表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら俺が神になっていた件――なお教義はだいたい後世の解釈  作者: 後世の解釈


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/48

第17話 件名:弟子について

 自分の墓を見た日の夜、俺はあまり眠れなかった。


 怖かったわけではない。不快だったわけでもない。


 ただ、自分の知らない自分の墓というものは、思ったより頭に残った。


 俺はここでは死んでいない。俺はこの土地に眠っていない。弟のイスキリという人も、俺の記憶にはいない。


 それでも、あの場所には誰かの祈りがあった。


 信じた人もいるだろう。笑った人もいるだろう。観光地として楽しんだ人もいるだろう。


 でも、そこに来て手を合わせた人も、きっといる。


 正しいかどうかとは別に、祈りは置かれる。


 それが少し不思議だった。


 翌朝、榊原さんは予定を少し変更した。


「今日は移動距離を短くします」


「昨日の墓の影響ですか」


「はい」


「俺は大丈夫です」


「大丈夫かどうかを、本人だけで判断しないでください」


「はい」


「特にあなたの場合、大丈夫と言ってから後で問題が出る可能性があります」


「俺、そんなに危ないですか」


「はい」


 即答だった。


「少しは迷ってください」


「危険評価なので」


「そうですか」


 今日は車移動だった。


 大きな町へは出ず、湖の近くにある小さな宿へ向かうらしい。


「湖ですか」


「はい」


「水上歩行は」


「しないでください」


「先に言われました」


「先に言います」


「学習されていますね」


「お互いに」


 車は山道を抜けていく。


 昨日の墓のことを、俺は何度か思い出した。


 榊原さんは、それに気づいているようだったが、何も聞かなかった。


 聞かないことにも、配慮はある。


 この人は、聞くべきことと、聞かない方がいいことをかなり細かく分けている。


 法務だからなのか。榊原さんだからなのか。たぶん、両方だ。


 昼前、湖が見えた。


 山の間に広がる水。海とは違う。


 ガリラヤの湖を思い出すには、少し違いすぎる。だが、水面の光は、どこか懐かしかった。


「湖です」


 榊原さんが言った。


「知っています」


「見たことは」


「あります」


「日本の湖は」


「初めてです」


「歩かないでください」


「見ています」


「念のためです」


 湖のそばの駐車場に車を停めた。


 周囲には観光客が少しいる。売店。ベンチ。小さな遊覧船の案内板。湖畔を歩く人。写真を撮る人。


 人は、なぜ水を見ると写真を撮るのだろう。


 俺も見ているから、気持ちは分かる。


「少し歩きます」


「はい」


「人は少なめですが、距離を取りすぎないでください」


「手は」


 俺が聞くと、榊原さんは周囲を見た。


「今は不要です」


「そうですか」


 少し残念だと思った。


 これは記録しない方がいい。いや、今は自分で記録している。


 人の心は、法務より厄介だ。


 湖畔を歩く。風が冷たい。水が小さく揺れている。


 しばらく歩いたところで、榊原さんの端末が震えた。


 彼女は画面を見た。その表情が、少し変わった。


「どうしました」


「メールです」


「誰から」


 榊原さんは、すぐには答えなかった。


 その間で、だいたい分かった。


「教皇様ですか」


「はい」


「メル友から」


「その表現は控えてください」


「はい」


 榊原さんは周囲を確認した。人はいるが、近くにはいない。


「宿に戻ってから確認します」


「今は見ないんですか」


「件名だけ見えました」


「件名」


「はい」


「何と」


 榊原さんは、少しだけ息を吐いた。


「弟子について」


 湖の風が、一瞬強く吹いた。


「弟子」


「はい」


「弟子について」


「はい」


「それは」


「今は開きません」


「重そうですね」


「非常に」


「パウロでしょうか」


「開いていません」


「でも、たぶん」


「今は開きません」


 榊原さんの声は、少し硬かった。


 俺は頷いた。


「分かりました」


 宿に戻るまで、俺たちはあまり話さなかった。


 湖はきれいだった。だが、頭のどこかで、件名が光っていた。


 弟子について。


 俺には弟子がいた。


 ついてきた者たちがいた。裏切った者もいた。逃げた者もいた。泣いた者もいた。


 俺の死後に、俺の言葉を語った者もいた。


 俺の言葉を、俺の届かなかった場所へ運んだ者もいた。そのために、自分の言葉を足した者もいた。


 それで救われた人もいただろう。それで傷ついた人もいただろう。


 人は、師の言葉をそのまま運べない。


 遠くへ運ぼうとすると、どうしても自分の言葉が混ざる。


 それが弟子なのかもしれない。それが危険なのかもしれない。


 宿は、湖から少し離れた小さなホテルだった。


 部屋は隣同士。


 チェックインを終えると、榊原さんは俺の部屋に来た。もちろん、扉は開けたままだ。廊下側に見える位置で、低い机に端末を置く。


「確認します」


「はい」


「ただし、内容によっては途中で止めます」


「俺のメールですが」


「あなたへの負荷が大きい場合は止めます」


「教皇様からのメールでも」


「はい」


「強いですね、法務さん」


「必要です」


 榊原さんはメールを開いた。


 俺は向かいに座っている。画面を直接のぞき込まないようにした。


 榊原さんが先に読む。


 彼女の目が、文章を追っていく。少しずつ、表情が硬くなる。


「重いですか」


「重いです」


「読んでもいいですか」


「一部、要約します」


「全文ではなく」


「はい」


「教皇様からなのに」


「だからです」


 榊原さんは、画面を見ながら言った。


「内容は、弟子が師の言葉を遠くへ運ぶために、自分の言葉を足した場合、その弟子をどう扱うべきか、という相談です」


「やはり」


「名は出ていません」


「パウロのことか」


 言ってから、少しだけ部屋が静かになった。


 榊原さんは額に手を当てた。


「名前を出さないでください」


「すみません」


「おそらく、名を出さない形で聞いています」


「分かっています」


「分かっていて出しましたね」


「はい」


「問題行動です」


「はい」


 榊原さんは、深く息を吐いた。


「ただし、そう思うのは自然です」


「評価ですか」


「評価ではありません」


 俺は少しだけ笑った。


 だが、すぐに笑えなくなった。


「教皇様は、何を聞きたいんでしょう」


「要約します」


「お願いします」


「弟子が、師の言葉を遠くへ運ぶために、自分の言葉を足した。それによって救われた人がいる。一方で、その言葉によって傷ついた人もいる。師は、その弟子を裁くべきか。赦すべきか。正すべきか。黙って見守るべきか」


「かなり重いですね」


「だから、今すぐ全文は見せません」


「はい」


 俺は窓の外を見た。湖は見えない。だが、水の気配はあった。


「俺にそれを聞くんですね」


「はい」


「教皇様は、答えを持っていないんでしょうか」


「持っていても、聞きたいのだと思います」


「俺から?」


「はい」


「俺が答えると、重くなります」


「その通りです」


「答えないと」


「それも、意味を持ちます」


「困りましたね」


「困っています」


 即答だった。


 榊原さんは、本当に困っている時ほど淡々としている。


「返信しない方がいいですか」


「内容によります」


「返信するなら」


「非公式であることを明確にします」


「神主でもないのに?」


「まだ神主ではありません」


「では、何として」


「ナザレさんとして」


「それで足りますか」


「足らせます」


 強い言い方だった。


 足りるかどうかではない。足らせる。


 法務は、たぶんそういう仕事なのだろう。


「俺は、何と答えたいんでしょう」


 俺は自分で言った。


 榊原さんは、すぐには口を挟まなかった。


「弟子は、師の言葉をそのまま運べません」


「はい」


「人に伝える時、どうしても自分の言葉になります」


「はい」


「その言葉で救われた人がいるなら、全部を間違いとは言えない」


「はい」


「でも、その言葉が誰かを殴る道具になったなら、一度置いた方がいい」


 榊原さんは、ゆっくり頷いた。


「それは、返信に使えるかもしれません」


「危険ですか」


「危険です」


「では」


「ただし、全部が危険というわけではありません」


 榊原さんは、端末ではなくメモ帳を出した。


「口述してください。私が文面を整えます」


「手紙みたいですね」


「メールです」


「現代の手紙」


「はい」


「では」


 俺は少し考えた。


「弟子は、師の言葉をそのまま運ぶだけではありません。遠くへ運ぶために、自分の言葉に変えてしまうことがあります」


 榊原さんが書く。


「それで救われた人がいるなら、そのすべてを間違いとは言えません」


 書く。


「でも、その言葉が杖ではなく棍棒になったなら、一度置かせた方がいいと思います」


 榊原さんの手が少し止まった。


「杖と棍棒」


「危険ですか」


「強いですが、分かりやすいです」


「では」


「続けてください」


「師の名前は、人を支えるために使われるべきで、人を殴るために使われるべきではありません」


 榊原さんは書いた。それから、俺を見た。


「これは、かなり直接的です」


「そうですね」


「教皇様には刺さると思います」


「刺すつもりはありません」


「それでも刺さります」


「言葉は難しいですね」


「はい」


 俺は、少し黙った。


「弟子を裁くかどうかは、俺には分かりません」


「はい」


「でも、弟子の言葉で傷ついた人がいるなら、その人の傷を、弟子の功績で覆ってはいけないと思います」


 榊原さんは、しばらく書かなかった。それから、慎重に言った。


「重いです」


「削りますか」


「削ると意味が変わります」


「では」


「残します。ただし、表現を少し整えます」


「お願いします」


 彼女はメモを見ながら、文章を組み直していく。


 俺はそれを見ていた。


 俺の言葉が、榊原さんの手で現代の文章になっていく。


 昔は、弟子たちが俺の言葉を運んだ。今は、法務さんが俺の言葉を整えている。


 かなり不思議だ。少し怖くもある。


 だが、彼女なら、棍棒にしないようにしてくれる気がした。


「一度、案を読みます」


「はい」


 榊原さんは、静かに読み上げた。


「弟子は、師の言葉をそのまま保存するだけでなく、遠くへ運ぶために自分の言葉を添えることがあります。その結果として救われた人がいるなら、その働きのすべてを否定することはできません。けれど、その言葉が誰かを支える杖ではなく、誰かを打つ棍棒になった時には、一度置かせる必要があると思います。師の名は、人を支えるために用いられるべきで、人を殴るために用いられるべきではありません。また、弟子の言葉で傷ついた人がいるなら、その傷を、弟子の功績で覆ってはならないと思います」


 部屋が静かになった。


 俺は頷いた。


「俺の言葉より、少し安全になっています」


「安全になっているかは分かりません」


「でも、丁寧です」


「それは意識しました」


「ありがとうございます」


「まだ送信しません」


「なぜ」


「山辺先生に確認します」


「先生の胃が」


「必要です」


「はい」


 榊原さんは、文面を山辺先生へ送った。


 もちろん、教皇様のメール本文をそのまま転送することはしない。要点を整理し、返信案として確認を依頼する。


 数分後、山辺先生から返信が来た。


 早い。胃は大丈夫なのだろうか。


 榊原さんが読む。


「山辺先生からです」


「何と」


「『神学的には非常に危険ですが、人格的には非常に誠実です。危険な部分を完全に消すと意味がなくなります。送るなら、非公式かつ個人的感想であることを強調してください。胃が痛いです』」


「先生」


「胃が痛いそうです」


「やはり」


「それと、追記があります」


「何ですか」


「『パウロの名は絶対に出さないでください』」


「もう出しました」


「返信には出しません」


「はい」


 榊原さんは文面の最初に一文を足した。


「これは教義的判断ではなく、現在の私が、あなたからの私信に対して返す個人的な考えです」


「かなり安全ですね」


「安全にします」


「俺が言うと、個人的な考えでも重くなりませんか」


「重くなります」


「では」


「それでも、言わないよりよい場合があります」


 榊原さんは、最後に俺を見た。


「送りますか」


 俺は深く息を吸った。


 教皇様からのメール。弟子について。


 パウロのことか。いや、パウロだけではない。


 俺の名を使ったすべての人のことだ。


 俺の言葉を支えにした人。俺の言葉を棍棒にした人。俺の名前で赦した人。俺の名前で裁いた人。


 その全部を、今ここで裁くことはできない。


 でも、せめて棍棒は置いてほしい。


「送ってください」


「はい」


 榊原さんが送信した。


 小さな音が鳴った。それだけだった。


 世界宗教の中心人物かもしれない青年が、教皇様へ重い返信を送った音としては、かなり軽かった。


「送信されました」


「ありがとうございます」


「疲れましたか」


「少し」


「今日は、これ以上重い話は避けます」


「可能ですか」


「可能にします」


「強いですね」


「必要です」


 俺は、少しだけ笑った。


 その時、また端末が震えた。榊原さんの表情が固まった。


「まさか」


「返信です」


「早い」


「はい」


「教皇様、返信が早いですね」


「メル友なので、と言わないでください」


「はい」


 榊原さんは画面を見た。しばらく黙った。


「何と」


「短いです」


「はい」


 榊原さんは読み上げた。


「名を出さずに聞いたつもりだった」


 俺は、思わず笑ってしまった。


 榊原さんも、少しだけ口元を押さえた。


 笑いをこらえたのかもしれない。


 確認すると、問題行動になりそうだったので、確認しないことにした。


「返信しますか」


「はい」


「何と」


 俺は少し考えた。


「名を出さない方が、みんなの話になります」


 榊原さんは、それをそのまま入力した。


「送ります」


「お願いします」


 送信。また軽い音。


 しばらくして、教皇様から返事が来た。


「何と」


「『あなたは、教会の外にいるからこそ、そのように言えるのかもしれない』」


 俺は、その言葉をしばらく見ていた。


 教会の外。ローマの外。教義の中心の外。


 今の俺は、湖の近くの小さなホテルにいる。


 隣には法務さんがいる。名前はナザレ。通称はヨシュア。スマホは預けている。奇跡は禁止されている。水をワインにしてはいけない。


 それでも、教皇様に返事をしている。


 教会の外にいるから、言えることがある。


 教会の中にいたら、命令になってしまう言葉も、外にいれば助言になるのかもしれない。


「榊原さん」


「はい」


「外にいることにも、意味があるんですね」


「はい」


「逃げているだけではない」


「はい」


「距離は、守るためだけではなく、話すためにも必要なんですね」


「そうだと思います」


 榊原さんは、端末を伏せた。


「今日は、ここまでにしましょう」


「教皇様からまた来たら」


「明日確認します」


「教皇様を待たせるんですか」


「はい」


「強い」


「保護対象者の休息が優先です」


「教皇様より?」


「今は」


 俺は笑った。


「榊原さん」


「はい」


「あなたは、教皇様より強いかもしれません」


「不適切な発言です」


「すみません」


「ただし」


「はい」


「記録には残しません」


 部屋の外では、風が少し鳴っていた。


 湖の近くの夜は静かだった。


 弟子について。


 その問いは、まだ終わっていない。たぶん、終わらない。


 でも、今日のところは、棍棒を置いてほしいと言えた。


 それで十分かどうかは分からない。


 だが、少なくとも俺は、教会の外から返事をした。


 ナザレさんとして。


 榊原さんに止められながら。


 山辺先生の胃を痛めながら。


 教皇様と、非公式に。


 メル友として。


 いや、その表現は控えるべきだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ