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転生したら俺が神になっていた件――なお教義はだいたい後世の解釈  作者: 後世の解釈


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第35話 外来の神にも、掃除する場所があっていい

 ワインがなくなった翌日、俺は少し静かだった。


 自分では、いつも通りのつもりだった。


 朝食を食べた。カードキーを確認した。宿を出る準備をした。榊原さんの確認にも、きちんと返事をした。


 だが、榊原さんはすぐに気づいた。


「ナザレさん」


「はい」


「考えていますね」


「はい」


「昨日のワインですか」


「はい」


「なくなったものを、なくなったままにする件ですね」


「はい」


「記録します」


「やはり」


「重要です」


 榊原さんは、端末に短く入力した。


 俺はその様子を見て、少し笑った。


「榊原さん」


「はい」


「最近、俺の心がだいたい記録されていますね」


「必要な範囲です」


「俺は書類になっていませんか」


「なっていません」


「御神体も書類ではない」


「御神体ではありません」


「はい」


 少しだけ、空気が軽くなった。


 昨日、ワインはなくなった。水はワインにならなかった。空き瓶は洗われ、資源ごみになった。


 たったそれだけのことが、思ったより大きかった。


 俺は、なくなったものを戻したくなる。足りないものを満たしたくなる。困っている人を助けたくなる。泣いている人の涙を止めたくなる。


 それは、悪いことではないと思っていた。


 でも、全部をそうすると、人はなくなることを受け入れられなくなる。


 俺も、受け入れられなくなる。


 ワインがなくなった。それでいい。


 昨日、俺は少しだけ、それを覚えた。


 その日は、神社へ向かう日だった。


 爺さんから、朝の掃除を手伝えと言われていた。田村さんも来るらしい。奥さんは来ない。


「昨日の田村さんの試し方については、注意します」


 榊原さんが言った。


「まだ怒っていますか」


「怒ってはいません」


「訂正していますか」


「注意です」


「田村さんは反省していますかね」


「していると思います。ただし、また似たことをする可能性はあります」


「ありますね」


「はい」


 田村さんの悪気のなさは、かなり危険だ。


 だが、田村さんの雑さがないと、俺は重くなりすぎる。


 危険だが、必要。そういう人がいる。


 俺にとって、榊原さんもそうだ。爺さんもそうだ。奥さんもそうだ。神父様も、教皇様も、山辺先生も、たぶんそうだ。


 俺は、誰か一人に救われているわけではない。


 何人もの人に、少しずつ止められ、少しずつ戻され、少しずつ畳まれている。


 車が神社へ着いた。鳥居の前には、いつものように爺さんがいた。


 箒を持っている。その隣に、田村さんもいた。軽トラックの荷台に、工具箱と木材が少し積まれている。


「おう」


 田村さんが言った。


「おはようございます」


「昨日は悪かったな」


 いきなりだった。


 俺より先に、榊原さんが反応した。


「今後、同様の試し行為は事前に相談してください」


「はい」


 田村さんは素直に頭を下げた。


「奥さんにも怒られた」


「でしょうね」


「法務さんにも怒られると思ってた」


「怒ってはいません」


「そういうことにしとく」


 田村さんは俺を見た。


「でも、お前が水をワインにしなかったのは、よかった」


「はい」


「なくなるもんは、なくなる」


「はい」


「ただ、それを昨日のやり方で試すのはよくなかった」


「はい」


「そこは悪かった」


「大丈夫です」


「大丈夫かどうかを本人だけで判断しない」


 榊原さんが言った。


「法務さんが言いそうなことを言ったんだよ」


「私が言いました」


「だよな」


 少しだけ、みんな笑った。


 爺さんが箒を俺に差し出した。


「外来種」


「はい」


「昨日の話は、今日の掃除には持ち込むな」


「はい」


「今日は掃除の話だ」


「はい」


「ただし」


 爺さんは、参道を見た。


「掃除してると、昨日のことも少しほどける」


 俺は箒を受け取った。


「はい」


 参道には、落ち葉が少し積もっていた。雨のあとだからか、地面はまだ少し湿っている。


 だが、昨日よりは掃きやすい。


 俺は奥から手前へ、爺さんに教わった通りに掃いた。


 全部を完璧にしようとしない。人が通るところを先に。見えないところも放りすぎない。力を入れすぎない。葉っぱを追い詰めない。


 掃除は、ずいぶん教えることが多い。


 いや、掃除が教えているのではない。爺さんが、掃除にいろいろ混ぜているのだ。


 でも、不思議と嫌ではない。


 箒を持っていると、言葉が地面に降りる。祈りも、救いも、神も、人も、少しだけ足元に戻る。


「うまくなったな」


 田村さんが言った。


「そうですか」


「最初よりは」


「評価ですか」


「評価だ」


「嬉しいです」


「まだ爺さんには負けるけどな」


「ここでは爺さんが先輩なので」


「そうだな」


 爺さんが少し得意そうに言った。


「ここでは俺が先輩だしな」


「はい」


 俺は素直に頷いた。


 神の子に先輩がいる。それは、かなり良いことだった。


 午前中は、掃除と修理で終わった。


 今日は、社務所の戸の立て付けを直す。湿気で少し閉まりにくくなっていた。


 俺が確認し、田村さんが道具を出し、爺さんが横から口を出し、榊原さんが安全確認と記録をする。


「少し削れば直ります」


 俺が言うと、田村さんが頷いた。


「やってみろ」


「はい」


「指を切るなよ」


「はい」


「奇跡で戻すなよ」


「しません」


「血が出たら」


「榊原さんに報告します」


「よし」


 榊原さんが静かに言った。


「よし、ではありません。怪我をしないことが前提です」


「はい」


 俺は鉋を持った。


 木を削る。薄く、薄く。木の香りがする。


 この香りは、かなり懐かしい。


 ローマでも、教会でも、ホテルでも、ワイナリーでもなく。もっと昔。まだ、俺が大きくなりすぎる前。木を削っていた頃。父の仕事場。手の感触。削りくず。


 戸が少し軽く動くようになる。確認する。まだ少し引っかかる。


 もう少し削る。また確認する。今度は、すっと閉まった。


「直りました」


 俺が言うと、爺さんが戸を動かした。


「まあまあだな」


「今日も低めですね」


「先輩だからな」


「はい」


 田村さんも確認した。


「十分だろ」


 榊原さんも戸を動かした。


「良好です」


「評価が分かれました」


「爺さんの評価は育成用です」


「なるほど」


 俺は少し笑った。


 戸が閉まる。それだけなのに、かなり嬉しい。


 救いは見えにくい。だが、戸は閉まる。


 終わりがある仕事は、人を助ける。少なくとも、俺を少し助ける。


 昼は、社務所で簡単に食べた。


 田村さんが持ってきたおむすび。爺さんの茶。榊原さんが買ってきた味噌汁のカップ。


 俺は、おむすびを手に取った。


「田村さんの奥さんですか」


「そうだ」


「ありがとうございます」


「俺が作ったわけじゃねえけどな」


「奥さんに伝えてください」


「伝えとく」


 おむすびを食べる。


 塩。米。海苔。梅干し。やはり強い。


 神社の社務所で、外来種が、おむすびを食べる。かなり良い。


「外来種」


 爺さんが言った。


「はい」


「ここ、どうだ」


 いきなりだった。


「ここ」


「この神社だ」


「はい」


「掃除して、戸を直して、おむすび食って、茶を飲んで、どうだ」


 俺は、すぐには答えなかった。


 社務所の中を見た。


 直した棚。閉まるようになった戸。欠けた湯呑み。榊原さんの資料。田村さんの工具箱。爺さんの箒。


 社の裏には、奉納前整理書の入った木箱がある。御神体ではない。でも、大事な約束がある。


「息がしやすいです」


 俺は答えた。


 榊原さんが静かにこちらを見た。


「ローマより」


「はい」


「教会より」


「はい」


「田村家よりも?」


 田村さんが聞いた。


 少し難しい。


「田村家は、帰りたくなります」


「おう」


「でも、帰る場所にすると、田村家を壊すかもしれません」


「そうだな」


「ここは、帰る場所というより、掃除する場所です」


「なるほどな」


「だから、少し違います」


 田村さんは頷いた。


「いいんじゃねえか」


 爺さんも頷いた。


「外来の神にも、掃除する場所があっていい」


 その言葉が、静かに落ちた。


 外来の神にも、掃除する場所があっていい。


 俺は、何も言えなかった。


 かなり変な言葉だ。でも、かなり優しい言葉だった。


 外来。外から来た。この土地の神ではない。この土地の人でもない。


 教会にもいられない。田村家にも住めない。ホテルを転々としていた。


 家なき子だった。


 でも、掃除する場所ならあっていい。


 神として祀られる前に。人として定住する前に。


 まず、掃除する場所。


 それくらいなら、俺にも許される気がした。


「いいんでしょうか」


 俺は聞いた。


 爺さんはすぐに答えた。


「いい」


 田村さんも言った。


「いいだろ」


 榊原さんは、少しだけ考えてから言った。


「条件を整えれば、可能です」


「法務さんですね」


「はい」


「でも、可能」


「はい」


「不可能ではない」


「はい」


 俺は、少しだけ目を閉じた。


 可能。その言葉は、奇跡より嬉しい時がある。


 できるかもしれない。


 条件を整えれば。書類を作れば。地元に説明すれば。教会と切り分ければ。金銭管理を決めれば。来訪者対応を整えれば。俺が奇跡を起こさなければ。俺が願いを聞きすぎなければ。俺が掃除をすれば。


 可能。


「榊原さん」


「はい」


「俺は、ここで掃除したいです」


 言ってから、少し怖くなった。


 これは願いだ。俺自身の願い。


 かなり危険なものかもしれない。


 榊原さんは、すぐには答えなかった。端末も出さなかった。メモも取らなかった。


 ただ、俺を見た。


「記録は、あとでします」


「はい」


「今は、聞きます」


「はい」


「ここで掃除したいんですね」


「はい」


「神として祀られたいのではなく」


「それは、まだ分かりません」


「はい」


「人として完全に定住したいのでもなく」


「それも、まだ分かりません」


「はい」


「でも、掃除したい」


「はい」


「修理も」


「できるなら」


「はい」


 榊原さんは、ゆっくり頷いた。


「分かりました」


「評価ですか」


「いえ」


 彼女は少しだけ、声を柔らかくした。


「希望として受け取ります」


 希望。俺の希望。


 それは、かなり久しぶりに聞く言葉だった気がする。


 俺は、誰かの希望に応えようとしてきた。誰かの祈りに応えようとしてきた。誰かの願いを背負おうとしてきた。


 だが、俺自身の希望を言うことは、あまりなかった。


 ここで掃除したい。


 とても小さい。でも、今の俺には、それくらいがちょうどよかった。


「法務さん」


 爺さんが言った。


「はい」


「これは叶えてやってもいい願いだろ」


 榊原さんは、少しだけ爺さんを見た。


「願いを聞きすぎるな、と言ったのは爺さんです」


「全部聞くなとは言った」


「はい」


「でも、掃除したいくらいなら、聞いても壊れんだろ」


「条件次第です」


「出たな」


「必要です」


 田村さんが笑った。


「条件整えろよ、法務さん」


「整えます」


 榊原さんは言った。その声は、いつもより少し強かった。


「ただし、簡単ではありません」


「はい」


「地元合意が必要です」


「はい」


「神社側の責任者確認が必要です」


「はい」


「あなたの法的身分、滞在、生活費、労務性、報酬、保険、安全管理」


「はい」


「教会側との切り分け」


「はい」


「来訪者対応」


「はい」


「報道対応」


「はい」


「奇跡禁止」


「はい」


「水をワインにしない」


「はい」


「水上歩行しない」


「神社で?」


「念のためです」


「はい」


「願いを聞きすぎない」


「はい」


「困ったら困っていますと言う」


「はい」


「私に隠さない」


「はい」


「田村さんの試し行為には乗らない」


「はい」


 田村さんが言った。


「俺も入るのか」


「入ります」


「悪かったって」


「記録します」


「法務さん、強いな」


 爺さんが笑った。俺も笑った。


 笑ったあと、少しだけ胸が熱くなった。泣くほどではない。たぶん。


 いや、少し危なかった。


 榊原さんが見ていた。


「ナザレさん」


「はい」


「大丈夫ですか」


「少し危ないです」


「何が」


「嬉しいです」


 榊原さんは、少しだけ目を伏せた。


「それは、危険ではありません」


「そうですか」


「ただし、急に決まったわけではありません」


「はい」


「まだ候補です」


「はい」


「でも、希望としては受け取りました」


「はい」


 俺は頷いた。それで十分だった。


 今は、決定ではなくていい。希望として受け取られた。


 それだけで、かなり十分だった。


 午後、俺は社の裏の空き地を掃いた。


 奉納前整理書の木箱の周り。古い石。木の根元。湿った土。落ち葉。


 今日は、いつもより丁寧に掃いた。


 ここで掃除したい。そう言ってしまったからだ。


 言葉にした願いは、少し怖い。だが、箒を持つと、怖さが少し減った。


 願いは、叶うかどうかではなく、行動に少し混ざることがある。


 ここで掃除したい。なら、今日は掃除する。


 それでよい。


 爺さんが横で見ていた。


「力入りすぎだ」


「はい」


「嬉しいと力が入るのか」


「そうみたいです」


「抜け」


「はい」


「掃除は、土地と喧嘩するな」


「はい」


 俺は力を抜いた。落ち葉が少しずつ動く。全部は取らない。通れるくらいに整える。


 祈りがほどけるまで置く場所も、完璧でなくていい。


 人が来て、手を合わせて、少し息をして、また帰れる。


 それくらいでいい。


 夕方、作業が終わった。


 榊原さんは、社務所で今日の記録をまとめていた。


 俺の発言も、きっと書かれている。


 ここで掃除したい。本人希望。状態良好。感情反応あり。過度な高揚に注意。


 そんなところだろう。


「榊原さん」


「はい」


「何と書きましたか」


「本人より、神社での掃除・修理作業継続について希望表明あり」


「かなり法務ですね」


「はい」


「嬉しい、は」


「感情反応として記録しました」


「やはり」


「ただし、安定的な希望として扱えるかは継続観察が必要です」


「継続観察」


「はい」


「でも、消されてはいない」


「消しません」


 俺は少し安心した。


 俺の希望は、書類になった。それは少し奇妙だが、悪くなかった。


 俺の希望が、誰かの祈りとして空に消えるのではなく、榊原さんの書類に残る。


 それは現代らしく、かなり安心する。


 帰る前、鳥居のところで爺さんが言った。


「外来種」


「はい」


「明日も来るか」


 俺は榊原さんを見た。榊原さんは少し考えた。


「午前中のみなら」


「だそうだ」


 爺さんが言った。


「はい」


「明日も掃け」


「はい」


 田村さんが軽トラックに乗りながら言った。


「よかったな。掃除場所ができそうで」


「はい」


「まだ候補です」


 榊原さんが言った。


「候補でも十分だろ」


「はい」


「神の子には、まず掃除場所くらいがちょうどいい」


「そうですね」


 俺は答えた。本当に、そう思った。


 神の子に玉座はいらない。少なくとも、今の俺には。


 祭壇も、聖堂も、巡礼地も、巨大な像もいらない。


 まずは、掃除する場所があればいい。


 箒を持ち、落ち葉を掃き、戸を直し、茶を飲み、願いを聞きすぎず、祈りがほどけるまで待つ。


 それくらいの場所。


 車に乗る。神社が遠ざかる。


 俺は、今日は振り返った。少しだけ。


 鳥居の前で、爺さんが箒を肩に担いでいた。その横で、田村さんが手を振っていた。


 社の裏には、書類の入った木箱がある。御神体ではない。だが、大事な約束がある。


「榊原さん」


「はい」


「今日は、かなり良い日でした」


「記録します」


「はい」


「私も、そう思います」


 俺は驚いて、彼女を見た。榊原さんは前を見たままだった。


「評価ですか」


「感想です」


 珍しい。かなり珍しい。


「感想も危険では」


「場合によります」


「便利ですね」


「便利です」


 車は山道を下りていく。夕方の光が、木々の間から差していた。


 神の子、家なき子。


 外来種。伊佐留神候補。掃除するやつ。


 今日は、自分の希望を一つ言えた。


 ここで掃除したい。


 外来の神にも、掃除する場所があっていい。


 その言葉は、たぶん俺をかなり救った。


 奇跡ではなく。願望成就でもなく。


 ただ、箒一本分くらいの救いとして。


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