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4-2

***


 フィグネリアの執務室へと招かれたデニスはリリアとの結婚についての相談を始めたが、向かいに座るフィグネリアは一言も発さず眉根を寄せたままだった。

「……困った事があれば相談をと申し上げたはずですが?」

 やっと口を開いたフィグネリアの声は重々しく、デニスはその威圧感に圧倒されながら言葉を続ける。

「第三者が介入するより当事者同士の話し合いをした方が拗れないかと思ったのですが……」

「確かに一理ありますがそれにしても、なぜそこから承諾することに」

 フィグネリアは問い詰めると言うより心底不思議そうな表情だった。

「リリア様にはもっと相応しい嫁ぎ先があるのではと、お話しました。しかし私個人の事情も、家の事情も十分にご理解いただいた上でご意志が変わりませんでした。私はそのお気持ちも、リリア様ご自身もお護りしたいと決断しました」

 自分にとってリリアの存在の位置付けは、はっきりしないものだった。身分と年齢が大きく離れているのはもちろん、共に過ごす時間がそれほど多くなかったのもある。

 姪ほど近くで成長を見守ったわけでもなく、会えば挨拶程度よりは長い時間を過ごすにしても頻繁にではない。

 会う度に成長している姿が健やかであることに、微笑ましく思うぐらいの距離感である。

 特に先帝崩御からのこの一年ほどは一度だけ公の場で短い時間話した他は、数度挨拶を交わすぐらいだった。

 だから縁談の相談に呼び出された時も想定外に重大な話だったので驚いた。

 そしてすっかり大人びた容姿と、それにまだ追いつききっていない内面の危うさに護らねばという義務感にかられた。

(思えば、状況を理解していなかっただけで芯はしっかりしておられた)

 リリアは自分で決断するということだけは揺るがさず、きちんと自分が置かれている状況を呑み込んで行動していた。

 純粋さを抱えたまま大人になろうとしている様子を見ている内に、気がつけば義務感ではない感情が生まれていた。

 恋とは違う。だけれどリリアの持つ純粋さを護り通したいと、願うようになっていた。

「……貴家はリリアの嫁ぎ先としては悪くありません。しかし、ご承知の通り最善でない。正直なところ、リリアの嫁ぎ先自体はできるだけ早い内に決めておきたいとは思っていますので、悩ましいところではあります」

「早い内とは、アドロフ公家の御当主が変わる前、ということでしょうか」

 現在リリアの祖父にあたるアドロフ公はもうすぐ七十である。本来ならばとうに跡継ぎへ当主の座を譲っている年齢であり、いつなにがあってもおかしくないほど高齢だ。

「そういうことです。アドロフ公は現状、安定優先で慎重派ですが御嫡子は強行路線をとりがちです。代替わりするとおそらく九公家派へ嫁がせることを推し進めるでしょう。その前に中立派へと嫁がせる準備は進めたいのですが、妹が嫌がる相手は選びたくない」

「代替わりしたとき、当家が中立派を維持出来るかが懸念ということですね。……反九公家派に立って欲しいとはお望みにならないのです?」

 踏み込んだことを問うと、フィグネリアが腕を組んで思案顔になる。

「緩衝帯は今にしても先にしても必要でしょう。リリアには少々重荷でしょうがその役目を担ってもらいたいと考えています。バラノフ伯爵領は帝都、アドロフ公家と距離は近いのですが、同程度の地理的条件を満たす侯爵家もある……ただ、中立派を維持する気があるかといえば曖昧です」

「当家は中立派を維持するつもりです。リリア様の重荷を私にも背負わせていただけないでしょうか」

 家としての力はさほど強くないが中立派を維持し続けるだけの胆力はなんとかある。

「妹は社交の場で上手く振る舞うことはできてもどうしても、政に対しての理解が弱い。そのあたりを的確に支えて下さることは、期待できます。……何よりリリアが信頼を置いていて、結婚の意思が固いとなるとこれを覆して数年以内に他へ嫁がせるのは骨が折れる」

 フィグネリアがため息をついて諦めの姿勢を見せる。

「まずは、御家中の総意を得ることが最低限の条件です」

 差し出された条件は元よりそのつもりなので問題なく、デニスは承知しましたと返答する。

「それから、今まで以上に足場固めを強固にしていただきたい。貴家の周囲の子爵家、男爵家、それぞれ小さくともまとまればそれなりのものになります。しかし烏合の衆では困る。これまでも周辺地域のまとめ役として十分に役目を果たしているのは存じていますが、周囲から取り崩そうとされても結束が緩まないようにお願いします」

「当主が変わっても統制を取れるように今まで以上に尽力いたします」

 バラノフ伯爵領周辺は王宮への出仕義務を持たない小領主達に囲まれている。古くより揉め事の仲裁など問題があれば対処し、有事の際は協力し合ってきた。その体制を維持するため、次期当主である自分も頻繁に領地へ戻り父と共に小領主達と交流を重ねている。

「問題はアドロフ公家ですが、皇太后陛下が交渉に手を貸してくれるでしょう。アドロフ公も安定のためと近い所にリリアを置いておけるなら強固には反対なさらないかと。ただ、リリアに降嫁後も従わせる侍女はアドロフ公家の者という条件は持ち出してくるとは思います。こちらとしてもそれぐらいは呑まねばならない。十分にご注意下さい」

 家中にアドロフ公家から遣わされた侍女を置くというのは考えていなかったデニスは、なかなか厄介だと唸る。おそらくリリアの幼少期から付き従っている者となると、扱いが難しい。

「警戒しすぎず、かといって油断せずに対応せねばなりませんね」

「お願いします。後はリリアには嫁ぐまでに貴家の財務状況に合わせた財政感覚と、周辺領地の概略は教え込みますが基本の基本程度しか覚えきれないでしょう。特に座学では子爵家、男爵家の名前と位置関係は正確に覚えられないと思われます。リリアの場合直接会って顔を見れば名前は覚えられるはずなので、嫁いだ後に色々お手解きお願いします。あの子は一度にたくさんのことを覚えるのは苦手です。少しずつ根気よくバラノフ伯爵夫人としての役目を教えていただければと」

 フィグネリアが妹を案じる姉の顔を見せてデニスは肩の力を抜く。

「もちろん、無理に急いで詰め込もうとはいたしません。リリア様と相談して必要なことから順番に覚えていただきます」

 リリアにはゆっくりと教えていけば細かいことは無理でもある程度は理解できるともう知っているので、不安はあまりなかった。

「……皇帝陛下には私の方から報告いたしておきます。陛下の異存がなければ婚約はこのまま成立となるでしょう」

 フィグネリアが淡々とそう告げた後、息をひとつ吐く。

「妹をどうか、よろしくお願いいたします」

 万感の思いがこめられた言葉は、重たくも暖かかった。

「大事な妹君をお預かりする以上、誠心誠意、心を尽くしてまいります」

 デニスはフィグネリアに礼を述べて、執務室を退室すると一山越えたことにほっとする。そうして小宮から本宮へと戻ると、リリアが待っているという応接室へと案内される。

「デニス様、フィグお姉様は賛成して下さった?」

 椅子から立ち上がり、駆け寄ってくるリリアはとても不安げだった。

「皇帝陛下からお許しがあればよいとのことです」

「それなら、大丈夫ですわね。あとはお爺様ですけれど……」

 喜びながらもまだ安心しきれないリリアにフィグネリアとの話を告げると、彼女は展望が見えたことにやっと笑顔を見せる。

「これからまた新しく様々なことを覚えていただかねばなりませんが、大丈夫ですか」

 かねてから勉強は苦手だというリリアは表情を強張らせながらも、力強くうなずく。

「わたくしとデニス様の素敵な結婚生活のためですもの。一生懸命がんばりますわ……失礼いたします」

「リリア様!?」

 じっとデニスの顔を見上げていたリリアが遠慮がちながらも抱きついてきてデニスは目を丸くする。

「……本当に、デニス様と結婚できますのね」

 震える声に迷わずそっと抱き返す。リリアはどんな思いでここで待っていたのだろうか。

「必ず、お幸せにいたします」

 誰からも大切に育てられたリリアを妻に迎える責任は重くとも、不思議と重圧感はなかった。

「デニス様も一緒に幸せになってくださいませ」

 自分の顔に埋めたままのリリアがそう言って、だからだろうとデニスは思う。

 誰かに妻を亡くした痛みに寄り添ってもらいたいだとは望んだことはなかった。

 そしてリリアは無理に過去は共有しようとはしない。そのかわり未来は共に抱えていこうとしてくれているからこそ、自分は亡き妻への想いも持ったまま先へ進めると思えた。

「今、久しぶりに幸せだと思っていますよ」

 本心からの言葉を告げると、リリアが顔を上げて目を潤ませたまま花が綻ぶように微笑んだ。


***


「ということで、わたくし、デニス様と結婚しますわ」

 リリアはデニスが生家に行き再婚を承諾されたと報告を受け、真っ先に母へ報告に行った後に別室に集まっている兄夫婦とフィグネリアへそう宣言する。

「え、嘘、本当に! おめでとう!」

 真っ先に歓声を上げたのは義姉のサンドラだった。すでに知っているフィグネリアはともかく、肝心のイーゴルが静かすぎた。

「……嫁に行くのか? もう?」

 いつもは所作ひとつひとつやかましいというのに、あまりにもか細い声にリリアは動揺する。

「イーゴルお兄様、反対なさるの?」

 最も認めてもらいやすいのは兄と思っていたのでまさかここで躓くと思わなかった。

「いや、バラノフ卿はよい方だ。しかし、何も今すぐ結婚しなくてもよいのではないのか。婚約だけで、嫁入りはあと二、三年あとでも」

「デニス様のお歳を考えると、そんなに待っていられませんわ」

 自分はできるだけ長く結婚生活を続けたいのだ。一日だって惜しいというのに数年越しなどありえない。それに結婚を急ぎたい理由は他にもある。

「要は寂しいのよね」

 サンドラが苦笑するとイーゴルがつぶらな瞳を潤ませる。

「結婚してもしばらくは帝都のお屋敷で暮らしますもの。遠くへ行ってしまうわけではありませんわよ」

「それは、そうなのだろうが。もう少しだけ俺達だけの可愛い妹でいてくれても、なあ、フィグネリア」

 イーゴルに同意を求められたフィグネリアが首を横に振る。

「兄上、嫁いでもリリアが私達の妹であることは変わりません。リリアのためを思うなら、喜んで送り出してあげましょう。式は早めに挙げたいのだろう」

 先に色々相談しておいたフィグネリアがそう言って、リリアはうなずく。

「冬までに挙げたいの……お母様に花嫁姿を見せたくて」

 母にはできればずっとこのままでいて欲しいけれど、別れはいつ訪れるか分からない。

 暑くても寒くても体調を崩しやすい母が冬を越せるかすら見通せていない状態だ。なるべく後悔は残したくなかった。

「そういうことなら、盛大に式を挙げねばならんな……」

 イーゴルが涙ぐみながらやっと納得してくれてリリアは安堵する。

「兄上、時間と予算の関係上前例よりも小規模の式となります。明日の朝議で降嫁の日程と予算組を大臣達と話し合っていただきますのでよろしくお願いいたします」

「リリアが嫁ぐのだぞ!? なんとか前例ぐらいには派手にできんのか!?」

 突然の現実的な話に涙を引っ込めたイーゴルがフィグネリアを見やる。

「できません。リリアも納得済みです」

 ばっさりと切り捨てるフィグネリアの頼もしさに、姉が味方になるとこれほど心強いことはないとリリアは思う。

 祝い事となると兄がはりきりすぎるのは分かっていたので、実現可能な規模をフィグネリアがしっかり考えてくれていた。

「ところで、俺とサンドラへの報告が最後なのか?」

「リリアの降嫁は政に関わるので事前に問題がないか確認した上で、兄上達に報告となりました。明日、バラノフ一等官が直接挨拶にいらっしゃいます。それからさらにバラノフ伯爵夫妻もお招きする両家の夕食会の日程も立てねばならないので、これから兄上も忙しくなります」

「おお、そうだな。バラノフ卿とも会わねばな。うむ、忙しくなりそうだな」

 上手くフィグネリアが話の方向を変えて、イーゴルが慶事への準備に瞳を輝かせる。

「急なお願いでお仕事を増やしてしまうけれど、お兄様達、お願いします」

 兄達が多忙な中でこんなに急いで式を挙げることに罪悪感はあった。

「おお、そんなことは気にするな。お前の晴れの日のためなのだ。こんなに嬉しい仕事はないぞ」

「そうよ。お祝い事の準備って大変だけど、その分最後はすごく楽しいんだから。ところで、あたしは何をしたらいいの?」

 イーゴルがからりとした笑顔を見せる横でサンドラが首を傾げる。

「義姉上は夕食会の準備、予算が立ち次第婚礼準備の陣頭指揮にあたってもらいます。女官長を始め担当官がしっかり補佐しますのでリリアとも相談しながら進めて下さい」

「難しそうだけど頑張るわ。リリア、素敵な式にしようね」

「ええ。お兄様達、本当にありがとうございます」

 リリアは兄と姉たちへ順番に抱擁していく。遠くに行くわけではないと自分で言ったものの、こうしていると少し寂しさを感じてしまい目に涙が滲む。

 こうして慌ただしいながらも真っ直ぐに幸せへと向かう日々が始まるのだった。

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