第39話 詳しいことは答えません
試行期間が継続されてから、神社での俺の扱いは少しだけ安定した。
地元の人は、俺を「掃除見習いの外国の人」と呼ぶようになった。
かなり良い。
神の子ではない。救い主ではない。伊佐留神でもない。
掃除見習いの外国の人。
それくらいなら、俺も返事ができる。
「おはよう」
「おはようございます」
「今日も掃除?」
「はい」
「偉いねえ」
「見習いなので」
「そうかい」
それで済む。かなり済む。
済む、というのは大事だ。
現代に来てから、俺に関わることはなかなか済まなかった。
名前も済まない。教会も済まない。墓も済まない。教皇様のメールも済まない。水も、ワインにするかどうかで済まない。
だが、掃除は済む。
落ち葉を掃く。通れるようにする。午前中で終える。今日はここまで。
それで済む。
済むものがあると、人は少し生きやすい。
その日も、俺は参道を掃いていた。
爺さんは社務所の前で茶を飲んでいる。田村さんは来ていない。榊原さんは、社務所の中で来訪者対応方針の更新をしていた。
最近の榊原さんは、かなり神社に馴染んでいる。
ただし、本人は認めない。
「馴染んでいますね」
「必要な範囲で適応しています」
「それを馴染んでいると言うのでは」
「違います」
「便利ですね、適応」
「便利です」
朝の参道は、静かだった。鳥の声がする。山の方から風が来る。落ち葉が少し動く。
俺は箒を動かした。
力を入れすぎない。葉っぱを追い詰めない。通る場所を整える。
だいぶ慣れてきた。
そこへ、一台の車が来た。見慣れない車だった。
降りてきたのは、若い男性と女性。二人とも、手にはスマホを持っている。
観光客のようにも見える。だが、社を見る前に、こちらを見た。
俺はすぐに少し距離を取った。
榊原さんに教わった。見られ方が違う人には、先に距離を取る。
男性が言った。
「あの、ここって、例のところですか?」
例のところ。かなり危険な言葉だった。
俺は答えない。私は掃除中です。そう言う準備をする。
だが、その前に爺さんが立った。
「何の例だ」
男性は少し笑った。
「いや、ネットで見たんですけど。外国の神様? キリスト系? みたいな」
榊原さんが社務所から出てきた。速い。かなり速い。
「当神社では、そのような案内はしておりません」
いつもの声だった。低く、硬く、通る。
「いや、でも、いるって聞いて」
「そのような案内はしておりません」
「写真とか動画とか、ダメですか?」
「関係者の撮影はご遠慮ください」
「顔は映さないんで」
「ご遠慮ください」
「ちょっとだけ話を」
「ご遠慮ください」
榊原さんは、やはり強い。同じ言葉を、必要なだけ繰り返す。
男性は少し不満そうだった。女性の方は、気まずそうにしている。
「あの、別に悪く言うつもりじゃなくて」
「意図にかかわらず、撮影と直接取材はご遠慮いただいています」
「取材じゃないです」
「では、通常の参拝としてお願いします」
「参拝」
「はい」
「ここ、何の神様なんですか?」
来た。
詳しいことを聞きたい人。
俺は黙る。
爺さんが答える。
「ここは願いを叶える場所じゃねえ。祈りを置く場所だ。詳しいことは答えん」
短い。かなり短い。だが、強い。
男性は首をかしげた。
「え、どういう意味ですか?」
「詳しいことは答えん」
「いや、そこを知りたいんですけど」
「答えん」
「宗教的なやつですか?」
「神社だ」
「いや、そうじゃなくて」
「詳しいことは答えん」
爺さんは、まったく揺れなかった。
榊原さんの繰り返しとは違う。
榊原さんは、法務として線を引く。爺さんは、そこにある石みたいに動かない。
かなり違う強さだった。
「でも、外国の人いますよね」
男性が俺を見た。俺は箒を持ったまま言った。
「私は掃除中です」
男性が止まった。
「え?」
「掃除中です」
「いや、そうじゃなくて」
「詳しいことは神社側にお願いします」
言えた。かなり短く。重くせず。
榊原さんが、少しだけこちらを見た。
たぶん、良好。
男性は困った顔をした。女性が小さく言った。
「もういいよ。やめよう」
「でも」
「迷惑だって」
女性は、俺たちに頭を下げた。
「すみませんでした」
榊原さんが言った。
「通常の参拝は可能です。ただし、人物撮影はお控えください」
「分かりました」
女性は社に手を合わせた。
男性は少し迷ってから、軽く手を合わせた。
写真は撮らなかった。そのまま車へ戻っていった。
車が出ていくまで、榊原さんは見ていた。俺も見ていた。爺さんは茶を飲みに戻った。
「今のは」
俺が言うと、榊原さんが答えた。
「中程度のリスクです」
「中程度」
「撮影意思あり。ネット情報経由。強引さは中程度。ただし、同行者が制止できました」
「かなり分析されていますね」
「必要です」
「俺の対応は」
「良好です」
「評価ですか」
「評価です」
「嬉しいです」
「ただし、最初の反応が少し遅れました」
「はい」
「でも、答えすぎませんでした」
「はい」
「改善傾向です」
「嬉しいです」
爺さんが横から言った。
「詳しいことは答えません、でいいんだよ」
「はい」
「説明したら増える」
「話が」
「そうだ」
「でも、説明しないと誤解されませんか」
「される」
「されるんですか」
「される」
「では」
「説明しても誤解される」
爺さんは、当たり前のように言った。
「説明しなければ誤解される。説明しても誤解される。なら、どこまで説明するか決めるしかねえ」
榊原さんが、少しだけ頷いた。
「その通りです」
「評価か」
「評価です」
「よし」
爺さんが少し嬉しそうだった。
俺は、今の言葉を考えた。
説明しなければ誤解される。説明しても誤解される。なら、どこまで説明するか決める。
かなり大事だった。
俺の言葉は、説明され続けた。たぶん、二千年。それでも誤解はなくならなかった。
むしろ、説明が増えた分だけ、争いも増えたのかもしれない。
なら、説明しすぎないことにも意味がある。
「榊原さん」
「はい」
「詳しいことは答えません、は逃げではないんですね」
「場合によります」
「はい」
「ただ、この場所の運用としては必要な線引きです」
「線引き」
「はい」
「答える範囲を決める」
「はい」
「答えない範囲も決める」
「はい」
「それは、祈りを乱暴に扱わないため」
「はい」
「俺を乱暴に扱わせないため」
「はい」
榊原さんは、少しだけ表情を和らげた。
「理解が進んでいます」
「評価ですか」
「評価です」
「嬉しいです」
午前の掃除を終える頃、今度は地元の男性が来た。
いつもの人だった。野菜を持ってくる人ではなく、犬を連れて散歩している人。
犬は小さく、よく吠える。俺を見ると、いつも少し吠える。
今日も吠えた。
「すみませんねえ」
男性が言った。
「いえ」
「この子、外国の人が珍しいみたいで」
「俺が珍しいんですね」
「まあ、このあたりじゃ珍しいね」
犬がまた吠える。
俺はしゃがまない。触らない。不用意な接触禁止。犬にも適用されるのだろうか。
たぶん、噛まれる可能性があるので適用される。
「触ってもいいですか」
俺が聞く前に、榊原さんが言った。
「今日はやめておきましょう」
「はい」
男性が笑った。
「しっかり管理されてるねえ」
「見習いなので」
俺は答えた。
「そうかい。まあ、掃除頑張って」
「はい」
男性は犬と一緒に去っていった。犬は最後まで吠えていた。
「犬にも警戒されますね」
「犬は敏感です」
榊原さんが言った。
「俺が人間ではないと」
「そういう話にしないでください」
「はい」
「単に慣れていない可能性があります」
「犬にも慣れてもらう必要がありますね」
「段階的に」
「犬対応も試行ですか」
「必要なら」
爺さんが笑った。
「犬にも仮採用だな」
「やめてください」
昼前、田村さんが来た。
今日は軽トラックではなく、普通の車だった。助手席に奥さんが乗っていた。
「奥さん」
「こんにちは」
「こんにちは」
俺は少し嬉しくなった。
奥さんが来ると、空気が整う。台所のような強さが神社に入ってくる。
「今日は様子を見に来ただけ」
奥さんはそう言った。
「おむすびは?」
田村さんが聞く。
「持ってきた」
「さすが」
「あなたは言われる前に荷物を持って」
「はい」
田村さんは素直に荷物を持った。やはり強い。
社務所で昼飯になった。
今日は、奥さんのおむすびと、爺さんの茶。
それだけで十分だった。
食べながら、奥さんが聞いた。
「見習いはどう?」
「継続になりました」
「よかったじゃない」
「はい」
「でも、無理してない?」
「少し、張り切りすぎる時があります」
俺が言う前に、榊原さんが答えた。
「そうでしょうね」
奥さんは俺を見た。
「嬉しい時ほど、少し休みなさい」
「はい」
「嬉しいからって全部やると、あとで倒れるの」
「はい」
「掃除も、料理も、看病も、同じ」
「料理も」
「張り切って作りすぎると疲れるし、食べる方も困るでしょう」
「分かりやすいです」
「でしょう」
奥さんは、おむすびを一つ俺に渡した。
「だから、今日はこれ食べて終わり」
「終わり」
「午後は休みなんでしょう」
「はい」
「なら、終わり」
「はい」
榊原さんが静かに頷いた。
「同意します」
「珍しいですね」
「必要です」
昼飯のあと、奥さんは社の裏の木箱を見たいと言った。
榊原さんが少し確認し、爺さんが案内した。俺も少し離れてついていく。
木箱は、いつもの場所にある。御神体ではない。奉納前整理書の控えが入っている。
奥さんは、少し離れたところからそれを見た。
「ここが、祈りを置く場所?」
「候補です」
榊原さんが言った。
「まだ候補なのね」
「はい」
「でも、少し場所になってきたわね」
奥さんはそう言った。
場所になってきた。
それは、かなり良い表現だった。
「何かを置くと、場所になるんでしょうか」
俺が聞くと、奥さんは少し考えた。
「置くだけじゃなくて、手を入れるからじゃない?」
「手を入れる」
「掃除して、直して、お茶を出して、人が来て、帰って。また掃除して」
「はい」
「そうすると、場所になるんじゃない?」
爺さんが頷いた。
「分かってるな」
「家も同じですよ」
奥さんは言った。
「住むだけで家になるんじゃない。掃除して、ご飯を作って、洗濯して、文句を言って、また片付けて、やっと家になるの」
田村さんが小さく言った。
「文句もいるのか」
「いる」
「はい」
田村さんは黙った。俺は少し笑った。
場所は、置くだけではなく、手を入れることで場所になる。
それなら、俺が掃除することにも意味がある。
俺のためだけではない。この場所が、場所になるために。
午後、俺は作業をしない予定だった。
だが、社の裏から戻る途中、落ちている枝が気になった。
手を伸ばしかける。榊原さんが見た。
「ナザレさん」
「はい」
「午後は休みです」
「枝を拾うだけでも」
「休みです」
「はい」
奥さんが笑った。
「そういうところよ」
「はい」
「気になるのは分かるけど、休みの日は枝も拾わない」
「枝も」
「枝も」
「分かりました」
俺は手を引っ込めた。
枝は落ちたまま。少し気になる。
だが、明日拾えばいい。明日も来られる。
それがあるから、今日拾わなくていい。
「明日拾います」
俺が言うと、榊原さんが頷いた。
「適切です」
「評価ですか」
「評価です」
「嬉しいです」
奥さんも頷いた。
「上出来」
「二重評価です」
「よかったな」
田村さんが言った。
夕方前に、田村さんたちは帰った。
奥さんは帰り際に、榊原さんへ小さな袋を渡した。
「玲子さんも食べてね」
「ありがとうございます」
「ちゃんと休むのよ」
「はい」
「あなたも見習いみたいなものなんだから」
榊原さんが少し驚いた。
「私がですか」
「そうよ。こういう案件、誰も経験ないでしょう」
「それは、そうです」
「なら、あなたも見習い」
奥さんは、さらっと言った。かなり強い。
榊原さんが、少しだけ黙った。
「……そうかもしれません」
「そうよ」
「はい」
俺は思わず言った。
「榊原さんも見習い」
「言わないでください」
「はい」
田村さんが笑っていた。奥さんも笑った。爺さんも笑った。
榊原さんは困っていた。だが、少しだけ安心したようにも見えた。
帰りの車の中で、俺は言った。
「榊原さん」
「はい」
「見習いと言われて、どうでしたか」
「少し不本意です」
「はい」
「ただ、否定はできません」
「はい」
「この件に関しては、前例がありません」
「はい」
「私も、学びながら対応しています」
「はい」
「つまり、見習いです」
「評価ですか」
「自己評価です」
「良いと思います」
「評価しないでください」
「感想です」
「感想も危険です」
「場合によります」
いつものやり取りだった。だが、少し違った。
榊原さんも見習い。
俺だけではない。爺さんも、たぶん伊佐留神を置くことについては見習いだ。田村さんも、神の子を日常に戻すことについては見習いだ。奥さんも、たぶんそうだ。
みんな、初めてなのだ。
初めてなら、間違える。
だから、詳しいことを全部答えなくていい。分かったふりをしなくていい。
見習いです。掃除中です。詳しいことは答えません。
それで、少し進める。
宿に戻ってから、俺はノートを開いた。今日も短く書く。
詳しいことは答えません。
説明しても誤解されることがある。
今日は犬に吠えられた。
枝は明日拾う。
奥さんが来た。
榊原さんも見習いらしい。
明日も掃く。
以上。
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机の上の赤い鶴は、まだ少し歪んだまま立っている。
神の子、家なき子。
伊佐留神候補。
掃除見習い。
今日は、詳しいことは答えません、と言えた。
全部を説明しなくても、場所は少しずつ場所になっていく。
掃除と、お茶と、おむすびと、明日拾う枝によって。




