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転生したら俺が神になっていた件――なお教義はだいたい後世の解釈  作者: 後世の解釈


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30/48

第30話 御神体は書類です

 伊佐留神候補。


 その呼び方は、思ったより早く周囲に広がった。


 もちろん、外には出していない。


 田村さん、爺さん、榊原さん、俺。


 せいぜい山辺先生と神父様に、限定的に共有された程度だ。


 それでも、関係者の間では、俺はだんだん「伊佐留候補」になっていった。


 かなり変な状態だった。


 俺は人としてはナザレ・ヨシュア。神として置かれるなら、伊佐留神。ただし、まだ候補。


 そして、生活上は保護対象者。法務上は身元確認困難な特殊案件。大工仕事中は、新入り。掃除中は、掃除するやつ。


 どれも俺で、どれも俺そのものではない。


 だが、昔より少し楽だった。


 イエス。キリスト。主。


 その呼び方は、広がりすぎる。


 伊佐留候補は、かなり狭い。


 狭い名前は、少し息ができる。


 その日、榊原さんは朝から妙に緊張していた。


 爺さんの神社へ行く前、ホテルの部屋で何度も資料を確認していた。


 神社関係の書類。由緒案。役割分担案。金銭管理案。参拝者対応案。教会向け説明案。地元説明案。


 そして、一番上に置かれた、妙に厚い封筒。


「榊原さん」


「はい」


「今日は、かなり本気の書類ですね」


「はい」


「今までも本気でしたが」


「今日は特に重要です」


「何の書類ですか」


 榊原さんは、封筒に手を置いた。


「奉納する書類です」


「奉納」


「はい」


「神社に?」


「はい」


「書類を?」


「はい」


「書類を奉納するんですか」


「はい」


 俺は少し考えた。


「それは、普通なんですか」


「普通とは言い切れません」


「ですよね」


「ただし、奉納物として紙や文書を納めること自体は、極端に不自然ではありません」


「でも、この書類は」


「かなり不自然です」


「正直ですね」


「はい」


 俺は封筒を見た。


「何が入っているんですか」


「現時点での整理です」


「整理」


「はい。伊佐留神として置く部分、ナザレさんとして生活する部分、してはいけないこと、受け取ってはいけないもの、説明してはいけないこと、教会との距離、神社との距離、地元との距離、あなたの行動制限、私の責任範囲」


「多いですね」


「非常に」


「それを奉納する」


「はい」


「なぜ」


 榊原さんは、少しだけ黙った。


「この神社にあなたを置くなら、まずあなたそのものではなく、扱い方を置くべきだと思いました」


 俺は、すぐには答えられなかった。


 俺そのものではなく、扱い方。かなり法務さんらしい。


 だが、かなり正しい気もした。


「つまり、俺を奉納するのではなく」


「はい」


「俺の扱い方を書いた書類を奉納する」


「はい」


「御神体ではなく、取扱説明書ですか」


「近いですが、言い方に注意してください」


「では」


「現時点での約束です」


「約束」


「はい」


 約束。それは、少し柔らかく聞こえた。


 でも、封筒はかなり厚い。柔らかい約束にしては、重さがある。


 俺たちは車で神社へ向かった。


 途中、榊原さんはあまり話さなかった。俺も話さなかった。


 今日は、軽口を挟む空気ではない気がした。


 鳥居が見えた。爺さんは、今日も参道を掃いていた。


 俺を見ると、いつものように言った。


「おう、伊佐留候補」


「おはようございます」


「今日は法務さんの顔が硬いな」


「重要な確認があります」


 榊原さんが言った。


「だろうな。田村も来るぞ」


「田村さんも?」


「呼んだ」


「なぜですか」


「変なことを決める時は、雑なやつもいた方がいい」


 かなり雑な理由だった。


 だが、少し分かる。


 榊原さんと爺さんだけだと、法務と神社に寄りすぎる。俺だけだと、すぐ神学になる。田村さんがいると、飯と生活に戻される。


 ほどなくして、田村さんの軽トラックが来た。


「おう」


「おはようございます」


「今日は書類を神社に置くって聞いたぞ」


「はい」


「とうとう神さまより書類が先に祀られるのか」


 榊原さんが少しだけ眉を動かした。


「祀るわけではありません」


「奉納だろ」


「はい」


「似たようなもんだ」


「違います」


「法務さんが違うって言う時は、だいたい面白い」


「面白がらないでください」


 爺さんは笑っていた。


「まあ、社務所に入れ」


 社務所の中には、低い机が置かれていた。


 欠けた湯呑み。茶。古い棚。


 この前俺が直した棚は、まだちゃんと立っている。それを見ると、少し安心した。


 直したものが、まだ使われている。それは、かなり嬉しい。


 机の上に、榊原さんが封筒を置いた。


 白い封筒。厚い。表には、榊原さんの字でこう書かれていた。


 伊佐留神奉納前整理書。


「硬いな」


 爺さんが言った。


「硬いですね」


 田村さんも言った。


「必要です」


 榊原さんは言った。


「題名から法務だ」


「中身も法務です」


「だろうな」


 榊原さんは封筒から書類を取り出した。そして、一枚目を机の中央に置いた。


「まず、前提です」


「はい」


 俺は姿勢を正した。田村さんは茶を飲んだ。爺さんは箒を壁に立てかけた。


「伊佐留神は、ナザレさん本人をそのまま神社に祀るものではありません」


「はい」


「また、キリスト教上のイエス・キリストを、日本の神として再定義するものでもありません」


「はい」


「伊佐留神は、外から来た祈りを、この土地で乱暴に扱わず、ほどけるまで置くための仮の名です」


 爺さんが、少しだけ目を細めた。


「少し柔らかくなったな」


「修正しました」


「祈りがほどける、入れたか」


「入れました」


「よし」


 榊原さんは続けた。


「ナザレさんは、伊佐留神として崇拝対象になるのではなく、神社で掃除、修理、日常的な管理補助を行う人として生活する可能性があります」


「生活する可能性」


 田村さんが言った。


「まだ可能性なのか」


「はい」


「慎重だな」


「必要です」


「でも、前より進んでるな」


「はい」


 俺はその一言に、少し胸が動いた。


 前より進んでいる。


 そうなのだろうか。まだ決まっていない。まだ候補だ。


 でも、少しずつ、俺の置き場所について具体的な言葉が増えている。


 神ではなく、生活。祀るではなく、置く。奇跡ではなく、掃除と修理。


 それは、かなり進んでいるのかもしれない。


「禁止事項です」


 榊原さんが二枚目を出した。


「一、伊佐留神を願望成就の神として広告しない」


「広告」


 爺さんが顔をしかめた。


「必要です」


「まあな」


「二、病気平癒、金運上昇、恋愛成就、合格保証などの直接的効能を掲げない」


「保証って言葉が出ると一気に現代だな」


 田村さんが言った。


「必要です」


「三、ナザレさん本人による奇跡、治癒、予言、啓示、裁き、赦しの宣言を行わない」


「多いですね」


 俺が言った。


「必要です」


「四、水をワインにしない」


「入るんですね」


「入ります」


「五、水上歩行をしない」


「入るんですね」


「入ります」


「六、参拝者の身体に不用意に触れない」


「はい」


「七、教会、教皇、聖書、弟子、終末、救済、罪について、参拝者の前で断定的に語らない」


「かなり制限されますね」


「必要です」


 田村さんが笑った。


「神社でキリスト教の話をするなって、当たり前のようで変な書類だな」


「非常に変です」


 榊原さんが認めた。


「だが、必要です」


「だろうな」


 爺さんは頷いた。


「外来種は、そこを決めとかないと増える」


「増えません」


 俺は言った。


「お前じゃなくて話が増える」


「はい」


 次に、金銭管理の書類が出た。


「ここが重要です」


 榊原さんの声が少し硬くなった。


「参拝者、教会関係者、観光客、支援者からの金銭は、名目を明確に分けます」


「名目」


「はい」


「玉串料、奉納、寄付、お茶代、修理代、生活費支援、教会からの支援、すべて意味が違います」


「全部お金では」


 俺が言うと、榊原さんが見た。


「違います」


「はい」


「大きく違います」


「はい」


「混ぜると壊れます」


 それは、爺さんの言葉に似ていた。


 責任を取るところは決める。分からないところは、分からないまま置く。混ぜると壊れる。


 金も同じなのだろう。


「神社に来た教会関係者が、お茶を飲んで置いていくお金は」


 榊原さんが言う。


「玉串料ではありません」


「はい」


「献金でもありません」


「はい」


「お茶代として扱います」


「お茶代」


「はい」


「かなり重要なんですね」


「非常に」


 田村さんが笑った。


「教皇様が来てもお茶代か」


「仮に来た場合です」


「来そうだな」


「来ないでください」


 榊原さんが即答した。


「いや、来るだろ」


「来ないでください」


「法務さんが止めるのか」


「止めます」


「強え」


 俺は想像してしまった。


 この小さな神社に、教皇様が来る。爺さんが茶を出す。教皇様がお茶代を置く。榊原さんが玉串料ではなくお茶代として処理する。


 かなり変だ。だが、見たい気もした。


 言わない方がいい。言うと、たぶん問題行動になる。


「次に、御神体についてです」


 榊原さんが言った。場の空気が少し変わった。


「御神体」


 俺は繰り返した。


「はい」


「何にするんですか」


「まだ決めません」


「決めない?」


「はい」


「御神体なしですか」


「当面は、明確な物体を置きません」


 爺さんが少し笑った。


「で、書類を置くんだな」


「はい」


「御神体は書類か」


 田村さんが吹き出した。


 榊原さんは真顔だった。


「御神体ではありません」


「でも、最初に置くんだろ」


「奉納前整理書です」


「御神体は書類です、でいいじゃねえか」


「よくありません」


 田村さんは笑っている。爺さんも笑っている。


 俺は笑っていいのか迷った。榊原さんがこちらを見た。俺は真顔に戻した。学習している。


「ただ」


 榊原さんは、少しだけ息を吐いた。


「当面、この書類が中心になるのは事実です」


「ほら」


 田村さんが言った。


「御神体ではありません」


「中心になる書類」


「はい」


「神さまより先に、扱い方が中心になる」


「はい」


 爺さんが、ゆっくり頷いた。


「悪くねえ」


「そうですか」


「こいつの場合、下手に石だの鏡だの置くより、扱い方を先に置いた方がいい」


「はい」


「神さまを置く前に、人間の触り方を決める」


「はい」


「御神体は書類、でいい」


「よくありません」


 榊原さんはまだ抵抗していた。だが、少しだけ負けている。


「俺は」


 俺は口を開いた。三人がこちらを見た。


「俺は、それで少し安心します」


「書類が?」


 田村さんが聞いた。


「はい」


「なぜ」


「俺そのものを置かれるより、先に扱い方を置いてもらえる方が安心します」


 言いながら、自分でもそう思った。


 十字架。聖遺物。聖画。像。墓。


 俺に関わる物は、たくさん置かれてきた。


 だが、扱い方が置かれないと、人はそれを武器にもしてしまう。棍棒にもしてしまう。


 もしここに俺を置くなら、最初に置くべきは俺ではない。


 俺の扱い方。俺を重くしすぎない約束。願いを聞きすぎないための制限。祈りがほどけるまで待つための場所の作り方。


「御神体ではないとしても」


 俺は言った。


「この書類は、かなり大事だと思います」


 榊原さんは、少しだけ視線を落とした。


「ありがとうございます」


「評価ですか」


「いえ」


 彼女は小さく言った。


「少し安心しました」


 かなり珍しい返答だった。


 田村さんが、にやりとした。だが、奥さんがいないので止める人がいない。


 爺さんが先に言った。


「法務さんが照れてる」


「照れていません」


「怒ってる」


「怒っていません」


「同じ顔だ」


「違います」


 俺は何も言わなかった。沈黙が適切だった。


 その後、俺たちは社の裏の空き地へ向かった。


 古い石と木のある場所。伊佐留神を置くかもしれない場所。


 今日はそこに、小さな木箱が用意されていた。


 爺さんが作ったらしい。雑に見えて、かなり丁寧だった。


「この中に入れる」


 爺さんが言った。


「書類を」


「そうだ」


「湿気は大丈夫ですか」


 榊原さんが聞く。


「内側にもう一枚箱を入れる」


「防湿袋も必要です」


「持ってきてるだろ」


「はい」


「なら入れろ」


 かなり実務的な奉納だった。


 榊原さんは、書類を防湿袋に入れた。封をする。さらに薄い布で包む。木箱に入れる。木箱を閉じる。


 俺はそれを見ていた。


 俺の扱い方が、箱に入る。かなり不思議だった。


「ナザレさん」


 榊原さんが言った。


「はい」


「あなたが持ちますか」


「いいんですか」


「はい」


「俺が」


「はい」


 俺は木箱を受け取った。


 重さはそれほどない。だが、軽くもなかった。


 書類の重さ。約束の重さ。俺を、俺だけにしないための重さ。


「どこに置きますか」


 俺が聞くと、爺さんが古い石の横を指した。


「今日はそこ」


「今日は?」


「まだ本決まりじゃねえ」


「候補地の候補」


「そうだ」


「かなり慎重ですね」


「神さまを置くんだぞ」


「はい」


「靴下より慎重に」


「覚えています」


 俺は木箱を石の横へ置いた。


 それだけだった。光もない。音もない。奇跡もない。


 だが、少し空気が変わった気がした。


 気のせいかもしれない。場所というものは、いつも少し気のせいを含む。


 榊原さんが、小さく頭を下げた。爺さんも頭を下げた。田村さんも、少し遅れて頭を下げた。


 俺も頭を下げた。


 自分にではない。書類にでもない。そこに置かれた約束に。


 声には出さなかった。


 何かを祈ったのかどうかも、自分ではよく分からなかった。


 ただ、思った。


 俺を、棍棒にしないでください。俺を、便利屋にしないでください。俺を、重くしすぎないでください。俺を、軽くしすぎないでください。


 ここに来る人の祈りが、乱暴に扱われず、ほどける時を持てますように。


 それだけだった。


 顔を上げると、榊原さんがこちらを見ていた。


「声に出しましたか」


「出していません」


「よろしいです」


「評価ですか」


「評価です」


「嬉しいです」


 爺さんが笑った。


「御神体は書類、第一段階だな」


「御神体ではありません」


 榊原さんがまた言った。


「奉納前整理書です」


「長え」


「必要です」


 田村さんが腕を組んだ。


「でも、かなりいいと思うぞ」


「田村さんも?」


「ああ」


「なぜ」


「人間、何かを祀るとすぐ都合よく使うからな。先に取扱説明書を置くのは、かなりお前向きだ」


「取扱説明書」


「だろ」


「はい」


「水をワインにしない。水の上を歩かない。願いを全部叶えない。金は名目を分ける。教皇様が来てもお茶代。かなり大事だ」


「最後は来ません」


 榊原さんが言った。


「来るかもしれないだろ」


「来ないでください」


「本人に言え」


「言います」


「強え」


 その日の午後は、社務所の棚の続きを直した。


 書類を置いた後に棚を直す。かなり地味だ。


 だが、それがよかった。


 神さまの扱い方を置いたあと、神さま候補が棚を直す。


 奇跡ではなく、釘と木で。


 夕方、作業が終わる頃には、俺の手は少し汚れていた。


 榊原さんがウェットティッシュを渡してくれた。


「ありがとうございます」


「手を洗ってください」


「はい」


「傷はありませんか」


「ありません」


「よろしいです」


 爺さんが言った。


「法務さん、完全に保護者だな」


「保護担当です」


「同じだろ」


「違います」


「同じ顔だ」


 田村さんが笑っていた。俺は黙って手を拭いた。


 このやり取りにも、だいぶ慣れてきた。


 帰る前、俺は社の裏の空き地をもう一度見た。


 木箱は静かに置かれている。中には書類がある。


 御神体ではない。榊原さんが強くそう言う。


 だが、今日この場所で一番大事なものは、たぶんあの書類だった。


 神を置く前に、扱い方を置く。


 それは、かなりこの国らしい気もした。


 いや、この国というより、榊原さんらしい。


「榊原さん」


「はい」


「今日の書類は、かなりよかったです」


「評価ですか」


「評価ではなく、感謝です」


 彼女は、少しだけ目を伏せた。


「どういたしまして」


「御神体ではないんですよね」


「御神体ではありません」


「でも、大事な書類」


「はい」


「俺は、あれがあると少し安心します」


「なら、作った意味があります」


 そう言って、榊原さんは書類ケースを鞄にしまった。


 まだ原本は手元にあるらしい。奉納したのは控え。さすが法務さんだった。


 帰りの車で、田村さんからメッセージが来た。榊原さんが読む。


「『御神体、書類で決まりだな』」


「違います」


 榊原さんが即答した。だが、返信はしなかった。


 しばらくして、もう一通来た。


「『法務さんが反論しないなら勝ち』」


 榊原さんは端末を伏せた。


「返信を終了します」


「負けましたね」


「終了です」


 俺は笑った。


 神の子、家なき子。


 伊佐留神候補。


 今日は、俺そのものではなく、俺の扱い方が神社に置かれた。


 御神体ではない。奉納前整理書である。


 ただし、田村さんと爺さんは、たぶん今後も言うだろう。


 御神体は書類です、と。


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