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転生したら俺が神になっていた件――なお教義はだいたい後世の解釈  作者: 後世の解釈


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20/48

第20話 水をワインにしない理由

 翌朝、湖の近くの宿を出る前に、榊原さんは俺に確認した。


「今日は、食品関係の施設に立ち寄ります」


「食品関係」


「はい」


「市場ですか」


「ワイナリーです」


 ワイン。


 かなり直接来た。


「水をワインにするところですか」


「違います」


「ぶどうをワインにするところ」


「はい」


「現代では、そちらが正式ですね」


「昔もそうです」


「そうでした」


 水をワインに変えた記憶はある。


 婚礼の席だった。酒が足りなくなった。母が言った。


 あの時、俺は水をワインにした。


 それは、誰かを支配するための奇跡ではなかった。世界を変えるためでもなかった。証明するためでもなかった。


 ただ、祝いの席を壊さないためだった。


 今思うと、かなり危ないことをした気もする。


 現代なら、法務さんが止める。間違いなく止める。


「榊原さん」


「はい」


「ワイナリーに俺を連れて行って大丈夫ですか」


「なぜですか」


「やりそうだからですか」


「はい」


「正直ですね」


「念のためです」


「その念のため、かなり具体的ですね」


「あなたの場合は必要です」


 車で少し走ると、山の斜面にぶどう畑が見えた。


 整った列。支柱。葉。


 まだ収穫期ではないらしいが、畑には手入れされた気配があった。


「ぶどうです」


「はい」


「知っています」


「でしょうね」


「これは、かなり懐かしいです」


「そうですか」


「ぶどう畑は、昔もありました」


「はい」


「ただ、こちらはとても整っていますね」


「現代農業です」


「人間は、ぶどうまでまっすぐ並べる」


「管理しやすいので」


「管理」


「はい」


 施設の駐車場に車を停める。


 小さな建物だった。売店と見学スペースがあり、奥に醸造施設があるらしい。観光客は数組。静かだが、完全に無人ではない。


 榊原さんは、まず注意事項を出した。紙だった。


「ここにも書類が」


「ワイナリー用です」


「個別対応」


「はい」


 俺は紙を受け取った。


 一、展示物に不用意に触れないこと。

 二、発酵中の液体に近づきすぎないこと。

 三、水をワインにしないこと。

 四、試飲を求められても、榊原に確認すること。

 五、未成年者が近くにいる場合、酒類に関する宗教的発言をしないこと。

 六、「これは私の血である」と言わないこと。


「六番」


「重要です」


「確かに危険ですね」


「非常に危険です」


「ここまで書かないと言いそうですか」


「言いそうです」


「否定できません」


 俺は紙を丁寧に畳んだ。


「分かりました」


「本当に分かりましたか」


「はい」


「水を」


「ワインにしません」


「これは」


「私の血であると言いません」


「よろしいです」


 施設に入ると、ぶどうの香りというより、木とアルコールと少し酸味のある空気がした。


 壁にはワイン造りの説明が並んでいる。


 ぶどうを育てる。収穫する。潰す。発酵させる。熟成させる。瓶に詰める。運ぶ。売る。


 ワインになるまでの工程が、丁寧に説明されていた。


「かなり手順がありますね」


「はい」


「水をワインにするより、ずっと複雑です」


「普通はそうです」


「普通は」


「普通は」


 榊原さんは、少しだけ警戒していた。


 俺は展示を見た。


 ぶどうの品種。土壌。気温。日照。糖度。酵母。発酵温度。樽。瓶内熟成。


 人間は、水をワインにしない代わりに、ぶどうと時間と技術でワインを作っていた。


 それは、かなりすごいことだった。


「榊原さん」


「はい」


「人間は、二千年かけて、かなり丁寧にワインを作るようになったんですね」


「はい」


「奇跡より、手間がかかっています」


「それが普通の醸造です」


「普通は、手間がかかる」


「はい」


 俺は、ガラス越しに並ぶタンクを見た。


 金属の大きな容器。そこに、ぶどうが入って、発酵して、ワインになる。


 見えない時間が、液体の中で進む。


 奇跡は一瞬だ。だが、醸造には時間がある。


 待つ時間。腐らせないための管理。失敗を避けるための知識。気候との相談。作り手の手。


 水をワインにした時、俺はその時間を飛ばした。


 あの時は、それでよかったのかもしれない。


 だが、いつもそれでよいわけではない。


「何か考えていますね」


 榊原さんが言った。


「はい」


「水をワインにした時のことですか」


「はい」


「ここで実演しないでください」


「しません」


「本当に」


「榊原さんに怒られるので」


「怒る以前に止めます」


「はい」


 売店に戻ると、試飲コーナーがあった。


 小さなグラスが並んでいる。


 スタッフの女性が説明していた。


「ご試飲できますよ」


 来た。


 榊原さんが少し前に出た。


「ありがとうございます。ただ、運転がありますので」


「助手席の方だけでも」


 俺を見る。俺は何も言わない。学習している。


 榊原さんが俺を見た。


「飲みますか」


「いいんですか」


「少量であれば。体調確認の上で」


「では、少し」


「ただし、感想は一般的に」


「一般的」


「はい」


「これは私の」


「言わないでください」


「はい」


 小さなグラスを受け取る。


 赤いワインだった。香りが強い。


 口に含む。酸味。渋み。甘みは少ない。


 だが、味が複雑だった。


「どうですか」


 スタッフの女性が聞いた。


 俺は慎重に答えた。


「興味深いです」


 榊原さんが、わずかにこちらを見た。たぶん、安全すぎたらしい。


「香りが強く、複雑です」


 俺は言い直した。


「お詳しいんですか」


 スタッフの女性が笑った。


「関心があります」


 また便利な言葉だ。


「こちらはこの土地のぶどうを使っていまして」


 女性は説明を始めた。


 この土地の気候。昼夜の寒暖差。水はけ。品種。醸造方法。


 俺は聞いた。かなり真面目に聞いた。


 ワインは、ただの飲み物ではなかった。土地の話だった。水と土と光と時間の話だった。


 説明を聞き終えると、俺は言った。


「とても丁寧に作られているんですね」


「ありがとうございます」


 女性は嬉しそうだった。


 榊原さんも、少しだけ安心した顔をした。問題行動にはならなかったらしい。


 売店を見て回る。


 瓶が並んでいる。赤。白。ロゼ。スパークリング。ラベルもさまざまだ。


「買いますか」


 榊原さんが聞いた。


「いいんですか」


「土産としてなら」


「誰に」


「田村さんたちに送ることはできます」


「それはいいですね」


「ただし、あなたが選ぶと意味が発生する可能性があります」


「俺が選んだワイン」


「危険です」


「では榊原さんが選んでください」


「それが安全です」


 榊原さんは一本を選んだ。店員が包んでくれる。


「贈り物ですか」


「はい」


「ご家族に?」


 俺は少し考えた。


 田村さんたちは、家族ではない。でも、ただの知人でもない。


 客として迎えてくれた人たち。


 帰る場所にしてはいけないけれど、戻りたいと思う場所。


「お世話になった方に」


 俺は答えた。


「いいですね」


 店員は笑った。


「喜ばれると思います」


 喜ばれるといい。


 俺が水をワインに変えるより、この土地で作られたワインを贈る方が、ずっとよい気がした。


 それは、誰かの手間を届けることだから。


 施設を出て、少し離れたベンチに座った。


 目の前にはぶどう畑が広がっている。


 榊原さんは水を飲んでいた。


「水ですね」


「はい」


「ワインにしません」


「よろしい」


「しかし」


「はい」


「水をワインにしたら、現代ではどうなるんですか」


 榊原さんは、かなり嫌そうな顔をした。


「本当に聞きますか」


「資料として」


「まず、食品衛生上の問題があります」


「はい」


「酒税法上の問題があります」


「はい」


「製造免許の問題があります」


「はい」


「成分表示、原材料表示、製造者責任、販売の有無、提供相手の年齢確認、アルコール度数の確認、健康被害が出た場合の責任」


「多いですね」


「さらに、動画に撮られた場合、宗教的宣伝、詐欺、偽装、超常現象、陰謀論、各種検証動画、模倣行為が発生します」


「かなり面倒ですね」


「非常に」


「では、婚礼の席でも」


「現代なら、事前に相談してください」


「酒がなくなった場合は」


「買ってください」


「買う」


「はい」


「水をワインにするより」


「買ってください」


 強い。


 現代では、ワインが足りなくなったら買う。とても分かりやすい。


「昔は、近くにコンビニがありませんでした」


「今はあります」


「現代、強いですね」


「はい」


 俺は笑った。


「では、今後、水をワインにしそうになったら」


「はい」


「榊原さんに怒られるので、買います」


「それでお願いします」


「酒税法により」


「はい」


「食品衛生により」


「はい」


「動画拡散により」


「はい」


「法務さんに怒られるので」


「そこが一番効いているのは少し問題です」


「でも効きます」


「なら、当面はそれで構いません」


 ぶどう畑を見ながら、俺は考えた。


 奇跡は速い。だが、速すぎる。


 人が積み上げる時間を飛ばしてしまう。


 もちろん、必要な時もあるのだろう。あの婚礼の席では、必要だったのかもしれない。


 でも今は、ぶどう畑がある。醸造家がいる。店員が説明してくれる。瓶に詰めて、田村さんに送ることができる。


 なら、俺は水をワインにしなくていい。しない方がいい。


「榊原さん」


「はい」


「人間が時間をかけて作れるものを、俺が奇跡で急いで作る必要はないのかもしれません」


 榊原さんは、少しだけこちらを見た。


「はい」


「それは、怠慢ではなく」


「はい」


「尊重かもしれない」


 彼女は少し黙った。


「良いと思います」


「評価ですか」


「評価です」


「嬉しいです」


「ただし、今の発言は、外では言わないでください」


「なぜ」


「切り取られると危険です」


「そうでした」


 俺は頷いた。


 大事なことほど、外では言えない。それもまた、今の俺の生活だった。


 帰り道、車の中で、榊原さんは田村さん宛ての配送手続きを進めていた。


「ワイン一本送るにも、かなり手続きがあるんですね」


「配送ですから」


「俺が一瞬で出せば」


「しないでください」


「はい」


 スマホを持たない俺の代わりに、榊原さんが配送先を入力する。


 田村さんの住所。田村さんの名前。備考欄。


「備考に何か書きますか」


「お願いします」


「何と」


 俺は少し考えた。


「お世話になりました。これは水から作っていません」


 榊原さんが手を止めた。


「書きません」


「だめですか」


「だめです」


「では」


「普通に、お元気で、でいいです」


「普通」


「はい」


「普通は難しい」


「お元気で、でお願いします」


「では、それで」


 榊原さんは入力した。


 お元気で。短い。


 だが、今の俺にはそれくらいがちょうどよかった。


 夕方、次の町へ着いた。


 宿は小さなビジネスホテルだった。チェックインを済ませ、部屋に入る。


 机に置かれた電気ケトルを見て、俺は少し笑った。


 水を入れれば湯になる道具。これは奇跡とは呼ばれない。仕組みがあるから。


 俺は水を入れた。スイッチを押す。


 しばらくして、湯気が立つ。湯になる。


 それを見ていると、なんだか少し安心した。


 水は、湯になればいい。ワインにならなくてもいい。


 その夜、田村さんから榊原さんの端末に返信が来た。


 ワインの配送通知に対するものらしい。


 榊原さんが読み上げる。


「『水から作ってないなら飲む』」


 俺は笑った。


「田村さん、分かっていますね」


「かなり」


「奥さんには」


「『お礼は言っておきなさい』と続いています」


「奥さんも分かっていますね」


「はい」


 俺は少し安心した。


 ワインは、水から作らなくても届く。


 人は、奇跡がなくても喜べる。


 それはかなり良いことだった。


 ベッドに横になり、天井を見る。


 今日は、水をワインにしなかった。


 ぶどう畑を見た。人の手間を見た。酒税法を学んだ。食品衛生を学んだ。


 そして、田村さんにワインを送った。


 神の子、ワインを買う。


 たぶん、これでよい。


 現代では、祝いの席にワインが足りなければ、まず買いに行く。


 そして、それでもどうにもならない時だけ、榊原さんに相談する。


 俺はそう決めた。


 かなり現代に馴染んできた気がする。


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