第14話「消された几帳面」
六家のうち、名前まで辿れたのは4つだった。残る2つには、目録から拾った番号と日付しかない。名前で引けないなら、番号で引けばいい。
請求書を誰の名で出すかで、俺たちは半日もめた。
「爵位のある者が請求できる。俺の名で出す」
「おやめください」
リーゼは即答した。手には清書用の紙をもう用意している。反対する準備をしてから会話に入る人間の手つきだ。
「7人目の伯爵が、6件まとめて断罪の記録を求めた。それだけで、法官庁の書記は院へ知らせを回します」
「では、どうする」
「3度に分けます。1度目は2件、20日おいて3件、最後に1件。書式も変えます。1度目は領政の先例調査という名目で、無関係な貴族家の相続の記録を2件混ぜる」
俺は自分の案を横棒で消した。
*
その日から、俺は数を書くのをやめて、書かない訓練をした。
請求の文面には調べたい理由を書かない。書かなければ、向こうは推測するしかない。推測は当たることもあるが記録には残らない。残らないものは後で使われない。
前に照会状を出したときは、こちらの持っている数を全部書いた。あれは正面から殴りに行く文書だった。今度は違う。
「腹の立つ書き方だな」
「父もそう申しておりました」
リーゼが清書の手を止めずに答えた。
「腹が立つ書き方をしているうちは、まだ生きていられるのだ、と」
*
返答を待つ40日を、俺は冬支度に使った。
坑口はもう閉じてある。麦は納屋に入り、塩は樽で数え直した。ガルフに言われた通り、村を歩く時間を戻した。凍傷の出やすい家を回り、獣脂の配りを先にする。名前を書いた4人のうち3人は、今年は詰所の当番に入れた。
村の側の話も入ってくるようになった。イルゼの群れが2頭やられたこと。ブレントの家の馬が売れたこと。産婆の家の屋根が抜けそうなこと。
数え書きにならない話ばかりだが、聞いていないと数え書きの意味がわからなくなる。
*
雪の走りが来た日に、バルツの荷車が来た。
冬前の最後の荷だ。塩と獣脂を降ろし、この男は帳場代わりの卓で割符に印を押しながら、世間話の顔で言った。
「南の関で、荷改めが厳しくなりました」
「税か」
「税じゃありません。行き先を聞かれます。北へ上がる荷だけ、荷札を写されました」
俺は印を押す手を止めなかった。止めれば、この男は俺が驚いたと読む。
「写して、どうすると言っていた」
「言いませんよ。役人が理由を言うときは、たいてい嘘のときだ」
バルツは荷車の縁を叩いて、いつもより早く発った。峠が閉まる前に戻らないといけないという。丘を下る車輪の音が、いつもより急いで聞こえた。
*
法官庁からの荷が全部そろったのは、初雪の降った翌日だった。
麻紐で括られた綴りが5組。もう1件は別の紙が1枚入っていた。
『該当記録 所在不明』
俺は5組を卓に広げ、テオに番号を振らせた。リーゼが読み、俺が拾い、テオが書く。この3日で、この部屋の分担は形が決まっている。
判決の要旨はどれも短い。罪状、額、処分。それに添付の没収計算書。
まず罪状を並べた。
横領。公金の私的流用。領地経営の怠慢。
5件とも同じ順で同じ3つが並んでいる。俺の判決文と一言一句変わらない。
「型がある」
「型があります」
彼女の声が硬い。
型があるということは、これまでに何人もが同じ紙を受け取ったということだ。春に返書を見たときと同じ言葉を、今度は俺のほうが言っている。
*
次に告発者を見た。
5件とも財務卿だ。名はオズウェル・メルクリン。断罪の制度上、財務にかかわる告発は財務卿から出る。おかしいことは何もない。おかしいことが何もないから、これは証拠にならない。
日付を並べたところで俺の手が止まった。
判決の日から、没収財産が国庫に入るまでの日数。5件とも20日を切っている。うち3件は10日を切っていた。
領地を没収し、屋敷と家財を数える。売るものを売って、国庫に納める。10日でできる仕事ではない。
「先に額が決まっていれば、できます」
リーゼが言った。
俺は答えなかった。答える代わりに、5件の没収額と、目録に載っていた6件目の額を書き出して足した。
3万9000クローネと少し。
これに俺の6000を足せば、4万5000に届く。8年で4万5000クローネが、貴族の首を数えることで国庫に入っている勘定になる。
大きい額だ。それでいて、王国の歳出の並びに置けば、上から数えて何番目にも入らない。
父の最終年に、印もつかず額も入らないまま立っていた項を思い出す。街道を1本通す普請で、1年に動く金がこの程度で済むはずがない。首を7つ集めても、あの項のたった1年ぶんに足りない勘定だ。
俺はその数を書き取って、線を引いて囲った。何を意味するかはまだ言えない。言えないものに囲みをつけておくのは、後で戻ってくるための目印だ。
それから、没収計算書の束を引き寄せた。
*
計算書はどれも同じ書式だった。
明細の縦列。小計。繰越。合計。並び方は俺があの広間の書見台で読んだものと同じだ。
清書の字も似ている。桁の区切りの点が数字の下に打たれ、7に横棒がない。
「王都の書式です」
リーゼが覗き込んで言った。
「そちらは、前に聞いた」
「はい。財務院で書く者は、みなこう書きます」
そこで話は終わるはずだった。
ところが俺の目は同じ場所に戻ってくる。訂正の入っている箇所だ。5組のうち4組に、数字を消して書き直した跡がある。
消し方が揃っていた。横一本ではない。右下から右上へ抜ける二重線を、物差しを当てたように同じ角度で引いてある。書き直された数字のほうは、4の頭が閉じていない。
「几帳面な男だ」
口に出してから、自分がその言葉を前にも使ったことに気づいた。いつだったかは思い出せない。腹の立つ紙を見たときだったのは確かだ。
もっとも几帳面な役人は王都に何百人といる。俺はその感覚を頭の隅へ寄せて、数字のほうに戻った。
戻ったところで、この束からわかることには限りがあった。訂正の跡は見えるし、書き直された後の数も読める。だがその家に本当は何がいくらあったのかを書いた紙はこの卓にない。元の値がなければ、消された数の上に何がどれだけ積まれたのかまでは出てこない。
*
決定的な一枚は3組目の底にあった。
没収計算書の裏面に検算者の欄がある。清書とは別の字だ。細かく、行間が詰まっていて略記が多い。
数字の桁の区切りが肩に打たれている。
俺は動きを止めた。
リーゼが手を伸ばして、その紙を自分のほうへ引いた。引いた手がそこから先へ進まない。
『検算 財務官ファルナー』
「……父です」
「読めるか」
「読めます。私の名前より、この字のほうが先に覚えました」
彼女は紙を持ち上げ、蝋燭に近づけた。炎の位置が近すぎて、俺は燭台のほうを引いた。
検算欄には数字が並んでいる。合計の再計算だ。その下に短い書き込みがある。
『合計欄と明細の和、相違あり。再確認を要す』
そして、その1行の上に、右下から右上へ抜ける二重線が引かれていた。
脇に別の字で書き足しが1行。
『照合済 誤りなし』
4の頭が閉じていない。
*
部屋の音が消えた。
テオが墨を摺る手を止めていた。少年は自分が何を見ているかまではわからないだろうが、二人の大人が息をしていないことはわかったらしい。
俺はその紙を、動かさずに見ていた。
父ファルナーはこの計算書を検算する立場にいた。検算して、合わないと書いている。書いたものが上から消され、その脇に誤りなしと書き足された。
だから彼は間違えて左遷されたのではない。
正しく数えたことが記録に残っていて、その記録を上書きした人間がいる。上書きした人間からすれば、正しく数えた男を職場に置いておくわけにはいかない。
「几帳面が、邪魔だったんだ」
俺は自分の声が低く出たのを聞いた。
「あんたの父上は、数字を間違えて消えたんじゃない。数字を正しく書いたことが消されて、そのあとで本人が消された」
リーゼは何も言わなかった。
紙の端を持つ指が白い。血の気が引いて、爪の下まで色が抜けている。それでも彼女は紙を落とさなかったし、皺も寄せなかった。この娘はいちばん強く握りたい瞬間に紙を守る握り方をする。
「……8年、考えておりました」
やがて、そう言った。
「父が本当に何かしたのではないか、と。誰も証拠を見せてくれませんので、疑うことも信じることもできませんでした」
「今日、紙になった」
「はい」
「まだ足りない。これは、誰がやったかを言っていない」
「わかっております」
彼女は紙を置いた。置いてから、両手を膝の上でそろえた。
テオが墨を摺り直し、新しい紙を並べた。少年は何も聞かずに、卓の隅の検算欄の写しを取り上げる。番号を振り、日付を書き、綴じ紐を通す。手つきに迷いがない。
「番号は」
「41番です。読んだ者の名前も、書きました」
「誰と書いた」
「お館様と、リーゼさんと、わたしです」
言い終えてから、少年は自分の名を最後に書いたことを気にする顔をした。順番の意味を、この年で考えている。
*
俺は自分の控えを取り出して、卓の端に置いた。
6件の型と、俺の判決文の型が同じであること。日数が同じであること。告発者が同じであること。ここまでは並んだ。
並んだものの真ん中にまだ穴が2つある。
ひとつは所在不明とされた6件目。もうひとつはこの計算書に朱を入れた人間の名前だ。
「6件目を追う」
「法官庁にないなら、写しは財務院にしかありません」
「財務院に照会を出すと、こちらの狙いが割れる」
「割れない出し方が1つございます」
リーゼが顔を上げた。
「父の職務にかかわる記録の照会です。遺族には請求の権利があります。父が検算した案件の記録を、遺族として求める。……名目が立ちます」
俺は彼女を見た。
「出せば、王都に知られる。ファルナーの娘が生きていて、この領にいることが」
「知られます」
「春に約束した。書式を誰に教わったかは、どこにも書かないと」
「その約束を、お返しします」
「軽く言うな。あんたが名乗れば、次に年度末の列に並ぶのはあんたかもしれない」
「並びます」
言い切ってから、彼女は少し息を吸った。
「私は8年、名乗らずに生きてまいりました。名乗らずにいるあいだ、父の名前を書ける紙は1枚もありませんでした。……書ける紙が、今日できました」
俺は止める言葉を探して、見つけられなかった。
止める理屈なら作れる。危ないから待て。時期を選べ。もっと材料を集めてから。どれも正しく、どれも彼女の8年に対しては軽い。
「わかった。1つ条件をつける。この請求の控えは、俺の名で綴じる。あんたが消えたときに、誰が何を出したかを追える人間を残しておく」
「……縁起でもないことをおっしゃいます」
「縁起の話をしていない。手順の話だ」
彼女は新しい紙を引き寄せ、インクを含ませた。書き出しの型はもう体に入っている。令の番号、宛先、職名。手が止まったのは最後の欄だけだった。
差出人の欄に、彼女は自分の姓を書いた。
ファルナー。




