第10話「二重取りのお勘定」
監査官が去って20日後、駅逓の袋がいつもより重かった。
出てきたのは財務院からの一通と、綴じられた紙の束が一組だ。束には表紙がついていて、表題を読んだところで俺は椅子に座り直した。
『ヴェルンハルト伯爵領 未納金明細』
厚みがある。前領主の代の未納が並んでいるのだろうという見当は、めくる前からついた。項目が多いということは、こちらに読ませる気があるということでもある。
読ませる気のある請求書は、たいてい読むほど不利になるようにできている。
俺は蝋燭を引き寄せ、頭から数え始めた。
*
合計は金貨310クローネだった。
春に来た賦課の420とは別口になる。足せば730だ。この領の年の実入りを2年ぶん丸ごと積んで、ようやく釣り合う額になる。
内訳は6つ。街道普請の負担金が3年ぶんで72。王国軍が冬営した際の宿営費の分担が96。伯爵位の叙任料の残りが48。度量衡の改定で交付された秤の代金が6。駅逓の維持費が3年ぶんで18。最後に、王都の御用商人が立て替えたという前領主の借入が70。
末尾にもう一行あった。
『納付なき場合は領内の現物をもって充当す』
収穫の前にこの紙を寄越した理由が、その一行に書いてある。
最後の頁の署名を確かめた。財務院監査部、ドミニク・アシェル。
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「あの方が」
リーゼが手元を覗き込んだまま、紙の端に伸ばしかけた指を引っ込めた。
「書いたのはアシェルだ。決めたのは別の人間だろうがな」
「4日も泊めて、食事まで出しました」
「うちの食事に釣られる男なら、こんな綴りは作らない」
冗談のつもりだったが、彼女は笑わなかった。俺も笑えるほどの気分ではない。
腹の立て方には順番がある。誰の仕業かを考えるのは、数を確かめた後でいい。相手の顔を睨んでいるあいだ、紙のほうは1行も進まない。
「3日で片づける。徴税所の古い綴りを全部出してくれ。3年より前のものも残っているか」
「残っております。父の書式を真似て索引をつけましたので、日付で引けます」
「助かる。詰所の紙束も引き取る」
俺は綴りを閉じ、上着の内側を押さえた。油紙の包みの角が肋に当たる。あの控えを使う日が来るとは思っていなかった。
*
徴税所と詰所から綴りが全部そろうまでに10日かかった。3日で片づけると言ったが、あの3日は紙が手元に積み上がってからの3日だ。
ドミニクが来たのは、山ができた翌日の午後だった。
前と違って供が5人いる。書記が2人と、財務院の徽章をつけた衛士が3人。馬を降りた監査官は、館の外壁を見上げもしなかった。
「納付を求めに参りました」
挨拶はそれで終わりだ。玄関の段の下に立ったまま、革の筒から書付けを抜いて差し出してくる。
「期限は収穫締めまで。全額の用意がない場合、収穫後10日以内に領内の現物を検分し、相当額を充当します。麦と家畜、塩と道具。順に見せていただく」
「うちの塩は樽で8つだ。持っていくと冬に人が死ぬ」
「死ぬかどうかは、わたしの職掌ではありません」
声に温度がない。前に来たときは薄い興味のようなものが混じっていた。今日はそれが抜けている。
俺はドミニクの靴を見た。旅装の裾が乾いている。街道の宿で1泊し、身なりを整えてから丘を上ってきた。仕事の型を崩さない人間の歩き方だ。
「ひとつ聞きたい。この請求の根拠は」
ドミニクの視線が上がった。
「わたしの報告書です」
「あんたの」
「当領の記録は同規模の領のいずれよりも整備されている、と書きました。事実です。院はそれを、取り立てる先として使えると読みました」
言い終えてから、この男は口を閉じた。言い訳を足さない。足せば楽になるところで足さないのは、たぶん本人が自分に許していない。
「なるほど」
「ご不服は書面で。わたしは判断しません。持ち帰るだけです」
*
帳簿室の卓に、俺は4つの山を作った。
前領主の手控え。徴税所の古い綴り。詰所から引き取った焼け跡の残りのような紙束。それに、王都から持ってきた没収調書の控え。
「テオ。番号を振れ。俺が読み上げた順に、通しで」
「はい」
少年が墨を摺り始める。この作業に慣れてきた手つきだ。
突合というのは要するに、同じ出来事を書いた紙を2枚見つけて並べる仕事でしかない。1枚しかないものは事実にならず、2枚あれば動かない。頭で覚えている理屈ではなく、指のほうが先に紙の山へ伸びていく。
半日で1つ目が落ちた。
「宿営費の96だ。ガルフ、王国軍がこの領に冬営したのは何年前だ」
詰所から呼びつけた男は、紙束の前で腕を垂らしたまま答えた。
「3年前の冬です。北の砦の交替で、200人ほどがふた月とどまりました」
「そのとき、うちは何を出した」
「麦と薪と獣脂を。それと、豚を4頭」
「記録は」
ガルフの返事までに間が空いた。読めない紙の束を睨んでいる。それから、山の中ほどから1枚を抜いて卓に置いた。
「これかと。日付の書き方が、うちの者のものと違います」
俺は受け取った。王国軍の隊長の署名と、受け取った品目と数量が並んでいる。麦18袋と薪120束。獣脂の樽が3つ、豚4頭。
「読めるのか」
「読めません。字の形がうちの者と違います。それが見えただけで」
十分すぎる。俺は紙を光に近づけて、署名の脇の印を確かめた。
現物で払ったものを、今度は金で請求されている。
冬営のふた月で消えた麦18袋は、その年の春に村の三軒が種籾を割った分にあたる。ガルフはその三軒の名を口にしなかった。言わずに済ませたのだと思う。
*
2つ目は控えが落とした。
叙任料の残り48クローネ。前領主が伯爵位を継いだときの納め残しだ。俺は油紙を開き、没収調書の該当の条を指で押さえた。
『伯爵領および同家財産の一切を没収し、国庫に納める』
一切、と書いてある。負債も含めて国庫が引き取ったという意味になる。引き取ったものを、引き取った側が領へ請求し直すのは筋が通らない。
リーゼが横から覗き込み、条文を2度読んだ。
「……これは、あなた様の首を切った紙です」
「そうだ」
「その紙が、今日は盾になっています」
「書いてあることは変わらない。俺が読む場所を変えた」
彼女は何か言いかけて、綴じ紐に手を戻した。指の腹にインクの黒が溜まっている。この3日、彼女は徴税所の綴りを日付順に並べ直して、索引の抜けを埋め続けていた。父から受け継いだのが書式なら、書式の穴を塞ぐのは彼女自身の仕事になる。
3つ目は請求書の内側で見つかった。街道普請の負担金72のうち、3年前の項と2年前の項に同じ工事の名がある。日付が1日違いで、区間の呼び名が同じだ。書き写すときに1年ずらして二度立てたのだろう。48が消えて、24が残った。
駅逓の維持費18は、こちらが駅逓の宿と馬の飼葉を現物で出している。受取印のある紙が徴税所の綴りに8枚あった。相殺を申し立てられる。
秤の6は届いていない。届いていない物の代金は払えないが、届いていないことを証明する紙はこの世に存在しない。保留にした。
そして借入の70。前領主の手控えに、日付と相手と額がそのまま書いてある。
これは本物だ。
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その晩、詰所へ結果を伝えに行くと、ガルフの声が低くなった。
「70は、あの男が飲んだ金でしょう」
「そうだ」
「なぜ払うと言うのです。向こうは216ぶんの嘘を寄越した。こちらも1つくらい黙っていて、どこが不公平ですか」
槍の柄を削る手が止まっている。この男が怒っているのは金額ではない。順番のほうだ。
「黙って通れば、次に潰されるのは俺の数のほうになる。94を認める人間の216は疑いにくい」
「そういう勘定ですか」
「そういう勘定だ。腹の立ち方としては、あんたのほうが正しい」
ガルフは削りかけの柄を膝に置き、木屑を床へ払った。返事の代わりに、詰所の隅から冬営の年の受取書きをもう2枚探し出してきた。
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3日目の朝、俺は書面を2通こしらえた。
1通は認諾書。領が負う額を94クローネと明記し、5年の分割で払うと書いた。もう1通は異議申立書。項目ごとに、消えた理由と根拠になる紙の綴じ番号を並べた。
ドミニクは食堂の卓でそれを読んだ。読む速度が途中から落ちる。宿営費の受取書きの箇所で指が止まり、紙が光のほうへ持ち上がった。
「軍の受領は院に回っておりません」
「回っていないのは、そちらの都合だ。うちは渡した。渡した先が署名している」
「……確かに」
「310のうち216は、こちらが払う理由を見つけられなかった。残る94は認める。前領主の借入は本物だ。踏み倒す気はない」
ドミニクが顔を上げた。
「全部を否認なさらないのですか」
「否認すれば、こちらの数も疑われる。94を認めるから、216を消せと言える」
監査官は認諾書のほうをもう一度読んだ。それから、卓の上で2通を揃えた。指の動きに丁寧さが戻っている。
俺は待たなかった。テオを呼び、同じ文面を書き写した紙をもう1組持ってこさせる。
「同じものを2枚ずつ用意した。1枚は持ち帰り、1枚はここに残す。2枚を重ねて端に印を押す。合わせれば線が繋がる」
「これは商人の様式でしょう」
「今日から中央にも使う。この領から出ていく金と、この領へ来る紙は、全部2枚で残す。納めた分も、請求された分も、断られた分もだ」
「前例がありません」
「前例は今日作る。あんたが受け取ったという印を、ここに押してくれ」
ドミニクは黙って印を押した。切り離すとき、紙の繊維が裂ける短い音がする。この音を俺は好きになりつつある。
*
帰り支度の終わった庭で、この男はもう一度俺を見た。
「異議は院の判断に付されます。通るとは限りません」
「通らなくてもいい。出したことが残る」
「216クローネの根拠を潰されて、院が黙っているとお思いですか」
「思っていない。次は別の口実で来るだろう」
供の衛士が馬をひいてくる。ドミニクは鐙に足をかけ、そこで動きを止めた。
「ひとつ、申し上げます」
「聞く」
「わたしの名で出した書面を、あなたは3日で崩されました。院はそれを、わたしの落ち度として処理します」
「そうなるだろうな」
「なりません。落ち度にするには、書いたわたしを次も使う必要がある」
風が丘を渡り、麦の穂が波を打った。この男が何を言おうとしているのか、俺の理解が半拍遅れる。
「次に参るのは、わたしではありません」




