第7話「冬支度は数から」
返答は20日きっかりで戻ってきた。
早い。無視されるか、忘れられるか、そのどちらかを覚悟していた。手を付けてすぐ突き返してきたということは、向こうにとってこの照会が処理の優先度の高い案件だったことになる。
駅逓の袋から出てきたのは、封蝋のついた一通と、俺が送った照会状そのものだった。
送り返されている。
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まず返書のほうを開いた。文面は俺の送ったものより短い。
『貴殿の照会は領主の職掌を越えるものと認む。王国財務院の算定に対し、被処分者たる領主が根拠の開示を求むるは前例なし。よって回答を要せず』
被処分者たる領主、という一句で目が止まった。
うまい書き方だ。俺の身分を思い出させながら、こちらの問いには一言も触れていない。数字の話をしているこちらに対して、向こうは身分の話で返してきた。
土俵が違う。土俵の違う相手に土俵の話をされたら、まず勝てない。
「これは、返事とは申しません」
リーゼが横から言った。声に感情はない。予想通りだったという言い方だった。
「知っていたのか」
「父の書棚に、同じ文面の写しがありました。文言まで同じです。型があるのだと思います」
型がある。つまり、こういう照会は珍しくない。珍しくないから型が用意してある。そして型があるということは、これまでに何人もが同じ紙を受け取って、そこで諦めてきたということだ。
俺は返書を綴じ紐に通した。捨てない。回答を拒んだという事実は、それ自体が記録になる。
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問題は送り返されてきたこちらの照会状のほうだった。
紙を広げると、俺の書いた数字の上に、赤い線が引かれている。
朱筆だ。こちらが挙げた耕作面積の実測値に横線が引かれ、その脇に別の数が書き込まれている。収穫高の欄も同じ。2箇所ともこちらの数を消して向こうの数を書き直してある。
消し線が妙だった。横一本ではなく、右下から右上へ抜ける二重線を、物差しを当てたように同じ角度で引いてある。2箇所とも傾きが揃っていた。
書き直された数のほうにも目につくところがある。4の頭が閉じていない。上の三角が繋がらないまま、縦棒だけが下へ伸びている。
几帳面な男だ、と思った。
言葉はひとつも添えられていない。
「……ずいぶんな」
テオが覗き込んでそのまま黙った。この年でもこの紙が何を言っているかはわかるらしい。
答えるまでもない、間違っているのはお前だ。書いた人間はそう言いたいのだろう。文書で殴るより、こちらのほうが効く。手間をかけて赤を入れる時間があるなら、根拠を一行書けば済む話だ。
書かないのは書けないからか、書きたくないからか。
俺はその赤い数字を眺めていた。
「妙な書き方をなさいますね。この朱を入れた方は」
リーゼが横から紙を覗き込んだ。彼女の目はこういうところに勝手に吸い寄せられる。
「どこがだ」
「桁の区切りの点を、数字の下に打っておられます。私は肩に打ちます。あと、7に横棒を入れません」
「読みにくいか」
「滲めば読み違えます。ですが、王都の書式では下に打つのが普通です。父も、そこだけは直せと言われたと」
大した話ではない。書き方の流儀の違いなど、どこの役所にもある。
俺はその朱筆の入った紙を、返書と一緒に綴じた。日付を書き、綴じ番号を振る。腹立たしいものほど、きちんと綴じておいたほうがいい。腹が立っているうちは、判断がひとつ雑になる。
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そして、賦課の額は下がらなかった。
420クローネ。納期は秋の収穫締め。こちらの手には回答を拒んだ紙と、赤で消された数字が残っただけだ。
一度は勝てるかと思っていた。数字が間違っているのだから、指摘すれば直るだろうと。
甘かった。
数字は正しさで動かない。数字を書き換える権限を持っている人間が動いたときにだけ動く。前世でもそうだった。決算の数字を直せるのは、正しい計算をした人間ではなく、直していいと言える立場の人間だ。
これは覚えておかなければならない。
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リーゼは返書と朱筆の紙を綴じ終えるまで何も言わなかった。
綴じ番号を振る手つきが、いつもより丁寧だった。紙の角を指で押さえ、紐の締まり具合を2度確かめている。
「この綴りは、どこに置きますか」
「帳簿室の棚だ。誰でも読める場所に」
「……読ませるのですか。これを」
「読ませる。回答を拒まれたことも記録だ。賦課の額と、こちらが何をして何を言われたか。全部見せる」
彼女はしばらく考えてから頷いた。
「父も、同じことを申しておりました」
「同じこと」
「隠せば、隠した側が嘘をついたことになる、と」
そこで話は途切れた。俺は続きを促さなかった。この娘は自分から話す準備ができたときにしか話さない。
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賦課の額はその日のうちに村へ広まった。
隠さないと決めた以上、広まるのは当然だ。掲示板に額と納期を貼り、徴税所で綴りを読めるようにした。
反応は2つに割れた。ひとつは諦め。もうひとつは怒りだ。
「そんなもん払えるわけがない」とグレゴールが言い、「払わんとどうなるんです」とヘルマンが聞いた。
払わなければ領主が処分される。処分されれば次の領主が来て、その男は村を絞る。この先の筋道は村の人間のほうが俺より詳しい。
「払わずに済ませる方法を探す。払えないという結論を出すのは、いちばん最後だ」
我ながら心もとない返事だった。それでも去年までなら、領主は村に何も言わずに絞りに来た。額を先に見せるというだけで、この土地では新しい。
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だから俺は次の仕事に移った。
払える見込みのない賦課を睨んで唸っていても麦は生えない。秋までにこの領がどれだけ生むかを固めないと、交渉の材料すら作れない。
「ガルフ。冬支度の話をしたい」
詰所で槍の柄を削っていた男が、手を止めて顔を上げた。
「まだ春ですぞ」
「春だからやる。冬になってからでは高い」
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やることは単純だった。
この領の人間と家畜が冬を越すのに、何がどれだけ要るかを出す。それだけだ。
その単純な作業を、今までこの領でやった者がいない。
「毎年、足りなくなってから隣の谷に買いに行っておりました」
ガルフが言った。
「値は」
「そりゃあ、足元を見られます。冬の塩は夏の倍以上でしたな」
倍。それを毎年やっている。
「今から手配すれば、その差額が浮く。塩の分だけなら、浮いた金でもう一冬ぶんが買える」
「頭では、わかります」
「頭でわかれば十分だ。あとは数を出す」
俺は帳面を広げ、ガルフに向かい合って座った。
*
そこからの半日は、この男の頭の中身を紙に移す作業になった。
「一人が一冬に食う麦は」
「そんなもの、体格によります」
「大きい男と小さい女の、両方を言ってくれ」
ガルフが眉を寄せて考え込む。この人の中には数がある。数の形で入っていないだけだ。
「男なら、袋で……あの袋の、4分の1くらいですかな。冬のあいだで」
「女子どもは」
「その半分から、3分の2ほど」
「羊は」
「羊は草を食います。雪が積もる前に囲いに入れて、干し草をやる。うちの群れなら、荷車で12杯」
俺は書き取り、掛け、足した。人数はすでに数えてある。家畜も数えてある。ここに単価を掛ければ、必要な銭高が出る。
途中でガルフが口を挟んだ。
「薪をお忘れです」
「入れてある」
「いや、そちらの数は少ない。冬の後半は生木しか残らんので、余計に要ります。乾いた薪の3割増しで見ておかんと、冬の終わりに凍えます」
俺はその数を書き足した。この一言は帳面の上には絶対に現れないものだった。
「他には」
「獣脂です。灯りに使う分と、傷に塗る分を分けて。それと、隊の者の靴。冬は底が抜ける」
言われるままに項目が増えていく。この男は俺が思っていたよりずっと細かく現場を把握していた。ただ、それを紙に書いたことがなかった。
書いたことがないものは、他人に引き継げない。この人が倒れたら、この領は冬の越し方を丸ごと忘れる。
そう言うと、ガルフの返事までの間が長くなった。
「私が死ぬ前提で話をなさるな」
「順番の話だ。あんたは俺より26年ぶん先に生まれている」
「余計なお世話です」
そう言いながら、この男は靴の話の続きを口にした。底の縫い方まで喋った。
*
日が落ちるころ、数が出た。
必要な銭高、金貨で218クローネと少し。今から手配すれば、そのうち70クローネ近くが浮く。
そして、それでも足りない。この領の見込み収入では、冬支度をして賦課を払うことはできない。どちらかしか選べない。
「足りませんな」
ガルフが数え書きを覗き込んで言った。読めないはずの紙を、この男は最近よく覗き込む。
「足りない。だが、どれだけ足りないかがわかった」
「それに何の意味が」
「足りない額がわかれば、埋め方を考えられる。わからないうちは、祈るしかない」
とはいえ、埋め方の前に壁がひとつあった。
冬の物資を今から仕入れるには、売ってくれる相手が要る。その相手がこの領にはいない。まともに取引をしてくれる商人が一人も残っていない。
「前の領主の代に、踏み倒しをやっております」
ガルフが言いにくそうに口を開いた。
「何度だ」
「数えたことはありませんが、隣の谷の組合はもう荷を寄越しません。街道筋の行商も、この村では前金でなければ卸さんでしょう」
前金を払う金がない。だから足元を見られる冬に買う。買うから金が残らない。よくできた輪だ。
「一人でいい。話だけでも聞く商人を探す」
「あてがおありで」
「ない。だから探す」
ガルフは天井の梁を見上げたまま、口を開かなかった。それから、妙にぶっきらぼうな声で言った。
「……去年の冬、うちの隊で凍傷をやった者が4人おります」
「記録は」
「ありません。ですが、名前は覚えております。ヨナス。ペーター。クルト。それとエルマーです」
俺はペンを取り、その4つの名前を帳面の端に書いた。
被害の欄に名前を入れる。あの晩に言われたことを、俺なりに形にしたつもりだった。ガルフはそれを黙って見ていた。
紙の上に自分の部下の名前が並ぶのを見て、この男が何を思ったかはわからない。
やがて、ガルフは立ち上がって外套を取った。
「今年は、その4人の名を書かずに済ませたい」
「そのために数えた」
扉に手をかけたところで、この男は一度だけ振り返った。
「……助かりました」
低い声だった。外の風にほとんど紛れて、聞き取るのに一拍かかった。
初めて聞く言葉だった。俺が何か言い返す前に扉は閉まっていた。




