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転生したら俺が神になっていた件――なお教義はだいたい後世の解釈  作者: 後世の解釈


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18/48

第18話 教皇様を止める法務さん

 翌朝、榊原さんはいつもより早く部屋に来た。


 扉は開けたままだった。


 机の上には、端末と紙のメモと、昨日の返信案を印刷したものが並んでいる。


 朝食前に見る量ではない。


「おはようございます」


「おはようございます」


「今日は、かなり書類が多いですね」


「メールが来ています」


「教皇様から?」


「はい」


「昨日で終わりではなかった」


「終わりませんでした」


 榊原さんは、端末を伏せたまま言った。


「ただし、今回は少し危険です」


「前回も危険でした」


「今回は、より直接的です」


「件名は」


「沈黙について」


 沈黙。


 昨日の「弟子について」より、短い。


 そして重い。


「開いたんですか」


「件名と冒頭のみ確認しました」


「途中で止めた」


「はい」


「なぜ」


「あなたにそのまま見せるべきではないと判断しました」


 俺は少し黙った。


 自分宛てのメールを、自分に見せるべきではない。


 かなり現代的な保護だった。


「榊原さん」


「はい」


「俺は、読まない方がいいんですか」


「少なくとも、今すぐ全文を読むべきではありません」


「教皇様からなのに」


「だからです」


 榊原さんは、昨日と同じ答えをした。


 教皇様からだから、重い。


 教皇様からだから、止める。


 世界は、ときどき偉い人ほど危ない。


「内容を、要約してください」


「はい」


 榊原さんは紙を見た。


「教皇様は、あなたに問いかけています」


「はい」


「あなたが、自分の名で人が傷つけられた時、なぜ沈黙したのか。沈黙は救いだったのか、怠慢だったのか。教会があなたの名を守ってきたのか、それともあなたの名を使ってきたのか。そして、あなたが今、教会の外にいることは、教会への裁きなのか」


 部屋が静かになった。


 外では、朝の鳥が鳴いていた。


 湖の近くのホテルだからだろう。街中よりも、朝の音が少し柔らかい。


 だが、部屋の中の問いは柔らかくなかった。


「かなり、直接ですね」


「はい」


「教皇様は、俺に何をさせたいんでしょう」


「おそらく」


 榊原さんは、少しだけ言葉を選んだ。


「あなたに教会を裁かせたいわけではありません」


「では」


「ご自身を裁かせたいのだと思います」


 俺は、すぐには答えられなかった。


 教皇様。


 あの人は、たぶんかなり孤独だ。


 多くの人に囲まれている。多くの人に敬われている。多くの人に見られている。世界中の信徒のために言葉を選ぶ。教会の歴史を背負う。俺の名を背負う。


 その人が、俺にメールを送ってくる。


 非公式に。


 メル友として。


 いや、その表現は控えるべきだった。


「教皇様は、本物だと思っているんでしょうか」


 俺が聞くと、榊原さんは少しだけ黙った。


「可能性はあります」


「言い切らないんですね」


「言い切れません」


「法務さんだから」


「はい」


「でも、そう思っている可能性はある」


「はい」


「それでも、公式には言えない」


「言えば、あなたが壊れます」


 即答だった。


「教会も壊れるかもしれません」


「はい」


「だから、メール」


「はい」


「メル友」


「その表現は控えてください」


「はい」


 榊原さんは、端末を手に取った。


 だが、画面をこちらへ向けなかった。


「今回は、返信の前に判断が必要です」


「判断」


「はい」


「俺が答えるかどうか」


「はい」


「答えない方がいいですか」


「今の状態で直接答えるべきではありません」


「なぜ」


「あなたに過度な精神的負荷がかかります」


 その言葉を、榊原さんははっきり言った。


 保護対象者に過度な精神的負荷。


 きっと書類にも書ける表現なのだろう。


 だが、今日は少し違って聞こえた。


 彼女は、俺を見ている。


 教義ではなく、人として。


「俺は、大丈夫です」


「本人申告だけでは判断しません」


「そうでした」


「特にあなたは、大丈夫と言ってから壊れそうです」


「そんなにですか」


「そんなにです」


 俺は少し笑った。


 榊原さんは笑わなかった。


 本当に心配している顔だった。


「榊原さん」


「はい」


「俺は、答えたい気持ちもあります」


「はい」


「でも、答えるのが怖い気持ちもあります」


「はい」


「俺が答えると、教皇様はそれをどう受け取るんでしょう」


「重く受け取ると思います」


「ですよね」


「はい」


「では、俺は何を言っても重い」


「はい」


「黙っても重い」


「はい」


「困りますね」


「困っています」


 いつもの即答だった。


 少し安心した。


「榊原さんは、どうしますか」


「止めます」


「俺を?」


「はい」


「教皇様を?」


「必要なら」


 俺は、思わず彼女を見た。


「教皇様を止めるんですか」


「はい」


「強いですね」


「大義名分があります」


「大義名分」


「あなたの安全確保です」


 榊原さんは、淡々と言った。


「信徒の混乱防止。教会の公式見解との切り分け。本人発言の権威化防止。炎上リスクの管理。そして、保護対象者の精神的負荷の軽減」


「多いですね」


「必要です」


「教皇様でも、止まりますか」


「止まっていただきます」


 かなり強い。


 法務さんは、教皇様より偉いわけではない。


 だが、この場面では、教皇様すら止められる理由を持っている。


 それはたぶん、俺が神の子かもしれないからではない。


 俺が、今ここにいる一人の人間だからだ。


「何と返すんですか」


「まず、私から送ります」


「榊原さんが?」


「はい」


「教皇様に?」


「はい」


「それは、大丈夫なんですか」


「大丈夫にします」


 また、足らせる時の言い方だった。


「文面を聞いてもいいですか」


「もちろんです」


 榊原さんはメモを見た。


「現在、ナザレさんは昨夜の返信および昨日の訪問地の影響もあり、精神的負荷が高い状態です。ご質問の重要性は理解しておりますが、現時点で直接回答を求めることは適切ではありません。回答が必要な場合は、時間を置き、質問を分割し、非公式な私信として扱う前提を再確認したうえでお願いします」


「かなり法務です」


「はい」


「教皇様に、質問を分割してください、と」


「はい」


「怒られませんか」


「怒られる可能性はあります」


「それでも送る」


「はい」


「なぜ」


「必要だからです」


 榊原さんは画面に文面を打ち込んだ。


 俺はそれを見ていた。


 世界宗教の最高権威に、二十歳の法務担当がメールを書いている。


 しかも内容は、神の子かもしれない青年に重い質問を投げないでください、である。


 現代は、本当に難しい。


「送ります」


「はい」


 軽い音が鳴った。


 送信。


 また、世界の重さに対して、音が軽い。


 榊原さんは端末を伏せた。


「朝食にしましょう」


「今ので終わりですか」


「返信を待っている間に朝食を取ります」


「教皇様より朝食」


「はい」


「強い」


「食事を抜くと判断力が落ちます」


「田村さんの奥さんの教えですね」


「はい」


 俺たちはホテルの朝食会場へ向かった。


 今日は簡単な和朝食だった。


 ご飯。味噌汁。焼き魚。小鉢。海苔。卵。


 俺は手を合わせた。


「いただきます」


 榊原さんも手を合わせた。


「いただきます」


 食事中、俺は端末のことが気になった。


 榊原さんは、気にしていないように見えた。


 いや、気にしているのだろう。


 だが、食事中は食事をする。


 その切り替えが、彼女はうまい。


「榊原さん」


「はい」


「返信が気にならないんですか」


「気になります」


「でも、見ない」


「今は食事中です」


「教皇様より朝食」


「食事は大事です」


「はい」


 味噌汁を飲む。


 温かい。


 昨日の墓、教皇様のメール、沈黙について。


 どれも重い。


 だが、味噌汁は温かい。


 人間は、かなり重い問いを抱えたまま、朝ごはんを食べる。


 それは、もしかするとかなり強いことなのかもしれない。


 食後、部屋へ戻ると、端末に返信が来ていた。


 榊原さんは深く息を吸った。


「読みます」


「はい」


 彼女は画面を開いた。


 しばらく読む。


 表情が少しだけ変わった。


「怒ってますか」


「いいえ」


「では」


「短いです」


「はい」


 榊原さんは読み上げた。


「よい担当者を持った」


 俺は何も言えなかった。


 榊原さんも、すぐには言わなかった。


 その一文は、短かった。


 だが、かなり重かった。


 教皇様は、止められた。


 そして、止めた人を認めた。


「榊原さん」


「はい」


「褒められています」


「評価です」


「それ、俺がいつも言われるやつですね」


「はい」


「嬉しいですか」


「……少し」


 榊原さんは、小さく言った。


 とても小さかった。


 記録には残さない。


 というか、俺はもう記録しないことを少し覚えてきた。


「返信しますか」


 俺が聞くと、榊原さんは首を振った。


「今は不要です」


「ありがとうございます、とか」


「不要です」


「そうなんですか」


「教皇様は、今、私にではなく、あなたに向けてその一文を送ったのだと思います」


「俺に?」


「はい」


「俺が、よい担当者を持ったと」


「はい」


 俺は榊原さんを見た。


 彼女は端末を伏せていた。


 朝の光が、部屋の机に落ちている。


「俺は、よい担当者を持ったんですね」


「評価は第三者によるものです」


「榊原さんはどう思いますか」


「私は職務を遂行しています」


「それ以外は」


「今は、職務です」


 まただ。


 今は。


 俺は少し笑った。


「では、職務としてありがとうございます」


「どういたしまして」


「職務外になったら、また言います」


 言ってから、少し踏み込みすぎたと思った。


 榊原さんは、目を細めた。


「今の発言は、やや不適切です」


「すみません」


「ただし」


「はい」


「記録には残しません」


「ありがとうございます」


 部屋の空気が少しだけ軽くなった。


 だが、メールはまだ終わっていなかった。


 しばらくして、もう一通届いた。


 榊原さんの表情が、再び硬くなる。


「また教皇様ですか」


「はい」


「件名は」


「先ほどの続きです」


「開けますか」


「まず私が読みます」


 榊原さんは画面を読む。


 今度は、先ほどより長いらしい。


 彼女は途中で一度目を閉じた。


「重いですか」


「重いです」


「止めますか」


「一部だけ要約します」


「お願いします」


「教皇様は、こう書いています。あなたが教会の中にいれば、私たちはあなたの返事を命令として聞いてしまう。あなたが教会の外にいるから、助言として聞ける。だから、外にいることを責めない。ただし、外にいるあなたにしか聞けないことがある」


「外にいる俺にしか聞けないこと」


「はい」


「それは、かなり重いですね」


「はい」


 教会の中にいたら、命令になる。


 外にいるから、助言になる。


 それは昨日、少し考えたことだった。


 だが、教皇様自身もそう考えている。


 だから、聞いてくる。


 だから、止めなければならない。


 かなり厄介な関係だった。


「教皇様は、アグレッシブですね」


「その表現は少し軽いですが、概ねそうです」


「静かに攻めてくる」


「はい」


「教皇様なのに」


「教皇様だからかもしれません」


 榊原さんは端末を置いた。


「返信はしません」


「いいんですか」


「今日はしません」


「教皇様が聞いているのに」


「はい」


「強いですね」


「保護対象者の休息が優先です」


「また俺ですか」


「はい」


「俺は、守られる側なんですね」


「はい」


 即答だった。


「神の子でも?」


「はい」


「本物かもしれなくても?」


「はい」


「教皇様が相手でも?」


「はい」


 榊原さんは、俺を見た。


「あなたには、今、自分で選べない問いが多すぎます」


「はい」


「答えたいと思っても、それが自由な意思とは限りません」


「はい」


「だから、止めます」


「俺を」


「はい」


「教皇様を」


「必要なら」


「世界を」


「そこまでは管轄外です」


 俺は笑った。


 少しだけ、息が楽になった。


「榊原さん」


「はい」


「あなたが止めてくれるので、俺は少し安心しています」


 榊原さんは、すぐには答えなかった。


 それから、端末を鞄にしまった。


「安心しているなら、今日は休んでください」


「はい」


「湖の周りを少し歩きます。人は少ないですが、経路は確認済みです」


「観光ですか」


「休養です」


「休養」


「はい」


「業務ではなく」


「保護計画の一部です」


「業務ですね」


「はい」


 俺は立ち上がった。


 湖の方へ向かうらしい。


 今日は、教皇様に返事をしない。


 沈黙について聞かれた日に、あえて沈黙する。


 それは皮肉かもしれない。


 だが、今回は逃げではなかった。


 榊原さんが止めた。


 教皇様も、それを認めた。


 俺はよい担当者を持った。


 そう言われた。


 その一文は、かなり重かった。


 でも、少し嬉しかった。


 湖畔へ出ると、風が冷たかった。


 水面が光っている。


 俺たちは、しばらく黙って歩いた。


 手はつないでいない。


 人混みではないからだ。


 少し寂しいと思った。


 それも、今は言わない。


 何でも言えばいいわけではない。


 黙ることが、逃げではなく、守ることになる時もある。


 今日、俺はそれを少しだけ学んだ。

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