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追放された悪役伯爵は帳簿を正しくつけるだけ ~辺境を黒字にしていたら、俺を断罪した王国は粉飾で手遅れになっていた~  作者: 夜凪 蒼


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第20話「六通の書状」

雪の縁が黒くなり始めた朝、リーゼが帳簿室に持ってきたのは綴りではなかった。


清書の紙が2枚。同じ文面が2通ある。


「冬に、申し上げました」


「覚えている」


俺は上から順に読んだ。1通目の宛先は王国法官庁。2通目は王太子府の受付になっている。書式は申立書だ。差出人の欄には名より先に姓が置かれていた。


『故王国財務官ファルナー、その遺族リーゼロッテ・ファルナー』


中身は短い。父の検算した没収計算書の検算欄に、第三者の手による加筆があること。加筆の下に何が書かれていたかを復元されたいこと。添えるのは写しが1葉だけだ。


窓の外では屋根の雪が滑り、庇の下で雫が板を叩いている。この部屋に春が来るのは村より遅い。炉を焚いても暖まるのは腰から上までで、床板を通って上がってくる冷えは靴の底から抜けなかった。


「殿下の受付にも出すのか」


「受付は、中身を読む前に番号を振ります。読んでから振る役所はございません」


「読まれずに埋もれるぞ」


「埋もれて結構です。番号と日付が残ります」


俺は紙を持ち上げ、窓の光に透かした。裏から見ても文字の並びに迷いがない。下書きを何枚も潰してから清書に入った紙だ。


これは訴えではない。同じものを2箇所に置いて、片方が消えたときに残るほうを作っている。割符と同じ考え方だった。俺が教えた覚えはない。


「1つ足せ。出す前に、もう1組写しを作って宿場へ預けろ」


「バルツさんに」


「あの組合は紙を6軒に散らす癖がついている。うちより上手い」


彼女はその場で3組目を書き始めた。



出すことの意味は、二人ともわかっている。


年度末が来ればドミニクの裁量は消え、止まっていた照会が回る。そこへ本人の名の申立が別の役所から2通入る。院の書棚に、ファルナーの姓が3つ並ぶことになる。


「怖くないと言えば嘘になります」


書きながら彼女はそう言った。手のほうは止まらない。


「では、余白に書いておけ。怖い、と」


「書きません」


「なぜだ」


「後で読み返したときに、そのとき怖くなくなっていたら、私はその一行に嘘をつくことになります」


俺は答える代わりに、彼女が振ろうとしていた綴じ番号の位置を指で1つ下げた。父の写しと同じ綴りに入れると、束ねて持ち去られたときに両方消える。


「この申立に院が答えるとしたら、どう答える」


「答えられません。加筆の下を復元するには、原本を出すしかございませんので」


「出さない場合は」


「出さないと書きます。書けば、原本が院にあることは認めることになります」


彼女はそこで清書の手を止め、ペン先の余りを紙の縁で落とした。


「どちらに転んでも、こちらの帳面に1行増えます。父はそういう出し方をする人でした」


俺はその言い方を覚えておくことにした。訴えるのではなく、相手に何かを書かせる。書かせたものは残る。



六家への書状は街道の閉まる前に出してある。


開くのを待ってから出したのでは間に合わない。往復に20日、家によってはそれ以上かかる。6通を同じ日に発たせて、戻ってきた順に読むしかなかった。


最初に戻ってきたのは、開かれていない封だ。


トラウン男爵家。封蝋は俺が押したときのまま割れていない。表に駅逓の役人の字で書き込みがある。


『該当者なし。当該領は6年前に退去、村落解散』


家が消えたのではない。村ごと消えている。俺は封を切らずに綴じ番号を振って綴りへ入れた。切ったところで、読む相手のいない紙だ。



次に来たのは封の切られたほうだった。


モルヴィッツ伯爵家。断罪は8年前でいちばん古く、当主はその翌年に獄で死んでいる。返事を書いたのが誰かは書いていない。


『書状は焼いた。この返事も焼いていただきたい』


行はそこで一度切れ、次の行が続く。


『家の者は名を変えて散った。今さら名乗って出れば、名を変えて生きている者の名まで一緒に出る。伯爵はご自分の分だけを差し出しておられるのではない』


俺は紙を卓に置いたまま、動かずにいた。


こちらの頼みは断る側に何が起きるかを勘定に入れていなかった。連署は名を出す行為で、名を出すというのは、その名で呼ばれる者が今どこで何をしているかをまとめて外へ出すということだ。


「焼きますか」


テオが灰かき棒を提げて立っていた。


「焼かない。焼けと書いてある紙を焼くと、書いた人間が何を怖がっていたかが残らない」


少年は棒を戻し、代わりに綴じ紐を持ってきた。


その晩、リーゼはこの返事を最後まで読まなかった。読める字だ。読めないから読まないのではない。


「私が申立に姓を書いたのは、書ける身内が私しか残っていなかったからです」


彼女は綴りの表紙に手を置いた。


「この家には、書けない身内が何人も残っております。……順番が違えば、こちらが焼いてくれと書いていました」



返事の途切れたあいだに、領は雪解けの仕事へ入った。


坑口の水を汲み出し、街道の崩れを直し、麦の種を配る。冬に貸した分の受取書きを回収して割符と突き合わせる。填補の綴りには今年の積立を立てた。返上した俸給の18は領の収入へは戻さず、この積立の勘定へ直に入れてある。俺の手を1度も通らない形にしてあるのは、後で誰かに問われたときの答えを、紙のほうに持たせておくためだ。


ガルフは春の当番表を持って帳簿室に来た。


「六家のほうは、進んでおられますか」


「2つ潰れた。残りは待ちだ」


「では伺います。あの書状の紙代と駅逓の代は、どの勘定から出ておりますか」


「領政費だ」


「村の水路の石は、その隣の勘定で待っております。3年待っております」


俺は当番表に判を押し、押してから答えた。


「石は今年出す。書状も続ける。どちらかを選べと言われたら、俺は石を選ぶ」


「では、なぜ続けるのです」


「選べと言われていないからだ」


ガルフは表を巻き直した。巻く手つきは乱暴ではない。納得はしていないが、この人は納得していないものをそのまま持って帰る。



宿場からの返事は割符の様式で来た。同じ文面が2枚あり、こちらの1枚には受取の印が押してある。


『預かった。うちの奥と、南の3軒と、峠の小屋に分けて置く。焼けたところへは置かん』


その下にもう1行あった。


『書記の嬢ちゃんに伝えてくれ。うちの女房は字の書ける人間を一人も知らずに40年やってきた』


俺はその一行を写して徴税所へ回した。バルツが何を言おうとしたのかは考えないことにした。考えて意味を決めると伝わるものが減る。



泥の乾き始めた頃に、南から2通が一緒に着いた。


ヴェルトハイム卿。断罪は去年で、六家のうちいちばん新しい。王都の郊外にいる。


『署名する。日時と場所を書いて寄越せ』


それで済ませてもよさそうなものを、この人はさらに4行を費やしていた。当方に物証はない、持っていれば去年のうちに使っている、屋敷の書物は一枚残らず持っていかれた、残ったのは妻の実家から借りた机が1つ。


最後の行はこうだ。


『こちらは何も持たん。腹だけはある』


もう1通は宿場を経由して届いた。差出人はドミニクで、中身は彼のものではなく預かった書状の写しだった。


ラウテンベルク家。当主は5年前に病で死に、遺族が没収を受けている。娘が1人、王都の商家へ嫁いでいた。


『連署に加わります。ただし、婚家の名は書状にも証にも出さないでください。あの家は関わりがございません』


条件はそれだけだ。文末に一行が添えてある。


『あなたの監査官の方は、5年前にうちの帳面の不備を7つ書かれました。あのときの書付を、母は捨てずに持っております』


ドミニクの添え書きはない。写しの端に、いつもの署名だけがある。



シュタイベル家からは何も来なかった。


3年前の断罪で当主は生きている。領内に蟄居していると聞いた。生きていて、住まいもわかっていて、返事だけがない。拒まれるより扱いに困る。


「書けないのかもしれません」


リーゼが言った。


「見張りがついていると」


「蟄居は門の出入りが記録されます。誰が来て、誰が出たか。父が東へ移された年、うちの門にも冬のあいだ番の者が立っておりました」


俺は卓の上に六家の欄を並べ、応諾の印を入れていった。


御前監査の開催に要るのは、求める者のほかに爵位を持つ貴族が2名。ヴェルトハイム卿で1つ。ラウテンベルクの娘は商家の妻で爵位を持たない。証言はできるが連署の数には入らない。


残りは1つだ。


その1つを俺は指で押さえた。


「シュタイベルが動けば2つになります」


「動かない前提で組む。動いてくれたら儲けものだ」


物証のほうも数え直した。父の帳面の写し。六家の判決と没収計算書。ドミニクの持ってきた11枚。焼け残った割符の綴り。そして俺の控えが1枚。


並べれば嵩はある。嵩はあるがこの山のどこにも、朱を入れた人間の名前を書いた紙はない。



駅逓の袋を空にしたとき、底に古い封が残っていた。


冬至の前に俺が書いて、出せなかった手紙だ。宛先はバルツ。しばらく荷を止めるべきかもしれない、と書いてある。出す前の晩に宿場が焼けた。


封は切らずに日付を入れ、綴じ番号を振った。備考の欄には一行だけ書いた。


『発送せず。理由——遅かったため』


砂を振ると、粒が紙の上で乾いた音を立てる。



最後の1通が着いたのは、街道の泥が固まった日だった。


エッシェン子爵家。6年前の断罪で、爵位だけを残して地方へ下がっている。当主は存命で、歳は80に近いと目録にあった。


封を切ると字が大きい。目の弱った人間の字だ。行の終わりが右下へ流れ、紙の下半分は使われないまま余っている。代筆を頼まずに自分で書いたということだけは、こちらにも伝わった。


『6年前に、わしは署名を1つした。財産の目録に間違いがないと認める署名だ。あれが何に使われたかは、あとで知った』


俺は次の行へ目を落とした。


『老人の足では王都まで行けぬ。話を聞きたければ、そちらから来られよ。ただし、来ても署名するとは限らん』

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