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プロローグ

 それはほんの冒険心からだった。

 兵舎にひとりで行ってそこにいる兄を驚かそうと思ったのだ。だから中庭を散歩したいと侍女達にお願いして、こっそり抜け出すつもりだったのだ。

 しかしながらまだ五つのリリアには巨大な王宮の広さなど知るよしもなかった。

 侍女を撒くまではよかったのだ。

 今日のために選んだ緑のドレスを纏った体を初夏の青々とした低い庭木の間に滑りこませ、銀の髪をなびかせすばしっこく逃げている時は楽しかった。

 侍女達の声が遠くなってほとんど聞こえなくなった時の達成感とわくわくした気持ちは、すでにしぼみきっている。

 自分がどこにいるのか、今いる場所が王宮の中なのかさえもよくわからない。

「お姉様と一緒に来ればよかった……」

 半年年上の異母姉を誘おうとは一応考えたのだけれど、駄目だと言われそうでやめておいたのだ。

 リリアは澄んだ水色の瞳を潤ませる。

「お母様……」

 鬱蒼とした一角に迷い込んでしまい、母恋しくなりリリアはとうとうしゃがんで泣き出す。

「リリア皇女殿下!? そちらにいっしゃいますか!」

 知らない男の声にびっくりして涙が止まる。

 向こうは自分を知っているらしいので、衛兵が探しに来てくれたのかもしれないとリリアは声の方へ向かって泣きながら歩いて行く。

「よかった、ご無事ですね」

 木々を分けてやってきた青年に見下ろされて、再び涙が溢れてくる。

「どこか痛いところがありますか?」

「……っ、おかあさまに、おかあさまに会いたい」

 しゃくりあげながらそう言うと、心配げだった青年がほっとした顔をする。

「抱き上げてもよろしいですか?……では、失礼いたします」

 ふわりと抱き上げられて青年の顔が間近に見える。十六の兄より少しだけ年上ぐらいだろうか。軍服ではなく官吏の服を着ているので衛兵ではないらしい。

 短く切りそろえた黒に近い焦げ茶に青みがかった灰色の瞳。やわらかく暖かな雰囲気に少し気持ちが落ち着く。

「人のいるところにすぐにまいりますので、大丈夫ですよ」

 分厚い青年の胸板は、兄に似ていているけれど少し緊張する。

「リリア!」

 そうすれば本当に兄のイーゴルの声が聞こえた。

「いなくなったと聞いて心配したぞ。無事だな。バラノフ卿、ありがとうございます」

 青年よりも背丈も胴回りも大きく屈強なイーゴルに受け渡されて、リリアは小さくごめんなさいとあやまる。

「何事もなくよかったが、次からはひとりで行ってはいかんぞ。……もう出仕されていたのですね。この度のことはなんと言っていいか」

「お心遣い、痛み入ります。家にいても、やることもありませんので。では、私は職務に戻ります」

「そうですか。今日は助かりました。無理はなさらぬように」

 大人の会話は退屈だけれど、バラノフ卿と呼ばれた青年の悲しげな表情は気になった。

「ねえ、お兄様。あの方、どうされたの? なんだかさびしそうでしたわ」

 兄に抱きかかえられたまま母のいるところへ連れて行ってもらう途中、すっかり元気になったリリアは青年のことを問う。

 そうして、彼が妻と子を同時に亡くしたばかりだと知ったのだった。

 

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