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追放された悪役伯爵は帳簿を正しくつけるだけ ~辺境を黒字にしていたら、俺を断罪した王国は粉飾で手遅れになっていた~  作者: 夜凪 蒼


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12/25

第11話「廃坑に灯り」

領の古い帳面には、7年より前のものが数冊だけ残っている。


白紙ばかりの棚の隅で、表紙の革が反り返った一冊だ。中身は途切れ途切れで、読める部分も税の受領がほとんどを占めている。使い道がないので後回しにしていた。


その一冊を、俺は請求書の一件が片づいた晩にめくり直した。94クローネの分割払いが始まる。年に19クローネ。どこから出すかを決めていない金があるときは、持っているものを数え直すのが順番だ。


15年前の頁で指が止まった。


『北坑 運上 金貨32クローネ』


翌年の頁にも同じ行がある。その次の年で消えている。



「北の坑ですか」


マルタは竈の灰を掻きながら答えた。厨房の煙が低く垂れて、髪と壁に染みついている。


「岩塩が出ておりました。掘っていたのは、旦那様の祖父様の代までですよ」


「なぜやめた」


「水が出て、天井が落ちました。7人が出てこられませんでした」


老婆は掻き棒を灰に立て、そこで話を切った。数えられた7人には名前があるのだろうが、それを俺に言う筋合いはないという顔をしている。


「そのうちの一人は、あんたの祖父様が名指しで坑へ入れた男でしたよ」


言い足したのはそこまでで、マルタは椀を並べ始めた。伯爵家の当主が村の男の生死を名指しで決めていた時代の話を、この人は毎朝この竈の前で思い出しているのかもしれない。


俺は32という数字に戻った。年に32クローネの運上が上がるということは、掘っていた量はその何倍かになる。この領の年の実入りを考えれば、小さくない柱が1本折れたままになっている勘定だ。


塩は買っている。冬には夏の倍以上の値で買っている。


足の下に塩があるのに、雪の中を金を持って隣の谷へ買いに行く。よくできた笑い話だが、笑っている場合ではない。



翌朝、俺はガルフとテオを連れて北の斜面を登った。


坑口は雑木に埋もれていた。崩れた石積みの隙間から風が抜けてくる。夏の昼だというのに、その風だけが冷たい。喉の奥に、鉄と苦みの混じった匂いが残った。


「入れますか」


テオが覗き込むのをガルフが襟をつかんで止めた。


「10歩で水です。この先は膝まで浸かる」


「入ったことがあるのか」


「若い頃に。肝試しの類です」


俺は石を1つ拾って投げた。落ちる音までの間が短い。水面は思ったより浅いところにある。


坑道が水に沈むのは、湧いた水を汲み上げる者がいなくなるからだ。掘るのをやめれば水が上がる。上がった水は掘り直せば下がる。


「排水と、崩れた口の組み直し。要るのはその2つだ」


「その2つで、人が何人死ぬかはお考えで」


ガルフの声は低かった。責める調子ではなく、値を読み上げるような言い方だった。



館に戻って、俺は数を作った。


坑口の石積みに要る木材と鉄具。桶と綱。排水に当たる人手と日数。塩を運び出す荷車と乾かす小屋。


現金で出ていくのは12クローネ。木材は領の山から出せるので、買うのは鉄具と綱だけになる。人手は刈り入れの後の農閑期に充てる。


回収のほうは買っている塩から逆に見た。この領がひと冬に使う塩は樽で20ほど。秋の値で1樽80グロッシュだから、締めて80クローネになる。半分を自前で賄えれば40浮く。


12を出して40戻る見込みなら、悪くない。


「賃金は」


リーゼが清書の手を止めて聞いた。


「受取書きで出す。現金は年明けだ。それと、掘った塩から分け前を出す。1日出た者に、1杯ずつ」


「紙と塩ですか」


「紙と塩だ」


彼女は帳面の余白に線を引き、数字を並べ直し始めた。


「掘った塩の全部が売り物にはなりません。運ぶあいだに崩れて、乾かすあいだに目減りします。父の書いた運上の帳面では、10のうち2を落として計上していました」


「2割か」


「北の坑のものかは存じません。ですが、落として書いておかないと、後で足りなくなったときに誰かが盗んだ話になります」


俺は自分の数え書きを書き直した。40が32になる。それでも12を出す値打ちはある。


数字を厳しくする側に立つ人間が横にいるのは、俺にとって手数が減ることを意味していた。



その計算をガルフの前に置いたのはその日の夕方だ。


この男は紙を長く見ていた。読めない列を追う目つきではない。冬支度の数を作った晩から、この人の目は数字の並びを端から端へ動くようになっている。


「人日が足りません」


「どこがだ」


「刈り入れです。うちの村は、刈り入れに15日かかります。その15日は、男が全部畑に出ます。あなたの紙では、刈り入れの後の日から坑に人が入ることになっている」


「後の日からと書いてある」


「刈り入れの後は脱穀です。それから屋根の葺き替えと、豚の始末が続く。空くのは霜が降りてからです」


俺は自分の紙を見た。農閑期という言葉で括った空白に、実際は3つの仕事が詰まっている。


「霜の後だと、排水が凍る」


「凍ります。だから今年は口の組み直しまでです。水を汲むのは春」


ガルフはそこで卓に自分の紙を置いた。炭で線を引いた粗い表だ。日にちと、出せる人の数が並んでいる。この男が自分から数を紙にして持ってきたのは、これが2度目になる。


俺は反論の材料を探して、見つけられなかった。


「もうひとつ申し上げます」


「言ってくれ」


「紙と塩で人を入れるのはおやめなさい。腹の減った者から先に落盤に遭います。坑に入る日は、館から飯を出しなさい。それが払えないなら、掘る話そのものを来年に送るべきです」



俺は案を書き直した。


今年やるのは坑口の組み直しまで。排水は雪解けの後に回す。坑に入る日は1日2食を館が出し、その分を先に計上する。飯の材料は40グロッシュぶん。


書き直した紙を、俺はガルフの表の隣に並べて綴じた。


「先に言っておく。俺はこれを自分では思いつけない」


「畑を知らんとおっしゃっておられましたな」


「知らない。数だけ見ると、人が休まない前提で線を引く。前にも同じ間違いをした」


「覚えております」


この男はそれ以上言わなかった。言わずに、俺の書いた飯の項をもう一度覗き込んで、40グロッシュを45にしろと言った。理由は坑の仕事は腹の減り方が違うからだそうだ。



刈り入れが終わり、脱穀の音が村から消えた頃、俺は掲示板に一枚貼った。


北坑の口を組み直す。出た者には受取書きと飯。掘り出した塩からは分け前を出す。


初日に来たのは3人だった。守備隊のヨナスと、その下の若いのが2人。要するにガルフが出した数だ。


村の側からは誰も来ない。水場で女たちが話しているのは、坑の話ではなく坑で死んだ7人の話だった。


2日目の朝、ヘルマンが道具を担いで坑口に立っていた。水車小屋の親方は、欠けた指の残る手で石積みの角を叩いてみせた。


「切り出しの目は、こっちが見ます。素人が組むと2年でまた落ちる」


「助かる。だが、あんたの小屋の石臼はまだ割れたままだ」


「秋の収穫の後で替えると、紙に書いてあります。おれはあれを数えて生きとります」


言い方に恨みの色はなかった。値打ちのある紙を持っている男の言い方だった。


3日目にグレゴールが来た。この男は坑口の手前で足を止め、しばらく中を睨んでから道具を下ろした。


「うちの親父が、若いころ2年ここで掘っとりました」


「聞いていない話だ」


「言う相手がおりませんでしたので」


4日目に、その隣の家の兄弟が2人。


理由を聞いて回るような趣味は俺にはない。それでも耳には入ってくる。ヘルマンが出ているなら落盤はない、というのが村での言い分らしい。人は領主の計算ではなく、石を知っている男の背中を見て動く。


順番としてはそれでいい。



坑口の石が積み上がっていくあいだ、俺は毎日その日の人数と作業を書いた。


書くのはテオの仕事にした。少年は出た者の名を並べ、受取書きの控えを綴じ、飯の椀の数まで数えた。名前の欄が日ごとに伸びていく。


リーゼは坑の帳面を別に立てた。かかった金と出た物を、領の勘定と混ぜずに1つの綴りへ分ける。混ぜると、この事業が儲かったのかどうかが永久にわからなくなる。


彼女が徴税所から運んできた綴りの上には、もう1つ別の紙が載っていた。賦課の納期を書いた告知だ。収穫締めまで、あと20日を切っている。


「額は変わっておりません」


「変わらないだろうな」


「納められる分だけ納めて、残りをどうなさるおつもりですか」


「明細を付けて返す。いくら納めて、なぜ残りが出せないかを1枚に収めて、駅逓の受取印を貰う」


彼女はうなずいて、告知を綴りの下に敷き直した。坑の話をしているあいだだけ、その紙のことを忘れていられる。忘れていられる時間の長さが、この秋の実務の量を決めていた。


「父の運上の帳面も、坑ごとに分けてありました」


「良い分け方だ」


「良い分け方をしても、坑は落ちるときは落ちます」


彼女はそう言ってから、少し困った顔をした。言わなくていいことを言ったと自分で思ったらしい。


「そうだな。落ちたときに何が失われたかを、そのときは書けるようになる」


「……気の休まらないお答えです」



坑口が塞がったのは、霜の降りる3日前だった。


組み直した石積みの奥へ、松明を1本入れてみた。光が坑道の壁を撫でて、白い筋が浮かぶ。岩塩の層だ。ヘルマンが手を伸ばして欠片を割り、舌に載せてから、俺のほうへ突き出した。


苦い。舌の脇が痺れるほど濃い。それでも塩の味がした。


グレゴールが自分の分を舐め、顔をしかめてから笑った。この男が俺の前で笑ったのはこれが最初だ。


「旦那」


「なんだ」


「来年の春も、この坑は開いてますかね」



その晩、俺は館の窓から北の斜面を見た。


坑口の前に灯りが並んでいる。片づけを終えた者が、順に松明を返しに来ているところだった。斜面を下る列は途中で折れて、村の明かりのほうへ細く伸びていく。


来年の春に水を汲み上げて、それから塩が出る。出ない年もあるだろう。出ても値が崩れる年もある。


それでも今夜のところは、勘定に入れられるものが1つ増えた。足の下の塩だ。


その列を、俺は端から目で追った。今日、坑口に立った人間の数だ。


数えて、23。

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