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***


 それから五日後、王宮の中庭にある四阿でリリアはそわそわとデニスを待っていた。

 屋内の来賓室でもよかったのだけれど、せっかくなら周囲に色とりどりの花が咲きこぼれるこの四阿の方がいいと思えた。

 侍女達は少し離れた場所で待機してもらっているのでふたりきりだ。

 少しでも大人びて見えるように編んだ髪を結い上げてもらい、ドレスも華美すぎない装いにした。

(わたくし、結婚の相談をしますのよ)

 久しぶりにデニスとふたりきりで会える嬉しさを抑えようとしても、やはり少し浮ついてしまう。

「リリア様、お待たせしました」

 そしてデニスが姿を見せると、相談役の依頼という本題が一瞬で頭から飛んでしまう。

(デニス様、今日も素敵だわ)

 髪を短めに整え、今日は白の官吏の装束でなく深い緑の礼服を屈強な体に纏った姿は猛々しい。

 しかしその優しげな目元は穏やかに凪いでいて、彼の雰囲気は柔らかだ。今年三十になるデニスは年を重ねた深みも加わり、ますます魅力的である。

「いいえ。お忙しいのにお呼び立てしてもうしわけありません」

 気を抜けばうっとりと見つめそうになるのをどうにか堪えて、リリアは淑女の笑みを浮かべる。

「私に折り入ってご相談とはなんでしょうか。お力添えできることであればよいのですが」

 耳心地のいい低く柔らかな声音に、リリアはうなずきながらデニスに席につくように促す。

「実はわたくし、そろそろ結婚相手を決めようと思いまして……」

 しずしずと告げると、デニスが目を丸くする。

「……ご結婚ですか。いや、そうですね。リリア様は十四におなりになられたのでしたね。それは、皇帝陛下にご相談できぬ相手なのでしょうか」

 心配げなデニスにリリアは首を横に振って、彼を呼び出すにいたった経緯を説明する。

「なるほど、今の政情からしてリリア様にご縁談が集中するのは仕方ありませんね」

「政情……わたくしが結婚する年頃だからというわけではありませんの?」

「九公家派と反九公家派の対立についてはご存じですか?」

「ええと、意見が合わないことが多くて仲がよくないということは知っていますけれど……」

 政の話で特に苦手なのがこの対立構造であるリリアはしどろもどろに答える。

「九公家派のまとめ役はリリア様のお爺様にあたるアドロフ公です。そして、反九公家派のまとめ役が先帝陛下でした。お二方によって政情は均衡に保たれていた」

「今、お父様がおられないから不安定ですのね。それとわたくしの縁談は関係ありますの?」

「リリア様はアドロフ公家、皇家の両方の血を引いておられます。血縁でみれば中立、ということになります」

「でも、それはイーゴルお兄様もそうですわ」

「そうです。ただ、先帝陛下がおられない以上、今、もっとも大きな力を得ているのがアドロフ公です。どうしてもご存命のアドロフ公の影響力が大きくなってしまい、反九公家派は九公家派と拮抗を取るのが難しいのです。そこで、リリア皇女殿下を反九公家派に引き込みたいというわけです」

 どうやら自分の縁談は思っていた以上に複雑な事情らしく、リリアは眉をひそめる。

「わたくしに縁談のお話をしてくるのは反九公家派ということですの?」

「いいえ。九公家派もです。ここでリリア様を味方につければさらに有利になります。……まことに失礼ながら、アドロフ公はすでに高齢でいらっしゃる。代替わりした時に九公家同士での力関係も変化するでしょう。それも見越して九公家側もリリア様を自陣に入れたいというわけです」

「で、でも、わたくしを味方にしても、そう役に立つとは思えませんのですけれど」

 政はさっぱり分からない自分を引き入れたところで何のいいこともないのではないか。

「リリア様がいることが大事なのです。皇帝陛下が味方につくとしたら、大事な妹君の嫁ぎ先となるでしょう」

「……お兄様ならそうですわね」

 答えながらリリアは自分の浅はかさに青ざめる。結婚をけして軽く考えたつもりはなかったけれど、こんな大事だとは思わなかった。

「デニス様にご相談してよかったですわ……。あら、デニス様のお家はどちら、ですの?」

「当家はどちらの派閥とも広く浅く交友があるので中立派です。私個人としては今はリリア様の味方なのでご安心を」

 デニスが微笑んで、つい胸が高鳴る。

 話が大きすぎて自分では処理しきれない上に、デニス以上の理想のひとが簡単に見つかる気がしない。

「……わたくしの嫁ぎ先は中立派の方がよいのかしら」

 それならやはり条件に合うデニスが一番だと思ってしまう。

「そうですね。今の情勢ならば両派の繋ぎ役となられるのが最善でしょう」

「そういえば、九公家派の一番偉いお方はお爺様ですけれど、反九公家派は誰でいらっしゃいますの?」

 そう問いかけると、デニスが少し驚いた顔をする。

「まだ盤石といえるほどのお力がないでしょうが現時点では中核となり得るのはフィグネリア皇女殿下かと」

「フィグお姉様、そんな大事なお役目なさってらっしゃるの!?」

 イーゴルの補佐とはいう役目に引っ張られて全然繋がっていなかったが、父の仕事を引き継ぐということはそういうことなのだ。

「ご結婚相手を探されるのは今はやめておきますか?」

 自分の頭では全部理解しきれないのでやめておいたほうがいいかもしれない。だけれどいずれどこかへ嫁がなければならないなら、候補者ぐらいは自分で見定めたい。

「いいえ。わたくしの嫁ぎ先となる候補の方は知りたいですわ。お願い、できますかしら。デニス様にもお立場もあるでしょうし、難しいのなら無理は言いませんわ」

 デニスの返答はすぐにはなかった。

 彼は腕組みしいくらか思案した後におもむろに口を開く。

「……私の立ち位置としては安易に口を出せる事柄ではありません。いずれアドロフ公かフィグネリア皇女殿下のいずれかが最終決定するでしょう。裏を返せば私自身の影響力はないので参考程度というならご協力できます」

「お爺様がお決めになるなら九公家派、フィグお姉様がお決めになるなら反九公家派になるのかしら。だけれど、中立派が無難なのですわよね」

 あれこれ考えてくる内に頭の中がぐるぐるしてくる。

「安定を取るなら中立派となるでしょうが、それは両派の思惑次第ということになります。アドロフ公はご高齢でフィグネリア皇女殿下はまだ若すぎる。先の見通しは曖昧です」

「わたくし、お爺様や伯父様とフィグお姉様に仲良くしてもらうのは無理でも、喧嘩はしてほしくありませんわ」

 祖父はまだしもその跡取りである伯父が露骨にフィグネリアを気に入らないという態度を取る。

 アドロフ公家とフィグネリアに血縁がないとはいえ自分にとっては大事な姉なのだ。無用な争いはしてほしくない。

「リリア様は中立派というわけですね。リリア様も皇家の直系であらせられる。ご自身の立ち位置を自ら決めることは悪くないことです」

「難しいことはわたくしは分かりませんわ。家族は仲良くしたいだけですもの」

 派閥うんぬんの話は理解が難しいが将来的に伯父と姉で大揉めすることになるのだけは嫌なのだ。

「それもひとつのお考えとしてよいでしょう。先程も言った通り私にはリリア様の結婚相手を進言するほどの力はありません。ただのご相談相手にしかなりません」

「わたくしが中立派の方を選んでもお爺様やフィグお姉様のご意見と違ってしまうこともあるということですわよね」

 難しい理屈を並べられたら自分は両者を説得することは無理だろう。

「それでもかまいませんわ。わたくしは通らなくても自分の意見ぐらいは持っていたいですもの」

 何もかも全部人任せにはしたくない。

 いつもでもふわふわとしていられる年齢でもないのだ。実際たった半年違いの姉はイーゴルの補佐を立派に務めてる。

「承知しました。ひとまずは簡単なことから考えましょうか」

「そうしていたけると助かりますわ。もう頭の中がいっぱい、いっぱいですの」

 これ以上入り組んだ政情の話題となると、ついていける気がしない。

「では、お相手の年齢のご希望はありますか? できるだけ近い方がよろしいのか、年齢差の許容範囲など」

 本当に簡単な質問にリリアはほっとしながら考える。

「あまり差は気にならないかしら。でも近すぎるよりは少なくとも五つぐらいは上の方がよいですわ」

 すぐに思いついたのは両親の年齢差である。

 ただもっと年上でも大丈夫なのだけれどと、デニスに言いそうになるのはやめておいた。

 どうしても比較対象は彼になってしまう。

「それぐらいの年代ならば未婚で相手のいない子息はそれなりにはおられますね」

「いますわねえ。誰がどの派閥かはまったくわかりませんわ」

 一定階級以上の貴族の家とはそこそこ付き合いがあるので何人かは顔も思いつくものの、彼等の誰かと結婚する未来はあまり想像できない。

「それはまた後ほどでもよろしいでしょう。リリア様が個人的にお望みすることはありますか? 性格や趣味などということでかまいませんよ」

「……優しい方がいいですわ。あまり頭を使う趣味の方はきっとお話が合いませんでしょうし、馬がお好きな方がいいですわね」

「リリア様は遠駆けがお好きでしたね。何度かご一緒させていただきましたが、本当に楽しそうに駆けられる」

 デニスが懐かしそうに目を細める。

「ええ。モーロラ湖畔が一番綺麗な夏前にまた行けたらいいですわ」

 遠駆けにデニスと一緒に行ったのはもう三年も前だろうか。

 侍女や衛兵も一緒でふたりきりというわけではなかったものの、陽射しに輝く湖畔の周りを森の匂いのする風を感じながら駆けた思い出は今でも大事な宝物だ。

「意中の方が見つかればお誘いしてみるのもよいかもしれませんね。ただ、婚約者候補ということを気取られぬように男女複数人を一緒にお誘いすることをお勧めします」

「その時、デニス様もご一緒して下さるかしら」

 もう一度だけデニスと轡を並べたい。

 これから他の誰かと結婚するつもりなのに、どうしても願望が抑えきれず口にしてしまう。

「ええ。それはもちろん。他にはありますか?」

 そんな自分の気持ちにまったく気付かないデニスに、リリアは内心で苦笑する。

「……そうですわね。ああ、領地の運営のお手伝いはできそうにないのでそれはご希望にならない方がよいですけれど、難しいかしら」

 苦手と言えないほどよく分からないのが領地運営である。皇家の直系は十歳になると直轄領の運営を任されることになる。

 とはいえ領地には有能な代官がいるので基本はそちらに任せて、報告書を読みながら実務を学ぶことになる。

 報告書自体は数字がほとんどなければ言葉も難しくなく三枚程度しかない。フィグネリアに送られてくる難解な文言と細かな数字がびっしりと詰まった分厚い報告書に比べると、子供でも読み解ける簡単なものだ。

 それでも教育係に質問しながら教えてもらいながらも、理解しきれないまま判を押しているのが現状である。

「領地運営の能力は必ずしも必要というわけではありませんのでご安心を。リリア様は社交がお出来になられるのでそちらに重点をおいた方がよいでしょうね」

「社交の場でも政に関わるお話はできませんので、期待されるようにできるか不安ですわ。……わたくしの取り柄は健康しかありませんわね」

 生まれてすぐは虚弱体質だったという話が信じられないほど、リリアは風邪ひとつひかない。少し調子が悪くとも一晩寝ればすぐによくなるし、月の障りすらほとんど痛みがない。

「政治的な駆け引きではなく、人との関係を良好に保つことも重要なことです。リリア様はそれがおできになるので大丈夫ですよ。健康なのはとてもよいことです。努力だけでは得られないものですから」

「わたくし、なんだか贅沢な条件ばかり挙げていませんこと?」

 自分のできそうなことがあまりにも少なすぎて相手に条件を求めてよいのか不安になってくる。

「結婚は一生のことですから贅沢になってよいのですよ」

「……デニス様はお小さい頃からご婚約してらしたから、ご結婚は早かったのですわね」

 めいっぱい贅沢が言えるならあなたがいい、なんて言えるはずもなく、その話題を口に出す。

「ええ。お互いの両親が仲がよかった縁で私が生まれる前から決まっていました。私はいつでもよかったのですが、妻が二十になるまでに花嫁衣装を着たいと言っていたので、私が十六、妻が十九の時に結婚式を挙げることにしました。ちょうどリリア様がお生まれになった頃ですね」

 デニスが愛おしげに思い出を紡ぎながら、寂しさを滲ませる。

 あまり、デニスに直接亡妻のことを聞いたことはない。だけれど時々思い出を語る様子を見れば彼にとっての亡妻の存在への愛の深さはよくわかる。

 伯爵家の跡取りでありながら再婚を拒み続けるぐらいだ。

 恋をした瞬間には叶わないとわかっていても、デニスを好きでいる気持ちは抑えられなかった。

(お目にかかる度に好きになってしまうわ)

 相談役には適役だけれど恋心に決着をつけるのは難しいかもしれない。

 少しの雑談と今後の相談の後、去りゆくデニスの後ろ姿をリリアはいつまでも見送り続けながら悩ましく思うのだった。

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