存在しない目的を組み合わせた。


本物の事実を七割。


嘘を三割。


最も信じやすい配合だ。


同じ証拠を。


神殿へだけ渡してはいない。


神殿改革派。


王国財務局。


王都警備隊。


三か所へ。


それぞれ少しずつ内容を変えて送った。


神殿は。


隠蔽すれば。


王国側が持つ証拠と食い違う。


王国側も。


神殿へ強く出すぎれば。


自分たちが人体実験を見逃していた責任を問われる。


誰も。


他の組織が。


どこまで資料を持っているか分からない。


だから。


全員が。


最も傷の浅い結論を選んだ。


セヴラン・オルドは。


神殿上層部へ報告せず。


独断で違法研究を行った異端者。


旧施療院は。


彼の私設研究所。


黒冠商会は。


被害者を救出し。


正当防衛によって審問官と交戦した民間組織。


全てが真実ではない。


だが。


全てが嘘でもない。


調査団長は。


最後に俺へ尋ねた。


「国外組織との取引帳簿は、本物か?」


俺は答えた。


「神殿の調査能力を信頼しています」


肯定していない。


否定もしていない。


調査団長は。


自分たちで本物だと証明しろという意味だと受け取った。


その日のうちに。


神殿騎士は撤退した。


残った問題は。


神殿内部の派閥争いへ移った。


黒冠商会を攻める余裕はなくなった。


後からエドムに言われた。


「お前は神殿と王国を同時に脅したのか」


「脅していません」


「資料を送っただけです」


「同じだ!」


あの一件は。


本当に危なかった。


七年間で。


最も大きな修羅場だった。


それでも。


越えた。


以後。


神殿は何度も調査員を送ってきた。


帳簿。


建物。


救出した子供。


黒冠商会本部の所在地。


全てを調べた。


俺たちは。


見せてもいい物だけを見せた。


本部の所在地を聞かれれば。


「支部代表にも開示されていない」と答えた。


事実だ。


俺自身も。


存在しない場所の住所は知らない。


◇


街を作りながら。


俺自身も鍛えた。


五歳の身体は。


あまりにも弱かった。


剣を持てない。


荷物を運べない。


走ればすぐに息が切れる。


神殿兵に襟をつかまれれば。


何もできなかった。


禁術がなければ。


大人一人にも勝てない。


それが。


悔しかった。


毎朝。


日の出前に走った。


最初は。


共同寝床から井戸まで。


次に。


市場まで。


一年後には。


西冠区を一周。


木の棒。


石を入れた袋。


懸垂。


受け身。


短剣を避ける練習。


ガルドからは。


喧嘩の仕方。


ザイラスからは。


相手が大きい時の崩し方。


リオからは。


獣人の足運びを教わった。


「俺が五歳児へ稽古をつけるんですか!?」


最初。


ザイラスは戸惑った。


「クライ様を殴ったら、俺は死刑では?」


「訓練です」


「本当に?」


「本当に」


「では、軽く――」


その直後。


ザイラスの拳で。


三日ほど首が回らなくなった。


ノアとマナに。


ザイラスが殺されかけた。


それ以降。


訓練には必ず。


治療係がつくようになった。


十二歳になった今。


筋力は。


同年代より少し上。


持久力は高い。


短剣も。


最低限は使える。


一般魔法は。


今も一つも使えない。


武術の達人でもない。


だが。


五歳の頃のように。


走るだけで転び。


つかまれたら終わりではない。


人間の身体は。


契約書へ署名しただけでは強くならない。


七年かけて。


ようやく。


自分の足で逃げ。


自分の腕で少しは抵抗できる身体になった。


◇


三柱目の悪魔とは。


契約しなかった。


背神契約大典は。


七年間。


二つの金具が外れたまま。


地下遺跡で眠っていた。


大きな事故がなかったからだ。


戦争。


災害。


魔王の襲撃。


神殿との全面衝突。


追加の悪魔を必要とする事態は起きなかった。


それは。


退屈ではなく。


成功だった。


「契約できる時に、しておくべきでは?」


ノアに聞かれたことはない。


彼女は。


悪魔契約そのものを知らない。


だが。


ヴェルゴラには何度も言われた。


『我一柱で十分だ』


「第一座としての立場を守りたいだけでしょう」


『違う!』


リゼフィアは逆だった。


『次の方は、どのような道をお持ちかしら』


「悪魔を道の収集袋として見ないでください」


『契約者が増えれば、回廊を通る関係も増えますのよ』


「変態的な目的で仲間を増やす気はありません」


必要がない力へ。


代償を支払う理由はない。


契約は。


収集ではない。


一度結べば。


悪魔は魂へつながる。


セヴランの言葉が正しければ。


契約者は。


悪魔と契約するたび。


禁術の大百科そのものへ近づく。


第零頁。


神を殺す方法。


興味はある。


だが。


自分の魂を賭けてまで。


急いで開く理由はなかった。


少なくとも。


昨日までは。


◇


黒冠学舎の修了式。


今年の修了生は。


七十八人。


子供だけではない。


四十歳を超えた商人も。


片腕を失った元傭兵も。


小さな子供を抱えた母親もいる。


全員へ。


修了証を渡す。


最後。


十二歳の少女が。


俺の前へ立った。


青い髪。


緊張した顔。


火属性魔法の適性がある。


来月。


王都中心部の魔術工房へ働きに出る予定だ。


「怖いです」


少女が言った。


「中心街の人は」


「わたしが、スラム出身だって知ったら」


「この街を」


俺は言う。


「スラムと呼ぶ者がいたら、訂正してください」


少女が顔を上げる。


「黒冠街の出身だと」


「それでも馬鹿にされたら?」


「雇い主の名前を記録して」


「黒冠商会へ送ってください」


「取引価格を上げます」


少女が笑った。


周囲からも。


小さな笑いが起きる。


「胸を張ってください」


俺は修了証を渡す。


「あなたは」


「ここで学び」


「自分の力で」


「次の仕事を得た」


「出身地は」


「隠す物ではありません」


七年前。


俺は。


裏路地のゴミ箱へ捨てられていた。


スラムの赤ん坊。


魔力なし。


家族なし。


名前さえなかった。


今。


目の前には。


自分の名前を書き。


契約を読み。


次の場所へ進む子供がいる。


あの時。


俺が欲しかったもの。


食べ物。


眠れる場所。


誰かの手。


それを。


少なくとも。


この街の子供たちは。


最初から持つことができる。


完璧ではない。


貧しい者はいる。


犯罪も起きる。


喧嘩も。


病気も。


店の倒産も。


全ては消えていない。


それでも。


捨てられた子供が。


明日の朝まで生きられるか。


誰にも分からない場所ではなくなった。


七年計画。


最後の項目。


――王都西部から「捨てられた子供」を一人も出さない。


達成。


完全ではない。


だが。


黒冠街では。


新しく見つかった孤児を。


共同寝床。


自衛団。


商人。


住民。


誰かが必ず黒冠商会へ連れてくる。


見て見ぬふりをしない。


誰も数えなかった子供を。


街全体で数える。


七年前。


セヴランへ言われた言葉を。


ようやく。


完全に否定できた。


◇


修了式が終わった後。


俺は。


黒冠商会王都支部の屋上へ上がった。


街が見える。


黒い旗。


倉庫。


市場。


学校。


共同寝床。


石畳を走る子供たち。


荷車。


商人。


自衛団。


七年かけて作った景色。


マナが。


隣へ来た。


共同寝床の管理人だった女性は。


今では。


黒冠商会救護部長。


共同寝床。


診療所。


食料支援。


仕事を失った住民の再雇用。


全てを管理している。


「何だか」


マナが言った。


「遠くまで来たわね」


「同じ王都の中です」


「そういう意味じゃないわ」


分かっている。


マナの髪には。


以前より少し白い物が混じっている。


俺は。


十二歳。


彼女に拾われた日から。


七年が過ぎた。


「クライ」


「何です?」


「幸せ?」


難しい質問だ。


金はある。


家も。


仕事も。


眠れる場所も。


手を握ってくれる人もいる。


敵は多い。


秘密も。


嘘も。


悪魔も。


それでも。


「以前よりは」


俺は答えた。


マナは笑った。


「あなたらしい答え」


「満点を要求しないでください」


「じゃあ」


マナは。


十二歳になった俺の頭へ手を置く。


「もっと幸せになりなさい」


子供扱い。


身長が伸びても。


支部代表になっても。


変わらない。


少し恥ずかしい。


だが。


嫌ではなかった。


屋上の扉が。


勢いよく開く。


ノアが入ってきた。


顔が強張っている。


手には。


黒い封筒。


「代表」


いつもの業務報告とは。


声が違った。


「何がありました?」


「本部宛ての機密報告として処理した方がいい内容です」


本部。


つまり。


俺だけへ渡す情報。


マナが空気を読み。


先に下りていく。


ノアは。


周囲へ誰もいないことを確認してから。


封筒を渡した。


中には。


三枚の紙。


一枚目。


黒冠学舎出身者の名簿。


魔力適性を認められ。


王立魔法学園へ推薦した孤児。


十一人。


そのうち。


四人の名前へ赤い線。


「この四人は?」


「学園の記録では」


ノアが答える。


「自主退学」


「退学後の行き先は?」


「ありません」


「家族への通知は?」


「届いていない」


二枚目。


王立魔法学園。


地下寄宿舎への物資搬入記録。


拘束具。


眠り薬。


魔力抑制具。


そして。


子供用の制服。


三枚目。


裏市場で入手した。


取引帳簿の写し。


年齢。


種族。


魔力量。


属性。


適性。


最後に。


金額。


人間を。


商品として評価した表。


一番下に。


見覚えのある名前があった。


黒冠学舎から。


半年前に送り出した少年。


風魔法の適性を持つ。


十一歳の孤児。


「本人からの手紙は?」


俺は尋ねた。


「二か月前から止まっています」


「学園へ問い合わせは」


「三度」


「返答は?」


「特別実習中」


ノアは拳を握る。


「でも」


「実習先の記録がない」


王立魔法学園。


貴族。


神殿。


騎士団。


王国の魔術師。


この国の中心にいる人間を育てる場所。


そこで。


孤児が消えている。


売られている。


あるいは。


別の何かへ使われている。


旧施療院と同じ。


場所と。


相手が。


さらに大きくなっただけだ。


「代表」


ノアが言う。


「どうする?」


答えは決まっている。


ただ。


黒冠商会として外から調べれば。


証拠を消される。


学園は。


王族と大貴族が関わる場所。


神殿旧施療院のように。


裏から荷車へ潜り込むだけでは足りない。


内部へ。


長期間。


正規の身分で入る必要がある。


幸い。


王立魔法学園の入学年齢は。


十二歳。


そして。


俺は今。


十二歳だ。


「入学します」


ノアが目を見開く。


「代表が?」


「潜入に適した年齢です」


「でも」


ノアは言いにくそうに。


俺を見る。


「クライ、魔力が……」


「ありませんね」


入学試験には。


魔力量測定。


属性判定。


魔法実技。


一般魔法を一つも使えない俺には。


最初の測定で不合格となる。


《虚王顕現》で。


試験官を騙すことはできるかもしれない。


だが。


学園には。


高位魔術師。


神殿関係者。


魔道具。


毎日。


何度も魔力を確認される。


七年間。


存在しない魔力を維持するのは。


生命力の無駄が大きすぎる。


さらに。


俺が欲しいのは。


潜入する力だけではない。


記録。


記憶。


秘密。


誰が。


どの孤児を選び。


どこへ運び。


誰へ売っているのか。


学園の人間が。


隠した情報を奪う力。


ヴェルゴラの認識。


リゼフィアの道。


二つだけでは足りない。


「本部へ」


俺はノアへ言った。


「新しい権能の使用許可を申請します」


ノアは。


意味を理解していない。


それでも。


黒冠商会本部が。


新しい力を貸すのだと受け取った。


「どれくらいで返事が来る?」


「今夜」


「早いのね」


「緊急案件ですから」


本部との会議は。


いつも即日だ。


俺一人しかいないため。


◇


日が沈む。


黒冠商会王都支部。


代表執務室。


俺は。


七年間使った椅子から立ち上がった。


卓の上には。


支部の印。


街の地図。


学園の資料。


ノアが作った。


最初の歪な王冠の刺繍。


それを。


黒い外套の内側へ入れる。


扉を開ける。


向こう側は。


王都支部の廊下ではない。


森。


七年前。


最初に境界印を置いた倒木。


《境界回廊》。


俺は。


七年ぶりに。


地下遺跡へ向かう。


『王立魔法学園!』


リゼフィアが。


銀色の扉から半身を乗り出した。


『幾千人もの若者が、出会い、別れ、迷い、忍び込み、夜中に寮を抜け出す道の宝庫!』


頬が赤い。


目が異常に輝いている。


『秘密通路! 立入禁止の塔! 教師と生徒しか通らない扉! 校則違反によって初めて生まれる抜け道!』


「目的を忘れないでください」


『もちろんですわ!』


「今、何の話をしていました?」


『学園の道です!』


「忘れていますね」


ヴェルゴラが。


俺の肩へ現れる。


七年前と比べ。


仮初めの姿は。


何一つ変わっていない。


『三柱目か』


「ええ」


『我だけで十分だ』


「第一座としての立場を守りたい?」


『違う!』


リゼフィアが笑う。


『契約者を独占したいのですわ』


『黙れ、道変態!』


『虚飾小悪魔』


『誰が小悪魔だ!』


二体の悪魔が。


いつものように争い始める。


俺は無視して。


森の穴へ入った。


七年前より。


身体が大きい。


土の通路は。


かなり狭く感じる。


途中から。


《境界回廊》で遺跡内部へ直接移動した。


地下空間。


崩れた石柱。


古代文字。


中央には。


巨大な黒い本。


禁術の大百科。


表紙の金色の目が。


ゆっくり開いた。


二つの金具が外れている。


第一座。


虚飾の悪魔ヴェルゴラ。


第十三座。


万門侯リゼフィア。


残り。


七十。


「三柱目に求める物は?」


ヴェルゴラが尋ねる。


「魔力を持つ人間として、学園へ入る力」


俺は答える。


「そして」


学園の取引帳簿を思い出す。


消えた子供たち。


「他人が隠した記憶と秘密を」


「こちらの物にする力」


黒い本へ。


一滴の血を落とす。


十二歳になっても。


指を切るのは痛い。


「……痛っ」


リゼフィアが笑う。


『七年経っても、そこは変わりませんのね』


「痛みに慣れる必要はありません」


血が。


黒い表紙へ吸い込まれる。


金色の目が大きく開く。


本を閉じていた金具。


三つ目が。


重い音を立てて外れた。


がちん。


頁が。


勝手にめくれ始める。


黒。


赤。


青。


古代文字。


知らない悪魔の絵。


やがて。


一枚の白い頁で止まった。


そこに描かれていたのは。


顔のない人影。


左右の手に。


何十枚もの仮面。


背後には。


切り取られた人間の記憶が。


鏡の破片のように浮かんでいる。


文字が現れる。


――第二十一座。


――名前、記憶、模倣を司る者。


――無貌公ラファネス。


次の瞬間。


地下遺跡から。


全ての音が消えた。


ヴェルゴラの声も。


リゼフィアの笑いも。


自分の呼吸さえ聞こえない。


白い頁の人影が。


ゆっくり顔を上げた。


顔がない。


目も。


口もない。


それなのに。


声だけが。


頭の中へ直接届いた。


『お待ちしていました』


男とも。


女とも分からない声。


『二つの人生を持つ、名前の多い詐欺師』


前世。


俺が。


誰にも教えていない記憶を。


最初から知っている。


ヴェルゴラの黒い炎が大きくなる。


リゼフィアの扉が一斉に開く。


二体が。


明確に警戒した。


無貌の悪魔は。


俺へ一枚の仮面を差し出す。


王立魔法学園の紋章が刻まれた。


白い学生用の仮面。


『あなたが欲しいのは』


『魔力ですか』


仮面の片目に。


青い炎が灯る。


『他人の秘密ですか』


もう片方の目には。


無数の文字。


『それとも』


顔のない悪魔が。


ゆっくり笑った気がした。


『誰かの人生そのものですか?』


俺は。


差し出された仮面を見る。


王立魔法学園。


孤児売買。


消えた卒業生。


第三の悪魔。


そして。


七十二禁書の先にある第零頁。


黒冠街での七年間は。


終わった。


次は。


王国の中心を騙す。


「全部」


俺は答えた。


「値段次第で、買いましょう」


白い頁の中で。


無貌の悪魔が。


初めて。


口を開いた。


『では』


『あなたの本当の名前から、交渉を始めましょう』


第三の契約が。


始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。