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1-1

 春のうららかな陽射しが差し込む来賓室に、ふたつのため息が同時に落ちる。

「今日で何件目か、サンドラお姉様覚えてらっしゃる?」

 茶会を終えたリリアは隣に座るそばかすが目立つ長身で黒髪の女性、長兄の妻であるサンドラに淡々と問いかける。

「覚えてないわ。リリアも十四歳になったから早いってことはないんだけれど、いくらなんでもこう次から次へと縁談話がくるとねえ」

「お父様が亡くなられてまだ一年なのに……」

 リリアの父である皇帝エドゥアルトは去年の春の始めに急逝した。あらゆる改革に腐心していた賢帝の死はあまりにも突然で早過ぎた。

「一年か、そうね。忙しくしてる内にあっという間に過ぎちゃったけど、まだ寂しいわね。あたしはまだリリアにはお嫁に行って欲しくないな」

 サンドラに抱きしめられて、リリアはうんとうなずく。

「わたくしだって、まだお嫁に行きたくありませんわ。だけれど、婚約者ぐらいは決めておいた方がいいのかしら。お母様とお父様と婚約されたのはもっと前ですもの」

「でも、それは皇族と九公家だからっていうのもあるわよねえ」

 北の大帝国ディシベリアは十の部族が集まって出来た国である。初代皇帝は部族長のひとりで、武力でもって他の九つの部族を従えまとめ上げ帝国を築いた。残りの部族長の末裔は九公と呼ばれ、今でもそれぞれ皇帝に次ぐ権威を持っている。

 リリアの母はその九公家を束ねるアドロフ公家の令嬢だった。十三で父と婚約し十五で嫁ぎ皇后となった。

 決して早いわけではない。家督を継ぐ長子でなければ十五前後は嫁入り婿入りする年齢だ。

「もっと小さい内から決まっている方も大勢いらっしゃいますわ。わたくしと同い年でもうお嫁に行かれている方もいるもの」

「大丈夫よ。ほら、あたしと違って絶対にリリアは嫁き遅れで焦るなんてことにはならないわ」

「でも、イーゴルお兄様と素敵な出会いをされたでしょう」

 六年前、イーゴルが狩に入った森で偶然出会ったのが、そこで森番をしていたサンドラだ。森の猟師達のまとめ役の一族という名ばかり貴族の男爵令嬢である彼女は、十八になっても結婚が決まっていなかった。

「きっとリリアもいい人と一緒になれるわ。だからね、無理に今すぐ決めることはないのよ。結婚したと思ったらすぐに皇后になっちゃったから、まだあたしにもリリアが必要だしね」

 エドゥアルトが没したのはイーゴルとサンドラが、婚約から五年目にやっと結婚してひと月ほど後だった。あっという間にふたりは皇帝と皇后となってしまったのだ。

「……わたくし、このままでよいのかしら」

 父が亡くなったこの一年、周りは慌ただしく動いているのに自分だけ取り残されている気がする。

「どうしても変わらなきゃいけない時なんて絶対いつかくるんだから、今は何も慌てないで大丈夫よ。じゃあ、あたし着替えてイーゴルのとこに行ってくるわ。あたしもこの格好慣れないといけないんだけど、こればっかりはなかなかね」

 実家では基本狩装束、王宮へ来てからも軍服が多いサンドラが慣れないドレスの裾をさばきながら先に出ていく。

 この縁談話は基本的に陛下にご相談しますと流しているわけだが、実際は話が来たことと一緒に気が乗らないと受けない旨も伝えている。

 リリアもひとりきりで部屋に残ることなく、床に伏せりがちの母の元へ行くことにしたのだった。


***


「お母様、お加減いかが……」

 母のオリガの寝室に入ったリリアは、見慣れぬ後ろ姿に大きな瞳を見開く。

 皇族を示す黒の軍服を纏った少女は、半年年上の異母姉であるフィグネリアに間違いなかった。

 しかし今朝には背の半ばまであったはずの髪が、ばっさりとなくなっていた。

「フィグお姉様! 髪はどうなさったの!?」

「いや、手入れの時間が惜しくてな。……変か?」

 父とよく似た凛々しい面立ちのフィグネリアには軍装も相まって、短い髪がよく似合っている。

「お似合いですけれど、何もそんなに切らなくても」

 ずっと姉妹でお揃いだった姉の銀髪が肩口までの長さしかなく、気がつけばぼろぼろと涙が零れてくる。

「ど、どうした!? 事前に教えていた方がよかったか?」

 フィグネリアが狼狽えて顔を覗き込んでくるものの、リリア自身もなぜこんなことぐらいで泣いてしまうのか分からなかった。

 泣き顔を見られるのも嫌でうつむくものの、拗ねている子供のようでますます自分が嫌になる。

「フィグネリアはどんな姿でも素敵ね」

 寝台の上でふたりの様子を見ていたオリガが微笑んで、おろおろしていた姉妹は一緒に母を見る。

「……そうですわね。それにフィグお姉様、お忙しいもの」

 リリアは涙をぬぐってそうつぶやく。

 父が亡くなって一番変わったのはフィグネリアだ。着替えるのが手間だとドレスを着なくなり、ついには髪まで切ってしまった。

 フィグネリアは父似、自分は母似で面立ちこそ正反対だが年も近く髪色も髪質も同じなので後ろ姿はまるで双子だった。

 なのに、もう全部違ってしまっている。

「フィグネリアには色々任せきりね。わたくしももう少しなにかできればよいのですけれど」

 元々病弱だったオリガは父の死後は一段と体力が落ちてしまっている。まだ四十に届かない年齢だというのに、寝ついていることが多い。

「元より兄上の政をお支えするのが私の役目ですので、母上はどうかお気を落とさないでください」

「わたくしもフィグお姉様の三分の一ぐらいは賢かったらお手伝いできることがあったのに」

 あいにく子供の頃から勉強は苦手だ。そして兄のイーゴルも同じく知的とはほど遠い所にいる。

 エドゥアルトが側室を迎えたのもそのためだ。

 十歳近くになってもイーゴルに政の才能が一向に見出せないために、父はその補佐を担える第二子を望んだ。

 オリガはイーゴルを産んだ後第二子には恵まれなかったこともあり、側室をということになった。フィグネリアの実母はお産で没し、オリガがそのまま実子のようにフィグネリアを育てた。

(結局、わたくしもお勉強は全然駄目だったものね)

 側室を迎えて後にオリガも懐妊したものの、リリアも政の才はなかった。

 今、父が一体何をやっていたのかちゃんと理解しているのは兄妹の中でフィグネリアだけである。

 だからこそ、フィグネリアにも縁談の話があっても明確に今結婚しない理由があるのだ。

「リリアは義姉上の補佐をしてくれているだろう。それで十分だ」

 社交の場にあまり出られなくなった母の代わりと、生家では猟師暮しで王宮での暮らしに慣れていなかったサンドラの補佐は父が亡くなる前からずっとやっていることである。フィグネリアのここ一年急増した仕事量とは比べものにならない。

「では、私は執務に戻りますので」

「え、もう行ってしまわれるの?」

「ああ。母上のご様子を見に来ただけだからな。夕餉は執務室ですませる」

 もう少しゆっくり話したかったのに、すぐにフィグネリアは出て行ってしまった。

「フィグお姉様、このところずっと小宮の方に籠りきりですわね」

 フィグネリアは王宮の裏手側にある離れで執務をしている。あくまでイーゴルが皇帝なので、できるだけ表から遠ざかった所で目立たないようということらしい。

「そうね。エドゥアルト様によく似ているから、無理をしすぎていないか心配だわ」

 オリガが憂い顔でため息をつく。

 父は仕事熱心であまり疲れたところは自分達には見せなかった。そういう所はフィグネリアも同じで、忙しいだろうに愚痴をほとんどこぼさない。

「……お母様は今日は顔色がよろしいですわ」

 リリアは寝台の側の椅子腰掛ける。今日の母は幾分か血色はいいものの、儚げな雰囲気は変わらない。

「ええ。いつもより体が楽よ。リリアは今日はサンドラとお茶会でしたわね」

「今日もご縁談の話がありましたけれど、お断りしますわ。婚約者をお父様が決めてくださっていればよかったのに……」

「そのうちきっといいご縁が巡ってきますわ。あまりに多いなら、イーゴルかお爺様が決めてくれると言ってしまうのはいけないのかしら」

 それは考えなくもなかったのだが。

「お兄様の名前を出したら今度はお兄様の所へ縁談のお話が集中するでしょう。慣れないご政務で大変なお兄様にご迷惑はかけられませんわ」

 気のいい兄はどんな話も真摯に聞いてしまうに決まっている。

「それに、お爺様の方からくるご縁はフィグお姉様が面倒なことになるかもしれないから受け流しておいてほしいって仰ってたわ」

 これは政としての理由が大きいようだが自分には難しくてよくわからない。

「まあ。難しいわね。それならもうよい巡り合わせがあるまでと思って諦めるしかないのかしら」

「そうですわね。気の向くご縁がどこかにあるかもしれませんわね」

 両親のように親が決めた婚姻でも穏やかで暖かな夫婦になれるのが一番いいのだろうけれど、そんな縁が自分に巡ってくるか不安がある。

 でもやはりイーゴルとサンドラのような運命的な出会いに憧れもある。

(わたくし、恋はもうしてしまっているし)

 オリガに疲れが出る前にお喋りをやめて自分の部屋に戻ったリリアは、机の上に届いている手紙の山には目もくれず想い人の姿を思いおこす。

 デニス・バラノフ。九年前に王宮で迷子になった自分を助けてくれた伯爵家の嫡男。

 王宮に出仕している官吏のデニスにはあの日がきっかけで時々一緒に遊んでもらったり、理由をつけては話相手になってもらったりと今でも交流がある。

 デニスにいつか想いが通じるなんて、夢を見られるほどもう子供ではない。

 だけれどあまりに長く持ち続けている恋心は、簡単に消えてくれそうになかった。

「ご再婚されたら諦めがつくのかしら」

 伯爵家の跡継ぎであるデニスに、再婚の話が持ち上がっているという噂は何度かきいたけれど彼はまだ独り身だ。

「わたくしの結婚が決まる方が先かしら」

 自分はずっと同じところでふわふわと漂っている。

 みんなはそのままでいいとは言ってくれても自分自身が納得がいかない。

 リリアは仕方なしに届いた手紙を開いてみるものの、結婚の話題がちらりと見えて閉じる。母の交友関係を一部受け継いだ自分の大事な仕事ではあるものの、最近はこちらにも縁談が絡んできてうんざりする。

 あっちへこっちへと手を引かれた所で行くべき道は見定められない。

「……花嫁衣装をお父様に見ていただきたかったわ」

 不意にそんなつぶやきがこぼれて涙が滲んでくる。

 母とて今日は顔色がいい方だけれど日に日に弱っていっているのは明らかで、あと何年一緒にいられるかわからない。

 いつまでもこのままではいられない。

 リリアはぐっと涙をこらえて決意する。

「結婚とまでいかなくても、婚約者だけでも自分で選んでみますわ」

 そうなると必要となるのはまず相談役である。さすがにひとりで何もかも決めるには無謀だ。

 デニスと出会った迷子の時は苦い思い出でもあった。後にも先にもないぐらい父に説教され母を泣かせてしまい、自分を見失った侍女達も軽微ながらも罰を受けた。

 ひとりで勝手に動くのはよくないのは、この時嫌というほど学んだ。

 今多忙な兄と姉の仕事は増やせないとなると、一番頼りになるのは母の義姉にあたる伯母である。

 だがアドロフ公家の次期当主の妻である伯母に頼るのは、フィグネリアの意向に沿わない可能性が高い。それに単純にやりとりするのに時間がかかる。

「ううん、政がちゃんと分かって信頼できるお方……」

 何人か心当たりはあるものの決定打になるものがいまひとつ足らない。

 そしてぐるぐると考えているとふと閃く。

「そうだわ! デニス様がいいわ」

 まだ官吏として王宮に出仕しているデニスなら顔見知りも多いであろうし、誠実に自分の話を聞いてくれる。

 何より、彼に祝福されて婚約ができればきっとこの恋も綺麗に終われる。

「では、さっそくお願いしないと」

 リリアは決めるや否や、デニスに宛てて手紙を書き始めるのだった。

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