三 キュウリ族の子弟
何も、答えませんでした。陛下の紫がかった瞳孔が、おもむろに広がりました。陛下ともあろう方が、伝承を気にしていない訳がございません。気にしすぎるがあまり、ここまで思い詰めていらっしゃったのです。
ドックン・ドックン・ドックン。脈拍だけが響きます。
「よく、気が付いたな。我が子もあの容体では、王妃には申し訳ないが長くは生きられまい。だからこそ、オークの血が必要なのだ。そして何より、悪辣たるオカメハチモク同盟がアイマイモコの地に食指を伸ばしている以上、伝承など、なりふり構ってはいられないのだ。」
陛下は、後世に暴君と罵られる覚悟で、禁忌を犯そうとしていらっしゃるのです。このうら若き青年には、どのような世界が見えていらっしゃるというのでしょうか!
「この国では、オークがむごい仕打ちを受けているのも、お前なら知っているだろう」
「はい。王国では、ほとんどのオークがサーカスなどの見世物小屋か、貧しい農村で畑を耕しており、自由に移動もできず、生きるか死ぬかの生活を続けていると聞きます」
「ほとんどが卑しい仕事についている中、立ち居振る舞いも格式高く、特に文字が読める、祟られないような、理想の人材を考えていた。一人だけ見たことがあったと思い出したよ、そう、パール伯爵の隠し子だな」
「養子です、陛下」
陛下は、朗らかに笑われました。その笑顔は、年相応でありました。私も、一生軟禁生活だと考えていたのに、突然雅で、オークの理解する人が現れ、生まれた地への冒険という光明が差したのです。何かお力添えができるかもしれない。その思いを胸に、客死するつもりでアイマイモコに参ったのでした。
族長は、たっぷりと計を巡らしていました。そして、結論を案じたように、茶色い酒を飲みました。あの青い果物を数年漬け込むと、この茶ワインができるそうですが、飲みたくはありません。家で飲んでいたワインが美味しすぎたが故でしょう。
「その提案にい、乗りましょうかねえ」
「本当ですか!」
「ええ、連れてゆくものは……長男のスナー、次男のマトト、そして娘のニキーズの、三人でどうでしょうかねえ。子供たち全員ですよお」
「良いのですか!?」
「テンイムホウ王国とキュウリ族は、いつまでも運命を共にしますからあ」
待ちわびていた、オークの血。ニキーズ様が側室の座に着くことができれば。
「ニキーズ様はご側室となることはもちろん、スナー様とマトト様にも、陛下は伯爵位を与えるそうです」
「ほお……スナーとマトトにはどの地を封じるご予定ですかねえ」
爵位は、ただ位を与えるだけではありません。近年は国王陛下にそのお力が集まってはいらっしゃいますが、依然として封じた国土においては、与えられた貴族が徴税や治安維持を行う、いわゆるシマとなるのです。
「そのことに関しても、陛下と予め約しております」
族長の耳元に顔を近づけ、ささやきました。別に族長は耳が悪いわけではありませんが、一言一句聞き漏らすまいと真剣な眼差しです。
「キュウリ族と小競り合いをしている、オオカミ族とクマ族の土地です」
オークの部族名は適当なように思えますが、遥か昔の尊大な王様が命名したのですからしょうがありません。ほんわかした名前ですが、族長の脳には極めて実利的な見積もりが行われていました。
「もちろん、かの地を『封じる』ための協力していただけるということですよねえ」
「人員を送ることは難しいかもしれませんが、食料や衣服はもちろん……銃器も相応に」
「ええ、ええ!」
強い握手を交わしました。交渉、成立です。
「早速ですが、先ほど申し上げてもらった三人には、テンイムホウの言葉を教えなければなりません。陛下との謁見の際に、最低限の立ち居振る舞いをさせねばなりませんから。一月後、モウマイ川を渡って王都に向かいます」
「分かりましたよお、村の集会所をその間はお貸ししますからあ、そこで粗相の無いように、教鞭を持ってもらえれば有難い話ですねえ」
自室に戻って早く寝たい、そう思うほどに気の張る交渉でした。談合室の外で待機していたスナー様に一礼をすると、こちらを睨みつけてきました。言葉の分からない会談はさぞつまらないでしょう。私も長話されるのはごめんと、その立場なら思います。ともかくも、ただただ交渉後の高揚に包まれていました。
〈新しい顔!〉
〈〈新しい顔!〉〉
知らない人で、しかも血も多少は入っているとはいえオークではないため、大きく違う姿かたち。族長の子弟と言えど緊張しているご様子です。私の方も、オークとの挨拶にも慣れはしましたが、オークは毎日顔が変わりでもするのでしょうか、今でも不思議です。
〈これからテンイムホウ語を教えることになる、ブライトと言います!〉
スナー様と会った時にも見たとおり、三兄弟は高価なネックレスを付けていました。スナー様は青、マトト様は赤、ニキーズ様は緑です。
三兄妹は、どう対応してよいか分かりかねている様子。啖呵を切ったのは、一番幼い族長の娘、ニキーズ様でした。
〈初めまして、ブライト先生。ニキーズです。お勉強、頑張ります!〉
可愛いなあ。感想はそれだけです。
〈よ、よろしくお願いします。マトトです。ブライト先生と呼んで良いでしょうか〉
次男のマトト様は、少し真面目な子です。長男が居るためしょうがないと言えばそうでしょうが、マトト様がもし族長となれば民の嘆願もしっかりと聞く名君となる予感がします。
〈よろしく頼む。スナーだ〉
スナー様も悪い人ではありません。少し不器用なところはありますが、有望なオークであるのでしょう。
〈では早速、テンイムホウでも通用する語学力を身に着けていきましょう!〉
心を教師にしてからというもの、もう何時間もテンイムホウの言葉を教えていたために、空がほんのり赤くなる頃になってしまいました。
「陛下の御心のままに!」
「エ、エイキャのミクォクォロのママニ!」
ニキーズちゃん、いやニキーズ様、健気に頑張っていて微笑ましい……。急に、子供が欲しくなってしまいました。いけないいけない、陛下が認めようとなさっているとはいえ、王国ではまだオークと人間の交流はタブーで……もしも、ニキーズ様が陛下に嫁がれた場合、卑しい身分だと貴族が反発して、大混乱が起きてしまうかも……いやはや、あまり邪推してはいけません。
〈クォ、ではなくコ、です。言えますか?〉
「エ、エイキャのミココロのママニ!」
〈その調子です。大体オーケーです! 次に行きましょう〉
「へいかのみこころのままに!」
〈マトト様は呑み込みが早いですね〉
〈お父様と一緒にテンイムホウから来る船の人と取引をしているのです。なので、ちょっとした挨拶やコミュニケーション程度ならできます〉
〈凄い!〉
〈わ、わたくしも頑張りますもん〉
〈ニキーズちゃんも、一からだったのにマトト様と同じように流暢に話せていて、ここまでの成長はなかなか無いですよ!〉
〈わたくしのこと、ニキーズちゃんと言いましたか?〉
〈あ、ぞ、族長様には言わないでくださーい〉
マトト様は私とニキーズちゃんのそんな他愛もない会話を楽しく聞いていらっしゃるようでしたが、何かに気づいたようで辺りを見回しました。
〈そういえば、スナー様はどこに行かれたのでしょうか〉
まずいです、ニキーズちゃんに教えるのが楽しくて全てを忘れていました。慌てて集会所を飛び出して広場の方に行くと、そこにいたオークに話しかけました。
〈すみません、スナー様を見かけませんでしたか〉
〈それなら、向こうの山の方に向かったぜ〉
次期族長のこともあって有名人なので、顔は覚えられているようです。マトト様にニキーズちゃんの面倒を見るようにお願いすると、私は村の門を出て、キュウリ山への道を駆けていきました。キュウリ族の村の南に面するこの山は、この部族が秋に行う豊穣祭でも祀られる聖山です。どうしてこちらで、道草を食っているのでしょうか。
村を出てキュウリ山を道なりに二キロほど登った所に、木を伐り、拓かれたであろうスペースがありました。遠目に見ると、誰か別のオークと話しているのが分かりました。辺りはもう、暮れかかっていました。
〈スナー様!〉
こちらを二人が向くと、どうやら話を切り上げたらしく、話し相手の女性のオークはそそくさと奥の道へと行ってしまいました。見ての通りスナー様の話をどうやら遮ってしまったらしく、若干不機嫌でした。
〈スナー様、どなたとお話しなさっていたのですか、お勉強の途中に抜け出して……〉
〈隣の部族の友人と話していた。別にテンイムホウの言葉は学ばなくていい。俺は、別にテンイムホウ王国の貴族になる気はないからな〉
スナー様の、オークのなかでも一際大きな背丈は、この沈黙の中でも存在感をはなっていました。国王陛下の新路線の象徴として、現団長の立派な跡取りとなれそうなものです。
〈どうして、テンイムホウの地に行きたくないのでしょうか〉
〈分かるだろう。弟の方が優遇されていることに〉
〈マトト様が?〉
〈あいつ、いつも親父と他の部族との交渉事だったり、仕事を任されているんだ。それに比べて俺は、キュウリ族の面汚しまがいだと親父から言われて、何にも期待されちゃいない。何で俺が、テンイムホウ王国に行かなきゃなんないんだよ。勝手にさせてくれよ〉
言葉が出ませんでした。私は子供のいないパール伯爵夫妻に引き取られた身で、兄弟もちろん居ませんでした。他の人にも、全てを諦めたくなる劣等感を覚えることはありませんでした。つくづく、箱庭の中にいたのだと思います。それでも、それでも。
スナー様の両手首を掴み、湧き上がる気持ちを口にします。
〈それでも、あなたの存在が、王国には必要なのです!〉




