四 最後の宴
パール公爵夫妻に引き取られてからというものの、外に出してもらえることは、一度きりしかありませんでした。友達付き合いは、混血の娘を許してくれる寛容なご令嬢がうちに来て、一緒にお茶会をするのみでした。籠の外は、ほとんど知らない、知らないからこそ幸せなのでした。
もう四年も前のことです。国王陛下が十八となった時でした。即位十年が経ち、結婚の年齢には十分な年ごろでありました。貴族の御令嬢をパーティーに全員呼んで、王妃を決めようというのです。その頃の私にとって、王宮は雲の存在でしたから、楽しみなものでした。
「ブライトちゃんも、一緒に来ない? 王様じゃなくても、カッコいい公爵様たちの、奥様になれるかもしれないんだよ!」
楽しくお茶を飲んでいるときに、ある友達からそう誘われたのがきっかけでした。その子も、悪意を込めて言った訳ではなかったのでしょう。
「うん……行ってみたい」
初めてのお出かけ。王宮にいる人も、パーティーに出るかもしれない。期待が期待を呼ぶ形でした。もしかしたら、私も高嶺の花の奥さんになれる。
前日の夜。お母さんが、申し訳なさそうに始めました。
「お父さん、この子が王宮のパーティーに行きたいと言っているのだけど……」
お父さんも、少し落ち着いた口調で諭すよう私に優しく、しかしはっきり言いました。
「ごめんね、ブライト。お前を、王様の前に連れていくことはできない」
「王様には、会えなくても良いから、パーティーに」
「他の貴族もそうだ。会わせることはできない」
「それって、私がオークだから?」
薄々は気が付いていました。お父さんは、床を見ていました。私は他の子と明らかに見た目も違うし、外に連れて行ってもらえないのも私だけ。目の前が、真っ暗になった気分でした。新しい世界へ飛び立つの前の大げさな高揚。それを、何もかも奪われた気分です。
次の日の夕方、私は諦めることができませんでした。家庭教師さんが帰るとひっそり館の裏側の廊下から窓をくぐって外に出て、王宮に向かい走りました。麗しき娘の賑わう王宮の門を走って通り抜けようとすると、門番に行く手を塞がれました。
「お前が入れるような場所ではないぞ!」
「何故なの! 私はパール伯爵の娘の、ブライトよ。参加する資格はあるわよね」
伯爵の娘、という言葉を聞いて少したじろいだ隙を見て門を超えましたが、すぐに別の門番が来て右腕を抑えられてしまいました。
「離して!」
「オークの穢れを聖なる王宮には持ち込ませない!」
お祭り騒ぎだった門の前の広場も、我々のいさかいを気にして、こちらに注目していました。なんで、オークの子が居るの? パール伯爵の娘だって。パール伯爵に娘さんはいらっしゃらないでしょう。やっぱり、オークは嘘つきなのよ。でもあの子、しっかりしたお洋服を召しているわ。様々な疑念と憶測が観客から聞こえてきます。ジットリと、汗ばんでいました。
しばらく意味のない問答を続けていると、奥から馬車がやってきました。門番たちは馬車を見るや私を引きずり出そうとしましたが、地に伏せて抵抗しました。馬車が止まると、中から、そう、国王陛下がお見えになったのです。門番も、陛下の手前手荒なことはできず、ただ固まっていました。
「どうした。何か騒ぎがあったようだが」
堂々と歩くその姿、一国の主でした。拘束が緩まるのを見て陛下のもとに参ろうとしました。この柔和な笑み、理知的な物言い、陛下なら、私の境遇を、分かってくれるはず。通してくれるはず。その手が、あともう一歩で届きそうです。
隣の、お付きの者だと思っていた四十ほどの女性が、私の頬を思い切り叩いていました。ポワンと、左足を軸にコマのように半回転ほどすると、フワフワとした困惑が乗っかって来て、石畳の上にドサッと倒れました。
「母上……?」
陛下の前に立つ方は、陛下のお母様のようでした。後に知るには、先王が早く崩御なされ、幼く戴冠した国王の補佐たる摂政の地位にそのときは就いていたようです。
「門番どもよ、何をやっているのです! 陛下に穢れたオークの身体を指一本触れさせてはなりません」
「は、はい!」
私は遠慮なく強引に持ち運ばれ、王宮から離されました。周りの景色がかすんでいく。声すらも聞こえません。こんな、ことで。もう、会えませんでした。
それから、自分の生まれのこと、アイマイモコの地のことをたくさん知ったのです。そして、願いました。オークもヒトも、同じように暮らせる、王国を作りたい、と。
涙がこぼれているのかもしれませんが、それすらも分からないほどに、今の私は突き動かされていました。スナー様は、あざけるような目でこちらを見ていました。
あなたの存在が王国に必要、という言葉は真実か分かりません。嘘かもしれません。頑迷な貴族にとってみれば、私のような存在や、柔軟なお考えをお持ちの陛下などは、それこそ王国に害しか与えない邪魔な存在であるかもしれません。それでも、共存がテンイムホウ王国の未来を作るという信念に、嘘偽りはございません。
フーっと、息をつきました。
〈帰り、ましょう〉
時間が、ただ流れます。日も、ただ沈みます。
〈……そうだな〉
しばらく帰ってこなかった私とスナー様を心配して、マトト様とニキーズちゃんは族長を呼び、ちょっとした騒ぎになっていたようです。娯楽の少ない場所において噂が一番の楽しみとなるのは、未開のキュウリ族の市井でも、テンイムホウの深窓の令嬢でも同じようです。スナー様は先ほど私が聞いた不満を族長に吐露すると、族長はもうカンカンに怒り始めました。ある程度大きな家となると、子は父の取引の道具として扱われるのは不可避です。自由になりたいと、しかも次期族長の長男が言うのですから、有無を言わさぬ気迫です。
〈父上、落ち着いてください……〉
〈お父様……〉
言葉ならざる声を発する族長をニキーズちゃんとマトト様は制しています。
〈スナー様も、意地を張らないでください!〉
〈ヒトの血の入るお前には、理解できないだろうに〉
忠告も聞かず捨て台詞を吐いて、スナー様はそのまま部屋から出て行ってしまいました。更に怒り心頭な族長を、私も宥め始めます。
〈あいつめ! 全く言うこと聞かないバカ息子が!〉
〈お、落ち着いてください〉
私は一抹の不安を感じました。このまま長男に継承が行われてしまえば、政治に興味のない長が生まれる。当然、オカメハチモク同盟につけ入る隙を与えることになります。
結局、族長を落ち着かせるのには一晩中かかりました。流石に私が持ってきた新型銃の試作品を持ち出された時には、死ぬ心構えまでしましたが。
ここにきて一か月が早くも経ちました。この間、族長の三兄妹にテンイムホウ語を教え、一通りは簡単な会話もできるようになりました。ニキーズちゃんはまだ十四になったばかりで、物覚えが早い良い子でした。この年齢で陛下のもとで仕えるのは、凄いことです。
一番マトト様とニキーズちゃんの受けが良かったのは、オーク語に訳したテンイムホウ王国の建国記を音読しているときでした。
〈神の申し伝えを受けた神命王は、楽園に住まうヒトと共に、方舟に乗りテンイムホウの地にやってきました。その地の土着の民は、白馬に乗り、国旗をはためかせて持っていた神命王を一目見ると、地上では見たことのない美しさに驚き、すぐさま臣従を誓うのでした〉
〈えーー! 私が行くテンイムホウ王国って、そんなにカッコいい王様がいるの!? テンイムホウ王国のカッコいい白馬の王子様に嫁ぐために、もっと頑張らないと!〉
陛下はそんな白馬に乗るようなタイプのイケメンではないよと言いたいところですが、夢は壊しません。でも確かに、懐が広い、別の方面のカッコよさは多分に持ち合わせています。
〈建国記だから、もういないと思うよ〉
冷静な、マトト様。
この一か月間は、少し怖く感じるほど、他部族から襲われることもありませんでした。おかげで落ち着いてキュウリ族叙爵の準備を進めることができました。
また私のやって来たあの日のように、宴が催されました。明日から族長が王都に行くのです。歓迎会と打って変わって、皆の服装はフォーマルであろう白や黒の正装で、儀式のごとく厳かでありました。スナー様も、マトト様やニキーズちゃんのように、静かに前の方の席に座っています。
〈……吾輩は、テンイムホウより、キュウリ王の位を貰う予定である。これは、アイマイモコで最も格式高い地位であり、その際は正式に、オオカミ族やクマ族の地も我らのものとなる!〉
私よりも前方に座っているお偉いさん方の顔が、みるみるほころんでいきます。族長が前に出ると、野心をにじませた鼓舞を始めました。
〈芋の収穫が二月後に終われば、遂に戦を始めるぞ! 得た土地は、自ら血を流したものに与えよう!〉
すぐさま、この宴会の周りを囲む一般のオークからも歓声が沸き起こりました。貧しいものからしてみても、この戦いで貢献すれば領主となれるのです。参加しない理由はありません。
ユラユラと共鳴する熱狂。ドクドクとした鼓動。
そして、スナー様の取り出した短剣がキラリ。ゆったりと、ゆったりと、私の見える世界は、非常に遅いものでしたが、体は動かせずに、傍観者に徹してしまいます。ああ、雄弁なる族長様の背中にドクリ。穴に押し込むように、確実に左胸に刃を突き刺しました。
〈グッ!〉
一国の主としてあまりに情けない声でした。
完璧な殺意のもと、刺された刃は引き抜かれました。そして、抵抗できない族長を押し倒すと、首筋に正確な第二波が突き刺さりました。
〈ァァ……〉
強い感慨にふけったスナー様の息が聞こえました。族長でも、死にます。直後、スナー様をマトト様が取り押さえると、どうやら抵抗する気は無いようでした。
〈ど、どうして! どうして父上を! 次期首長のお前が、お前が……〉
マトト様の声は聞こえていませんでした。スナー様は、夜空を見ていました。新月で、星がきれいな夜でしたから。




