九 方舟作戦
陛下も、飛躍甚だしく、なんと返せばよいのか分からないようでした。ニキーズ妃は、顔を上にあげることなく、ただ俯いていました。
「母君、今なんと」
「何度だって言ってやりましょう、ニキーズは罪人です! あのオークがこの国にやってきてから、雨が降らず、麦の収穫が減ったではありませんか」
「それはオークとは関係ないだろう!」
国王陛下の必死さに、貴族がニヘラニヘラ笑い始めました。
「それに、それに。あのニキーズ妃が王宮に穢れを持ち込み、そして、そして。……王太子を呪い殺したではありませんか!」
場がざわつきました。いいえ、ざわついたどころではございません。高位の貴族が全員集まる場で、国王陛下の口からではなく、母后から王太子がお隠れになった件を持ち出すのは、しかも親子喧嘩の折りでおっしゃるのは、不適当にも限度がございます。
母后は言ってしまったという焦りからか、もはや開き直っておられました。
刹那、鞘から剣が抜かれた音がしました。ああ、この場で、謁見の間で、帯刀が許されているものはただ一人。陛下が抜刀したのです。権威の証として持っていただけに過ぎませんが、それでもしっかりと磨かれており、その刃はシャンデリアの光をきらびやかに反射させていました。光は、一筋の虹となっておりました。これまでギャアギャアと騒いでいた貴族どもも、一瞬にして、ハタと静かになりました。
「お止めください! 国王陛下! おかあさまも!」
壇上でニキーズ妃の横に座っていた王妃が、国王陛下のもとに駆け寄って来ました。おかあさまの変換ができませんでしたが、お母さまであり、お義母さまでもあるのでしょう。国王陛下と王妃は、父も母も同じですから。
陛下はカッとなってしまったのを恥じて、虹の光沢を持つ剣をそのまま鞘に戻しました。
「確かに、王太子は薨去なされました。しかし、それは陛下のせいでもなければ、ましてやブライト様やニキーズ妃といったオークのせいでもありませぬよ!」
「そ、そうなのかしら……では、何が原因というのかしら」
母后は、明らかにふてくされていました。
「陛下……」
王妃の声に、陛下はただ頷きました。お許しを賜った王妃は、口を開きました。
「王太子は、真夜中に発狂して暴れ始め、そして……窓から飛び降りて、お亡くなりに……」
もう、その後のことはよく覚えておりません。ただはっきりと言えるのは、場は謁見どころでは無かったということです。後日、人々の間では王太子のご乱心による薨去が大きな噂となりました。
こうして陛下と直接お話をするのも、二回目です。あの謁見での騒ぎから三日ほど経った日のことでした。前回と違う点があるとするならば、二人きりでお話ししているということです。いまだ、親衛隊団長の後釜はお決めになっていないのでしょう。
「いきなり召してすまない」
「全く問題ございません。……関係ないことから申し上げてしまい申し訳ないのですが、ニキーズ妃のご評判は大丈夫でしょうか」
「芳しくない」
即答。心配が命中してしまいました。
「しかし、アイマイモコの地の支配の正統性を持つはニキーズ妃しかいない。ブライトが命をかけてオカメハチモク同盟から守ったということは、本当に必要なことであったよ。また、今更評判が下がったと妃を切ったとして、それすらも母后の言いなりと見なされてしまうだろう。母后の一派が仕掛けた戦争もそうだ。今更不利になったからと、朝令暮改に止めることはできない」
あれから、母后の軟禁の一報が知らされました。流石に国王陛下に不敬を働いたとしても、実の母を殺してしまうことはできなかったようです。それでも、人員整理と称して明らかに母后の一派の貴族は左遷を命じられました。理由は、国王陛下の謁見の間の壇上に上がったため。明らかな建て前です。なんにせよ、封土を取り上げることはできなかったにしろ、一派の宮廷内における影響力は大きく削がれたと言って良いでしょう。
それにしても、つくづく可哀そうな君主と感じます。
陛下の周りには、信頼できる人が居ないのでしょう。母后派の膿を取り除いたからと言って、状況が好転したわけではありません。自らを悪役とし、国のために身を尽くし、母后の行動の責任さえ清算しようとするその御心。全てが、雁字搦めに縛られているのでした。
だからこそ、この私が信頼されているのかもしれないという事実に、一種の独占的な快楽が潜んでおり、自己嫌悪に陥ってしまいます。
「陛下が私をお呼びになったのは、オカメハチモク同盟との戦いの件についてですか」
「ああ、それについてだが」
陛下は、一度改まって姿勢を正しました。
「朕は、ブライトを親衛隊団長の地位に任じようと考えている」
ああっ。嬉しいです。しかし緊張の方が大きく、まだ顔を緩めることはできません。最初に気になることは一つ。
「何故後継を、私になさろうとお考えになったのですか?」
「無論、朕直属の軍隊の長たる位であるからだ」
その目は、本気でした。確かに、自身に歯向かうものを一通り粛清し終えて、このタイミングしか私を任命する機会がないというのも頷けます。私の求めるオークとの共存を実現できる最後のチャンスも、ここしかないと見えていました。
それにしても、本当に、私の夢はオークとの共存か、最近は分からなくなってきたのです。アイマイモコに行く前は、無条件に肯定してきました。しかし、スナー様やサンサンと会うにつれ、向こう側の理屈も納得できてしまうのです。私はただ、王国に仕えるだけの身。この私が、オークを幸せにできるのでしょうか。
「陛下。私は、幼い時よりアイマイモコのオークを幸せにするということを夢見ておりました。私に、その役目は務まっているのでしょうか」
陛下の表情は、全く嘘偽りなき、純粋無垢なものでした。
「なに、思い詰めなくていい。ブライトの守ったニキーズ妃は、宮廷内で本当に楽しくやっているよ。白馬の王子様に嫁ぐことができたと言って、至極喜んでおられるよ」
ああ、喜んでもらえている。オーク全員の平和という、大仰な理想でなくても、一人の妃には。思えば、私の共存という理想は、どこから生まれてきたものだったのでしょうか。元々、団長と一生を添い遂げたいという思いが暴走し、歪曲し、独り歩きしたものではなかったのでしょうか。視界がグワングワンと歪み、吐きそうになりました。自己嫌悪の悪魔が取り憑いたかのように。しかし、悪魔を振り払い、今はただ、陛下の手を取ることにしました。
偏狭な視野の、暴君でも良い。今の私には、正しいと思えました。
「陛下。団長の地位を、全うさせてください」
その手をしっかりと握ると、陛下は、やっと笑みを見せました。
建国の物語において、神命王は自身に付き従う民と共に大洋を超え、テンイムホウの国を作ったと伝えられています。その船には、釘一本、ロープ一本使われておらず、しかもどこかの地に生えているたった一本の大木の丸太から作られた船だというのです。
真実であったかどうかは定かではありませんが、天衣無縫の「方舟」の名を借り、「方舟作戦」という名を付けました。




