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転生したら俺が神になっていた件――なお教義はだいたい後世の解釈  作者: 後世の解釈


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15/48

第15話 キリスト教の方ですか

 朝、ホテルの窓を開けると、町はもう動き始めていた。


 昨日の夜、空に花火が咲いた場所も、朝になると普通の町に戻っている。道路には車が走り、コンビニには人が入り、どこかの家のベランダには洗濯物が揺れていた。


 人間は、夜に火薬で花を咲かせても、朝には洗濯をする。


 それが少し面白かった。


 俺は身支度をした。


 カードキーは財布に入っている。スマホはない。榊原さんが管理している。危険な表現リストは鞄に入っている。ナザレ・ヨシュアとしての宿泊控えもある。


 かなり現代人に近づいてきた気がする。


 ただし、戸籍はない。パスポートもない。国籍もない。


 現代人としては、かなり根元が怪しい。


 ロビーへ降りると、榊原さんはすでに待っていた。


「おはようございます」


「おはようございます」


「カードキーは」


「財布に入れています」


「よろしいです」


「朝の挨拶より先に確認されると思っていました」


「さすがに挨拶が先です」


「社会生活ですね」


「はい」


 朝食は、ホテルの一階にある小さな会場だった。


 旅館の朝食とは違う。


 大きな皿に、各自が食べ物を取る形式らしい。パン。ご飯。味噌汁。卵。焼き魚。サラダ。ウインナー。ヨーグルト。コーヒー。オレンジジュース。


「これは、自分で選ぶんですね」


「はい。バイキング形式です」


「バイキング」


「食べ放題の形式です」


「北の海の人たちとは関係ありますか」


「名称の由来はありますが、今は朝食です」


「今は朝食」


「はい」


 俺はトレーを持った。


 選択肢が多い。ここでも選べる。


 ご飯にするか、パンにするか。味噌汁にするか、スープにするか。卵は焼くか、茹でるか。ヨーグルトに果物を入れるか。


 教会に入るかどうかは選べない。


 だが、朝食のパンは選べる。


 現代は、変なところで自由だった。


「何を取ればいいんでしょう」


「食べたいものを」


「またそれですね」


「ここでは選べます」


 榊原さんは、昨日と同じようなことを言った。俺は少し笑った。


「では、パンにします」


「理由は」


「懐かしいので」


「なるほど」


 パンを取った。


 だが、昔のパンとはかなり違う。白く、柔らかく、均一で、薄く切られている。横に小さな袋のバターとジャムが置いてある。


「パンが、とても整っています」


「食パンです」


「人間、パンまで四角くするんですね」


「日本では一般的です」


「日本、米だけでなくパンにも強い」


「はい」


 榊原さんは、ご飯と味噌汁を取っていた。


「榊原さんはパンではないんですね」


「今日はご飯です」


「選べるのは良いですね」


「はい」


 席に着く。俺は手を合わせた。


「いただきます」


 榊原さんも手を合わせる。


「いただきます」


 パンを食べる。やわらかい。


 昔のパンとは違う。歯ごたえがない。だが、これはこれでおいしい。バターを塗ると、さらにおいしい。ジャムを塗ると甘い。


「パンが、かなり優しいです」


「食パンです」


「昔のパンは、もっと強かったです」


「強いパン」


「噛む必要がありました」


「現代の食パンは柔らかいですからね」


「人間は、パンまで癒しにしたんですね」


「たぶん、そこまでは考えていません」


 榊原さんは味噌汁を飲んだ。


 その姿は普通だった。法務さんではなく、朝食を食べる榊原さんだった。


 見すぎると不自然なので、俺はパンに戻った。


 食事を終えて、ホテルを出る。今日は電車で移動するらしい。


 駅まで歩く。


 朝の町は、昨日の夜と違っていた。花火の人混みはもうない。屋台も片付いている。歩道には通勤の人がいる。学校へ向かう学生がいる。


 昨日、夜空を見上げていた人たちが、今日はそれぞれの場所へ向かっている。


 祭りは終わる。生活は続く。


 かなり強い。


「駅までは歩きます」


 榊原さんが言った。


「はい」


「手はつなぎません」


「人混みではないからですか」


「はい」


「少し寂しいですね」


 言ってから、俺は足を止めそうになった。


 榊原さんも、ほんの少しだけ歩調を乱した。


「今の発言は」


「不適切ですか」


「やや」


「すみません」


「ただし」


「はい」


「記録には残しません」


「ありがとうございます」


 昨日から、記録に残らないことが少し増えている。


 それは良いことなのか、危険なことなのか、まだ分からない。


 駅は小さかった。


 改札。券売機。時刻表。待合室。売店。ベンチ。


 人は多くない。


 榊原さんは券売機の前に立った。


「切符を買います」


「知っています」


「では、見ていてください」


「はい」


 画面を操作する。行き先を選ぶ。料金を入れる。切符が出る。


「少し奇跡に近いですね」


「発券機です」


「現代は、だいたい名前を変えると奇跡ではなくなる」


「仕組みがあるからです」


「仕組みがある奇跡」


「奇跡とは呼びません」


 何度も聞いたやり取りだった。


 だが、何度聞いても少し納得できない。


 仕組みがあるから奇跡ではない。


 なら、奇跡とは仕組みを知らない時の呼び名なのか。


 それとも、仕組みがあってもなお人を驚かせるものなのか。


 考え始めると、また神学になりそうだった。


 危険な表現リストを思い出し、考えるのを少し止めた。


 ホームで電車を待つ。


 風が吹いた。レールの向こうに山が見える。


「電車も、知識としては知っています」


「乗ったことは」


「ありません」


「では、乗り方を説明します」


「お願いします」


「乗る人が降りてから乗ります」


「はい」


「車内では大きな声を出さないでください」


「はい」


「電話もしません」


「スマホは榊原さんが持っています」


「はい」


「祈りは」


「声に出さないでください」


「はい」


「奇跡は」


「起こしません」


「よろしいです」


 電車が来た。


 音と風が近づいてくる。銀色の車体。ドアが開く。人が降りる。乗る。


 俺たちも乗った。


 車内は静かだった。席に座る。窓の外が動き出す。


 道を歩くのとも、車で走るのとも違う。自分は座っているのに、景色が流れていく。


「これは、かなり不思議ですね」


「電車です」


「知っています」


「はい」


「でも、乗ると違います」


「そうでしょうね」


 しばらく景色を見ていた。


 田んぼ。住宅。川。踏切。小さな駅。人。


 すると、向かい側に座っていた年配の男性が、こちらを見ていた。


 俺と目が合うと、男性は少し笑った。


「外国の人かい」


 来た。


 榊原さんが、わずかに姿勢を整えた。


「はい」


 俺は答えた。


「日本語うまいねえ」


「勉強しました」


 天啓とは言わない。学習している。


「どちらから?」


 男性が聞いた。


 少し難しい。


 古代ユダヤ。ローマ帝国支配下のガリラヤ。現代国家で言うとどうなるのか。帰る国はない。


 答えは、かなり危険だ。


 榊原さんが先に言った。


「中東の方です」


「へえ。じゃあ、イスラム?」


 その言葉に、俺は少しだけ考えた。


 イスラム。俺の死後の宗教だ。


 だが、俺はその中でも名前を持っている。イーサー。預言者。マリアの子。キリスト教とは違う形で、俺はそこにもいる。


 人間は、俺のいない間に本当にいろいろ作った。


「その文脈でも、少し関係はあります」


 俺が言うと、榊原さんの目がこちらを向いた。


 男性は首をかしげた。


「ん?」


 榊原さんがすぐに言った。


「宗教には詳しいんです」


「ああ、そうなの」


 男性は納得したような、していないような顔をした。


「じゃあ、キリスト教の方?」


 今度は、さらに近いところへ来た。


 俺は、正直に答えかけた。


 はい、キリスト教です。


 かなり正確な答えだと思った。


 だが、その直前に、榊原さんの手が俺の袖を軽く押さえた。


 止められた。


 俺は口を閉じた。


 榊原さんが答える。


「関心はあります」


「関心」


 男性が言う。


「まあ、外国の人はいろいろあるもんな」


「はい」


 男性はそれ以上聞かなかった。窓の外へ視線を戻す。


 俺は小さく息を吐いた。


 榊原さんが、低い声で言った。


「今、何と答えようとしましたか」


「はい、キリスト教です、と」


「やめてください」


「でも、かなり正確では」


「正確すぎるので不自然です」


「正確すぎる」


「はい」


「では、キリスト教徒です、なら」


「それも避けてください」


「キリスト教に関心があります」


「そのくらいでお願いします」


「関心はかなりあります」


「かなり、も不要です」


「関心があります」


「はい」


「俺は、俺に関心がある」


「哲学にしないでください」


「はい」


 電車は次の駅に停まった。


 人が少し乗ってくる。制服の学生が数人。買い物袋を持った女性。小さな子ども連れの母親。


 誰も俺を見ていない。さっきの男性も、もうこちらを見ていない。


 たぶん、それでいい。


「見た目で、宗教を聞かれるんですね」


「可能性は高いです」


「中東の顔をしていると」


「はい」


「人は、顔で祈りの方向を推測する」


「言い方に注意してください」


「はい」


「ただ、実際にそういう推測はあります」


「榊原さんは、俺を最初に見た時、何だと思いましたか」


 聞いてから、少し踏み込みすぎた気がした。


 榊原さんは、すぐには答えなかった。


 電車の揺れが続く。


「変な外国人です」


 彼女は言った。


「やはり」


「はい」


「宗教は?」


「宗教施設で発生したトラブルだと思いました」


「かなり事務的ですね」


「そう処理する必要がありました」


「今は?」


「今も、宗教施設で発生したトラブルではあります」


「そこは変わらない」


「はい。ただし、かなり特殊な保護案件です」


「特殊」


「非常に」


 榊原さんは、窓の外を見た。


「そして、あなたは放っておいてよい人ではありません」


 前にも聞いた言葉だった。


 だが、少しだけ聞こえ方が違った。


 電車の中で、周囲の人に聞こえないように低く言われると、それはほとんど秘密のようだった。


「ありがとうございます」


「感謝されることではありません」


「職務ですか」


「はい」


「それ以外は」


「今は、職務です」


 今は。


 まただ。


 俺は、その言葉を胸のどこかにしまった。


 しまう場所が増えている。


 イエスという名前。キリストという称号。主と呼ばれた時の重さ。榊原さんの下の名前。今は、職務です、という言葉。


 人は、言葉をしまうことで距離を保つのかもしれない。


 電車を降りると、そこは少し大きな駅だった。乗り換えらしい。人が多い。


 榊原さんは、自然に俺の手を取った。


「人混みです」


「はい」


「迷子防止」


「はい」


 手をつないで歩く。


 昨日の花火の時より、少しだけ自然だった。


 俺が慣れたのか。榊原さんが慣れたのか。両方かもしれない。


 改札を抜け、駅ビルに入る。


 昼食を取ることになった。


 飲食店が並んでいる。ラーメン。寿司。パスタ。定食。カフェ。カレー。


「選択肢が多い」


「はい」


「ここでも選べる」


「はい」


「何がおすすめですか」


「今日は、あまり目立たない店がいいです」


「味ではなく」


「安全です」


「安全な昼食」


「はい」


 榊原さんは、比較的空いている定食屋を選んだ。


 席に案内される。店員が水を持ってきた。


「ご注文がお決まりになりましたら」


 メニューを見る。


 焼き魚定食。唐揚げ定食。生姜焼き定食。カツ丼。親子丼。


「親子丼」


 俺は言った。


「はい」


「これは、親と子を」


「鶏肉と卵です」


「名前が重いですね」


「深く考えないでください」


「分かりました」


「何にしますか」


「親子丼にします」


「深く考えないのでは」


「名前は重いですが、おいしそうです」


「それなら良いです」


 榊原さんは焼き魚定食を頼んだ。


 料理が来るまで、俺は周囲を見た。会社員らしき人。旅行者。学生。高齢の夫婦。


 誰も、俺に救いを求めていない。ただ昼食を食べている。


 それは、やはりありがたい。


 親子丼が来た。卵がとろりとしている。鶏肉。玉ねぎ。甘い匂い。ご飯。


「これは、かなり優しいですね」


「食べる前からですか」


「見た目です」


 食べる。甘い。温かい。やわらかい。


「名前は重いですが、味は優しいです」


「よかったです」


 榊原さんは焼き魚を食べている。


「榊原さん」


「はい」


「日本では、食べ物の名前に親子を使っても大丈夫なんですね」


「料理名です」


「現代では、言葉の重さを場面で変えるんですね」


「はい」


「それができれば、かなり揉め事が減りそうです」


「できない場合も多いです」


「そうですか」


「はい」


 食後、店を出る時、店員が俺たちに言った。


「旅行ですか?」


 榊原さんが答える。


「はい」


「いいですね。どちらまで?」


「少し、北の方へ」


「お気をつけて」


「ありがとうございます」


 俺も頭を下げた。


「ありがとうございます」


 今度は、余計なことを言わなかった。


 榊原さんが、店を出てから言った。


「今の対応は適切でした」


「評価ですか」


「評価です」


「嬉しいです」


「ただし、親子丼への解釈は少し重かったです」


「料理名ですからね」


「はい」


「今日は料理の話」


「はい」


 俺は少し笑った。


 この旅で、俺は何度も言われる。


 今日は金魚の話。今日は花火の話。今日は料理の話。


 それは、かなり大切な制限だった。


 何でも救いの話にしない。何でも罪の話にしない。何でも神の国の話にしない。


 今日のことは、今日のこととして置く。


 それが、人として生きるために必要なのかもしれない。


 午後、俺たちは別の電車に乗った。今度は少し長い移動だった。


 車窓の外に、海が見えた。


 青い水が広がっている。湖とは違う。ガリラヤの湖とは違う。もっと広い。


「海です」


 榊原さんが言った。


「知っています」


「見たことは?」


「あります」


「日本の海は?」


「初めてです」


 海の向こうに、雲がある。船が小さく見える。


 水の上を歩くな、と言われたことを思い出した。


 歩かない。今は、見ているだけでいい。


「ナザレさん」


「はい」


「何か考えていますね」


「水上歩行はしません」


「よろしい」


「ただ、海は大きいですね」


「はい」


「人間は、海を越えて来たんですね」


「あなたも、ある意味では」


「俺は、かなり変な越え方をしました」


「はい」


 榊原さんは否定しなかった。


 電車は海沿いを走る。俺は窓の外を見続けた。


 中東の顔をしている俺は、日本の電車に乗り、日本の海を見ている。


 キリスト教ですか、と聞かれたら、関心がありますと答える。


 イエスという名前は使わない。キリストとも名乗らない。主でもない。


 ナザレ・ヨシュア。旅行者。偽装上は榊原さんの恋人。実務上は保護対象者。


 そして、たぶん少しずつ、人として日本を歩いている。


 夕方、目的地に着いた。


 駅前には、小さな商店街があった。海風が少し強い。カモメの声が聞こえる。遠くに港が見える。


「今日は、ここに泊まります」


「はい」


「明日は」


「まだお答えしません」


「聞くと思いましたか」


「はい」


「学習されていますね」


「お互いに」


 俺たちは駅前を歩いた。


 すると、道端に小さな教会があった。


 白い壁。小さな十字架。古い看板。扉は閉まっている。


 俺は足を止めた。榊原さんも止まった。


「入りたいですか」


 彼女が聞いた。


 俺はしばらく教会を見ていた。


 小さな教会だった。


 ローマとは違う。歴史の重さも、巨大な石もない。たぶん、地元の信徒が集まる場所だ。誰かが掃除し、誰かが花を飾り、誰かが祈る。


 俺は、そこに入りたいと思った。


 同時に、入ってはいけないと思った。


「入ると、ここも重くなります」


 俺は言った。


 榊原さんは、何も言わなかった。


「小さな教会です」


「はい」


「たぶん、地元の人たちの場所です」


「はい」


「俺が入ると、俺の場所になってしまうかもしれません」


「その可能性があります」


「それは、だめです」


「はい」


 俺は教会を見たまま、小さく頭を下げた。


 中には入らない。扉には触れない。


 ただ、その場所がその場所でありますようにと、声に出さずに思った。


「行きましょう」


 俺は言った。


「はい」


 俺たちは歩き出した。教会が後ろに遠ざかる。


 少し寂しかった。だが、正しい寂しさだと思った。


 榊原さんが隣で言った。


「先ほどの判断は、適切でした」


「評価ですか」


「評価です」


「嬉しいですが、少し寂しいです」


「はい」


「榊原さん」


「はい」


「いつか、俺は教会に入れるでしょうか」


 彼女はすぐには答えなかった。


 海風が吹く。


「分かりません」


「そうですか」


「ただ」


「はい」


「入らないことで守れる教会もあります」


 俺は頷いた。


 小さな教会。俺が入らないことで守れる場所。


 それも、少しだけ救いなのかもしれない。


 ホテルへ向かう道で、地元の子どもが俺を見て言った。


「外国人だ」


 母親が慌てて言った。


「こら」


 俺は笑って手を振った。子どもも、少し驚いてから手を振った。


 それだけだった。


 キリスト教の方ですか、とは聞かれなかった。


 外国人だ。


 そのくらいの距離が、今はちょうどよかった。


 夜、ホテルの部屋で、俺は今日のことを思い返した。


 イスラムですか。キリスト教の方ですか。関心があります。


 正確すぎる答えは、不自然になる。


 小さな教会には入らなかった。入らないことで、守れるものがある。


 俺は、だんだん、何もしないことの意味を覚えている。


 奇跡を起こさない。名前を名乗らない。教会に入らない。断定しない。手を離さない。


 それは、昔の俺からすれば、ずいぶん不自由な生き方かもしれない。


 だが、今の俺には必要だった。


 人として生きるとは、何かをすることだけではない。


 しないことを選ぶことでもある。


 少なくとも、今日のところは。


 俺はベッドに横になった。


 カードキーは財布の中。スマホは榊原さんの手元。名前はナザレ。宗教は、関心があります。


 かなり変な人生になってきた。


 でも、悪くはなかった。


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