3話 歓喜の初陣と、兎の血
※イラストは生成AIによるものです。
木漏れ日が、幾筋も斜めに差し込んでいる。
俺は大剣の柄に手を添えたまま、下生えを踏みしめて、林の奥へと分け入っていった。
(さて……気配を殺して、慎重にいくか)
足音を立てないよう、地面の様子を確かめながら、一歩ずつ進む。
(この静けさ……たぶん、この先だな)
小鳥や小動物の気配が、ぱたりと途切れている。捕食者がいる証拠だ。俺は足を止め、意識を研ぎ澄ませた。
(よし――視覚強化、聴覚強化)
体の奥で、魔力がわずかに減る感覚。次の瞬間、世界が一変した。
薄暗かった木立の陰が、くっきりと像を結ぶ。木の葉の一枚一枚、樹皮の裂け目の一つまで、鮮明に浮かび上がる。同時に、耳がざわめくほどの情報を拾い始めた。風が葉をなでる音、遠くの梢のきしみ、土の下を這う虫の蠢きさえも。
(うん、いい感じだ。やっぱり、この二つは鍛えておいて正解だった)
視覚強化と聴覚強化。前世の記憶を取り戻してから、俺が真っ先に鍛え上げたスキルだ。
(この世界じゃ地味だって理由で、まるで重要視されてないみたいだけどな)
派手な炎や雷を撃つ魔術や、肉体を底上げする身体強化に比べれば、確かに華はない。索敵なんて、魔獣探知機に任せればいい、という考えもある。
(でも、BHじゃ話は逆だった)
BHの上級者のあいだでは、まずこの二つを上げるのが定石だった。理由は単純。相手より早く気づいた者が、戦いの主導権を握るからだ。
(先に見つけて、先に仕掛ける。あるいは、不意打ちを避ける。索敵能力ってのは、そのまま生存率に直結するんだ)
死んだら終わりのこの世界なら、なおさらだ。派手さはなくても、この二つは何よりも命を守ってくれる。
俺は研ぎ澄ました感覚を頼りに、慎重に歩を進めた。
――そのときだった。
(……ん?)
右の後方。かすかに、草がこすれる音。
(来る……っ!)
考えるより先に、体が動いていた。振り返りざま、視界の端に飛び込んできたのは――
角を光らせた、三匹の兎。血のように赤い目を吊り上げて、まっすぐ俺の顔面めがけて突っ込んでくる。
(三匹!? 受けは間に合わない!)
俺は地を蹴って、横っ飛びに跳んだ。先頭を駆けた二匹の角が、頬のすぐ横を、風を切って過ぎていく。
(かわした……!)
だが、安堵する間もなかった。
一拍おくれて飛び込んできた三匹目が、着地の隙を狙って、真横から突っ込んできていた。もう避けきれない。俺はとっさに、大剣を地面と水平になるよう、体の前に寝かせた。
ガンッ、と鈍い衝撃が、両腕を痺れさせる。
アルミラージの角が、大剣の腹に激突した。硬い毛皮の塊が、刃に弾かれ、右手のほうへと跳ね飛んでいく。
(っ、重い……! これがリアルの感触か! ゲームとは全然違う!)
よろめいた体を、足を踏ん張って立て直す。強化した視界で、素早く周囲を捉えた。
(一匹は弾いた! 残り二匹は!?)
振り返ると、先に躱した二匹がくるりと方向転換していた。そして再び、こちらへ向かって加速し始める。
(不意を打たれたのは癪だが――もう、同じ手は食らわない)
一度冷静になれば、どうということはない。俺はアルミラージの動きを、目でしっかりと追った。
(こいつらの攻撃は、角を突き立てる直線の一撃だけ。小細工はない。脅威なのは、そのスピードだけだ)
なら、話は簡単だ。避ける必要すらない。真正面から、まとめて叩き潰す。
(――身体強化)
全身の魔力回路に、ぐっと魔力を流し込む。
かっと体が熱を持ち、筋肉という筋肉が、内側から膨れ上がるように力を増した。常人には出せない、桁違いの出力。
その膂力に任せて、俺は寝かせていた大剣を、渾身の力で薙ぎ払った。
(――行けっ!)
質量の塊が、ありえない速度で唸りを上げる。
そこへ、二匹のアルミラージが、飛び込んできた。
回避も何もあったものじゃない。加速しきった刃と、突進する兎が、真正面から激突する。
ぐしゃり、と鈍く嫌な手応え。
二匹のアルミラージは、大剣の腹に殴りつけられ、血しぶきをまき散らしながら、宙高く放物線を描いて吹き飛んだ。
(よし、二匹――!)
だが、まだ終わりじゃない。さっき弾き飛ばした三匹目が、体勢を立て直し、なおもこちらへ突っ込んでくる。
(――これも、予想済みだ)
俺は横薙ぎの勢いを殺さず、その流れのまま、大剣を頭上へと振り上げた。そして、突っ込んでくる兎の脳天めがけて、斜め下へと全力で叩きつける。
ズドンッ、と地響きがした。
大剣は、アルミラージの体を、地面ごと深々と抉り抜いていた。角の生えた兎は、びくりとも動かない。一撃で、絶命していた。
(……仕留めた)
三つの骸が、俺の足元に転がっている。まだ温かい体から、湯気のような魔素が、うっすらと立ちのぼっていた。
(これが……初めてこの手で殺した命、か)
前世の俺は、生き物どころか、虫の一匹すら手にかけたことがなかった。ゲームの中でなら何万という魔獣を狩っていたが、それはあくまで画面の向こうの、データの死だ。
(返り血の熱さも、骨を断つ手応えも、こんなにも……生々しいんだな)
胸の底で、何か重たいものが、ぐらりと揺れる。吐き気が込み上げてくるかと、俺は思わず身構えた。
(……)
不思議と、それは来なかった。
BHで数えきれないほど魔獣を屠ってきた経験故なのか、それとも転生によって心のどこかが麻痺しているのか。相手が、人を喰らう魔獣だと分かっているせいもあるだろう。
(こんなにあっさり殺せてしまう自分に、少しだけぞっとするな)
その小さな違和感には、あえて蓋をした。今は、感傷に浸っている場合じゃない。
濃い血の匂いが、あたりに立ち込めていく。すると、林全体が、ざわり、と色めき立ったような気がした。
(この気配……まだ、かなりの数がいるな)
強化した聴覚が、四方の茂みで蠢く、いくつもの気配を捉えていた。血の匂いに興奮しているのか、あるいは、仲間の死に殺気立っているのか。
(さてと。ここからが本番だ)
俺は、一度ここで身体強化を解いた。かっと燃えていた体から、すっと熱が引いていく。
(序盤は、とにかく魔力量が心もとない。スキルの垂れ流しなんて、絶対にできない)
魔力が尽きれば、身体強化も、視覚強化も、何もかもが使えなくなる。そうなれば、この体はただの非力な子どもだ。囲まれて、なぶり殺しにされて終わる。
(索敵中は身体強化を切って、感覚強化だけ。これを徹底しないと、長くは戦えないからな)
魔力量がやっかいなのは、魔力回路を使うだけで自然に成長するものではないからだ。
(増やす方法は、ひとつだけ)
魔獣が絶命する瞬間に放つ、濃厚な魔素。それを浴びると、魔力回路が刺激され、魔力の器そのものが少しずつ押し広げられていく――この世界ではそう説明されていた。
(狩れば狩るほど、器は育つ。つまり――魔力を増やす一番の近道は、魔獣を狩りまくること。それはBHと同じだ)
だからこそこの林は、俺にとって格好の道場になる。
(存分に狩らせてもらうさ……一匹残らず、な)
俺は次の獲物の気配へと、静かに歩き出した。
*
そこからは、無心の狩りだった。
強化した目と耳が、茂みに潜むアルミラージの位置を、正確に教えてくれる。
(見つけた。二匹……いや、三匹か)
相手が気づく頃には、すでに間合いを詰めている。そして、飛びかかってくるその刹那にだけ、身体強化を焚く。
一閃。
たいていは、それで事足りた。角を構えて突っ込んでくる相手ほど、大剣の一振りにとって、いい的はない。向こうの突進力が、そのまま刃の威力に上乗せされるからだ。
ある個体は、跳躍の頂点を狙い、下から掬い上げるように両断した。またある個体は、突進を半歩で躱し、すれ違いざまに首を刎ねた。相手の勢いを殺さず、そのまま刃へ乗せてやるのがコツだった。
(BHでやり込んだ、小物相手の立ち回り……体が、ちゃんと覚えてる)
前世じゃ、コントローラー越しの操作だった。それが今は、自分の腕で、自分の脚で、寸分違わず再現できる。頭で思い描いた通りに、この体が動いてくれる。
(ああ、くそ……楽しいな、これ)
不謹慎かもしれない。でも、抑えきれなかった。走って、跳んで、剣を振るう。ただそれだけのことが、涙が出そうなほど嬉しかったのだ。
(さて……大物の気配のほうへ、詰めていくとするか)
散らばった獲物を狩り減らすうち、残る気配が、林のさらに奥――一点へと、寄り集まっていくのがわかった。数は減っているのに、その一角だけは、やけに濃い。
(あそこが、根城だな)
一匹、また一匹と仕留めながら、俺はその濃い気配を目指して、木立の奥へと分け入っていった。
(魔力は……そろそろ心もとない。無駄撃ちは、できないな)
飛びかかられる、その刹那だけ身体強化を焚く。そう徹底しながら、俺は林の最奥へと、慎重に歩を進めた。
木立を抜けた先に、ぽっかりと開けた、草の窪地があった。
アルミラージの根城――巣穴らしき、土の掘られた一角。そこに、それはいた。
(でかい……!)
犬ほどだった他の個体とは、まるで格が違う。そいつは、猪ほどもある巨体だった。
額から伸びる角は、ねじくれて太く、幾度もの争いを物語るように、先端が黒ずんでいる。落ちくぼんだ赤い目が、じろりと俺を睨めつけた。
(群れのボス、か。歴戦の面構えだな)
そして、そのボスを守るように、四匹の取り巻きが、俺との間に立ちはだかっている。明らかに、これまでの個体とは、統率が違った。
(ボス個体が配下を指揮して襲ってくる……BHでもよくあったな)
じり、と間合いを計る。緊張が、背中を伝う汗に変わった。
(正直、魔力はもう、そんなに残ってない)
十匹以上を狩って、身体強化を焚くたびに、器の中身は着実に削れていた。使える魔力は、あと数回、渾身の一撃を放てるかどうか。
(――だが、やることは決まってる。取り巻きを、先に片づける)
ボスは、まだ動かない。その赤い目で、じっとこちらを値踏みしている。四匹に俺を削らせて、弱ったところを喰らうつもりだ。
(なら、その思惑ごと、叩き潰す)
俺が腰を落とした、その瞬間。
ボスが、低く吠えた。
それを合図に、四匹の取り巻きが、左右に散って、次々と襲いかかってきた。
(――ばらけて来たか!)
真正面からの突進とは違う。左右から、時間差で。囲んで、崩す気だ。
(でも、直線の一撃だってことは、変わらない!)
俺は右から迫る一匹を、身体強化を乗せた横薙ぎで捉えた。刃が胴を断ち割り、血を噴かせて草地に沈める。一匹。
だが、その隙を、左の二匹が突いてきた。
(しまっ――!)
一匹目は、寝かせた大剣の腹で、辛うじて受け止める。骨の芯まで響く衝撃に、奥歯を食い縛った。だが、二匹目の角が、俺の脇腹をかすめる。
ぴりっ、と焼けるような痛み。革鎧が裂け、うっすらと血が滲んだ。
(くっ……浅い。まだ動ける!)
痛みを噛み殺し、受け止めた一匹を力任せに押し返す。そのままの勢いで大剣を返し、脇をすり抜けた二匹目の背へ、渾身の一撃を叩き込んだ。
鈍い音を立てて、骨が砕ける。これで、二匹。
(残りは……押し返したやつと、もう一匹!)
押し返した個体が、体勢を崩したまま、なおも角を向けて突っ込んでくる。俺は半歩を踏み込み、その脳天へ、刃を落とした。三匹目。
残る一匹は、深追いを嫌ってか、後ろへ大きく跳びのいた。間合いの外へ逃れ、機をうかがっている。
(――逃がすかよ)
ここで見逃せば、また群れを増やす。ボスと決着をつける前に、取り巻きは一匹残らず、必ず片づける。
(魔力は、もう底が見えてる。けど――これで、打ち止めにしてやる)
俺は、器の底に残ったなけなしの魔力を、脚へと叩き込んだ。身体強化。かっと熱を持った脚が、地を蹴る。
跳びのいた兎が、身を翻すよりも速く、俺は間合いを詰めていた。
(――ここだ!)
逃げ腰の背へ、大剣を振り下ろす。刃は狙い違わず、兎の胴を、地面ごと縫い止めた。
四匹目。断末魔もなく、絶命する。
(……ふう。これで、取り巻きは、全部だ)
強化した耳を澄ませても、もう、こちらへ牙を剥く小物の気配はない。残るは――窪地の中央に、どっしりと構える、あの一匹だけだ。
だが。
(……やっちまった。魔力、ほとんど空だ)
取り巻きを狩り切るのに、なけなしの魔力を使い果たしてしまった。身体強化を焚けるのは、あと一回――それも、ほんの一瞬が限界だろう。
(この状態で、あのボスとやり合うのか)
ごくりと唾を飲み、大剣を構え直した、その瞬間。
ボスが、ついに動いた。
(――速いっ!?)
取り巻きの比じゃない。地を蹴る一歩で、そいつは俺の眼前へと肉薄していた。ねじくれた黒い角が、俺の心臓めがけて、一直線に伸びてくる。
(間に合わ……いや、まだだ!)
とっさに、俺は大剣を盾にした。切っ先の背に付いた握りを、逆手でしっかりと掴む。武器屋で見抜いた、あの造りが――ここで生きた。
(最後の一滴だ……ここで、使い切る!)
底に残ったなけなしの魔力を振り絞り、全身に身体強化を巡らせる。大剣の刀身が、ボスの眼前を遮る。
ガギィンッ!!
凄まじい衝撃。強化されたはずの両腕が軋みを上げ、ずるりと足が後ろへ滑る。
(重っ……! これがボスの一撃!)
だが――受け切った。
角を突き出し切ったボスの体は、いま、反動で動きを止め、無防備に俺の眼前で泳いでいる。
(――もらった!!)
魔力は、もう一滴も残ちゃいない。それでも、動きの止まった急所へ刃を通すのに、強化なんていらなかった。
俺は受けの体勢から、体重を丸ごと乗せた一撃を、跳ね上げる。がら空きになった、太い首元めがけて。
(これで、終わりだ――!!)
刃が、ボスの喉笛を、深々と斬り裂いた。
どう、と。
その巨体が、断末魔の声もなく、草の上に崩れ落ちた。太い角が、力なく地に転がる。
(……やった、のか)
俺は肩で息をしながら、そいつの様子をうかがった。ぴくり、とも動かない。完全に、絶命していた。
その骸から、これまでとは比べ物にならない、濃密な魔素が噴き上がった。
もやが俺の全身を包み込み、体の芯へと、どっと染み込んでくる。
(うわ……っ、すごい……!)
魔力の器が、めきめきと押し広げられる感覚。今までの、塵のような蓄積とは桁が違う。長く濃く生きた個体ほど、放つ魔素も濃いのだろう。
(器が、一回り……いや、二回りは、大きくなった)
もっとも、広がったばかりの器の底で、残った魔力は、もう尽き果てかけていた。
(ふう……終わった。これで、本当に一段落だ)
俺は大剣を地面に突き立て、その場に、どかりと腰を下ろした。
脇腹の傷が、じくじくと痛む。全身は汗と返り血にまみれ、腕はもう、まともに上がらない。
(――でも)
不思議と、気分は晴れやかだった。
(初仕事、上々だ。文句なしの、上等な一日だな)
強化を解いた視界に、木漏れ日が、きらきらと降り注いでいた。前世の、ガラス越しに眺めるだけだった光とは、まるで違う。
この林の匂いも、風の音も、体の痛みさえも――何もかもが、俺が今、確かに生きている証だった。
(さて。アルミラージの骸から魔石と角を回収するとしよう)
俺は、痛む体に鞭打って、ゆっくりと立ち上がった。
二度目の人生の、初めての狩り。確かな手応えを噛みしめながら、俺は倒したアルミラージのもとへと、足を向けた。
ここまでお読みいただき有難う御座います。戯演です。
戦闘シーンを書くのって、楽しいですね。
もしお気に召しましたら是非ご評価いただき、気長に次話をお待ちいただけますと幸いです。




