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転生したら俺が神になっていた件――なお教義はだいたい後世の解釈  作者: 後世の解釈


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33/48

第33話 祈りが届きますように

 「私は掃除中です」は、思ったより強かった。


 神社へ来る人が少し増えた。急激に増えたわけではない。


 榊原さんと爺さんが、かなり絞っているからだ。


 地元の人。たまたま来た観光客。田村さん経由で事情を知っている数人。そして、事前申請をした教会関係者が、少し。


 そのくらいだった。


 それでも、来る人が増えると、願いも増える。


 社の前で手を合わせる人。木箱のある裏の空き地を、遠くから見る人。爺さんに話しかける人。俺を見て、何か言いたそうにする人。


 そういう人が、少しずつ増えた。


 俺は、基本的に掃除をしていた。


 箒を持っていると、話しかけられにくい。それでも話しかけられたら、言う。


「こんにちは」


「写真はご遠慮ください」


「詳しいことは神社側にお願いします」


「私は掃除中です」


 かなり短い。だが、効く。


 神学に入らない。救いに入らない。奇跡に入らない。掃除に戻る。


 爺さんは言った。


「箒は結界みたいなもんだな」


「結界」


「お前が神さまになりすぎるのを止める」


「箒が?」


「そうだ」


 榊原さんは少し考えてから言った。


「比喩としては有効です」


「法務さんのお墨付きだ」


「お墨付きではありません」


「評価か」


「限定的評価です」


 爺さんは笑った。


 俺は箒を見た。


 ただの箒。竹と枝でできた、掃くための道具。


 だが、確かにこれを持っていると、俺は少し人間に戻る。


 救い主ではなく。奇跡を起こす者ではなく。掃除するやつ。


 それで済む。


 その日、朝から雨が降っていた。


 強い雨ではない。細かく、静かな雨だった。


 参道の落ち葉は濡れていて、掃きにくい。


 爺さんは、無理に掃くなと言った。


「濡れた葉は重い」


「はい」


「乾いてからの方がいい」


「はい」


「何でも今すぐ動かそうとするな」


「掃除の話ですよね」


「掃除の話だ」


 榊原さんが横でメモを取った。


「記録します」


「掃除の話ですよ」


「掃除の話です」


 最近、掃除の話はだいたい掃除だけでは終わらない。


 だが、それを言うと重くなるので、俺は黙った。


 午前中、社務所に女性が来た。


 地元の人ではない。年齢は三十代くらい。黒っぽい服を着ている。


 傘を丁寧に畳み、鳥居の前で頭を下げ、社に手を合わせてから、社務所へ来た。


 榊原さんがすぐに対応する。


「ご用件を伺います」


 女性は少し緊張した顔をしていた。


「あの、事前に問い合わせた者です」


「お名前を確認します」


 榊原さんが確認する。


 事前申請済みの来訪者だった。


 教会関係者ではない。研究者でもない。報道でもない。


 ただ、来たい理由の欄に、こう書いてあったらしい。


 祈りを置きたい。


 榊原さんは、その申請をかなり慎重に見ていた。今日、許可された。ただし条件付き。


 写真なし。録音なし。宗教的質問なし。俺への直接接触なし。相談対応ではない。祈願成就を約束しない。滞在時間は短く。


 かなり細かい。女性は、それをすべて了承していた。


 社務所の中に入ると、爺さんが茶を出した。


「お茶代は」


 女性が言いかけた。


 榊原さんが言った。


「本日は不要です」


「いいんですか」


「はい。今日は面談ではなく、参拝です」


「参拝」


「はい」


「ただし、祈願受付ではありません」


「はい」


 女性は、少しだけうなずいた。


 俺は少し離れた場所で、箒を持っていた。掃除中ではない。雨で掃除はできない。


 だが、箒は持っている。結界らしいからだ。


 女性は、ちらりと俺を見た。そして、すぐに視線を下げた。かなり礼儀正しかった。


「祈りを置く場所だと聞きました」


 女性が言った。


 爺さんが答えた。


「そうだな」


「願いを叶える場所ではない、と」


「そうだ」


「それでいいんです」


 女性は小さく言った。


「叶えてほしいわけでは、もうないんです」


 社務所が静かになった。榊原さんは、何も言わなかった。爺さんも茶を飲まなかった。


「何かを願っていたんですか」


 爺さんが聞いた。


 女性は少し黙った。


「子どもが病気でした」


 俺の手に力が入った。箒の柄が、少し鳴った。


 榊原さんが、俺を見た。


 止まれ。その目だった。


 俺は、止まった。


 女性は続けた。


「いろんな神さまにお願いしました。病院にも行きました。できることは、たぶんしました」


「はい」


 爺さんが静かに言った。


「でも、亡くなりました」


 言葉が、部屋に落ちた。


 雨の音がした。


 俺は、動かなかった。動いてはいけない。


 もう、治せない。過去を変えられない。奇跡でどうにかできる話ではない。


 それに、俺が触れてはいけない。


 女性は淡々としていた。泣いてはいなかった。だが、泣くよりもずっと疲れているように見えた。


「叶わなかったのに、まだ祈りだけが残っていて」


 女性は言った。


「それをどこに置けばいいのか、分からなくて」


 爺さんは、しばらく黙った。それから言った。


「ここに置いていけばいい」


「いいんですか」


「置くだけならな」


「叶えてもらうわけでは」


「ない」


「意味がありますか」


「知らん」


 爺さんはあっさり言った。


「だが、持って帰るのが重いなら、少し置いてけ」


 女性は、少しだけ顔を歪めた。それでも泣かなかった。泣かないようにしているのが分かった。


 爺さんは続けた。


「神さまが叶えなかった理由は、ここでは説明しない」


「はい」


「誰が悪かったかも決めない」


「はい」


「信仰が足りなかったとも言わない」


 女性の肩が、少し震えた。


「はい」


「ただ、重いなら置いてけ」


 それは、かなり強かった。


 俺は、箒を握っていた。


 助けたい。何か言いたい。あなたの祈りは聞かれていた、と言いたい。


 でも、言えない。


 俺が言えば、重くなる。俺が言えば、その言葉は教義になりかねない。俺が言えば、届かなかったすべての祈りが、俺に向かってくる。


 だから、黙る。


 榊原さんが、静かに俺の方へ来た。小さな声で言った。


「ナザレさん」


「はい」


「今は、爺さんが対応しています」


「はい」


「あなたは、掃除中です」


「雨で掃除できません」


「それでも、掃除中です」


「はい」


 俺は息を吐いた。


 そうだ。俺は掃除中だ。


 神ではない。答えではない。奇跡ではない。


 箒を持っている。


 爺さんが女性を社の裏へ案内した。


 木箱のある空き地。伊佐留神の候補地。御神体ではない書類が置かれた場所。


 女性は、そこで少し立ち止まった。


 傘を閉じ、雨に少し濡れながら、手を合わせた。声は出さなかった。


 俺たちは少し離れて見ていた。


 かなり長い時間だった。でも、誰も急かさなかった。


 やがて女性は、手を下ろした。顔を上げた。


 泣いていた。静かに。


 爺さんが言った。


「茶、もう一杯飲んでけ」


 女性は、うなずいた。


 社務所に戻る。爺さんが茶を出す。榊原さんは、黙って小さなタオルを差し出した。


 女性はそれを受け取った。


「ありがとうございます」


「いえ」


 俺は、まだ箒を持っていた。


 女性は俺を見た。今度は、さっきより長く。


 だが、祈るような目ではなかった。確認するような目だった。


「あの」


 女性が言った。


 榊原さんが少し動いた。


 女性はすぐに首を振った。


「質問ではありません」


「はい」


「ただ」


 女性は、俺を見た。


「そこにいてくれて、ありがとうございます」


 俺は、何も言えなかった。


 かなり危ない。


 この言葉に、答えようとすると危ない。


 俺は、救いの言葉を探してしまう。祈りの言葉を探してしまう。


 でも、ここで必要なのはたぶん、それではない。


 俺は、箒を少し持ち直した。


「私は、掃除中です」


 女性は、一瞬だけ驚いた。それから、少し笑った。


「はい」


 爺さんが茶をすすった。榊原さんは、かなり小さく息を吐いた。


 合格だったらしい。


 女性はもう一杯茶を飲み、頭を下げて帰っていった。


 雨の中、参道を降りていく。鳥居の前で、もう一度頭を下げる。そして、車に乗って去っていった。


 社務所には、雨の音だけが残った。


「よく黙った」


 爺さんが言った。


「はい」


「危なかったな」


「かなり」


 榊原さんが言った。


「かなり危険でした」


「俺は、何か言いそうでした」


「分かっていました」


「止めてくれて、ありがとうございます」


「どういたしまして」


 俺は、箒を見た。


「私は掃除中です、でよかったんでしょうか」


「よかった」


 爺さんが言った。


「かなりよかったです」


 榊原さんも言った。


「なぜ」


「慰めの言葉を言わなかったからです」


 榊原さんは言った。


「慰めてはいけなかったんですか」


「してはいけないわけではありません。ただ、あなたが言うと重すぎます」


「はい」


「彼女は、祈りを置きに来ました。答えを受け取りに来たわけではありません」


「はい」


「だから、答えないことが適切でした」


 答えないことが適切。


 かなり難しい。だが、今日の女性には、たぶんそうだった。


 彼女は答えが欲しかったのではない。理由が欲しかったのでもない。奇跡が欲しかったのでもない。


 叶わなかった祈りを、どこかに置きたかった。


 その場所として、ここがあった。


 それで十分だったのかもしれない。


「爺さん」


「何だ」


「祈りは、置いていけるんですね」


「置いていけることもある」


「全部ではなく」


「全部じゃない」


「軽くなることも」


「ある」


「叶わなくても」


「ある」


 爺さんは、湯呑みを置いた。


「叶わなかった願いは、行き場をなくすことがある」


「はい」


「それを人間がずっと持ってると、重い」


「はい」


「ここは、その重さを少し置く場所でいい」


「はい」


「叶える場所じゃねえ」


「はい」


「説明する場所でもねえ」


「はい」


「置く場所だ」


 置く場所。


 何度も聞いた言葉だった。でも、今日は初めて少し分かった気がした。


 昼過ぎ、雨は弱くなった。


 濡れた落ち葉は重い。だが、少しだけ参道の端を整えることにした。


 俺は箒を持った。水を含んだ葉は、確かに重かった。乾いた葉のようには動かない。無理に掃くと、地面に張り付く。


「力を入れすぎるな」


 爺さんが言った。


「はい」


「濡れた葉は、少し待つ」


「はい」


「乾いたら動く」


「はい」


 掃除の話だ。今日は本当に掃除の話だった。


 いや、たぶんそれだけではなかった。


 女性の祈りも、濡れた落ち葉のようだった。


 今すぐ動かそうとすると、破れる。少し待つ。置く。ほどけるまで待つ。


 それしかできないことがある。


 夕方、榊原さんが今日の記録をまとめた。


 来訪者対応。祈りを置く目的での来訪。本人接触なし。宗教的回答なし。


 ナザレさんの状態。感情負荷、高。介入欲求、強。制止に応じた。定型文「私は掃除中です」により、過度な宗教的応答を回避。


「かなり書かれていますね」


「重要な事例です」


「俺の介入欲求、強」


「強でした」


「はい」


「ただし、制止に応じました」


「評価ですか」


「評価です」


「嬉しいですが、少し痛いです」


「はい」


「でも、必要な痛さですね」


「そう思います」


 爺さんが言った。


「今日は、よくやった」


「俺がですか」


「そうだ」


「何もしていません」


「それがよかった」


 何もしなかったことを褒められる。それは、かなり不思議だった。


 でも、嬉しかった。


 社の裏の空き地へ行く。木箱がある。雨で少し周囲の土が湿っている。


 榊原さんが防水状態を確認した。問題ないらしい。


 俺は、少し離れて立った。


 手は合わせなかった。声にも出さなかった。


 ただ、心の中で思った。


 今日ここに置かれた祈りが、乱暴に扱われませんように。叶わなかった願いが、誰かの罪にされませんように。あの人が、少しでも眠れますように。


 子どもの名前も知らない。事情もすべては知らない。だから、詳しく祈らない。


 ただ、祈りが届きますように。


 それだけだった。


 榊原さんが隣に来た。


「声に出しましたか」


「出していません」


「何を祈ったかは」


「言わない方がいい気がします」


「適切です」


「評価ですか」


「評価です」


 少し沈黙があった。雨上がりの匂いがした。


「榊原さん」


「はい」


「祈りが届くことと、願いが叶うことは違いますね」


「はい」


「今日は、それが少し分かりました」


「記録します」


「はい」


「かなり重要です」


「はい」


 帰り道、田村さんからメッセージが来た。榊原さんが確認する。


「『今日は重かったらしいな』」


「早いですね」


「爺さんでしょう」


「何と返しますか」


 榊原さんは少し考えた。


「『対応済みです』」


 送信。すぐに返ってきた。


「『飯食わせろ』」


 俺は少し笑った。田村さんらしい。


 榊原さんは返信した。


「『食事はこれからです』」


 また返ってきた。


「『重い日は味噌汁だ』」


 榊原さんは端末を伏せなかった。珍しく、返信した。


「『同意します』」


 俺は驚いた。


「榊原さんが同意しました」


「必要です」


「味噌汁が」


「はい」


 その夜、俺たちは宿で味噌汁を飲んだ。温かかった。


 今日の女性のことを、俺は忘れないと思う。


 だが、背負いすぎてはいけない。


 彼女の祈りは、彼女のものだ。俺が奪ってはいけない。俺が答えにしてはいけない。


 ここに少し置かれた。それで、彼女がまた少し歩けるならいい。


 神の子、家なき子。


 伊佐留神候補。


 今日は、叶わなかった願いを見た。


 何も叶えなかった。何も説明しなかった。ただ、掃除中だった。


 そして、声に出さずに願った。


 祈りが届きますように。


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