第五話 ⑬
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「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
三階にある東側のメイド用の部屋の奥。マリアは呼吸を最小限に留めながら、ドアの外から聞こえる巨人体ゴーレムの声を聞いていた。
あの巨体では人間サイズに作られた通路を通るのはさぞ辛いだろう。壁を破壊しながらゴーレムは一歩一歩マリアが居る部屋へと近付いていく。
マリアがこの部屋に潜んだのは、隠れるためではなかった。単純な思考しかできないゴーレムは一部屋一部屋破壊しながら進んでいく。
マリアの姿が見えなければ時間稼ぎに成る。
一秒でも長く囮に成れば、それだけリンダが救われる可能性が高くなる。
ついさっき急にピタリと侵食が止まったが、もうマリアの右腕は完全に溶け、侵食は胸と腰にまで広がってしまっている。
首が繋がってくれて良かったとマリアは思った。
「悪い事をしてしまいましたかね」
マリアは最後に見たリンダの表情を思い出す。
泣き出す寸前の様な顔だった。
マリア達ゴーレムには普通泣く機能は無い。
だが、リンダだけは違った。
〝リンダ〟とはルカードの望む最高の少女として創られたゴーレムの名前だ。
普通の少女として創られたリンダは、ゴーレムとしては無駄で、けれど、人間としては必要な機能を全て持っていた。
「……リンダは泣いてしまったでしょうか」
泣いて欲しくない。
泣いて欲しい。
矛盾した二つの想いが同時にマリアの中に浮かび上がった。
何でこんな事を思うのだろう。
マリアは少しだけ思考し、すぐにそれを止めた。
きっと自分では答えを出す事が出来ないと分かっていたからだ。
「やはり、私は失敗作ですね」
自嘲気味に笑ったマリアの心に浮かんだのはルカード・サンドリヨンとリンダ・サンドリヨンの二つの顔だった。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
巨人体の声が近くなってきた。
見つかるまでそんなに時間は無いだろう。
「良し」
マリアは脚に力を込めて左手を壁に当てながら立ち上がり、ドアから離れた。
思えば、長い稼働時間だったとマリアは思う。
色々なゴーレムを見て、色々なリンダを見た。
白髪のリンダが居た。
双子のリンダが居た。
ブロンド髪のリンダが居た。
彼女たちは皆もうリンダでは無かったけれど、マリアにとって大切な家族だった。
「そんな家族を私は裏切ったんですね」
サンドリヨン家筆頭メイド、マリアがまさかサンドリヨン家を真正面から裏切る事に成るなんて、稼動当初からは想像も出来ない結末だった。
フフッとマリアは笑った。
そして笑った自分にまた笑った。
「ああ、そうでしたか。これが生きるという事なのかも知れません」
問う相手は居ない。たった一人の自問自答。
今の問いに意味は何も無かった。
だが、マリアはそれで良かった。儘成らないのが生きるという事なのだとしたら、自分は確かに解答を得たのだ。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
もう壁一枚先に巨人体が迫っている。せめて一撃くらい電撃を喰らわせてやろう。
バチバチバチ。
マリアの左手が薄く帯電する。こんな出力では意味が無いだろう。
元々は暴れるリンダを無効化するために取り付けられた機能。
親友にしか向ける事を許されなかったこの機能をマリアは今自分の意志で使う事が出来た。
それがたまらなくマリアには嬉しかった。
ピシッ。ピシピシピシッ!
ドア側の壁に亀裂が入る。
「さあ、来なさい」
淡く笑いながら、マリアは最後の時を待ち構えた。
しかし、ここでマリアの結末は流転する。
「マリアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!」
壁の向こう側からここに居ないはずの、もう遠くへ逃げたはずのリンダの声が聞こえた。
マリアも聞いた事が無い、全身全霊のリンダの叫び声。
「リンダ!?」
「GA?」
薄い壁の向こう側でゴーレムの動きが止まったのが分かった。
マリアは即座にドアへと走り出した。
まずい。あの巨人体に送られた命令はマリアとリンダを壊す事。
今、マリアの場所を巨人体は把握していない。
しかし、たった今、邸中に響き渡る大声を出したリンダの居場所ならばゴーレムは一瞬で見つけただろう。
それも、リンダの声はこの三階から聞こえた。
ガチャッ!
マリアの左手がドアを開け放ったのと、ゴーレムが三階の階段の所へ走り出したのはほぼ同時だった。
マリアの視線の先。
二階から三階への西側の階段を昇り切った所。
そこにリンダが居た。
何で戻って来たのか。
それを考える前にマリアは声を張り上げた。
「逃げてぇ!」
だが、リンダは逃げなかった。彼女へと猛烈な勢いで向かってくる巨人体を前にして、リンダは下り階段側ではなく、巨人体へと走り出す。
それは明らかな自殺行為。
愛玩用のゴーレムでは核ごと巨人体に押し潰されてしまう。
リンダは灰色の眼を見開いていた。
運動もしていない白い手足を全力で動かし、その灰髪は間近に迫ったゴーレムの風圧でバサァッと広がっている。
マリアは気付いた。リンダの右手にはフィーネへと繋がるスマートフォンが握られていた。
十五メートル、十二メートル、七メートル。巨人体とリンダの距離が加速的に縮まっていく。
そして、距離が三メートル程までに縮まった瞬間、リンダは巨人体によって割れた窓へ、右手のスマートフォンを投げ飛ばした。
「ナックル!」




