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転生したら俺が神になっていた件――なお教義はだいたい後世の解釈  作者: 後世の解釈


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第41話 今は、職務だけではありません

 教皇様が来ないことになってから、神社は少し落ち着いた。


 いや、もともと騒がしかったわけではない。だが、見えないところにあった緊張が、少し抜けた。


 教皇様が来るかもしれない。その可能性だけで、場所は事件になりかける。


 来ないと決まったことで、神社は神社のままでいられた。


 鳥居。参道。社。社務所。爺さんの箒。榊原さんの書類。御神体ではない木箱。


 そして、掃除見習いの俺。


 それだけでよかった。


 翌朝、爺さんはいつも通りだった。


「おう、教皇来なかったな」


「はい」


「よかったな」


「はい」


「茶葉が足りなくなるところだった」


「そこですか」


「そこもだ」


 爺さんは箒を渡してきた。


「今日は表を掃け」


「はい」


「昨日の分、少し葉が多い」


「はい」


「教皇が来なくても、葉っぱは落ちる」


「はい」


「だから掃け」


「はい」


 最近、その理屈がかなり好きになってきた。


 何が起きても、葉っぱは落ちる。そして、落ちたら掃く。


 教皇様のメールが来ても。神父様がお茶代を置いても。田村さんが茶化しても。誰かが祈りを置きに来ても。


 葉っぱは落ちる。なら、掃く。


 それで一日が始まる。


 俺は参道を掃いた。


 奥から手前。人が通る場所を先に。力を入れすぎない。全部を完璧にしない。


 昨日の教皇様のことを考えそうになったら、足元を見る。


 石。土。落ち葉。箒の先。


 そうすると、少し戻ってこられる。


 午前中、来訪者は少なかった。


 地元の人が一人。観光客が一組。犬に吠えられた。いつもの犬だった。


「まだ吠えますね」


「慣れるまで時間がかかります」


 榊原さんが言った。


「犬にも試行期間が必要ですか」


「犬側の同意が取れません」


「確かに」


 爺さんが笑った。


「犬の方が正直だからな」


「俺は怪しいですか」


「怪しいだろ」


「そうですね」


 否定できない。


 俺はこの土地の人ではない。この土地の神でもない。教会にもいない。神社で掃除している。


 犬から見ても、たぶんかなり変だ。


 午前の作業が終わると、榊原さんが言った。


「今日は午後、少し話があります」


「話」


「はい」


「重い話ですか」


「おそらく」


「神社で?」


「いえ。宿に戻ってから」


「なぜ」


「ここだと、あなたが掃除に逃げる可能性があります」


「かなり見抜かれていますね」


「はい」


 午後は作業しない。試行条件を守る。


 社務所でおむすびを食べ、茶を飲んでから、俺たちは神社を出た。


 爺さんは、いつものように言った。


「明日も来い」


「はい」


「ただし、今日の午後は休め」


「はい」


「法務さんの話は聞け」


「はい」


「逃げるなよ」


「掃除に?」


「そうだ」


「分かりました」


 逃げるなよ。


 そう言われると、少し怖くなる。


 俺は、掃除に救われている。でも、掃除に逃げることもできる。


 どんな良いものでも、逃げ道になると少し危ない。


 宿に戻り、少し休んでから、榊原さんが部屋に来た。


 扉は開けたまま。いつも通り。


 机の上には、書類が少しだけ置かれている。少しだけ、という時ほど重要なことが多い。


「話とは」


「今後の体制についてです」


「伊佐留神の?」


「それも含みます」


「俺の?」


「はい」


「榊原さんの?」


 俺が聞くと、榊原さんは少しだけ止まった。


「はい」


 やはり。これは重い。


「現在、私はあなたの保護担当として、ほぼ常時同行しています」


「はい」


「ただし、この状態は長期的には持続困難です」


「はい」


「神社での試行が安定すれば、常時同行から、定期確認と非常時対応へ移行できる可能性があります」


 俺は、すぐには答えられなかった。


 常時同行ではなくなる。榊原さんが、ずっと隣にいなくなる。


 それは、いつか来る話だと分かっていた。


 分かっていたが、聞くと胸が少し重くなった。


「つまり、榊原さんは離れるんですか」


「完全に離れるわけではありません」


「でも、今のようには」


「いずれ、変える必要があります」


「はい」


 俺は、自分の手を見た。


 箒を持っていない手。少し落ち着かない。


 今、箒があれば掃きたい。でも、ここは宿の部屋だ。掃く場所ではない。


「寂しいです」


 俺は言った。言えた。


 奥さんの言葉が、まだ効いている。


 困っている時に、困っていると言う。


「はい」


 榊原さんは、否定しなかった。


「私も、簡単ではありません」


 俺は顔を上げた。


「榊原さんも?」


「はい」


「職務なのに」


「職務です」


「はい」


「でも、二年以上、ほぼ常時同行しています」


「はい」


「職務だけで処理できない部分が、あることは認めます」


 かなり珍しい言葉だった。


 榊原さんが、自分のことをここまで言うのは珍しい。


「それは」


 俺は少し迷った。


「危険ですか」


「危険です」


 即答だった。


「でも、否定すると別の危険があります」


「別の危険」


「はい。職務だけだと言い張ることで、自分の判断の偏りを見落とす危険です」


「法務さんですね」


「はい」


「感情があることも、記録対象ですか」


「本来は、私自身の管理対象です」


「はい」


「だから、体制を分ける必要があります」


 榊原さんは、書類を一枚出した。


「今後は、爺さん、田村さん、奥さん、神父様、山辺先生との役割分担を明確にします」


「はい」


「私一人がすべてを抱えないようにする」


「はい」


「あなたも、私だけを頼らないようにする」


「はい」


「ただし、頼らないふりもしない」


「奥さんの言葉ですね」


「はい」


 かなり良い整理だった。


 だが、胸が少し痛い。


 榊原さんだけを頼らない。それは必要だ。分かっている。


 でも、寂しい。


「俺は、榊原さんに頼りすぎていますか」


「はい」


 即答だった。


「少しは迷ってください」


「事実です」


「はい」


「ただし、頼りすぎるほどの状況だったとも言えます」


「はい」


「あなたには、選択肢が少なすぎました」


「はい」


「だから、今から少しずつ選択肢を増やします」


「神社」


「はい」


「掃除」


「はい」


「爺さん」


「はい」


「田村さんたち」


「はい」


「ノート」


「はい」


「休日」


「はい」


「犬は」


「まだです」


「はい」


 少しだけ笑えた。


 榊原さんも、少しだけ笑った。たぶん。確認しない。


「もう一つあります」


 榊原さんが言った。


「はい」


「私の呼び方について」


「呼び方」


「はい」


「榊原さん、では」


「それで問題ありません」


「では」


「ただ、今後、神社関係者や地元の人の前では、法務さん、という呼び方は避けた方がいいです」


「なぜ」


「役割が固定されすぎます」


「法務さんではなくなる?」


「完全になくなるわけではありません」


「でも、職務だけではない」


「はい」


 俺は、少し黙った。


「では、何と呼べば」


「榊原さんで十分です」


「玲子さんは」


 言ってから、少し踏み込みすぎたと思った。


 榊原さんは、すぐには答えなかった。長い沈黙だった。


「今は」


 彼女は言った。


「外では避けてください」


「はい」


「田村家では、奥さんがそう呼ぶことがあります」


「はい」


「あなたが呼ぶ場合は」


「はい」


「まだ、少し早いと思います」


「分かりました」


 早い。


 だが、禁止ではない。


 それだけで、少し心が揺れた。


「記録しますか」


 俺が聞くと、榊原さんは少し困った顔をした。


「今の会話は、業務記録にはしません」


「なぜ」


「私的な要素を含みます」


「私的」


「はい」


「榊原さんにも、私的なものがある」


「あります」


「当たり前ですね」


「はい」


「すみません」


「謝ることではありません」


 彼女は、少しだけ視線を落とした。


「ただ、ここまで曖昧にしてきたことは、私の側の問題でもあります」


「榊原さんの?」


「はい」


「問題というほどでは」


「あります」


「はい」


「あなたを守るために、職務という線を使ってきました」


「はい」


「それは必要でした」


「はい」


「でも、私自身もその線に隠れていました」


 かなり重い。


 だが、逃げてはいけない。


 掃除に逃げたい。でも、今は掃除の話ではない。


「隠れていたんですか」


「はい」


「俺から?」


「あなたからも、自分からも」


「はい」


「あなたが無茶をしないように止める。それは職務です」


「はい」


「でも、あなたが苦しそうな時に心配することが、職務だけかと言われると」


「はい」


「もう、職務だけではありません」


 部屋が静かになった。


 今は、職務だけではありません。


 その言葉が、胸に落ちた。


 ずっと。ずっと聞きたかったのかもしれない。


 でも、聞くのが怖かった。


 職務だから守られている。それは安心だった。


 職務ではなくなったら、守られないのではないか。


 逆に、職務だけではないなら、榊原さんを巻き込みすぎているのではないか。


 どちらも怖い。


 だが、今、彼女は言った。職務だけではない。


 それは、答えではなく、線の引き直しだった。


「嬉しいです」


 俺は言った。


「はい」


「でも、怖いです」


「はい」


「榊原さんに、重くなりすぎませんか」


「そのために体制を分けます」


「はい」


「私も、一人で背負いません」


「はい」


「あなたにも、一人で背負わせません」


「はい」


「だから、これは恋愛成就ではありません」


 突然、かなり現実的な言葉が出た。


「恋愛成就」


「はい」


「神社っぽいですね」


「そういう方向にしないでください」


「はい」


「今の関係を、急に名前で固定しません」


「はい」


「職務だけではない。しかし、ただちに恋愛関係と定義もしない」


「はい」


「曖昧なまま、扱い方を決めます」


「神社みたいですね」


「かなり影響を受けていますね」


「榊原さんが?」


「認めたくありませんが」


「はい」


「分からないまま、置いておくものもあります」


 爺さんの言葉だった。


 榊原さんがそれを言うと、かなり不思議だった。


 でも、良かった。


「では、今の俺たちは」


「はい」


「分からないまま、置く」


「ただし、責任を取るところは決める」


「はい」


「混ぜると壊れる」


「はい」


 俺は少し笑った。


「かなり爺さんですね」


「非常に不本意です」


「でも、合っています」


「はい」


 少し沈黙があった。


 重いけれど、嫌な沈黙ではなかった。


「榊原さん」


「はい」


「俺は、あなたを頼りたいです」


「はい」


「でも、一人にしすぎないようにします」


「はい」


「困ったら困っていますと言います」


「はい」


「嬉しい時も、嬉しいと言います」


「はい」


「寂しい時も、寂しいと言います」


「はい」


「玲子さんと呼ぶのは」


「まだ早いです」


「はい」


「ただ」


「はい」


「いつか、検討します」


「検討」


「はい」


「便利ですね」


「便利です」


 俺は笑った。


 榊原さんも、今度ははっきり少し笑った。


 それは、たぶん記録しなくていい表情だった。


 いや、俺の中には残しておく。


 俺のノートにも、書くかもしれない。ただし、見せない。


 その夜、田村さんからメッセージが来た。


 榊原さんが少し身構えた。


「『法務さん、ちゃんと休んでるか』」


「奥さんですかね」


「田村さんからですが、奥さんの監修を感じます」


 続きが来た。


「『ナザレも、法務さんに全部背負わせるなよ』」


 俺は黙った。


「返事しますか」


 榊原さんが聞いた。


「はい」


「何と」


「『分かりました。少しずつ分けます』」


 榊原さんが入力した。


 すぐ返事が来た。


「『上出来。あと飯食え』」


 俺は笑った。


「田村さんらしいです」


「はい」


 さらに一通来た。


「『法務さんにも飯食わせろ』」


 榊原さんは少しだけ笑った。


「返信します」


「珍しいですね」


「必要です」


 榊原さんは入力した。


「『食べます』」


 短い。だが、かなり良かった。


 夜、俺はノートを開いた。


 灰色の表紙のノート。


 今日は少し長くなりそうだった。でも、長くしすぎない。


 書いた。


 今日は掃除した。


 教皇様は来なかった後も、葉っぱは落ちた。


 午後、榊原さんと話した。


 今は、職務だけではない、と言われた。


 嬉しかった。


 怖かった。


 すぐに名前を決めない。


 分からないまま、置く。


 でも、責任を取るところは決める。


 田村さんに、飯食えと言われた。


 明日も掃く。


 以上。


 書き終えて、少しだけ手が止まった。


 明日も掃く。その言葉で終われるのは、かなり良い。


 神の子、家なき子。


 伊佐留神候補。


 掃除見習い。


 今日は、榊原さんとの線が少し変わった。


 職務だけではない。でも、まだ名前は決めない。


 それでよい。


 詳しいことは答えない。


 分からないものは、乱暴に決めず、少し置く。


 俺たちはたぶん、祈りだけでなく、関係もほどけるのを待っている。


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