七 団長とのありし日
気づくと馬車に乗っていました。族長が暗殺されてから、物凄い密度でした。
私の隣に座っていたのは、親衛隊団長でした。
「大丈夫か?」
「いえ……」
聞きたいのはこちらのセリフです。団長の後ろを見ると、変わらぬ密林が見えます。ここは、アイマイモコです。
「そうか。オカメハチモクのものに、だいぶボロボロにされたな。船内で、しっかり治療しよう」
「そ、そういえばニキーズちゃんは!」
「安心しろ、他の馬車に乗っている。先ほど目を覚ましたらしい。泣きじゃくって、その馬車の同乗者が今あやしているところだ」
「そうですか、ありがとうございます」
団長をじろじろ見て、私の心配を払うように朗らかに笑ってくださいました。
「安心しろ。まだ、一日しかアイマイモコには居ない。俺が祟られるわけないだろう!」
「一日でも、まずいですって!」
団長に心底イライラしたのは初めてでした。二週間もすれば、確実に祟られると言われているほどのオークの祟り。ヒトが来るのは、罪人の流刑(ほぼ処刑)ぐらいしか聞いたことがございません。早く森を抜けろと心中穏やかではない中でも、団長はここまでの経緯についていくつか教えてくださいました。
王国が国王陛下の存ぜぬところでオカメハチモク同盟と戦争状態となったこと。
互いの主戦場はこの戦略的重要地のアイマイモコとなったこと。
王国と友好関係の強い、キュウリ族で何やら不穏な動きがあるという知らせを受けたこと。
団長の奥様が、団長をアイマイモコへ向かわすよう強く奏上したこと。
約束の時間よりも前から急いで、キュウリ族の村へ向かっていたということ。
「詳しくは、また少ししたら国王陛下との謁見の機会がある。作らざるを得ないと言った方が良いだろうか。その際に、説明があるだろう。お前の土産話も、そこでお願いしたいな」
団長は、張り詰めた神経を、落ち着かせていました。聞きたいことはたくさんあります。今のいきさつでも、疑問点は沢山ありました。
ただ、今はただ、無事の帰還を祈るばかりでした。
モウマイ川は、とても大きな川です。船でも二日はかかります。早く帰れと願いますが、船の帆は私の気持ちも聞かずに、ゆったりと風に仰がれていました。
オークの祟りはすぐに体に出ます。この船に乗っている間には感染しているもの、ほとんどが高熱を出していることでしょう。幸い、船に乗る前に、祟りはアイマイモコの蚊が原因だから、人に移ることは無いと説明していたのが功を奏してか、パニックは全く起きませんでした。
名前も知らない親衛隊の兵士様に聞きました。彼は、祟られた兵士の看護を行っていました。
「どうですか? オークの祟りにやられたものは」
「事前に服を蚊やり火でいぶしていたんだがな。それでも駄目だ、今のところ、百人のうち四人ほど祟られている」
二日もいたのですから、当然と言えば当然でした。むしろ、少なく済んだと安心してしまいました。
「それは、お気の毒に」
「まあ、敵前逃亡よりかましさ」
王国の法では、兵士が勝手に戦いから逃亡した場合、その隊はまとめてくじを引かされ、十人に一人は処刑となります。確かに、百に四でした。
「よく、付いて行こうと思われましたね」
「俺たちはもともと、王国のために死ぬのが一番の名誉だと教えられてきたからな」
親衛隊は、王国全土から顔の良く、体格の良い子供を徴発されて、王宮で十年以上教育されて選抜される、精鋭です。その言い方は、ニキーズちゃんを思い出しました。
「それに、団長殿もアイマイモコの奥地に行くと背中を見せて、実際に祟られてしまったら、誰も愚痴なんて言えないだろう?」
「えっ?」
兵士は、やらかした、という顔をしました。
「あ、ああ、団長殿は、祟られた四人のうちの、一人だよ」
ズン、と体が重くなるのを感じました。目のあたりが、熱くなるのを感じました。目が明らかに潤い始めて、私も何かに祟られたのでしょうか。
パール公爵の家に、団長はよく遊びに来てくださっていました。数人のご令嬢しか友達は居ませんから、父以外の男は彼くらいでした。勝手も分からない私は、優しい親戚の年の離れたお兄ちゃんだと思って仲良く接していました。
「俺、親衛隊に入ることになったんだ」
彼が明日から、二十となる日でした。
「凄―い!」
親衛隊の面々は思春期の女の子にとって高嶺の花のような存在。彼の大抜擢に思いも汲み取らないまま、応援しました。団長は少し言い淀んでから、決心したように見えました。
「だから、もうここには来られない。親衛隊は、宮殿からは出られないんだ」
「え……」
そんな優しいお兄ちゃんから出た言葉に、絶句しました。こんなあっさりと、永遠に来ないと思っていた別れが来ました。自然と頬から涙が落ちて、そして下に落ちていきます。幼い自分の持った、淡い恋心と呼ぶべきものでした。
お兄ちゃんは、温かいその手にハンカチを持つと、私の目にそっと当ててくれました。
「泣いたら、駄目だよ。親衛隊は、四十になったらおしまいさ」
「それまで、私のことを忘れずに待っていてくれる?」
「うん。もちろん」
彼が、私をそっと抱擁してくれました。頭のポケッとする感覚。全て、止まってほしかったです。もう、お兄ちゃんではなく、「彼」と言うべき存在でした。
透き通った水晶のような眼差しでこちらを見てくれました。ああ、それだけですべてが救われます。それだけに、掴む実態の無き幻に、すぐにでもなってしまうようでした。
不意に唇に、何かが触れました。そっと、目を閉じました。想い人にしかしないという、下町で安く売られているという、大衆小説の中だけの話と思っていた行いを、彼はしてくれました。あんまり、特別感はありません。ただ、肌と肌が触れあっているだけのようでした。しかし唯一違うのは、心臓がドキュンドキュンと高鳴ることでした。
一瞬のことでした。彼は、はにかんでいました。また、泣いてしまいました。
本来は国王陛下に付きっきりの彼が私のもとに来てくださったのも、何かの縁だったのでしょう。アイマイモコに命と引き換えに来たのも、奥様に言われただけの理由ではないでしょう。遠い、遠い記憶の中で、薄れていた彼の眼差しは、少しだけトロンとしていました。
彼には奥さんが居ます。もう、何もないはずです。
「すいません、団長殿の部屋に、連れて行ってはいただけないでしょうか」
「そもそも君を目当てに団長殿はアイマイモコへと行ってしまったのだ。連れて行かないわけがないだろう」
私も何かを、追い求めていました。
部屋は、城のように豪華ではありませんでした。まさに、最期を待つだけの病室でした。
「ああ、ブライト……」
団長のおでこに手を当てました。熱いお湯のようでした。
「言ったではありませんか、どうして、どうして……」
「まだ、死ぬと決まった訳ではなかろう。腕を見てくれ」
詳細は知りませんが、テンイムホウの伝承では祟られたものに生き残りはいないと言います。団長のベットからはみ出た右腕の袖をまくると、緑色の蕁麻疹がありました。見たことがありませんでしたが、明らかに祟りの症状のように見えました。そのまま握っていると、かすかな声が聞こえました。私の出した声でした。
「ごめんよ、ブライト」
「行きの船ではあんなにあっけらかんとしていたのに、死ぬ間際になって謝り始めるんですか?」
「本当は、お前と共に過ごしたかったんだ。それでも、王国の法は変わらない。この国では、ヒトとオークが交わると罪となる」
止めてください。サンサンと同じことを、言わないでほしいです。
「親衛隊団長になるのに、妻が居ないんじゃ、世間体が悪すぎてさ。そこで見つけたのが、お前みたいな雰囲気の、妻だった」
私は私でしかないと思っていたのに。しかも世間体って。
「なあ、ブライトよ、あともう一つだけ、願いごとをしてもよいか」
「ええ、仰せのままに」
「私の妻に、会いに行ってほしいのだ」
祟りの贄となってしまったことを、伝える人を探しているのでしょう。こんな時にも、私を結局見てはくれなかった。
「私よりも、適任が居るのではないでしょうか」
「……いや、お前じゃないといけないんだ」
こちらを見る目は、実直なものでした。サンサンの目が鏡ならば、団長は水晶のようでした。何がどう私ではないといけないかは分かりません。しかし、あまりにも野暮ったいです。
「分かりました」
その言葉を聞くと、安心しきって、団長は反対側を向きました。腕も、スルッと私の掌中を抜けました。まるで、死ぬ間際を悟り飼い主に顔を合わせまいとする猫のようでした。
そのまま、無言で立ち去りました。あの目は、水晶。近くにあった水晶は、失って初めて価値の分かるものです。
そのまま部屋の扉を締め切ると、ここまで連れて来てくれた兵士の前で、年甲斐もなく泣き出してしまいました。船は、ゆったりと、モウマイ川を渡っています。




