表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された悪役伯爵は帳簿を正しくつけるだけ ~辺境を黒字にしていたら、俺を断罪した王国は粉飾で手遅れになっていた~  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/32

第29話「一年前の計算間違い」

宿の卓に紙を4組並べた。


エッシェン家の教区什一の抄本。シュタイベル家の引渡目録。それに、ヴェルトハイム卿が夕方に持ち込んだ束。


「郊外の教区だ。歩いて半日で行ける。昨日の読み上げを聞いていて、思い出した」


卿はそう言って、束を卓に置いた。息が上がっている。


「妻の実家から借りた机の上に置いてあった。去年の断罪の後、教区の司祭が写しを取っておいてくれたんだ。何の役に立つとも思わずに受け取った」



什一の台帳には家ごとの家産額が書いてある。


教会は毎年これを基に取る。取るために書いてあるので、書いた側に嘘をつく理由がない。院の書式ではなく、教区の書式で綴じ方まで違う。


俺は3家ぶんの家産額を書き出した。


エッシェン家、5200クローネ。シュタイベル家、4500。ヴェルトハイム卿、8760。


その隣に、没収計算書の抄本から、小計の和を書き写した。


5200。4500。9000。


2つは重なった。1つは重ならない。



「合いませんね」


マグダが先に言った。ヴェルトハイムの行を指でなぞっている。


「240」


「240だ」


合っている2つを喜ぶ前に、合わない1つを潰す。合わない数を抱えたまま先へ進めば、後で全部を疑われる。1年前に俺の家の値段を決めた紙も、内訳が合わないまま合計だけが立っていた。あれを繰り返す側に回るわけにはいかない。


「卿。没収を受けられるまでの間に、屋敷か地所へ手を入れられましたか」


卓の向こうでヴェルトハイム卿が顔を上げた。


「納屋だ。雪で潰れた。建て直した」


「いくらで」


「240ぴったりだ。大工に値切らせてもらえなかったから覚えている」


俺は什一の欄の日付を確かめた。教区が家産を数えるのは秋だ。写しはその秋の分で、納屋が建ったのは雪の明けた後になる。数え終わってから増えた家産は台帳には載らない。台帳が古いのであって、どちらかが嘘を書いたのではない。


8760に240を足す。


9000。



俺は3組の数を上から順に見た。


小計の和は実際にその家にあった額だ。膨らませてもいないし、削ってもいない。教区が毎年取り立てるために数えていた額と、理由の分かる差を除いて重なる。


膨らんでいるのは、その下の合計だけだ。


エッシェン家の合計は7280。5200の1.4倍。シュタイベルは6300で、4500の1.4倍。ヴェルトハイムは12600で、9000の1.4倍。


「4割でございます」


リーゼが言った。


「6件とも、4割」


「領を発つ前に割った数字と、同じでございます」


俺は卓の上に手を置いた。手のひらが冷たい。


理由不明、と書いた欄が今夜埋まった。



「なぜ、4割なのでしょう」


マグダが横から聞いた。


「取り上げた物を売り払うときに、目減りするからだ。買い叩かれるし、運ぶ費用も、人を使う費えも要る。実際に国庫へ入る額は、家の値打ちより少なくなる」


「では、少なく書くはずでは」


「逆にやったんだ」


俺は紙を1枚裏返し、そこに筋を引いた。


「先に、国庫へ入れたい額を決める。そこから、目減りする分を割り戻して、没収額を決める。決めた額を、罪の額として書く。——順番が逆だ」


「悪いことなのですか」


「悪い。この順番でやると、罪の重さが、必要な金額で決まる」


娘は口を開けて、それから閉じた。閉じてから、自分の書き取りの紙に何か書き足した。覗くと、順番の話をそのまま写している。


「書いておくのか」


「わたしは、まだよくわかっておりません。わかったときに読み返します」


ガルフが扉の内側から言った。


「わかりやすく申しますと、村の誰かが麦を1袋盗んだとして、領の金が足りん年には10袋盗んだことにされる、ということですな」


「そうだ」


「では、これは泥棒の話ですな」


ガルフはそこで言葉を切り、卓の紙のほうを顎で示した。


「王国の話だと言われると、私にはわかりません。泥棒の話だと言われれば、わかります」



最後に、自分の控えを開いた。


1年前、隣室で書記官に写させた紙だ。この1年、比べる相手がいなかった。抄本には明細がなく、俺のものだけが明細を持っている。今夜、比べる相手がそろった。


明細を上から足していく。ペンも算盤も要らない。この桁は1年前にあの広間で足したときから頭に入っている。


4180クローネ。


1.4を掛ける。


5852。


合計欄を見た。


6000。



148、足りない。


俺はその数を紙に書いて、下に3つの数を並べた。


2段目の小計の水増しが62。4段目の繰越が51。末尾の合計で35。締めて148。


3箇所。


1年前、俺が膝をついたまま数え直した3箇所だ。あのときは書いた人間の粗忽だと思っていた。次に、丸い数字が先に決まっていたのだろうと思った。


そのどちらでもなかった。


俺の家だけ、率で割り戻した額が届かなかった。届かない分を、3箇所に分けて足してある。1箇所に148を足すと目立つ。3つに割れば、どれも粗忽に見える。


「6000という額は、どこから来たのでございましょう」


リーゼが聞いた。



ドミニクの持ってきた11枚が卓の端にある。


彼女がその束を引き寄せ、去年の分を繰った。歳入の部、繰入の部、年度末の締めの頁。


指が止まった。


「412年度、年度末国庫繰入。予定額に対する不足、6000クローネ」


俺は自分の控えの合計欄を、その行の隣に置いた。


6000。6000。


同じ数字が2つ並んだ。


俺の罪の額は俺のやったことから出た数ではない。あの年の穴の大きさから出た数だった。



その晩、リーゼは父の検算欄の写しを取り出して、卓の端に置いた。


『合計欄と明細の和、相違あり。再確認を要す』


8年前に、あの人が書いた一行だ。


「父は、これを1行しか書きませんでした」


彼女は紙に触れずにその行を見ていた。


「1行で足りると思ったのだと存じます。合わないと書けば、誰かが数え直すと」


「数え直されなかった」


「はい。……今夜、数え直しました」


俺は返す言葉を持っていなかった。持っていないので紙を並べ直す。並べ替えは彼女がやった。俺が触ると順が崩れると言われた。



翌朝の広間は前日より人が多かった。


傍聴の席は最後列まで埋まっていた。前日に途中で出ていった4人の席は空いている。テオが後ろから知らせに来た。院の書記のうち2人が、朝の点呼に出ていないという話もそのときに聞いた。


オズウェルは前日と同じ席にいた。同じ外套で同じ姿勢だった。脇に控えていたヴァイス卿の姿が見えない。


長官が請求人の残りの提出を促した。俺は前へ出て、紙を渡した。


読み上げは院の書記にやらせた。こちらが読むと、こちらの声で聞こえる。


書記が家産額を読み、次に小計の和を読み、次に合計を読んだ。3家ぶん。それを2度繰り返した。


繰り返させたのは長官だ。1度目で、聞いていた者の何人かが数を追えなかった。



「4割の水増しが、6件に共通しております」


俺はそれだけ言った。


「7件目は、私です。私の分は、4割では6000に届きませんでした。届かない148を、3箇所に分けて足してあります」


書記が俺の控えの写しを読み上げた。2段目の小計。4段目の繰越。末尾の合計。


「その6000という額は、こちらの明細にございます」


俺はドミニクの写しの綴じ番号を告げた。


書記が読んだ。


「412年度、年度末国庫繰入。予定額に対する不足、6000クローネ」


広間の音が消えた。



俺は言い足さなかった。


言い足す必要がない。同じ数字が2つ読み上げられていて、この部屋にいる人間はみな読み書きができる。


長官が確かめた。


「請求人は、何を主張する」


「主張しません。数を並べました」


「では、この場は何を判断すればよい」


「私の罪の額が、私のしたことから出たのか、その年の不足額から出たのかを」


長官は殿下を見た。殿下は指を動かさなかった。



俺はもう1つ、出すものがあると申し出た。


「規則の証拠の章に、私文書の筆跡は採らないとございます。ですので、私文書は1枚も出しません」


長官が先を促した。俺は3枚を書記の卓に並べた。


1枚目は去年の春に財務院が当領へ発した却下状と、同じ封で戻ってきたこちらの照会状。却下状の署名は財務卿オズウェル・メルクリン。院印と発送番号がある。照会状のほうには、こちらの数を消して書き直した朱の線が2箇所入っていた。


「公文書と、これに付属して発せられた書面は、記載の一切を証拠にできる。院の規則の定めです」


2枚目は六家の没収計算書の抄本。法官庁が交付したもので、4組に訂正の跡がある。


3枚目を置くとき、俺は一度だけ手を止めた。これも法官庁の交付した抄本で、裏の検算欄に字が一行だけ乗っている。


「王国財務官ファルナーが、8年前に書いた一行でございます。合計欄と明細の和、相違あり。再確認を要す。——この一行の上に、二重線が引かれております」


並べ終えて、俺は下がった。あとは向こうの手でやってもらう。


書記が3枚を順に検めた。消し線は3枚とも右下から右上へ抜けている。書き直された数の4は、3枚とも頭が閉じていない。書記は誰の癖とも言わず、線の向きと字の形だけを言った。


長官は別の2人に同じことをやらせ、確かめた者の名を記録に入れさせた。それから短く述べた。


「3葉の朱筆、同一の手によるものと認む」


立ち上がる者はいなかった。認定はそれだけで済んだ。


朱を入れた者の名は、まだどこにも出ていない。名を出すのはこちらの仕事ではない。院が発した紙に誰が朱を入れたかは、院が答えることになっている。


俺の隣で、リーゼは前を向いたままでいる。父の名は彼女の口からは出ていない。



オズウェルが立ったのはそのあとだ。


「率は、余が決めた」


否定はしなかった。この人は最初から否定していない。


「4割は、売り払いの目減りだ。8年前、初めの家で実際に測った。測ったうえで、以後は同じ率を使った」


「7件目に、端数を足したのは」


「余だ」


短かった。


「その年、6000が足りなかった。足りぬまま締めれば、東への支払が滞る。滞れば、条項が破れる」


「破れれば、3郡が消える。9万人」


「そうだ」


この人は俺のほうを見なかった。書見台の上の紙を見ていた。


「余は、9万と6000を並べた。並べて、6000のほうを取った」



「取ったのは6000ではありません」


俺は言った。


「7人の家です。エッシェン、モルヴィッツ、トラウン、ラウテンベルク、シュタイベル、ヴェルトハイム。それに、私」


オズウェルは何も答えなかった。


答えないまま、書見台から手を離し、一歩下がった。下がったところで、袖口の擦り切れが目に入った。この人は12年、自分の靴を打ち直しながらこれをやっている。


私腹は肥やしていない。肥やしていないことが、いちばん厄介だった。



裁定は昼過ぎに出た。


殿下は立ち上がらずに読み上げさせた。声を張ることもしなかった。


『財務卿オズウェル・メルクリンの職を解く。王国会計につき、全面の調べを命ずる。調べの主宰は法官庁とし、財務院はこれに従う』


『六家および北辺境グラウフェルト領の断罪については、没収額の算定に疑義あり。あらためて審理を開く』


『王国財政の実態については、調べの後、王の裁可を経て公にする』


読み上げが終わると殿下は付け足した。


「余は、まだ何も救っておらん。数が出ただけだ。数が出た後に何をするかは、明日から先の話だ」



オズウェルは書見台の前から動かなかった。


院の書記が2人、その脇へ寄って何か囁いた。頷いて、綴りを1冊だけ手に取り、あとは置いていった。


エッシェン子爵は椅子に沈んだまま、孫娘の手を握っていた。ヴェルトハイム卿は立ち上がって何か叫ぼうとして、途中でやめた。やめたあと、両手で顔をこすっている。


ドミニクは壁際に立っていた。監査部の制服のままで、裁定を聞いても表情を変えない。この人が動いたのは、足元に落ちた綴じ紐を拾って卓に戻したときだけだった。


俺と目が合った。頷きも会釈もない。読み終えた頁から目を上げたときの顔で、また壁のほうへ視線を戻した。


俺の隣で、リーゼは膝の上に手を置いたまま前を向いている。まばたきの数が減っている。それ以外に、外から見てわかる変化はなかった。


俺は自分の手を見た。震えていない。


胸のあたりで何かが上がってくるのを待っていたが、上がってこなかった。1年ぶん積んできたものが返ってきた日に、体のほうは何も起こさない。起こす理由がないのだろう。今日この部屋でしたのは、数を2つ並べて、人に読ませたことだけだ。


上着の内側で、油紙の角が肋に当たっている。


傍聴の席から拍手は起きなかった。


書記のペンが走る音だけが、広間の端まで届いている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ