第二十三話
第二十三話
昇が目を覚ますと空は既に夕闇に暮れていた。金色の空は実に荘厳な物である。部屋には良い匂いが漂っている。痛む顔に顰めつつ起き上がる。鏡を見ると酷い顔をしているのだろうと想像する。
台所を見ると、誰かが立っている。多分、いや、絶対仁ではない。昇はそう考えつつ、何があったのか、暫く考える。体を動かすのは億劫だ。ベッドに寝転がったままだ。
「いかん!」
慌てて立ち上がる。顔も体も痛む。しかし、そんなことをしている場合ではない。仁は桜を殺すといった。そこで殴り合いになったのだ。玄関に向かおうとする昇の前に誰かが立ちはだかる。台所から出て来た人物だ。礼威である。
「其処を退け!」
「退きませんよ!
そんな酷い怪我で何処に行くんですか!」
「良いから退け!」
昇は無理やり昇の脇を通ろうとして、携帯が鳴った。礼威の携帯も、である。昇がディスプレイに目を落とすと、実家と表示されていた。昇は直ぐに出る。
「もしもし」
「昇か?」
祖父だった。桜に何かあったのは間違いない。
「桜は!?」
「無事だ。それよりも、出来る限り速く家に帰って来て欲しい」
「分かった、直ぐ行く」
昇は携帯を切ると同時に変身をすると窓から外に出ていった。後ろで礼威があっ!と言っていたが止める間もなく去って行ってしまった。礼威は取り敢えず、電話の相手、健から直ぐに来るよう言われたので、テン・バーに変身して後を追う。外に出たは良いが、地上90メートルを超えている。
30階建ての最上階だ。直ぐ様後悔した。しかし、何時までも後悔してなど居られない。女は度胸!そう自分に言い聞かせて壁を壊さぬよう蹴って飛ぶ。ビルを飛ぶ際には壁を蹴って飛ぶのが基本だ。大抵の魔法少女はパルクールを取得することが半ば義務付けられる。
パルクールとは、別名をフリーランニングとも呼ばれ、フランスの軍人ジョルジュ・エルベによって考案された運動方法である。町中でビルを超え、壁を登り、柵を越えていく猿のような動きが、それである。元々は強い精神を持って周囲の環境を活用し、あらゆる地形を走破する運動法である。
簡単そうに見えて、体の柔軟と高度な判断力に、己の体を知り尽くしていなければまず無理な動きである。
テン・バーは先を跳ぶ、クアトロ・セブンを追い掛ける。クアトロ・セブンが着地するポイントと動作を真似すれば、パルクール初心者であるテン・バーでも着いていける。少なくとも、身体能力はイーブンなのだから、後は度胸だけで事足りる。
仁の家から昇の家まで車だと30分ほど掛かる距離を僅か5分ほどで着いてしまった。クアトロ・セブンは着地と同時に前転しつつ変身を解いて、そのまま走り去った。周囲に人間が居たが、一瞬の事で、クアトロ・セブン=昇と言う認識は出来なかった。
流石にそんな能力はテン・バーにはない。人通りのない。路地に入り、変身を解いて昇の家に向かった。
魔法少女が最も注意を払うのは変身の時である。自分の正体を知らぬ人間に見られてはいけない。更に言えば、誰にも分からぬ場所で変身しなければいけないのである。
昇に遅れて数分後に礼威は昇の家に入った。家には複数の靴が転がっており、一番散らかっているのは昇の靴だ。礼威は靴を一人揃えてからリビングに。
「お、お邪魔しまーす」
リビングには祖父祖母、健に仁、昇だ。そして、見知らぬ魔法少女が立っていた。エロゲーに出てくるような忍者の様な格好をしており、胴体はハイレグなレオタードめいた服で、足は内股が完全に切り取られた袴を身につけている。肘と膝にパッドがあり、足元は鉄製の爪が出たわらじのような足袋の様な物を履いている。
背中は背骨を守るように鋼鉄製の骨みたいなものが付いており、尾てい骨に当たる場所からは猫の尻尾のような物が伸びている。頭には猫耳めいた物を付けていた。
「ど、何方様?」
「桜よ」
猫忍者は不遜にそう告げた。昇は目を見開いて固まってるし、仁と健も同様に如何ともし難いと言う表情を浮かべている。
「桜……」
「そうよ、兄貴」
桜がそう告げると、昇は目を見開き、そのまま猫忍者こと桜に抱き着いた。桜は口では離せとかキモいと言うが、嫌がる素振りは一切見せない。その表情は何処か申し訳無い様な、心苦しそうな顔だった。
昇の興奮が収まるのを待って事の発端である、仁と健が口を開く。場所はリビング。祖母が全員に飲み物を配った。桜のみ変身をしている。
「まず、何ていうか、だけど……
深見桜には2つの人格があるわ」
桜は足を組み、相変わらずな不遜な態度で告げる。
一つは元々あった深見桜と言う、今こうして全員の前で話している元々の人格だ。そして、もう一つは、知的に退行した人格、便宜上ではこちらを“さくら”と呼ぶ。このさくらは桜が目の前で両親が殺されたという凄まじい衝撃から桜の心を守るために生み出された防衛本能である。
これについてはその場に居た全員が瞬時に意味を理解する。昇と祖父母は医者の話から、健は昇と祖父母の話から、礼威は大学で習ったからだ。
「さくらの状態では私は表立って体を動かしたり出来ないの。でも、さくらとの意識は共通だから、さくらを通して“あの時”から暫く経ってからの記憶から今までの記憶はあるわ」
桜は脇でウロウロしていた子猫、かーとろと呼ぶと抱き上げて顎を撫でる。
「桜私がこうやって表に出れるのはこの姿、つまり魔法少女になった時のみね、今のところ。
この変身を解くと、私はもう一つの人格に変わると思うわ」
「何で、魔法少女に成ったんだ?」
健の言葉に桜は知らないわよと告げる。
が、思い当たる節がある。桜はそう続けた。
「キメラって鬱病とかの人がなるんでしょ?」
「確定はしていないし、公表もされていないが8割方何らかの精神的にマイナスな人間が掛かるそうだ」
公表しないのは、うつ病患者=キメラと言う差別を避けるためであり、これは本当にタブーとされている内容である。勿論、魔法少女にも基本的に教えては居ないが、上位の人間や一部の者は自ずと知ってしまう。理由としては裁判にある。
遺族がついポロッと言ってしまうのだ。最近、彼あるいは彼女は気分が落ち込んでいた、鬱病だった。そこにキメラになってしまい、更には殺された。彼あるいは彼女の人生はどん底だった、余りに可哀相である。
勿論、この部分は殆ど公表されない。裁判に関しては決して公開されないのである。理由は被害者の機密保持と魔法少女の機密保持の為である。勿論、被害者遺族が公表しても良いと言っても許可は降りないし、それが元で国を訴えても、一審から三審に至る全てに「違法性はない」となる。
これは事前に関係裁判長へ防衛省側から情報を流し、更には“お願い”を多額に積むからである。勿論、これは違法か合法かと言えば違法である。しかし、この違法によって罪のない人間がキメラとして差別されたり、また、本来キメラに成るはずではない人間がキメラになってしまわないように、という配慮である。
「なら、逆に魔法少女に成るって言う時は凄くハッピーな時何じゃない?
私が魔法少女に成った時って、かーとろと遊びながら、魔法少女すみれでおにい……兄貴をモデルにしたキャラが出て来た所に婆ちゃんが今日の夕飯はハンバーグだって言った時だもの」
「何時の話だよ……」
昇が夕飯がハンバーグだったのは確か1週間前だぞと告げる。
「もう一つの人格さくらって私を守る為に生まれたのよ。で、当時の私なら耐えられなかったと思うけど、今の私はもうある程度気持ちの整理とか出来たし、時々、その夢であの時の事を思い出したりするけど、殆ど大丈夫なのよ……
勿論、キメラと直接会ったりしたら分かんないけどさ、一人でお風呂入ったり、あ、あああ、兄貴にか、体洗われたり、頭洗われなくても、大丈夫なのよ!」
桜が顔を真赤にして告げると、仁と健がニヤニヤしながら昇を見る。黙れ変態と言わんばかりに冷酷な視線を二人に向ける。礼威はそんな三人に苦笑し、祖父祖母は再度、本来の桜に戻ったのだ、と泣きそうに成っていた。
「で、でも、もう一つの人格さくらはすっごい過保護なのよ。
私が自由に外に出る事も出来無いぐらいに。で、魔法少女に成った時も、一瞬で直ぐに“奥”に戻されちゃって。絶対に出ちゃダメって言うのよ」
「じゃあ、何で出れたんだ?」
「仁、さんのお陰よ」
桜が唐突に名前を呼ばれ狼狽する仁を見る。自然と全員の視線が仁に集まり、仁は耳まで真っ赤にしてしまう。
「仁、さんと健が家に「おいおい、俺は呼び捨てかよ!?」
健の言葉に、アンタ、事あるごとに私とお風呂入って裸を見ようとしたじゃないと告げる。実際は、さくらが一緒に入ろうとやって来るので、健は良いぞと告げ、昇に阻止されるという“お約束”に成っていたのだ。
「兎に角、仁、さんと健が|もう一つの人格に『兄貴にも兄貴の人生を歩ませてやってくれ』ってお願いしに来たのよ」
勿論、桜を守る為に誕生したさくらは兄である昇の存在を必要不可欠な存在として認識している。理由としては、桜を守るべく魔法少女に成ってキメラを倒したのだ。言ってしまえば、さくらの母親は昇に相当するのである。
故に、さくらは拒絶する。凄まじい大泣きで大暴れであった。本来なら、此処で昇が飛んで来て守ってくれるからである。しかし、昇は来なかった。仁の家で気絶をしていたからである。これが、昇が起きる2時間も前のことである。
それから1時間、大泣きし大暴れした。桜の部屋に入れば、しっちゃかめっちゃかに成っているのは言うに及ばない。昇が来ないし、日頃運動をしていない桜の体はアッと言う間に体力切れを起こす。涙も枯れ果て漸くさくらの“拘束”が緩んだのだ。
その隙に乗じて、桜は強制的にさくらから体を乗っ取り返す“魔法少女”と言う手段を使って外に出てきたのだ。
今も、桜の心の中ではさくらが騒いでいるらしい。どういう感覚なのか?と言えば、中にいるときは、テレビを見ているような感じらしい。桜が行いたいことをテレビに向かって叫べば、さくらは基本的にそのとおりに行動する。ただし、それは非常にオーバーな動作だ。最初の頃は桜があの時の夢を見ただけで大暴れをしたし、少し気に喰わないことが有れば大暴れした。
それを納めたのが昇である。さくらは次第に昇の言う事だけは聞くようになっていったそうだ。
「正直、私もいい加減“自分”で生活したいの。
今から、もう一人の人格さくらを呼ぶから、兄貴が説得して欲しいの。そうすれば、多分。いえ、絶対聞いてくれるから……お願い。お願いします」
桜は昇を正面に見据えて頭を下げる。昇は目を瞑り、そして、目を開ける。と桜の頭にゲンコツを振り下ろす。
「気持ちの悪い態度をするな。
お前はもっと無礼だろうが」
昇の言葉に桜はありがとうと告げ、変身を解く。すると、何時もの桜、否さくらが現れ、タックルせん勢いでにいちゃん!と叫びながら昇に抱き着いた。それからワンワン泣きながら、仁と健を指さしアイツ等いじわると叫んだ。
昇はそんなさくらを抱き締めつつ、どうしたものか?と考える。それから、ウムと頷くと、さくらの肩を掴んだ。
「黙れ!」
昇がこれまで出したことのないような凄まじく鋭い一喝だ。この言動に流石のさくらも黙ってしまう。
「に、にいちゃん?」
「黙って静かにしろ、桜。
いや、桜の偽物め。今まで、桜の御守りをありがとう。お前のお陰で、桜は無事だった。お前が居たからこそ、桜は今も元気にやってくれている。ありがとう。兄として、礼を言わせて欲しい。
ありがとうございます」
昇は深々と頭を下げる。さくらは少し寂しそうな顔をするとその頭に手を置いた。桜の話を聞いていたのだろう。さくらは理解していたのだ。知能というか情報は桜と共通しているのか、昇の言いたいことを理解したのだろう。
「にいちゃん、あいがと。
バイバイ」
さくらは目にいっぱいの涙を溜め、ワシワシと昇の頭を撫でた。まるで母親のように、また、母親から巣立つ子供の様に。少し名残惜しそうに、だけど、壮大な決別と、感謝を込めたその動作に迷いは無かった。
その日からさくらは桜の奥に引込み、桜の体は桜に返された。後日、かかりつけの病院に行き、全ての事情を担当医である精神科医に話した。精神科医は前例はないことはない。だが、魔法少女がキーとなったのは始めてだ、と驚いた。
個人情報は伏せるので、学会に発表してよいか?とまで言われたのである。桜達はOKし、後日この医師の発表は医学会を少しだけ賑わしたのはまた別の話しである。
また、“桜”は少しだけ丸くなったそうだ。少なくとも、以前のような兄妹喧嘩は見られないそうである。
第一部巻、的な?
一先ず、書き溜めは切れた
これから、マジで不定期更新になります
更新時間は21時です