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転生したら俺が神になっていた件――なお教義はだいたい後世の解釈  作者: 後世の解釈


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第21話 水上歩行はしません

 翌朝、田村さんから追加のメッセージが届いていた。


 榊原さんが朝食の席で読み上げた。


「『ワイン届いたら仏壇には供えない。飲む』」


「仏壇」


「田村家なので、ありますね」


「俺からのワインを仏壇に」


「供えないそうです」


「よかったです」


「よかったんですか」


「かなり扱いに困るので」


「それはそうですね」


 続けて、榊原さんはもう一つ読み上げた。


「『水から作ってないなら安心だが、お前が選んだならそれはそれで変な効能がありそうで困る』」


「効能」


「ありそうですか」


「ありません」


「断言できますか」


「榊原さんが選びました」


「では、ありません」


「強いですね」


「普通のワインです」


 普通のワイン。


 その言葉が、少し嬉しかった。


 俺の手を通らないもの。俺の奇跡ではないもの。俺の名前がつかないもの。


 ただの、この土地のワイン。


 それを田村さんたちが飲む。


 それでよい。


 朝食はホテルの簡単なものだった。


 パン、ゆで卵、サラダ、コーヒー、ヨーグルト。


 俺はまたパンを選んだ。


 現代のパンは柔らかい。だが、昨日ほど驚かなかった。


 少しずつ慣れている。


「今日はどこへ行くんですか」


「湖です」


「また湖」


「はい。ただし、昨日とは別です」


「水が多いですね」


「このあたりの観光地なので」


「水上歩行は」


「しないでください」


「先に言うつもりでした」


「先に言いました」


「負けました」


「勝負ではありません」


 榊原さんは、今日の予定を紙で見せた。


 そこには、湖畔散策、昼食、資料館、宿泊先と書かれている。


 予定表に「水上歩行禁止」とは書かれていなかった。たぶん、すでに基本事項に入っているのだろう。


「湖へ行く理由は」


「人が多すぎず少なすぎず、観光地として自然だからです」


「自然な旅行者」


「はい」


「俺はだいぶ旅行者になってきましたか」


「少し」


「評価ですか」


「評価です」


「嬉しいです」


「ただし、まだ発言が重いです」


「そこは、かなり難しいです」


「知っています」


 ホテルを出て、車で移動する。今日は榊原さんの運転だった。


 道路は広く、山が遠くに見えた。


 やがて、湖が見えてきた。


 昨日の湖よりも開けている。


 観光施設があり、駐車場があり、遊覧船の乗り場があった。売店の前には観光客が並んでいる。子どもたちが走り、老夫婦がベンチで休んでいる。


 水面は光っていた。


「綺麗ですね」


 俺が言うと、榊原さんは少しだけこちらを見た。


「今日は、そのくらいでお願いします」


「水の上を歩けそう、とは言わない」


「はい」


「嵐が来たら、とは言わない」


「はい」


「弟子たちが怖がって、とは言わない」


「はい」


「湖は綺麗です」


「よろしいです」


 車を降りる。湖畔の道を歩く。


 人はほどほどにいる。写真を撮る人。犬を連れた人。ベビーカーを押す人。観光バスから降りてきた団体。


 俺たちは、普通の旅行者の顔をして歩いた。


 たぶん。


「ナザレさん」


「はい」


「今日は、できるだけ一般的な感想でお願いします」


「一般的な感想」


「綺麗、広い、涼しい、気持ちいい、などです」


「救い、沈黙、祈り、罪、父、弟子は」


「避けてください」


「水上歩行は」


「絶対に避けてください」


「分かりました」


 湖畔に、貸しボートの看板があった。


 白鳥の形をした足こぎボートが浮いている。


 俺は立ち止まった。


「あれは」


「スワンボートです」


「白鳥」


「はい」


「人が中で足を動かして、水の上を進む」


「はい」


「人間は、水の上を歩く代わりに、白鳥になるんですね」


「そういう解釈はしないでください」


「でも、かなり近いのでは」


「今日は乗りません」


「安全上ですか」


「安全上です」


「俺が水上歩行するから?」


「それもあります」


「しません」


「信じていますが、乗りません」


 スワンボートは、ゆっくり水面を進んでいた。


 中に家族が乗っている。子どもが楽しそうに笑っている。


 神の子が歩くより、白鳥の形のボートで家族が笑う方が、たぶん今は正しい。


 俺はそう思った。


「乗りたかったですか」


 榊原さんが聞いた。


「少し」


「別の日に検討します」


「いいんですか」


「安全条件が整えば」


「条件付きの白鳥」


「はい」


「法務さんらしいです」


「安全管理です」


 湖の近くには、小さな桟橋があった。


 遊覧船の乗り場だ。船はまだ来ていない。乗客が少し並んでいる。


 榊原さんは時刻表を見た。


「遊覧船に乗ります」


「船」


「はい」


「水上ですね」


「船です」


「沈みませんか」


「通常は沈みません」


「通常は」


「その言い方に反応しないでください」


「はい」


 遊覧船は、観光用の船だった。


 大きすぎず、小さすぎず、屋根があり、座席がある。


 乗船券を買う。俺は券を見た。


「これも切符ですね」


「はい」


「人間は、移動するたびに紙を持ちますね」


「最近は電子も多いです」


「紙ですら難しいのに」


「慣れてください」


 船に乗る。席に座る。


 榊原さんは、出入口と救命具の位置を確認していた。


「かなり確認しますね」


「船なので」


「沈む前提ですか」


「沈まない前提ですが、念のためです」


「念のため、強い」


「はい」


 船が動き出した。


 桟橋が離れていく。湖の上に出る。風が少し強くなる。水の匂いがした。


 俺は手すりの近くへ行きかけた。


 榊原さんがすぐに言った。


「近づきすぎないでください」


「はい」


「身を乗り出さない」


「はい」


「水面を見つめすぎない」


「それも?」


「あなたの場合、念のためです」


「はい」


 俺は席に戻った。


 窓から湖を見る。水面が揺れている。船の跡が白く残る。


 昔の湖を思い出す。


 ガリラヤの湖。漁をする人々。風。船。弟子たち。


 水の上を歩いたこと。


 あの時、俺は何をしたかったのだろう。


 怖がる者たちへ、恐れるなと言いたかったのか。自分が誰かを示したかったのか。それとも、ただ行く必要があったのか。


 今は分からない。


 だが、現代で同じことをしたら、おそらく騒ぎになる。


 動画になる。検証される。合成だと言われる。本物だと言われる。真似する者が出る。溺れる者も出るかもしれない。


 榊原さんが止める理由は、正しい。


「ナザレさん」


「はい」


「かなり考えていますね」


「はい」


「今、何を」


「昔、水の上を歩いた時のことを」


「歩かないでください」


「今は船の中です」


「船から降りないでください」


「降りません」


「よろしいです」


 榊原さんは、少しだけ息を吐いた。


「その件については、今後も明確に禁止します」


「水上歩行を」


「はい」


「理由は」


「危険だからです」


「俺は沈まないかもしれません」


「あなた以外が沈みます」


 その一言は、かなり強かった。


 俺は黙った。


「あなたができることを見せると、できない人が真似します」


「はい」


「あなたが助かるとしても、他の人は助かりません」


「はい」


「だから、しないでください」


「分かりました」


 水上歩行をしない理由。


 それは、俺の安全だけではない。


 人の模倣を防ぐため。人が沈まないようにするため。


 奇跡は、見た者に要求を生む。


 あの人にできるなら、自分も。


 あの人が来るなら、自分のところにも。


 あの人が助けたなら、なぜこちらは。


 奇跡は、一度起きると、起きなかった場所に影を作る。


 俺は、そのことをもっと考えるべきだったのかもしれない。


「榊原さん」


「はい」


「俺ができることは、できない人の危険になるんですね」


「場合によります」


「でも、今はそう」


「はい」


「では、しません」


「お願いします」


「法務さんに怒られるので」


「それもありますが、今回は他の人が危ないからです」


「はい」


「そこを忘れないでください」


「忘れません」


 船内アナウンスが流れた。


 湖の歴史や、周囲の山の説明をしている。


 俺はそれを聞いた。


 この湖にも名前がある。地形がある。成り立ちがある。人の暮らしがある。


 俺の思い出の湖ではない。ここは、ここの湖だ。


 それを、俺の記憶で上書きしてはいけない。


「この湖は、この湖ですね」


 俺が言うと、榊原さんは少しだけこちらを見た。


「はい」


「昔の湖とは違う」


「はい」


「俺の記憶を重ねすぎると、この場所に失礼かもしれません」


「良い感覚だと思います」


「評価ですか」


「評価です」


「嬉しいです」


 遊覧船は、湖をゆっくり回った。


 途中、子どもが窓の外を見て言った。


「水の上、歩けたらすごいね」


 母親が笑った。


「落ちるよ」


 俺は思わずそちらを見た。


 子どもは、無邪気に言っただけだった。


 水の上を歩けたらすごい。そう思うのは、自然なのかもしれない。


 だが、俺は何も言わなかった。


 榊原さんが小さく言った。


「今の対応は適切です」


「何もしていません」


「はい」


「何もしないことが適切」


「はい」


 船が桟橋へ戻る。


 降りる時、俺は足元に気をつけた。水に落ちないように。落ちても歩かないように。


 普通に気をつける。それが大事だった。


 昼食は、湖畔の食堂だった。


 メニューに、わかさぎの天ぷらがあった。


「小さい魚ですね」


「はい」


「食べます」


「即決ですね」


「魚は好きです」


「そうでしょうね」


「でも、増やしません」


「お願いします」


 わかさぎの天ぷらは、軽く、熱く、少し苦みがあった。塩をつけて食べる。


「おいしいです」


「よかったです」


「魚は増やさなくても、注文すれば出てくる」


「現代の食堂です」


「強いですね」


「はい」


 隣の席の男性が、俺たちに声をかけた。


「旅行ですか」


 榊原さんが答える。


「はい」


「湖、初めて?」


「日本の湖は初めてです」


 俺は言った。


「そうかい。船乗った?」


「はい」


「よかったろ」


「はい。綺麗でした」


 一般的な感想。成功した。


 男性は満足そうに頷いた。


「彼女さんといい旅行だね」


 榊原さんは、一瞬も止まらなかった。


「はい」


 俺も黙っていた。


 かなり慣れてきた。慣れてきたことが危険なのか、良いことなのかは分からない。


 食後、湖畔を少し歩いた。


 足元に、小さな石がたくさんある。


 子どもたちが水切りをしていた。石を投げると、水面を跳ねていく。


「これは」


「水切りです」


「石が水の上を跳ねています」


「はい」


「石は許されるんですね」


「石は奇跡ではありません」


「俺より石の方が自由」


「そういう方向へ持っていかないでください」


 俺はしばらく見ていた。


 子どもが石を投げる。一回、二回、三回。跳ねて、沈む。それを見て笑っている。


 水の上に、ほんの少し触れて、沈む。


 それでよいのだと思った。


 沈まないことだけが奇跡ではない。沈むからこそ、遊びになることもある。


「榊原さん」


「はい」


「俺は、石より目立たないようにします」


「目標としては少し変ですが、方向性は合っています」


「評価ですか」


「評価です」


 夕方、宿に向かう前に、小さな神社の前を通った。


 鳥居があり、石段があり、奥に社が見える。


 俺は足を止めた。


「神社です」


 榊原さんが言った。


「知っています」


「入りますか」


「いいんですか」


「観光としてなら」


「宗教施設ですが」


「日本では、観光として訪れることも多いです」


「便利ですね」


「便利というより、そういう運用です」


「運用」


「はい」


 俺は鳥居を見た。


 教会には入れなかった。小さな教会の前で、足を止めて、入らなかった。


 だが、神社には入れるのだろうか。


 俺はキリスト本人かもしれない。いや、本人だ。


 その俺が、神社の鳥居をくぐる。かなり変な気がする。


 だが、日本では、それがただの観光にもなる。


「入りたいですか」


 榊原さんが聞いた。


「少し」


「では、入ります」


「大丈夫ですか」


「現地の作法に従い、参拝者として静かに入るなら問題ありません」


「キリスト教的には」


「私の管轄ではありません」


「法務的には」


「問題を起こさないでください」


「はい」


 鳥居をくぐる。


 空気が少し変わった気がした。


 これは、俺の気のせいかもしれない。あるいは、場所というものは、どこでも少し変わるのかもしれない。


 石段を上る。手水舎がある。


「ここで手を清めます」


 榊原さんが説明した。


「清め」


「はい。ただし、作法としてです」


「癒しではなく」


「ここでは清めです」


「日本、文脈で水の意味が変わりますね」


「はい」


 手を清める。冷たい水だった。温泉の湯とは違う。


 同じ水なのに、意味が違う。


 水は、かなり忙しい。


 社の前に立つ。


 榊原さんが小声で作法を説明した。二礼二拍手一礼。俺は従った。


 手を合わせる。


 何を祈ればいいのか分からなかった。


 ここは俺の神を祀る場所ではない。だが、誰かが祈る場所であることは分かる。


 だから、声には出さずに思った。


 この場所の祈りが、この場所で乱暴に扱われませんように。


 俺の名前で邪魔しませんように。


 俺は、ただの旅行者としてここを通ります。


 それだけだった。


 祈り終えて顔を上げると、榊原さんが少しだけこちらを見ていた。


「問題行動はありませんでしたか」


「ありません」


「声に出しましたか」


「出していません」


「何を祈りましたか」


「言わない方がいい気がします」


 榊原さんは少し驚いた顔をした。それから、小さく頷いた。


「適切です」


「評価ですか」


「評価です」


 神社を出る。


 鳥居を出た時、少しだけ振り返った。


 神社は静かだった。教会とは違う。だが、祈りの場所であることは分かる。


 いつか、俺にもこういう距離の場所が必要になるのかもしれない。


 そんなことを思った。


 宿へ向かう車の中で、榊原さんが言った。


「今日は、かなり安定していました」


「水上歩行しなかったからですか」


「はい」


「神社でも問題を起こさなかった」


「はい」


「子どもにも声をかけなかった」


「はい」


「石より目立たなかった」


「それは少し違いますが、概ね良好です」


「嬉しいです」


 車は夕方の道を走っていく。湖が少しずつ遠ざかる。


 俺は窓の外を見ていた。


 水の上を歩かない。魚を増やさない。祈りを声に出さない。神社ではただの旅行者として手を合わせる。


 何もしないことばかり増えていく。


 だが、それは不自由というより、少しずつ人としての輪郭を持つことなのかもしれない。


 神の子は、何でもできると思われる。


 でも、人として生きるには、何でもしないことが必要だった。


 今日、俺は水上歩行をしなかった。


 その代わり、船に乗った。


 それで湖は十分綺麗だった。


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