第25話 外来種か
神社案を検討し始めてから、榊原さんの検索履歴はかなり奇妙になった。
宗教法人法。単立神社。合祭。客神。祭神名。神職資格。住み込み管理人。無国籍者の就労。寄付金処理。玉串料と献金の違い。神社でお茶代を受け取る場合。
途中から、俺も何の話をしているのか分からなくなった。
「榊原さん」
「はい」
「俺は、神社に住むんですか」
「まだ決まっていません」
「神として祀られるんですか」
「まだ決まっていません」
「人として働くんですか」
「まだ決まっていません」
「でも、調べている」
「はい」
「かなり決まりそうな調べ方です」
「可能性の確認です」
「便利ですね、可能性」
「便利です」
榊原さんは、机の上に資料を並べた。
最近、彼女の資料は神学者より神社寄りになっている。
山辺先生が見たら胃を痛めるだろう。いや、もう痛めているかもしれない。
俺たちはその日、田村さんから紹介された古い神社へ向かうことになった。
田村さんの知り合い、というより、田村さんが昔から顔を知っている場所らしい。
正確には、神社にいる老人に会いに行く。
「神職の方ですか」
俺が聞くと、榊原さんは資料を見た。
「形式上は関係者です。ただし、どこまで正式な神職かは確認中です」
「曖昧ですね」
「かなり」
「曖昧な人に会うんですか」
「田村さんの紹介です」
「それは強いんですか」
「強いですが、法的には別です」
「法務さんですね」
「はい」
車は山の方へ向かった。
道は少し狭くなり、民家が少なくなる。木々が増えた。
鳥居が見えた。大きくはない。だが、古い。社も小さい。
参道には落ち葉があり、石段の端には苔がついていた。
観光地というより、そこにある場所だった。
誰かが毎日掃除しているのか、荒れてはいない。だが、整えすぎてもいない。
かなり静かだった。
「ここです」
榊原さんが言った。
「はい」
「不用意な発言は控えてください」
「はい」
「自分がキリスト本人であることを、最初から言わないでください」
「はい」
「奇跡は」
「起こしません」
「水を」
「ワインにしません」
「神社で?」
「念のためです」
「はい」
車を降りると、参道の脇で老人が掃除をしていた。
背はあまり高くない。白髪。作業着。箒を持っている。
神主の装束ではない。だが、そこにいることが自然だった。
人というより、景色の一部のようにも見える。
俺は、少しだけ足を止めた。
この人は、普通の人なのだろうか。
そう思ってから、自分で少し困った。俺がそれを言うのは、かなり失礼かもしれない。俺自身も、普通ではないのだから。
「おう」
老人が顔を上げた。
「田村の紹介ってのは、あんたらか」
「はい。榊原と申します」
「法務さんか」
「はい」
「で、そっちが」
老人は俺を見た。じっと見た。長かった。
見られているというより、分類されている感じがした。
「……外来種か」
榊原さんが止まった。俺も止まった。
鳥の声がした。
「外来種」
俺は繰り返した。
「違います」
榊原さんが即座に言った。
「人間に対してその表現は不適切です」
「人間か?」
老人は、悪びれもせずに言った。
榊原さんが、さらに固まった。
俺は少し考えた。
「人間ではあります」
「では、あります?」
「はい」
「ややこしいな」
「俺もそう思います」
老人は箒を肩に担いだ。
「田村から聞いた。変な外国の神さまが来てるって」
「神さまと断定しないでください」
榊原さんが言った。
「じゃあ、変な外国人か」
「それは比較的安全です」
「比較的か」
「はい」
「じゃあ、変な外国人」
老人は俺を見た。
「で、外来種」
「戻りました」
榊原さんが言った。
「やめてください」
「外から来たんだろ」
「はい」
「この土地の神じゃねえ」
「はい」
「教会にもいられねえ」
「はい」
「なら外来種だろ」
「分類が雑です」
「雑な方が早い」
かなり田村さんに近い。いや、田村さんよりさらに雑かもしれない。
だが、なぜか不快ではなかった。
外来種。外から来たもの。この土地にもともといたわけではない。馴染むかどうか分からない。増えすぎると困る。扱いを間違えると、生態系を壊す。
かなりひどい言い方だが、妙に当たっている気もした。
「俺は、増えません」
俺が言うと、老人は笑った。
「増えたら困るわ」
「はい」
「一体でも十分ややこしい」
「はい」
榊原さんが小さく息を吐いた。
「本題に入ってもよろしいでしょうか」
「いいぞ」
老人は箒を持ったまま、社の方へ歩き出した。
「歩きながらでいいか。掃除が終わらん」
「はい」
俺たちは老人について歩いた。
参道の落ち葉を、老人がざっと掃く。
完全に取り除くのではなく、通る場所だけを整える。
全部をきれいにしようとはしていない。通れるようにしている。
「ここは、どういう神社なんですか」
俺が聞くと、老人は社を見た。
「古い」
「はい」
「小さい」
「はい」
「地元のもんが、なんとなく来る」
「はい」
「それで十分だ」
「かなり短い説明ですね」
「長くしても忘れるだろ」
老人は箒を動かしながら言った。
「神さまってのは、あんまり説明しすぎると面倒になる」
俺は、少しだけ榊原さんを見た。榊原さんも、こちらを見ていた。同じことを思ったのかもしれない。
説明しすぎると面倒になる。
それは、俺の二千年にもかなり当てはまる。
「説明しない方がいいんですか」
俺が聞くと、老人は首を振った。
「必要なら説明する」
「はい」
「でも、説明したら全部分かると思うな」
「はい」
「分からんまま、置いておくもんもある」
かなり強い。
ローマでは、分からないものを分かろうとする力が強かった。
教義にする。定義する。異端を分ける。言葉で囲う。
それは必要だったのだろう。
でも、ここでは少し違う。
分からないまま、置いておく。
置いておく場所がある。
「それが、神社ですか」
「神社だけじゃねえだろ」
老人は言った。
「家でも、山でも、古い木でも、変な石でも、人は分からんもんを置く」
「置く」
「捨てるでも、解くでもなく、置く」
俺は、社を見た。
小さな社。ここに、何かが置かれている。
それが何かを、全員が完全に分かっているわけではない。
だが、置かれている。だから、人は手を合わせる。
「俺も、置けますか」
俺が言うと、榊原さんが少し反応した。
「ナザレさん」
「すみません」
老人は笑った。
「置けるかどうかは、置き方だな」
「置き方」
「外来種を、そのまま放すと困る」
「やはり外来種なんですね」
「囲いを作る。世話する。増やさない。土地のもんと喧嘩させない」
「俺は増えません」
「お前の名前は増えるだろ」
俺は黙った。
それは、かなり当たっていた。
俺自身は一人でも、俺の名前は増える。教会が増える。解釈が増える。祈りが増える。利用も増える。
それが怖い。
「だから、名を変えたんだろ」
老人が言った。
俺は驚いた。
「知っているんですか」
「田村から聞いた」
「田村さん」
「ナザレとか言ってたな」
「はい」
「いいんじゃねえか」
「いいんですか」
「土地の名なんだろ」
「はい。俺の故郷です」
「なら、根っこはある」
老人は箒を止めた。
「根っこがある外来種は、少し扱いやすい」
「植物ですか」
「人間も神さまも、根っこが分からんと扱いにくい」
俺は何も言えなかった。
ナザレ。故郷の名。
俺はイエスという名をしまい、ナザレになった。
それは安全のための通称だった。
だが、この老人は、それを根っこと言った。
故郷がある名前。神学ではなく、土地の匂いがする名前。
「神としては、どうすればいいんでしょう」
俺が聞くと、老人はすぐに答えなかった。
社の前へ行き、落ち葉を横へ掃いた。それから、俺を見た。
「そのままキリストとして祀ったら、面倒だろ」
「はい」
榊原さんが即答した。
「教会とも揉める」
「はい」
「信者も来る」
「はい」
「反対するやつも来る」
「はい」
「観光にもなる」
「はい」
「ネットにもなる」
「はい」
「面倒だ」
「非常に」
榊原さんの声に、かなり実感があった。
「だから、名をずらす」
老人は言った。
「ずらす」
「分かるやつには分かる。分からんやつには、昔からいる変な神さまに見える」
「それでいいんですか」
「その方がいい時もある」
「名前は」
榊原さんが聞いた。
老人は、少し考えた。
「イサ」
「イサ」
「イーサでも、イエスでも、ヤソでもなく、イサ」
俺は少し驚いた。
イーサ。俺が別の宗教で呼ばれる名。そこから少しずらした音。日本語にも馴染む。
「伊佐」
榊原さんが、手元のメモに漢字を書いた。
「伊佐乃神、ですか」
榊原さんが言った。
だが、その直後、彼女は自分で少し眉を寄せた。
「……いえ。少し既存の神名に近いかもしれません」
「近いとまずいのか」
老人が聞く。
「誤認が起きます」
「ごにん」
「別の神さまと混同される可能性があります」
「神さまの名前なんて、だいたい近いだろ」
「雑です」
「じゃあ、一文字足せ」
「一文字」
「留まる、でいいだろ」
老人は、箒の柄で地面を軽く叩いた。
「伊佐留神」
榊原さんが、メモに書いた。
「いさるのかみ」
言葉が、空気に置かれた。
伊佐留神。
俺の名ではない。だが、遠くに俺がいる。
イーサにも似ている。イサにも近い。そして、留まる。
外から来たものが、この土地に留まる。
すぐには分からない。でも、完全には切れていない。
神としての俺を、その名で置く。
人としての俺は、ナザレさんのまま。
なぜか、少し息がしやすくなった。
「伊佐留神」
俺は小さく言った。
「俺なんですか」
「全部お前にすると面倒だ」
老人は言った。
「だが、まったくお前じゃないと意味がない」
「はい」
「だから、少しずらす」
「ずらす」
「そうすりゃ、人も少し楽になる」
榊原さんは、かなり真剣な顔でメモを取っていた。
「祭神名としては、検討可能です。ただし、由緒書き、教会側への説明、地元合意、宗教的誤認の防止が必要です」
「出たな、法務」
老人が言った。
「必要です」
「分かってる」
老人は笑った。
「そういうやつがいないと、外来種は暴れる」
「俺は暴れません」
「お前は暴れんかもしれんが、お前の周りが暴れる」
「それは、かなりあります」
「だから、この姉ちゃんがいる」
老人は榊原さんを見た。
「いい鎖だな」
榊原さんが固まった。
「鎖という表現は不適切です」
「じゃあ、綱」
「それも」
「手綱」
「さらに」
「なら、法務さん」
「はい」
「便利だな」
老人は笑った。俺も少し笑った。
「榊原さんは、俺を縛っているんですか」
「制御しています」
「言い換えましたね」
「必要な範囲で」
「助かっています」
「ならいい」
老人は、箒で地面を軽く叩いた。
「神さまってのは、野放しにすると面倒だ」
「そうなんですか」
「人間が勝手に騒ぐ」
「はい」
「だから、社に入れる。祭りの日を決める。供えもんを決める。触り方を決める」
「制限するんですね」
「そうだ」
「神を?」
「神を扱う人間を」
俺は、その言葉をしばらく考えた。
神を制限するのではない。神を扱う人間を制限する。
それは、かなり大事な違いだった。
教会も、たぶんそうだったのだろう。
教義も、儀式も、聖職も、共同体も、もともとは神を扱う人間の暴走を止めるためにあったのかもしれない。
だが、いつの間にか、その仕組み自体がまた人を縛る。
だから難しい。
「難しい顔すんな」
老人が言った。
「すみません」
「今日は掃除の話だ」
「榊原さんみたいなことを」
「その姉ちゃんは正しい」
榊原さんが少しだけ目を伏せた。
「評価ですか」
俺が聞くと、榊原さんはこちらを見た。
「私の台詞を取らないでください」
「すみません」
老人は笑った。
「神さまも、法務さんに怒られるようになったらだいぶ丸くなるな」
「俺もそう思います」
「思うな」
榊原さんが言った。
俺は黙った。学習している。
老人は、社の裏へ案内してくれた。
そこには、小さな空き地があった。古い石があり、木が一本立っている。
掃除はされているが、使われていない感じがした。
「ここ、空いてる」
「空いている」
「昔は小さい祠があった。今はない」
「ここに?」
「置くなら、こういうところだな」
榊原さんはすぐに確認を始めた。
「土地所有、管理権限、宗教法人としての扱い、地元関係者の同意が必要です」
「やれ」
老人が言った。
「簡単に言わないでください」
「難しいのはそっちの仕事だろ」
「そうですが」
「こっちは、置けるかどうかを見る」
「はい」
老人は俺を見た。
「お前、ここに立ってみろ」
「はい」
俺は、その小さな空き地に立った。
木のそば。古い石の近く。風が通る。
社の表より、さらに静かだった。
祈られている場所というより、忘れられた場所に近い。
だが、嫌な感じはしなかった。むしろ、少し落ち着いた。
「どうだ」
老人が聞いた。
「分かりません」
「それでいい」
「いいんですか」
「すぐ分かる場所は、だいたい危ねえ」
「そうなんですか」
「分かった気になるからな」
俺は、木を見上げた。
この場所に、神としての俺を置く。伊佐留神として。
人としての俺は、ナザレさんとして掃除をする。草をむしる。社を直す。お茶を出す。必要なら、教皇様へメールを返す。
変だ。かなり変だ。
でも、ローマより息ができる。
教会より軽い。田村家より巻き込みにくい。ホテルより根がある。
「悪くないです」
俺は言った。
榊原さんがこちらを見た。
「本当に?」
「はい」
「無理していませんか」
「していません」
「本人申告だけでは判断しません」
「そうでした」
老人は笑った。
「まあ、何度か来い」
「何度か」
「一回で決めるな。神さまを置く場所だ。飯屋を選ぶのとは違う」
「はい」
「飯屋も大事だけどな」
「はい」
その後、老人は社務所のような小さな建物へ案内してくれた。茶を出された。
湯呑みは少し欠けていた。だが、茶は温かかった。
「お茶代は」
榊原さんが言いかけた。
老人が手を振った。
「今日はいい」
「そういうわけには」
「じゃあ、掃除してけ」
「掃除」
「そこの外来種、箒持てるだろ」
「持てます」
「なら掃け」
榊原さんが少し困った顔をした。
「労務として扱うには」
「茶の礼だ」
「対価性が」
「法務さん、今日は茶の話だ」
老人が言った。
榊原さんは黙った。負けたらしい。
俺は箒を借りた。参道の落ち葉を掃く。
木の葉は軽い。だが、集めると少し重くなる。
全部は取らない。通るところを整える。老人に教わった通りに掃く。
榊原さんは、それを少し離れて見ていた。
「似合うな」
老人が言った。
「俺がですか」
「神さまより、掃除してる方が似合う」
「それは褒め言葉ですか」
「かなり」
俺は少し笑った。
神さまより、掃除している方が似合う。
それは、かなり良い言葉かもしれない。
俺は、救い主として扱われると息が苦しい。だが、箒を持つと、少し楽だった。
掃けば、道が少しきれいになる。それで終わる。終了条件がある。
救いには終了条件がない。掃除にはある。
「榊原さん」
「はい」
「俺は、掃除ならできます」
「はい」
「大工仕事も、たぶんできます」
「はい」
「奇跡より、そちらの方が安全です」
「はい」
「評価は」
榊原さんは、少しだけ微笑んだ。
「良好です」
「嬉しいです」
老人が、横から言った。
「完全に尻に敷かれてるな」
榊原さんが固まった。
「その表現は不適切です」
「田村も言ってたぞ」
「田村さん」
「同じ顔して怒るな」
「怒っていません」
「怒ってるだろ」
俺は黙って箒を動かした。学習している。
この場合、何も言わない方が安全だ。
日が傾く頃、俺たちは神社を出た。
老人は鳥居の前で言った。
「また来い。外来種」
「はい」
「根づくかどうかは、何度か見ないと分からん」
「分かりました」
「法務さん」
「はい」
「こいつ、神さまにしすぎるなよ」
「承知しています」
「人間にも、しすぎるな」
榊原さんが、少しだけ動きを止めた。
「それは」
「どっちかに寄せすぎると、また壊れる」
老人は言った。
「神として置く。人として掃く。混ぜすぎるな」
榊原さんは、ゆっくり頷いた。
「覚えておきます」
「書類にも書いとけ」
「書きます」
「本当に書くのか」
「必要なので」
老人はまた笑った。
車に乗る。神社が後ろに遠ざかる。
俺はしばらく黙っていた。榊原さんも黙っていた。
やがて、彼女が言った。
「伊佐留神」
「はい」
「祭神名としては、かなり検討可能です」
「そうですか」
「直接的すぎず、完全に無関係でもない」
「はい」
「ただし、問題は多いです」
「はい」
「非常に多いです」
「はい」
「怒りながら検討します」
俺は笑った。
「ありがとうございます」
「まだ感謝しないでください」
「では、保留します」
「はい」
俺は窓の外を見た。
外来種。
かなりひどい呼び名だった。だが、嫌ではなかった。
俺は外から来た。この土地の神ではない。この土地の人でもない。
そのまま放てば、周囲が騒ぐ。
だから、置き方を考える。
名前をずらす。場所を選ぶ。神としての俺と、人としての俺を混ぜすぎない。
それは、教会ではできなかったことかもしれない。
神の子、家なき子。
外来種と呼ばれた。
だが、留まれるかもしれない場所を、少しだけ見つけた。




