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追放された悪役伯爵は帳簿を正しくつけるだけ ~辺境を黒字にしていたら、俺を断罪した王国は粉飾で手遅れになっていた~  作者: 夜凪 蒼


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第18話「赤字のまま守るもの」

4日目の朝、テオが綴りを1冊持って帳簿室に来た。


割符の控えだ。少年は俺の返事を待たずに卓へ置き、頁を開いて指をさした。


番号が1つ飛んでいる。その下の余白に、欠番の理由が書き込まれていた。


『欠番。振り直しの際に落とす。理由——確かめる者がいなかったため』


俺はその一行を3度読んだ。


「これは嫌味か」


「事実です」


テオは目を逸らさなかった。声は震えていたが逸らさなかった。


「間違いを消した帳面は、間違いのない帳面より信用されないと、お館様がおっしゃいました。ですから、書きました」



俺は帳面の表紙に手をかけた。


開くのに、指の力は要らなかった。3日かけて重くしていたのは俺の手のほうだ。


被害の記録の頁に戻る。数はすでに書いてある。名前の欄が空いている。


そこに2つ書いた。


ヨスト。カルル。


年齢と、住まいと、遺された家族の人数を書き添えた。ヨストには母と妹。カルルには孫が3人。書きながら、この情報を自分が調べていたことに気づいた。宿場で聞いて回ったのは、書くつもりがあったからだ。


損害の原因の欄にはこう書いた。


『放火。実行者不明。なお当該の荷は当領の判断により当該の店へ置かれたものである』


書き終えて、砂を振った。



その日から、俺は新しい綴りを1冊立てた。


表題は迷った。救済という語はこの土地では大げさに響く。結局、素っ気ない一行にした。


『領の判断により損を出した者への填補 規則および記録』


「規則を先にお書きになるのですね」


リーゼが表題を読んで言った。


「金がない。金がないうちに額を書くと嘘になる」


「では、何を書きます」


「順番だ。誰から先に払うか。死んだ者の遺族が先で、次が家を焼かれた者、その次が荷を失った者。同じ順位の中では、金の少ない者から」


彼女は炭を取り、俺の口にした順を書き取っていった。書き終えると一行足した。


「填補を受ける者の名は、掲示に出さないことにしましょう」


「理由は」


「受け取ったことが村に知れると、次の年にその家は施しを受けた家として扱われます。父の言葉ではありません。私が、王都で見ました」


俺はその一行を清書に入れた。



清書が半分ほど進んだところで、彼女がペンを置いた。


「ひとつ、伺ってよろしいですか」


「どうぞ」


「父の帳簿は、どうなさいます」


卓の隅に、麻布に包まれた束が置いてある。晩秋に読み始めてから、俺はあの綴りを一度も棚に戻していない。


「読む。読んで、六家の名前を全部そろえて、誰が朱を入れたかを突き止める」


「では、こちらの綴りは」


彼女は填補の規則の紙に手を置いた。


「両方だ。ただ、どちらが先かが変わった」


「どちらが先か」


「秋までは、正しく数えれば正しいことが起きると思っていた。数えれば嘘が浮く。浮けば向こうが困る。そこまでは合っている」


俺は自分の書いた欄の並びを見た。名前と遺族の人数と順位。


「その先を考えていなかった。数えた紙が誰かの家を焼くところまでは、勘定に入っていなかった」


「……入れておられたら、やめておられましたか」


「やめない。やめないが、先にこの綴りを作った」


リーゼはしばらく規則の紙を見ていた。それから清書に戻る。書き出しの一行を書き直しているのが、ペンの動きでわかった。



原資の話になると、途端に紙が薄くなる。


領主俸給の返上分は、そのまま積立に振り替えられる。年に18クローネ。坑の収益から1割を積む。取り決めれば、来年は4クローネほど。村の税からは取らない。取れば、損を出した側が損を埋める理屈になる。


締めて、年に22クローネ前後。


填補すべき額は今の見積もりで260を超える。


「12年です」


リーゼが計算を先に言った。


「坑が伸びれば縮む。縮んでも8年だ」


「8年でも、カルルさんのお孫さんは、その頃には大人になっております」


「なる」


沈黙が落ちた。窓の外で、雪が屋根から滑って落ちる音がした。



ガルフは真正面から反対した。


「金のない基金は、期待だけ作って裏切ります」


詰所の卓に、この男は掌を置いた。叩かなかった。叩かないぶん、言葉のほうに重みを乗せている。


「宿場の連中に、領が払うと伝わります。伝わったうえで12年待たされる。10年目に払えなくなったら、そのときこそ恨まれます」


「恨まれる」


「わかっておられるなら、なぜ作るのです」


「額を約束しないからだ。俺が書いたのは順番だけで、額と期日は年ごとに決める。払える年に払えるだけ払って、いくら残っているかを毎年掲示する」


「それは、払わない言い訳になりませんか」


「なる。だから毎年、残りを書く。書いた残りが減らない年が続けば、村の誰かが俺を詰りに来る」


ガルフは掌を卓から離し、指の関節を鳴らした。


「詰りに行くのは、私です」


「そうしてくれ」


この男は隊の名簿を持ってきた。凍傷を出した年の4人の名前が、いちばん上に書いてある。俺が春に帳面の端へ書いた名前と、並びまで同じだった。


「これも入れておいてください」


「基金にか」


「順番のいちばん後ろで結構。あの4人は死んでおりませんし、指も1本しか落としておりません。ですが、書いてある場所がないというのは、寒いものです」



規則の写しは宿場へも送った。


バルツからの返事は短く、割符の様式で来た。同じ文面が2枚。1枚が俺の手元に残り、もう1枚は向こうにある。


『規則は読んだ。組合の順位は3番目で構わん。ヨストの母親を1番にしてくれ』


その下にもう1行あった。


『前払いの荷は春に出す。値は据え置く』


据え置く、の4文字を俺は長く見ていた。


冬に危ない荷を運ばせたのだから、値はもう一段上がるのが商売の理屈だ。上げない理由を、この男は書いていない。書かないのは書くと理屈が壊れるからだろう。


俺は返事を書いた。値は上げてくれ、と書き添える。上げた分は填補の勘定から出すとも書いた。


受け入れられたかどうかは、春まで返ってこない。返ってこないあいだ、こちらの綴りには据え置くという4文字だけが残る。



夜になって、テオが帳簿室に来た。


朝に綴りを持ってきたときとは顔つきが違う。扉を閉め、閂まで下ろした。


「お館様。お話ししていないことがございます」


俺はペンを置いた。


「聞く」


少年は懐から油紙の包みを出した。俺のものより小さく、もっと古い。開くと、厚紙の証書が3枚出てきた。


王都の両替商の名と預り高。それに、引き出しに必要な符牒。


「前のお館様の、預けたお金です」



俺は蝋燭を近づけた。


証書は3枚とも同じ商会のものだ。日付は3年前から去年まで。預り高を足すと、金貨で860クローネになる。


領庫からの引き出しの手控えには、この額は載っていない。載るはずがない。手控えは「いくら引き出せたか」の記録で、これは「どこかから入ってきた金」だ。


「どうして、お前が持っている」


「使いに出されました。年に2度か3度、この商会へ。証書を運んで、預り札を持って帰る役です」


「読めたのか」


「読めません。当時は、字が読めませんでしたので」


テオの指が証書の端を握っている。


「読めないから使われたのだと、後で気づきました。書き役の方が出ていかれた後、わたしがこの証書を隠す場所を任されました。前のお館様は、外へ漏らしたら手を落とすとおっしゃいました」


俺は少年の手を見た。細い指が10本、証書の上にある。1本も欠けていない。


その言葉を、この子は3年ぶん抱えていた。抱えたまま俺の前で番号を振り、欠番の理由を書き、坑の飯の椀まで数えていた。


「なぜ今まで言わなかった」


「怖かったからです」


即答だった。


「それと、この金を出せば、お館様が捕まると思いました。前のお館様のお金を使えば、同じことをしたことになると」


「なる」


「……なるのですか」


「なる。だから、正しく怖がっていた」


テオの肩が下がった。責められると思っていたのだろう。



「では、なぜ今日出した」


「昼間、リーゼさんが規則を書いておられるのを見ました」


少年は言葉を選んでいる。選んでいるあいだ、視線が卓の木目の上を往復した。


「12年かかると聞きました。ヨストさんのお母さんは、12年待てないと思いました」


俺は証書を卓に並べた。


860クローネ。填補の見積もりが260。残りを積立に回せば、当分の原資になる。賦課にも回せる額だ。


回せる。回せるが回してはいけない。


「これは領の金じゃない」


「はい」


「原主が誰かから受け取った金だ。誰から、何のために受け取ったのかがわからないうちは、領の勘定に混ぜない。混ぜると、この領の帳面全部が汚れる」


「では、使えませんか」


「使う。填補にだけ使う。そのうえで別の綴りを立てて、出所不明の預り金として1グロッシュ単位で記録を残す」


俺は新しい紙を引き寄せた。


「これを使えば、俺は後で必ず突かれる。前領主の隠し金を運用した男だと言われる。だから、言われる前に全部書いておく。いつ、いくら、誰に払ったか」


「……書いても、疑われませんか」


「疑われる。疑われたときに出せる紙があるかどうかの話をしている」



テオは証書を俺の手に押しつけるようにして渡した。


「これも、使ってください」


言い終えると、少年は肩の力を抜いた。3年ぶんの重さを下ろした人間の抜け方だった。


「わたしの名前も、書いてください。この証書を隠していたのは、わたしです」


「書く」


俺は綴りの1枚目に日付を入れ、証書の枚数と預り高を書き、隣に少年の名を書いた。


それから、証書の裏を確かめた。


両替商の入金の控えが、証書の裏に糊で貼ってある。日付と、金額と預けた者の名。預けた者の欄には原主の名がある。


問題はその金がどこから来たかの欄だった。


空白になっている。


俺は春に見つけた手控えを棚から出し、証書の日付と突き合わせた。3枚のうち1枚の日付が、手控えの空白の行と一致している。


金額の欄が空いていて、用途の欄にだけ一語が入っていた行だ。


その一語を、俺はもう一度読んだ。


口止。

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