第25話「写しは燃えない」
発つ2日前から、俺は持っていくものと置いていくものを分け始めた。
持っていくのは府へ送った物証の控えと、規則の写しと日程表。置いていくのはそれ以外の全部だ。領の帳面は領に置く。館の帳簿室に錠はない。錠がないほうがいい、と決めたのは去年の春で、その判断を変える理由は今日まで出ていなかった。
「錠を掛けましょう」
ガルフはそう言った。
「掛けると、掛けた者が疑われる。何かなくなったとき、鍵を持っている人間から先に疑われる」
「では、番を立てます」
「立ててくれ。ただし夜だけだ。昼に立てると、村の者が入れなくなる」
*
発つ前の晩は村の集会に出た。
留守のあいだ誰が何を決めていいかを、掲示に書いて読み上げる約束をしていた。水路の石は出す。坑の炉は2つのまま。填補の掲示は季ごとに更新する。判が要る事柄と要らない事柄を分けて、要らないほうを増やした。
集会所の空気は熱くて、獣脂の煙が目に染みた。イルゼが後ろのほうで羊毛を撚りながら聞いている。読み上げが終わると、産婆の婆さんが手を挙げて、屋根の板の残りをどこに置くかを聞いた。
「詰所の裏だ」
「では、雨のかかる側でしょう。あそこは駄目です」
書き直した。書き直したものを、その場でもう1度読み上げた。
館の丘に灯りが上がったのは、その読み上げの途中だった。
*
テオが集会所へ駆け込んできたときにはもう終わっていた。
少年の額に血が滲んでいる。切ったのではなく、擦った跡だ。息が上がっていて、最初の一言が言葉にならなかった。
「落ち着け。数えろ。何人だ」
「……3人です。裏の勝手口から」
「怪我は」
「マルタさんが、突き倒されました。腕を打っておられます。わたしは階段で押されました」
「よく数えた」
「顔は、見えませんでした。布を巻いておりましたので。……ですが、手は見ました」
「手」
「爪が短く切ってございました。3人とも。それと、綴りの持ち方が、上手でした」
俺はその一言で背中が冷えた。物を壊しに来た人間は、紙を上手に持たない。
「他には」
「灯りを1つしか点けておりません。持ち回して、部屋の隅から順に照らしておりました」
俺はガルフを見た。この人はもう外に出ていた。
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丘を駆け上がったときには、賊は退いた後だった。
帳簿室の扉は閂ごと外されている。中は俺が見たことのない部屋になっていた。
棚の綴りが1冊残らず床に落ちている。落ちているだけではない。背を割って開かれ、頁のあいだに指を入れた跡がある。卓の抽斗は3つとも抜かれて裏返され、底板が剥がされていた。
俺は蝋燭を持って部屋の中を歩いた。歩きながら、跡を読んだ。
床板が2枚、釘ごと起こされている。壁際の煉瓦を1つずつ叩いた跡がある。寝台の藁は裂かれ、中身が引き出されていた。獣脂の樽の蓋まで開けてある。
火はどこにも点いていない。
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火を使っていない、というのが答えだった。
去年の冬、宿場では油を撒いて外から点けた。今夜は違う。今夜のこいつらは、燃やしに来たのではなく、探しに来ている。
燃やす相手は中身を読まなくていい。探す相手は探すものの形を知っている。
俺は床の綴りを1冊拾い上げた。割符の控えだ。頁のあいだが開かれ、割印の並んだ端が指でめくられている。番号順に確かめた跡がある。
もう1つの探し方が、卓のまわりにあった。
抽斗の裏。書見台の脚の空洞。床板の下。人が薄い紙を隠す場所を、順に潰していっている。素人ではない。家探しの手順を持っている連中だ。
順を追うと、こいつらの動き方まで出てくる。
まず棚の綴りを全部落とし、背の厚みを確かめた。厚みで中身の枚数が読めるからだ。次に床、次に壁、最後に寝台。1つも飛ばしていない。飛ばさないのは探し物が薄いと知らされているときのやり方だ。
台所へ回った跡もあった。粉の甕の蓋が開き、床に白い輪が落ちている。マルタが突き倒されたのはたぶんここだ。婆さんは甕の前で寝るのが習いで、この館でいちばん先に人の気配に気づく。
俺は輪の縁を指で拭った。粉が指に残る。これも書いておかなければならない被害だ。誰も数えない被害が、いちばん先に忘れられる。
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俺は上着の内側を押さえた。
油紙の包みはそこにある。硬い角が手のひらに当たった。1年前から、この紙は懐中時計の隣に入ったまま動いていない。開くのは灯りの下だけで、開いた後は必ず同じ場所へ戻す。
集会所へはそれを胸に入れて出ていた。理由があってそうしたのではない。上着を着れば紙もついてくる。1年やっていれば、そういう形になる。
こいつらは俺が館にいないと知って入っている。俺がいないなら、紙は館にあると踏んだのだろう。
踏んだ側の理屈は正しい。ふつう、人は大事な紙を家に置く。
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隊が坂の下で1人を捕らえた。
若い男で、腕を折られて呻いていた。詰所へ運び、火のそばに座らせる。尋問はガルフだ。俺は同席したが口は出さなかった。
出てきた話は薄い。関の荷改めの人足をしていて、冬に仕事が切れた。宿場で声を掛けられ、3人で北へ来た。声を掛けた男の顔は覚えているが名は知らない。金は半分だけ先に受け取っている。
「火は点けるなと言われたか」
男は火のほうを見たまま頷いた。
「点けたら残りは払わんと。……去年の冬に宿場でやった連中は、払ってもらえなかったそうです」
俺はガルフの顔を見なかった。見ればどちらかが何かを言う。
「お前は、去年の火の場にいたか」
「おりません。おりませんが、いた奴を知っております。1人は冬に死にました。凍えて」
火が薪を噛む音がした。
この男を憎むのは簡単で、憎んだところで何も戻らない。手を下したのはこいつらで、値を決めたのは別の卓の上だ。俺はそこまで考えて、考えたことを口に出さずにおいた。口に出すと、目の前の男が自分を許してしまう。
「何を探せと言われた」
男は懐から紙を出した。汚れて、折り目が擦り切れている。
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俺はその紙を火に近づけて読んだ。
探し物が2つ書いてある。
『一、割印のある伝票の綴り。端に半分の印あり。番号順のもの一式』
『二、二つ折りの一葉。財務院の書式。受領の印と日付あり。油紙に包まれている場合あり』
書いた人間は俺の胸の中身の形を知っている。
紙の下のほうに、訂正が1箇所あった。数字を1つ消して書き直してある。
消し線が右下から右上へ抜けていた。
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俺はしばらくその線を見ていた。
角度が揃っている。物差しを当てたように、去年の春の朱筆と同じ傾きで引かれている。書き直された数のほうは4ではなく2だ。癖の出る字ではない。
「使えるものですか」
リーゼが隣で聞いた。彼女は紙に触れず、こちらの手元を覗き込んでいる。
「使えない」
「規則ですか」
「規則だ。これは私文書ですらない。どこの誰が書いたかもわからない、盗人の懐から出た紙だ。出せば、こちらが作ったと言われて終わる」
彼女は頷いた。頷いてから、少し間を置いて言った。
「では、私が写しを取っておきます。使えない紙でも、日付は取れます」
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割符のほうを数え直した。
持ち去られた綴りが4冊ある。番号でいえば、去年の夏から秋にかけての取引だ。中央への納付と、支給の受け取りが入っている。
「痛いですか」
テオが額に布を当てたまま聞いた。
「痛くない。同じものが宿場に6軒ぶんある。府へ送った物証にも入っている」
「では、なぜ持って行ったのでしょう」
「こちらの手元から減らすためだ。減らせば、うちが慌てて宿場へ取りに走る。走った先を見張れば、どこに散らしてあるかがわかる」
俺はそこで言葉を切った。
「取りに走らない。当分、宿場には誰も出さない」
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翌朝、宿場から荷が届いた。
割符の様式で書付が1枚。バルツの字だ。
『昨夜、こちらにも人が来た。店の焼け跡を掘り返して帰った。掘るところが無いのを見て帰ったんでしょう』
その下に続きがある。
『6軒のうち、どの軒に何番が置いてあるかは、うちの女房も知りません。知っているのは各軒の主人だけで、互いにも言っておりません。あんたの言った通りにしたら、そういう形になりました』
俺はその一行を2度読んだ。
去年の冬、俺は燃えない紙を作ったつもりでいた。箱に入れて埋め、6軒に散らして、片方が焼けても残るようにした。
今夜わかったのはその先だ。散らした紙は焼けないだけではない。どこにあるかを誰も全部は知らないから、探せない。
燃えないより、見つからないほうが強い。
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朝の光の入る帳簿室で、俺たちは床の綴りを拾い集めた。
リーゼが番号を読み、テオが並べ、俺が欠けを書き取る。半日かかった。マルタは腕を吊ったまま台所に立ち、来るなと言っても粥を運んできた。
出立は1日遅らせた。日程表の余りが後ろに寄せてあったので、遅らせても間に合う。
「余りを使いましたね」
リーゼが言った。
「使った。使うために置いてあったんだろう」
「はい。ですが、残りは5日になりました」
彼女は日程表の欄をひとつ塗り潰した。塗り潰し方が丁寧で、下の数字が読めないほど黒くなっていた。
「昨夜、私は徴税所におりました」
彼女は炭を置いて言った。
「灯りが上がったのは見えました。走って上がろうとして、やめました」
「正しい」
「正しくても、走らなかった理由が自分でわかっておりません。父の束を抱えて、扉を閉めて、そこに座っておりました」
「それが理由だ」
彼女は少しのあいだ黙り、それから日程表の次の欄へ炭を移した。
*
テオが被害の記録を書き上げたのはその日の夕方だ。
俺は少年の書いた頁を上から読んだ。日付。場所。人の被害。マルタの腕、テオの額。物の被害。綴り4冊が持ち去られ、9冊が背を割られ、卓が1脚と閂が1本。床板2枚。
いちばん下の行はこうなっている。
『失われたもの——なし』
俺はその行の下に自分で1行足した。
『探されたもの——1葉。所在は当欄に書かない』




