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2-1

 国の財務を担当する蔵事は緊急監査で慌ただしい。

 最上位の一等官であるデニス自身も先頭に立って部下達を取り纏めつつ、押収した書類の確認を進めていた。

「定期監査の準備は第二政務室に預けるしかないか……」

 想定以上に多くの貴族や商人の共謀による脱税が多重に絡んでややこしく、法を取り扱う律事との協議も考えれば予定の政務は別班に頼むしかない。

(リリア様とのお約束は先延ばしだな)

 執務が優先でいいとはいわれたもののしばらくはリリアの依頼を遂行することは難しいだろうと思うと少々心苦しい。

「バラノフ一等官、ニースル商会の帳簿そっちにありますか?」

「ああ、ここにある。これとも一緒に確認してくれ」

 デニスはげっそりと疲れ顔の部下に関係性のありそうな別の書類を渡す。

「こんな大規模とは参りましたね。先帝陛下が亡くなられてから緩みがある気がしますよ。まあ、別件の事案は皇帝陛下の『持ち帰って検討する』で保留になってるからいいんですけど……」

「この件が終わるまで保留は続きそうだな」

「こういう時はそれはいいんですが、フィグネリア皇女殿下が朝議にお顔を出して下されば執務の流れがよくなると思うんですけれどね」

 九公家派に聞こえぬように声を潜めて部下がぼやく。

「しかし、そういうわけにもいかないご事情があるのだろう」

 新たに即位したイーゴルが政に明るくないことは誰もが知っていることである。その補佐をしているのがフィグネリアであることも周知のことだ。

(どこまで補佐されているのか)

 ただ、イーゴルがどこまで自分の考えで政務を進めているかは不透明である。

 あらかじめ議題が決まっている朝議は時々考え込みながらもこなしているが、その場で話が拗れ出すと『持ち帰って検討する』となる。検討するのはフィグネリアであるのは確実とされている。

 大臣達に任せる時もあまり細かなことは言わなければ、よく手元の書類を確認しているのでフィグネリアの傀儡状態ではという危惧も九公家派の間ではある。

「まだお若い上に、後ろ盾がなさすぎますからね。先帝陛下のご治世があと十年続いていればお世継ぎはとつくづく思います」

「今はとにかく目の前の仕事を片付けないといけないな」

 九公家派の官吏が近づいて来るのが見えて、デニスは部下を仕事に戻らせる。

 先帝崩御から派閥同士の緊張感も高まりどうにも仕事がやりにくい。

 まだ年若かった先帝の治世は後十五年は続くと思われていたのに、あまりにも早過ぎた。部下の望むようにせめてあと十年あれば、生母が平民で後ろ盾のないフィグネリアでも即位はありえたかもしれない。

(リリア様があまり状況を分かっておられないのは危うい)

 本来なら例え相談役とはいえ皇女の結婚にまつわることに自分が関わるべきではないのだが、あのままでは派閥争いに訳も分からず巻き込まれそうで引き受けてしまった。

 しかし、王宮で迷子になっていたあの小さな姫君が縁談で悩んでいるとは早いものである。

(私はまだ前に進めない)

 結婚して五年、妻がずっと望んでいた子供は死産だった。産声を上げなかった息子のことを問う妻に、どんな言葉をかければいいか分からず悲しみに暮れる瞳を見つめ、手を握っていることしかできなかった。

 そうしてその妻も産褥熱で三日後に没し、喜びと期待に満ちた日々は瞬く間に失われた。

 もう十年が近い。自分の両親どころか妻の両親や兄も再婚を促してくるものの、あの日に心が取り残されている。

「来客です。急ぎの御用とのことです」

 そう声がかけられて来客の名前を問うものの呼び出しに来た相手は訳ありげに首を傾げるのだった。

(リリア様だろうか)

 そう考えながら廊下に出ると蔵事の区画から離れた場所の応接室を指定される。王宮の中で官吏達が執務をする区画は広大だ。行くだけでも一苦労である。

「失礼します」

 部屋に入ると、つい一月前の式典でドレスに長い髪を揺っている姿とは全く違う格好のフィグネリアがいて驚く。

 リリアからこの頃フィグネリアは軍装で、ついこの間髪も短くしてしまったとは聞いていたものの見るのは初めてだった。

「立て込んでいるときにこんな所までお呼び立てして申し訳ありません」

「いえ、ご用件とは」

 聞き返しながらも十中八九リリアのことだろうと予想できる。

 リリアは兄や姉には内緒でと言っていたものの、政情に疎い皇女に監視の目がないはずもなくすぐに悟られるだろうとは内心思っていた。

「妹がまたご無理をお願いしている件です」

 穏やかながらも有無を言わせない威圧感が先帝によく似ていた。

「……すぐにお気づきになるとは思いましたが、ご報告せず申し訳ない」

「いいえ。口止めをされていたのでしょう。仔細をご説明お願いします」

 デニスが淡々と状況を説明している間ずっと、フィグネリアは難しい顔をしていた。

「なるほど。兄も私も父が亡くなったばかりだというのに妹の側についている時間がなかなとれないので、いたしかない結果ではあるのですが。相談役にバラノフ一等官を選んだのが幸いでした」

 深々とため息をつくフィグネリアはずいぶん大人びている。

「ひとまず私の所で話は留めてはおりますが、これ以上は立ち入りすぎということになりますか」

「いえ。できることならもう少しリリアに付き合っていただけると助かります。ただ、縁談相手は候補を知っておく、ぐらいで止めていただけますか?」

「承知しましたが、中立派でよろしいのですか?」

「その方が問題は少ないでしょう。私に対して逐次の報告は不要です。ただ、お困りの時は私の方へと相談お願いします。バラノフ伯爵家には中立を保っていただきたく思います」

 九公家派、反九公家派、どちらとも関わりを深くするなという牽制になかなか難しいとデニスは思いつつ、承伏する。

 しかしここで止められたのなら手を引く理由にはなったものの、そうならなくて安心もしていた。

 ここで押し込められてリリアが何も自由に動けないというのは、あまりにも不憫だと思った。

「当家の立ち位置は固持するつもりではありますが、アドロフ公家から直接接触があればご相談することもあるかもしれません」

 さすがに九公家と渡り合えというのは難しい。

「ご心配なさらずとも、現状であればアドロフ公家も静観するでしょう。あちらも妹には甘い節があるので、今の内は無理強いなどもないと思うので」

 下手に今の均衡を突っつきたくないのは両者同じようだ。

「それならば安心できます。ただ、数日はリリア様のお相手は厳しいかと思われるので……」

「ええ。蔵事の案件が立て込んでいるので私としてもそちらを優先していただきたい。それと、緊急監査の件ですがゴーラ商会の関係先を取り急ぎまとめてもらいたいのです。そちらはそちらで段取りがあるでしょうが、急ぎで必要なので」

「一両日中に纏めて大臣から陛下へ引き渡しでかまわないでしょうか」

「ええ。それでお願いします。色々と無理を言って申し訳ありません。では、お時間をつくっていただきありがとうございます」

 忙しげなフィグネリアが颯爽と退室するのを、デニスは感心して見送る。

 フィグネリアに朝議に出て欲しいというのは自分も思う。フィグネリアが直接大臣と応答していれば、一度イーゴルを通すという回りくどさが軽減されて物事の進みがよくなるだろうに。

 しかしながらイーゴルの体面もある上、後ろ盾がない状態で前に出すぎるわけにはいかないのも分かる。

(リリア様も年の近い姉君があのご様子では焦るのもいたしかたないのかもしれない)

 フィグネリアが何をしているか全部は理解できずとも、己の役目を粛々とこなしているのを近くで見ていればじっとはしていられないだろう。

 皇女ふたりの成長を見ていると、時間の流れを否が応でも感じてしまう。

(私ももう、動かねばならないだろうか)

 この数年何度も繰り返した焦燥が頭をもたげて、デニスは口を引き結ぶ。

 しかしやはり目の前の仕事を言い訳にして、答を出すことから逃げてしまうのだった。

 

***

 

 リリアは珍しくフィグネリアからも呼び出され、何かばれているのだろうかと怖々としながら小宮を訪れていた。

「あら、お兄様もいらっしゃったのね」

 フィグネリアの執務室には部屋の主はおらず変わりに大熊のような巨漢、兄のイーゴルの姿があって、やはり小言があるのだろうかと身構えてしまう。

「ああ、俺はフィグネリアに聞きたいことがあってな」

「わたくしはフィグお姉様にお呼ばれして」

 兄がたまたまいるのなら大丈夫かもしれないと、平静を装いながらリリアはそわそわする。

「兄上、お待たせしました。ああ、すまん。リリア、先に兄上の用件だけすませていいか?」

 何やら書類を持ってきたフィグネリアの機嫌は普通そうだった。

「それで、ええ。かまいません。そこは大臣に任せて下さい。…………これは概要だけご理解いただけたら朝議はなんとかなるかと。この書面にまとめているので参考にお使い下さい」

「いつもすまんな。俺がもう少し賢かったらお前の仕事を減らせるのだが……」

 大きな体をしょんぼりと縮める兄に、大丈夫と言う姉が父に似ていて寂しさに胸がぎゅっとなる。

「リリア、俺は執務に戻るからあとはゆっくりしてくれ」

 ぽんぽんと頭を撫でてイーゴルが出ていき、フィグネリアとふたりきりになる。

「待たせたな。兄上にもさっき話したのだが大し今度の園遊会は私は欠席することにした」

「 そんな、せっかくお姉様とおろそいのドレスにしようと思いましたのに」

「片付けないとならない執務が多くてな。風邪気味という理由で欠席するから適当に話を合わせておいてくれ」

「わかりましたわ……お話はそれだけ、ですの?」

 わざわざ呼び出すまでの内容でもないのではと、リリアはフィグネリアの様子をうかがう。

「その園遊会だが私とリリアの見合いの場にもなっている。欠席する理由はそれもある。基本的に姉上の側にいれば問題ないだろうが、いつもより人が寄ってくるだろうからそれも一応頭に入れておいてくれ」

 縁談絡みの話に何か勘づいているのではとひやひやしながらも、リリアは顔に出さないようにこらえる。

「そんなお話どこからも聞いておりませんけれど……?」

 園遊会は父が亡くなった去年を除いて毎年やっているものだ。今年だけ何か特別という話は聞いていない。

「独り身の侯爵家の嫡男は全員出席する。それと伯爵家もそれなりにだ」

「そういえばご子息を同伴されるお客様が多かったですわね」

 サンドラと一緒に出席者名簿は確認してはいても、イーゴルが即位して初めての開催で多めに人が集まったのかもとしか思っていなかった。

「リリアもすぐに嫁ぎたいわけではないだろう」

 隠し事の核心をつくような質問にどきりとする。

「いいお相手がいらっしゃれば考えはしますけれど。フィグお姉様こそお仕事のお手伝いしてくださる旦那様が欲しいとかお考えになりませんの?」

 リリアは言いながら執務室を見回す。

 書棚にはぎっしりと本が詰まり、執務机にも何冊か積み重ねられている。その影には書類の束とペン立てには数本のペンとペンナイフが置かれていた。

 この装飾品ひとつない部屋でフィグネリアはずっとひとりで仕事をしているのだ。

「いい人材があれば登用するが父上も重要な執務はおひとりでなさっていた。兄上の体制が安定していない間は、下手に人を入れるのはな。結婚は私はしなくてもいい。どうしても必要とあればその時考える」

「そういうことではなくて、優しくて頼りになる旦那様と一緒に楽しくお仕事したいとか思いませんの?」

「考えたことはないな」

 ざっくり言い切るフィグネリアに、リリアは唇を尖らせる。

 兄妹で誰もフィグネリアの仕事を手伝えないのだから誰か頼れる人がいればいいだろうに、姉は必要としない。

(そんな所までお父様に似なくてもいいのに)

 父は側にいてもどこか遠くに感じる人だった。

 優しかったし忙しくてもとりとめない話をたくさん聞いてくれたけれど、父は自分自身の話はあまりしなかったからかもしれない。

 時々、フィグネリアにもそんな距離感を覚えることがある。父が亡くなってからは余計にそうだ。

「……お姉様、わたくしここにいていいかしら?」

 何もできないけれどもう少しだけ一緒にいたくて聞くと、フィグネリアは少し迷った顔をする。

「かまわない。一区切りついたら母上のご様子を見に行くから、一緒にいくか?」

「ええ。そうしますわ」

 いつもなら追い出されそうでもあったが、珍しく許されてリリアはほっとする。

(園遊会はデニス様もいらっしゃるのよね)

 あれからデニスも忙しいらしく園遊会まで会えそうにないと便りがきていた。

 婚約者候補が集まるようだしデニスに色々教えてもらういい機会だと考える一方で、会ってたくさん話せることを楽しみにしている自分がいる。

(お姉様にいい人がいればいいのに)

 リリアの存在などまるで気にせず仕事に集中するフィグネリアをちらりと見やり、まだ当面そういう話にはならなそうだと半ば諦めるのだった。


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