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転生したら俺が神になっていた件――なお教義はだいたい後世の解釈  作者: 後世の解釈


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第29話 伊佐留神

 伊佐留神。


 その名前が出てから、榊原さんの資料はさらに増えた。


 仮称だったはずなのに、資料の見出しには自然にそれが使われるようになっていた。


 伊佐留神関連検討事項。伊佐留神説明案。伊佐留神由緒案。伊佐留神リスク一覧。伊佐留神想定問答。伊佐留神寄付金処理案。伊佐留神報道対応初動案。


 俺は、机の上に並んだ紙を見て言った。


「神さまになる前に、書類になりますね」


「必要です」


「伊佐留神より、伊佐留書類では」


「やめてください」


「はい」


 榊原さんは、いつものように淡々としていた。だが、少し疲れているようにも見えた。


 由緒を書く。名前を決める。祀り方を決める。神として置く部分と、人として暮らす部分を分ける。


 それは、俺が水をワインにしないことより、ずっと難しいらしい。


「今日は、爺さんに由緒案を見てもらいます」


「由緒案」


「はい」


「もうできたんですか」


「案です」


「見てもいいですか」


「はい。ただし、まだ確定ではありません」


「分かりました」


 榊原さんは一枚の紙を俺に渡した。そこには、短い文章が書かれていた。


 伊佐留神は、遠き地より渡り、この地に留まることを願われた客神である。


 人の願いをそのまま叶える神ではなく、祈りが乱暴に扱われず、届くべきところへ届くよう祈る神とする。


 そのため、願望成就を直接掲げず、祈りを整え、手放す場として祀る。


 俺は、しばらく黙って読んだ。


 短い。かなり短い。だが、重い。


 俺のことのようで、俺そのものではない。


 キリストとは書いていない。イエスとも書いていない。神の子とも書いていない。


 だが、どこかに俺がいる。


「榊原さん」


「はい」


「かなり、俺をずらしていますね」


「ずらしています」


「でも、完全には切っていない」


「はい」


「これは、かなり難しかったのでは」


「難しかったです」


 即答だった。


「怒りましたか」


「何度か」


「誰に」


「文面に」


「文面に怒るんですか」


「はい」


「法務さんですね」


「はい」


 俺はもう一度紙を見た。


「祈りが乱暴に扱われず、届くべきところへ届くよう祈る神」


 声に出して読むと、少しくすぐったかった。


「俺は、これでいいと思います」


「まだ本人確認だけでは足りません」


「本人なんですが」


「本人だからこそ足りません」


「そうでした」


 本人だけで決めると、また重くなる。教会だけで決めると、また囲い込む。神社だけで決めると、地元の神になりすぎる。法務だけで決めると、たぶん書類になる。


 だから、爺さんに見せる。田村さんにも見せる。山辺先生にも見せる。神父様にも見せる。教皇様にも、いつか説明する。


 かなり面倒だ。


 だが、面倒だからこそ、少し安心する。


 簡単に決まる神さまは、危ない。そう思うようになった。


 神社へ着くと、爺さんは今日も参道を掃いていた。


 俺は車を降りる前から、少しほっとしていた。


 榊原さんはそれを見ていた。


「依存傾向として記録します」


「ほっとしただけです」


「記録します」


「厳しい」


「必要です」


 鳥居をくぐる。爺さんが顔を上げた。


「おう、伊佐留」


 俺は止まった。榊原さんも止まった。


「今、何と」


「伊佐留」


「俺を?」


「そうだ」


「もう呼ぶんですか」


「仮称だろ」


「仮称でも呼ぶんですか」


「呼ばないと馴染むか分からん」


 かなり雑だった。


 だが、言われてみると、名前は呼ばれて初めて重さが分かる。


 イエス。キリスト。主。ナザレ。ヨシュア。


 それぞれ、呼ばれると違う。


 伊佐留。


 初めて呼ばれたそれは、少し不思議だった。


 俺ではない。だが、俺から遠すぎない。


 軽い。少し土の匂いがする。


「どうだ」


 爺さんが聞いた。


「まだ分かりません」


「それでいい」


「分からないまま置く」


「便利に使うな」


「すみません」


 榊原さんが資料を取り出した。


「由緒案を作成しました」


「もうできたのか」


「案です」


「読んでみろ」


「はい」


 榊原さんは、社務所の前で紙を広げ、静かに読み上げた。


 爺さんは箒を持ったまま聞いていた。


 俺は隣で聞いた。


 自分のことではない神の説明を聞く。だが、自分と無関係ではない。


 かなり変な気分だった。


 読み終えると、爺さんはしばらく黙った。


「硬い」


 第一声がそれだった。榊原さんの眉が少し動いた。


「硬いですか」


「硬い」


「どの部分が」


「全部」


「全部」


「法務さんが書いた神さまって感じだ」


 俺は少し笑いそうになった。榊原さんはこちらを見た。俺はすぐに真顔に戻した。学習している。


「では、どう直せばよいでしょうか」


 榊原さんが聞く。


 爺さんは箒の柄で地面を軽く叩いた。


「もっと短くしろ」


「これでも短くしました」


「まだ硬い」


「具体的には」


「願いを叶える神じゃありません、って先に言うな」


「なぜですか」


「願いを持ってくる人間を最初から突っぱねる感じがする」


「なるほど」


「でも、叶える神でもない」


「はい」


「なら、こうだ」


 爺さんは少し考えた。


「伊佐留神は、遠くより来て、この地に留まった神である」


「はい」


「人の願いを聞き、すぐに叶えず、祈りがほどけるのを待つ」


 俺は、思わず顔を上げた。榊原さんも、メモを取る手を止めた。


「祈りがほどける」


「そうだ」


 爺さんは言った。


「願いってのは、だいたい絡まってる」


「絡まっている」


「欲しいもの、怖いもの、恨み、寂しさ、焦り、そういうのが絡まってる」


「はい」


「それを、そのまま叶えると絡まったまま大きくなる」


「はい」


「だから、少し待つ」


「待つ」


「祈りがほどけるのを待つ」


 かなり良かった。榊原さんも、黙っていた。メモには、しっかり書いている。


「祈りが届きますように、ではないんですか」


 俺が聞くと、爺さんは頷いた。


「それもいい」


「はい」


「でも、届く前にほどける必要がある祈りもある」


 俺は、何も言えなかった。


 その通りだと思った。


 祈りは、いつもまっすぐではない。


 助けてほしいという願いの中に、誰かへの怒りが入っていることもある。勝ちたいという願いの中に、認められたい気持ちが入っていることもある。赦されたいという願いの中に、自分を裁きたい気持ちが入っていることもある。


 そのまま届くと、危ない祈りもある。


 だから、ほどけるのを待つ。


「爺さん」


「何だ」


「かなりいいです」


「だろ」


「評価です」


「お前が言うな」


 榊原さんが、静かに言った。


「由緒案を修正します」


「そうしろ」


「ただし、願望成就と誤解されないような注意は必要です」


「それは下に小さく書いとけ」


「小さく」


「神さまの説明に注意書きがいるんだろ」


「必要です」


「じゃあ書け」


 爺さんは雑だが、強い。榊原さんはそれを真剣にメモしている。


 かなり奇妙な光景だった。


 法務さんが、妖怪か神か分からない爺さんから、神さまの由緒の添削を受けている。


 これを山辺先生が見たら、胃薬が足りないだろう。


「山辺先生にも確認します」


 榊原さんが言った。


「誰だ」


「神学者です」


「胃が悪いやつか」


「なぜ知っているんですか」


「田村が言ってた」


「田村さん」


 田村さんは、かなり情報を流している。危険ではないのだろうか。


 榊原さんの表情を見る限り、少し危険らしい。


「山辺先生の確認は必要です」


「神社の由緒に神学者か」


「必要です」


「変だな」


「変です」


「でも、変なもんを置くんだから、変な確認もいるか」


「はい」


 爺さんは笑った。


「で、教会にはどう言う」


 榊原さんの表情が変わった。かなり重要なところらしい。


「伊佐留神は、キリスト教上の神、またはイエス・キリストと同一の神格として公式に位置づけるものではありません」


「硬い」


「必要です」


「硬いが、必要か」


「はい」


「教皇には」


「慎重に説明します」


「怒るか」


「分かりません」


「怒らんだろ」


 爺さんはあっさり言った。


「なぜそう思うんですか」


 俺が聞くと、爺さんは俺を見た。


「お前が教会にいるより、外で箒持ってる方が楽そうだからだ」


「それだけですか」


「それだけだ」


 それだけ。だが、かなり核心かもしれない。


 教皇様は、俺が教会の外にいることを責めなかった。外にいるからこそ、助言として聞けると言った。


 なら、俺が神社で箒を持つことを、どう見るのだろう。


 怒るだろうか。悲しむだろうか。笑うだろうか。メールが来るだろうか。


 たぶん来る。


「教皇様に伝えたら、メールが来ますね」


「来るでしょうね」


 榊原さんが言った。


「件名は」


「予想しないでください」


「伊佐留神について」


「ありえます」


「重いですね」


「非常に」


 爺さんは楽しそうだった。


「教皇ってのも大変だな」


「大変だと思います」


「神さま本人が神社で祀られるかもしれません、って連絡が来るんだろ」


「はい」


「胃が痛くなるな」


「山辺先生も痛くなります」


「みんな胃が弱いな」


 爺さんはそう言ったが、胃が痛くなる案件だと思う。


 その後、俺は社の裏の空き地を掃いた。


 伊佐留神を置くかもしれない場所。昨日より少し丁寧に。


 今日は爺さんに、掃く順番を教わった。


「奥から手前」


「はい」


「人の通るところを先に」


「はい」


「見えないところも、放りすぎるな」


「はい」


「全部完璧にしようとするな」


「はい」


「完璧にしようとすると、明日が嫌になる」


 それは、掃除以外にも言える気がした。


「榊原さん」


「はい」


「今のは記録しますか」


「します」


「やはり」


「重要です」


「掃除の話なのに」


「掃除の話です」


 俺は少し笑った。


 この神社に来てから、掃除の話がどんどん大きくなる。


 だが、不思議と重すぎない。


 箒を持っているからだろうか。言葉が地面に近い。


 昼頃、田村さんが来た。突然だった。軽トラックで来た。荷台には木材と道具が積んであった。


「おう」


「田村さん」


「見に来た」


「何を」


「外来種の植え付け予定地」


「言い方」


 榊原さんが小さく言った。


「不適切です」


「だろうな」


 田村さんは笑った。


 爺さんは、田村さんを見ると片手を上げた。


「来たか」


「来た」


「余計なもの持ってきたな」


「棚が壊れてるって聞いた」


「誰に」


「俺が聞いた」


「勝手に聞くな」


「どうせ直すんだろ」


「外来種がな」


「なら道具がいる」


 かなり雑な連携だった。榊原さんは頭を押さえている。


「労務と安全管理が」


「法務さん、今日は修理の話だ」


 田村さんが言った。


「その言い方を覚えないでください」


「便利だからな」


「便利ですが」


「ほら、認めた」


 榊原さんは負けた顔をした。俺は少し笑った。


 田村さんと爺さんが揃うと、かなり強い。


 神学も法務も、少し丸められる。


 ただ、完全には無視しない。そこが不思議だった。


 修理は、社務所の古い棚から始まった。


 田村さんが木材を見て、爺さんが状態を説明し、俺が手を動かす。


 榊原さんは、安全確認と記録をする。


 俺は久しぶりに、かなり大工らしいことをした。


 木を見る。割れを見る。釘を抜く。寸法を測る。木を切る。合わせる。固定する。


 奇跡は使わない。水をワインにしない。木を一瞬で直さない。


 手で直す。時間がかかる。汗もかく。少し指も痛い。


 だが、とても楽しかった。


「顔が違うな」


 田村さんが言った。


「そうですか」


「今までで一番まともな顔してる」


「まとも」


「神の子ってより、大工だ」


「それは嬉しいです」


「嬉しいのか」


「はい」


 榊原さんも、少し離れて見ていた。


「確かに、安定しています」


「評価ですか」


「評価です」


「嬉しいです」


「ただし、無理はしないでください」


「はい」


 棚は、夕方前にはかなり直った。


 完璧ではない。だが、使える。物を置いても傾かない。扉も閉まる。軋みは少し残るが、危険ではない。


「直りました」


 俺が言うと、爺さんが棚を見た。


「まあまあだな」


「評価は低めですね」


「新入りに甘くしすぎると育たん」


「先輩ですね」


「そうだ」


 田村さんが笑った。


「ここでは爺さんが先輩だからな」


「はい」


 俺は、棚を見た。


 直ったもの。終了条件のある仕事。それが目の前にある。


 かなり嬉しかった。


 救いは、見えにくい。祈りも、届いたかどうか分からない。


 でも、棚は直る。


 それは、俺を少し人間に戻してくれる。


 作業の後、爺さんが茶を出した。田村さんは持ってきたせんべいを出した。


 榊原さんは、労務対価性についてまだ少し気にしていたが、田村さんが言った。


「今日は手伝いの話だ」


「便利に使いすぎです」


「便利だからな」


 俺たちは茶を飲んだ。


 欠けた湯呑み。硬いせんべい。少し汗をかいた体。直った棚。


 かなり良い時間だった。


「伊佐留神」


 田村さんが言った。


「はい」


「悪くないな」


「そうですか」


「留まるってのがいい」


「爺さんが付けました」


「雑なくせに、たまに当てる」


「雑で悪かったな」


 爺さんが言った。


「悪いとは言ってねえ」


「言ってるだろ」


 榊原さんは、二人のやり取りを聞きながら資料を整えていた。


「榊原さん」


「はい」


「今、何を書いていますか」


「本日の確認事項です」


「修理の?」


「修理、名称、由緒、地元関係者反応、本人状態、作業適性」


「本人状態」


「はい」


「良好ですか」


「かなり良好です」


 かなり。それはかなり嬉しかった。


「俺は、大工仕事をしている時が安定しているんですね」


「そのようです」


「それは、大事ですか」


「非常に」


「なぜ」


「生活の軸になる可能性があります」


 生活の軸。


 その言葉が、胸に残った。


 神として祀られるより、人として掃除するより、さらに具体的だった。


 生活の軸。大工仕事。修理。掃除。茶。棚。


 そういうもので、俺は生きられるかもしれない。


「伊佐留神として置かれる」


 俺は言った。


「ナザレさんとして掃除する」


「はい」


「大工として直す」


「はい」


「それなら、少し生きられる気がします」


 榊原さんは、すぐには答えなかった。爺さんも、田村さんも黙っていた。


 夕方の光が、社務所の窓から入ってきた。


「検討します」


 榊原さんが言った。


 いつもの言葉だった。だが、今日は少し違って聞こえた。


「はい」


 俺は頷いた。


「お願いします」


 帰る時、爺さんが言った。


「伊佐留」


「はい」


「その名で呼ばれて、嫌じゃなかったか」


「嫌ではありませんでした」


「なら、少し脈がある」


「はい」


「でも、まだ決めるな」


「はい」


「神さまの名は、靴下より慎重に選べ」


「靴下」


「お前、靴下選んだんだろ」


「田村さんから聞いたんですか」


「聞いた」


「情報が多いですね」


「田村がしゃべるからな」


 田村さんが笑っていた。榊原さんは、また少し頭を押さえていた。


 車に乗る。今日は田村さんも別の車で帰る。


 爺さんは鳥居の前に立っていた。


「また来い。伊佐留候補」


「候補なんですね」


「まだ候補だ」


「はい」


「新入り」


「はい」


「外来種」


「はい」


「大工」


「はい」


「掃除するやつ」


「はい」


 肩書きが増えた。


 でも、重くなかった。


 どれも少しずつ俺を小さくしてくれる。扱える大きさにしてくれる。


 神の子、家なき子。


 伊佐留神候補。


 今日は棚を直した。


 そして、初めてその名前で呼ばれても、嫌ではなかった。


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