3-1
降り注ぐ雨の音がただでさえ億劫な侯爵家主催の昼食会に憂鬱さを加え、リリアは表情を取り繕うのに疲れていた。
「ええ、まあ。とても素晴らしいですわ」
隣で蕩々と喋り続ける侯爵の長子である青年に対する相槌が適当になってきたのだが、彼は気付くこともなく口を閉じない。
(ダリヤ伯母様がこれで最後でもいいと仰るから来たけれど、今すぐ帰りたいですわ)
この侯爵家の昼食会に出席してほしいと母の兄嫁から手紙が来たときから気が進まなかったのだ。昔からこの青年が苦手なのは伯母も承知しているので、本当に申し訳ないという謝罪とこれきりという約束が文面にあった。
そこまで言うならと半ば承諾しつつ、フィグネリアが難色を示すかもという期待もこめて相談に行ったが姉はこれで最後ならとすまなさそうに答えるだけだった。
王宮近くに大邸宅をかまえるこの侯爵家の立ち位置の大きさは、さすがにリリアでも分かる。それと、かつて皇女が降嫁したこともあって嫡男がまだ未婚となると自分を呼び寄せた目的はひとつだろう。
(お喋りすぎる方はいけませんわね)
リリアは相手が葡萄酒で喉を潤し始めたので会場に目をやる。
天気がよければ自慢の庭園で開催予定だった昼食会はあいにくの雨で大広間となった。立食形式でゆっくり座れる長椅子も点在していて、出席者も多く各々会話や料理を楽しんでいる。
(ずっと同じ方……)
気になるのは壁際の長椅子に並んで座っている一組の男女だ。片方はデニスで、もう片方は一昨年夫が病死して子供もいなかったので実家に戻っているという女性である。
最初はデニスの義理の姪と彼女が一緒にいたのだが、今はふたりきりで話し込んでいる。親しげな雰囲気はさほど感じないものの、ずいぶん長いこと一緒にいる。
再婚の噂話の真相は知らない。
園遊会の後は手紙のやりとりだけで直接顔を合わせてはいなかった。婚約者候補を選ぶにしても進展はほとんどなく、中立派で性格的に無難な相性でありそうな何人かの政治的な話を尋ねただけだ。
結局これという決定打はなく全員無難なままであるものの候補は絞れてきている。
「他の方もご挨拶したがっていますわ」
リリアは近くでそれとなく青年に視線を向けている招待客を見つけて、どうにか彼の隣から抜け出す。そしてさっき見つけた顔見知りの令嬢達が集まっている席へ逃げることにした。
「まあ、リリア様大変でしたわね」
「あの方お喋りが止まらないからリリア様もご苦労なさいますわ」
令嬢達に労られながらリリアは給仕係から林檎酒を受け取る。甘みと酸味がほどよく解け合い、気泡が口の中で弾けて少しは気分がすっきりする。
「……お噂は本当かしら」
リリアがデニスのいる方へと目線をやって声をひそめると、噂好きの令嬢達が難攻不落のバラノフ卿もついにかしらとさざめく。
色々と話を集めても再婚に関する核心的なものはなくもどかしいばかりである。かといって会話をしているふたりに挨拶に行くなどという不作法なことはできない。
デニスが再婚をするより自分の結婚が先だと思っていたのに、どうなるのだろう。
話しかける隙をうかがいつつも、再婚のことを直接訊ねられるかどうかはわからなかった。
リリアは絞り込んだ婚約者候補が数人いるのは確認しても誰かを選んで声をかけようという気にもなれず、令嬢達と退屈な昼食会をやり過ごすことにした。
「皇女殿下、お隣、よろしいですか」
その令嬢達もぽつぽつと席を変え始めると、候補の一人が声をかけてくる。断る理由もないのでリリアは彼が隣に腰を下ろすのを許諾する。
「こうも雨が降るとせっかくの昼食会も気が滅入りますね」
「ええ。綺麗なお庭での開催を楽しみにしておりましたのに残念ですわ」
「この時期はやはり外の方が心地よいですからね。今日もおひとりでご参加ですか? フィグネリア皇女殿下はこの頃社交の場へお出にならないのですね。園遊会も体調が悪く欠席ということでしたが……」
「今日はお姉様はご招待されていませんの。あら、フィグお姉様に御用だったのかしら?」
面白みのない会話だったが、青年の目当てがフィグネリアかもしれないとなると話は別だ。
デニスからの手紙によると律事の官吏として有能だというこの青年は、フィグネリアにはいいかもしれない。
(でも、ご長子ですわよねえ)
家を継ぐ立場なのでフィグネリアは降嫁せねばならなくなる。となるとやはり候補にはならないかとリリアは残念に思う。
「あ、いえ。そういうわけでは。申し訳ない」
リリアの微かな表情の変化に気付いた青年が慌てた様子で取り繕う。
「お気になさらないで。フィグお姉様を気にかけて下さる方がいて安心しましたわ」
「フィグネリア皇女殿下にお目にかかりたいと思っている官吏は多いのですよ。もっと社交の場を設けられるとよいのですが……」
確かにフィグネリアは自ら人を集めることがない。式典などの皇族参加必須でなければこの頃はあまり表に顔を出すことがないのだ。
(出会いがありませんわね)
自分のことはそっちのけでリリアは考えるものの、姉はいつも考えて行動してるので口を挟む隙はなさそうだ。
「フィグお姉様なりのお考えなのでしょうけれど、だけれど気にかけて下さっている方々がいるのは伝えておきますわ」
「ご配慮頂きありがとうございます」
人の良さそうな青年にリリアは他の候補よりも少し好感を覚える。
(でも中立派というと微妙かしら。フィグお姉様のお相手という方が相応しくもありますし)
デニスが家は中立でも個人は分からないというのはこういうことだろう。
青年は好印象なもののやや反九公家派寄りになるのかもしれない。自分が上手く立ち回れば中立派に留まるのかもしれないが、フィグネリアのように賢い妻を望んでいるとしたら難しい。
(直接会ってみないと分からないことも多いですわね)
社交の場で当たり障りのない会話だけでは見えないことも多く、候補を絞ったのならゆっくり話す時間を設けた方がよそさうだ。
「いらっしゃらない……」
青年が席を立ってふと顔を向けた先のデニス達が居たはずの席は誰もいなかった。
さっと会場を見渡してもデニスも相手の女性も見当たらない。席を移動しながらそれとなく招待客を見渡しているとデニスの姪は見つけたが、彼女は他の招待客と歓談中だった。
「皇女殿下、退屈させて申し訳ない」
近くの席にでもいようかと腰を下ろしかけたところでお喋り好きの子息に捕まってしまい、リリアは思わず悲鳴を上げそうになる。
「い、いいえ。大丈夫ですわ。これだけご招待された方が多いとご挨拶も大変でしょう」
「父は人を集めるのがお好きで困ります。本当はもっと招待客は絞らなければ……」
また話が長くなりそうでうんざりしながらも、デニスの姪がいる方を時々覗き見る。そうしている内に彼女がその場を離れ、向かう先はデニスの方だった。出入り口の方からやって来たので彼は外にいたのかもしれない。
「バラノフ一等官ですね。彼が何か?」
「ご再婚されるとかいうお話を訊いたので、本当かしらと思って……」
このお喋り好きなら何か知っているかもしれないと、リリアは訊ねてみる。
どうやらデニスは、同じく再婚相手を探している令嬢数人と見合い中とのことだった。今日いた女性はそのひとりで、人酔いして体調が悪くなりデニスが迎えの馬車まで送っていたということだ。
「バラノフ一等官は人柄も家柄もいい。再婚する意思があるならすぐにでもお決まりになるでしょうね」
「……ええ。そうですわね」
噂話が実体を伴ってくるとじんわりと雲がかかるように、胸の内が薄暗くなっていく。
その日の昼食会は上の空でデニスと直接会話することもできずに終わってしまった。
(デニス様の再婚が決まるまでに、わたくしの結婚相手は決まるかしら)
雨が上がった帰りの馬車の中でリリアは何度目かのため息をつく。
話によればデニスの再婚相手候補自体が少なく後はお互い相性の良さそうな相手を選ぶだけである。デニスさえその気があるのなら、本当にすぐに決まってしまうだろう。
(……ご報告、して下さるのかしら)
デニスから再婚が決まったと言われる日を想像するのは初めてではないが、確実にその日が来ると実感した今日とではあまりにも気持ちの重さが違う。
鼻の奥がつんとして目が熱くなる。
ただ一緒にいる侍女達に理由を聞かれるも嫌なので涙はこらえる。
(わたくしがデニス様のお相手だったらよかったのに……)
どうして駄目なのだろうと考えて、リリアは首を傾げる。
「いけないことはないのかしら……?」
自分はもうどこかへ嫁ぐ年齢である。相手の選別は自分自身では難しいかもしれないものの、希望を口にするぐらいはできる。さらにデニスは政治的には中立派で家格も悪くない。
問題は彼に再婚する気がなかったことだ。
「馬車を止めて」
リリアは侍女に言って御者へ伝えてもらう。もう王宮は目前で、心配そうに侍女が首を傾げる。
「どうされました? どこかお具合が悪いなら神殿へ参りましょうか?」
「いいえ。バラノフ伯爵邸に行って。お願い、すぐに用事をすませて戻りますわ」
「せめてご用件だけでも……」
「連れて行ってくれないのなら、歩いてでも行きます」
渋る侍女にリリアは食い下がる。
「……本当にすぐでございますよ。ただし、侍女長様へのご報告に人はやりますから。少々お待ち下さい」
根負けした侍女の条件を呑んで、護衛のひとりが王宮へと報告しもどって来るまでじっとしている。
デニスは自分より先に出たのでもう屋敷に戻っているはずだ。手紙のやりとりなどまどろっこしいことはしていられない。
馬車がようやく動き出してリリアは膝の上に置いた掌を硬く握りしめる。
確認することと伝えるべきことを何度も頭の中で繰り返す内に、バラノフ伯爵邸へ到着する。リリアは侍女を馬車に残し、護衛をひとりだけ連れて門扉の前に立つ。
(お戻りになられているわよね?)
昼食会のあった侯爵邸より二回りは小さな屋敷は静まりかえっている。雨は上がったとはいえまだ雲は重く辺りは薄暗い。
護衛が家人を呼びに行っているうちに、やっと建物から人の気配が漂ってきていた。
「リリア様、どうされたのです?」
玄関ホールへ通されると同時にデニスが驚いた顔でやってくる。まだ昼食会の時と同じ格好で、もどって間もない様子だった。
「デニス様にどうしてもお伝えしたいことがありますの。ここでかまいませんわ」
応接室へと案内しようとするデニスをリリアは留めて、困惑しきった彼の顔を見上げる。
「デニス様、ご再婚なさるのですわね」
「……え、ええ。まだ相手は決まっておりませんが、前向きに話を進めているところです。また決まりましたらご報告をと思っていましたので」
「誰かをお選びになったわけではありませんのね」
「今、顔合わせの最中でして……それをお尋ねにわざわざ?」
何ひとつ理解出来ない状況にずいぶん戸惑っているらしく、デニスは終始感情が薄い。
「ええ。そういうことなら、デニス様をわたくしの結婚相手の最有力候補とします。よろしいですか?」
沈黙が横たわり、自分の心臓の音がひどくうるさい。
「…………い、いや。よろしくはありません。当家は皇女殿下が降嫁されるほどの家ではなく!」
珍しく取り乱した様子でデニスが首を横に振る。
「デニス様ご自身はどうなのです? わたくしではいけませんか」
迷いなく言葉を口にしながらも、最後の言葉は声が震えそうになった。
「……リリア様はまだお若い。もう人生の折り返しに近い私には、あなたを十分に幸せにする時間はないでしょう」
いくらか落ち着きを取り戻したデニスの言葉は、胸に重くのしかかっていく。
十六という歳の差はどうあがいても埋まらない。
「そうですわね。ですからこそ、わたくしは今すぐ、デニス様と結婚したいのです」
しかしここで簡単に引き下がるわけにはいかない。
「どうして、また急にそのような……」
「わたくしは、ずっとデニス様をお慕いしておりましたもの。あなたが誰ともご再婚なさる気がないのなら諦めますけれど、わたくし以外の誰かとご一緒になるなら譲りません」
ひどく困った様子のデニスに、リリアは微笑みかける。
「すぐにお返事がいただけるとは思っておりませんわ。では、侍女を待たせておりますので、今日は失礼いたします。急にお邪魔して申し訳ありませんでしたわ」
デニスが何かを言う前にリリアは身を翻し屋敷を出る。待っていた護衛に付き添われて馬車に戻ると、侍女の安堵した顔に出迎えられる。
(ついに、言ってしまいましたわ……)
座った途端に急に体が芯から冷たくなる。
初恋がゆるやかな雪解けのように終わることはもうない。
すっぱりと終わるか、それとも成就するか。
リリアは唇をかたく引き結んだあと、深呼吸をひとつする。
結果がどうなろうと今はこの行動を後悔する気持ちはわかなかった。




