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追放された悪役伯爵は帳簿を正しくつけるだけ ~辺境を黒字にしていたら、俺を断罪した王国は粉飾で手遅れになっていた~  作者: 夜凪 蒼


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第9話「正確すぎるという罪」

監査官が来ると聞いたのは来る3日前だった。


先触れの文書には、来訪の目的が2行だけ書かれていた。特別賦課の納付見込みの確認と領政の実地調査。日付と、供の人数と宿の手配の要求。


「宿はない」


俺がそう言うと、テオが困った顔をした。


「館にお泊めしないと、ご機嫌を損ねるのでは」


「損ねる。だが、ないものはない。館の空いている部屋を掃除しろ。寝台は俺のを使ってもらえ」


「お館様はどこで」


「帳簿室で寝る。どうせ夜も書いている」



ドミニク・アシェルは、思っていたより若かった。


歳は俺と変わらない。細身で、旅装なのに襟の折り目がまっすぐ立っている。馬を降りて最初にしたのは挨拶ではなく、館の外壁を見上げることだった。


「修繕をなさっていませんね」


「今年は見送った」


「記録に理由が書いてありますか」


「書いてある」


「結構」


それだけ言って、この男は中へ入っていった。無礼というより、無駄がない。挨拶に使う時間があるなら仕事を始めたいという型の人間だ。


俺はこの種の人間を知っている。外から監査に来る若手に、何人かこういうのがいた。優秀で、融通が利かず、そして自分の仕事に誇りを持っている。


厄介な相手だった。



ドミニクの監査は丁寧だった。


まず綴りの目録を要求し、次に帳簿室と地下の保管箱を見て回り、それから村に出た。3日のうち2日は外に出ている。実物を見に行く監査官は、実のところ多くない。


倉庫の樽の数を自分で数え、村の家を無作為に選んで受取書きの控えと突き合わせた。イルゼの羊の頭数まで確かめに行ったらしい。


徴税所へ入ったのは2日目の午後だ。俺は同席しなかった。監査官が書記に事情を聴く場に領主が座っていると、聴取の意味が半分消える。


後で聞いた話では、この男は帳面の書式について3つ質問し、それ以外は一言も口を利かなかったという。


「怖くなかったか」


「怖かったです」


リーゼはあっさり答えた。


「あの方が帳面を開いたとき、指が震えました。父の話が出るのではないかと」


「出たか」


「出ておりません。ですが、書き方はご覧になっています」



守備隊の詰所では、ガルフが露骨に不機嫌だった。


「王都の犬が、隊の飯の数まで数えて何になるんです」


「数えられて困る数があるのか」


「ありませんが、気分が悪い」


「気分は帳面に載らない。載らないものは、向こうも突けない」


そう言うと、この男は鼻を鳴らして、詰所の受け取り書きを全部卓の上に出した。出し方は乱暴だったが、抜いた紙は1枚もなかった。


着任した春には考えられない光景だ。



4日目の朝、この男は帳簿室の卓に紙を並べて座っていた。


「指摘が7点あります」


「聞こう」


「棚卸しの数え書きに、数えた者の署名がない箇所が9つ。日付のみで、誰が数えたかが辿れません」


「直す」


「受取書きの控えのうち、11枚が徴税所に置かれています。原本と控えが同じ建物にあるのは、保管の分散として不備です」


「移す」


「守備隊の俸給未払いの記載に、利息の扱いが書かれていません。債務として繰り越すなら、増えるのか増えないのかを明示すべきです」


「増やさない。そう書き足す」


俺は言われた端から書き取っていた。ドミニクの指摘はどれも正しい。腹は立たない。腹が立つのは間違った指摘をされたときだけだ。


7点目まで聞き終えて、俺はペンを置いた。


「他には」


ドミニクが顔を上げた。


「他には、ありません」



その沈黙は俺にとっては良い知らせだったはずだ。


ところがこの男の顔つきのほうが不穏だった。腕を組み、卓の上の綴りを見下ろしている。まるで、探し物が見つからないのが自分の落ち度であるかのように。


「ひとつ、伺ってよろしいですか」


「どうぞ」


「この綴り——前領主の領庫からの引き出し記録。これはあなたが書かせたものですか」


来た、と思った。


「俺が書いた。写しは村の掲示にも出してある」


「総額580クローネ。使途まで整理されています」


「原本の手控えも保管してある。見るか」


「拝見しました。2日目に」


ドミニクは指を組んだ。爪がきれいに切り揃えられている。


「わたしは、この記録を発見したことにして報告書を書くつもりでした。着任した領主が前任者の横領を隠蔽している——それが、この監査で最も書きやすい筋書きです」


「隠していない」


「隠していない。それが問題です」


この男は本気で困っている顔をした。


「隠蔽の証拠は、隠されているから証拠になります。自分から書いて、掲示板に貼ってある記録は、告発材料になりません。むしろ、あなたの誠実さの証明として読まれます」


「そう読んでくれるなら助かる」


「助かるのはあなただけです」



ドミニクは綴りをもう一冊引き寄せた。割符の控えだ。


「この様式は、同じ紙が商人の手元にもあるということですか」


「ある」


「では、こちらの控えを書き換えれば済むのでは」


「済まない。向こうの1枚と合わせれば、印の線がずれる。数字も食い違う」


「商人がこちらと通じていれば、両方を揃えて偽れます」


「揃える手間と、揃えて得られる額を比べてくれ。うちの取引で偽って浮く額は、その手間に見合わない」


この男はしばらく黙って、割符の端を指で撫でていた。印の切れ目に爪を当て、断面の凹凸を確かめている。紙は繊維が裂けて切れるので、同じ形にもう一度切ることができない。


「……これを考えたのは、あなたですか」


「そうだ」


「王国の財務院に、これに相当する様式はありません」


言い方が引っかかった。ないのは知っている、という言い方だった。



ドミニクは立ち上がり、窓のない壁に沿って歩いた。


この部屋には見るものが何もない。それでもこの男は棚に並んだ綴りの背を指でなぞりながら歩いた。番号の飛びを確かめている。


「割符という様式は、どなたの案です」


「俺だ。改良は徴税所の書記が」


「あの女性ですか」


声の温度がそこで変わった。


「彼女の書き方は、王都の書式ではありませんね。桁の点を肩に打つのは、財務院では10年以上前に廃れた流儀です」


背筋の後ろがわずかに冷えた。


この男は書き方を見て出所を推測できる目を持っている。俺が思っていたより、ずっと厄介だ。


「古い流儀のほうが読み違えが少ない。それだけの理由で使っている」


嘘ではない。もっともすべてでもない。


ドミニクはそれ以上を聞かなかった。聞かなかった。だが覚えたのだろうということはわかる。



最終日、俺はこの男を村まで送った。


馬を引きながら、ドミニクは丘の下の畑を眺めていた。麦は伸びている。去年より人が出ているとイルゼが言っていた。理由は俺ではなく、受取書きを持つ家が増えたからだ。取られる量が読めるようになれば、人はその分だけ余計に働く。


「賦課の納付見込みは」


ドミニクが言った。


「現状では立たない。全部差し出しても届かない」


「そのように報告します」


「そうしてくれ」


「ただ、書き添えます。当領の記録は王国内の同規模の領のいずれよりも整備されており、納付不能は経営の怠慢によるものではない、と」


俺は歩きながら、この男の横顔を見た。


「書いていいのか、そんなことを」


「事実ですから」


言い方が平坦だった。誰かに評価されたくて言っているのではない。書くべきことを書くと言っているだけだ。


この男は俺と同じ種類の人間かもしれない。そう思った瞬間に嫌な予感がした。



村の入口で、馬に足をかけたドミニクが振り返った。


「ヴェルンハルト伯」


「なんだ」


「余計なことを申し上げます」


「聞く」


この男は言葉を探していた。探しているのがわかるくらい、そこだけ間が空いた。


「正確すぎる帳簿が罪になる土地を、ご存じですか」


風が畑を渡って、麦の穂が一斉に傾いた。


「王国のことか」


「どことは申しません」


「では、答えようがない」


「そうでしょうね」


ドミニクは馬に乗り、手綱を引いた。それきり、こちらを見なかった。


土埃が上がり、供の二人がその後に続く。俺は道の真ん中に立ったまま、その背中を見送った。



戻ると、徴税所の前でリーゼが立っていた。


顔色がよくない。この4日間、彼女は必要なこと以外を口にしなかった。監査官が村を回っているあいだ、徴税所の帳面の前から動かなかったのも知っている。


「終わりましたか」


「終わった。指摘は7点。全部直せる」


彼女の肩から力が抜けるのが、外から見てわかった。自分がそんな顔をしたことに気づいたらしく、すぐに姿勢を戻した。


「父のときは、指摘が30点あったそうです」


「30」


「そのうち、24点は父が着任する前の記録に対するものでした。それでも、報告書には父の名で載りました」


俺は何も言えなかった。


指摘の数はその気になれば作れる。書式の細部、署名の欠落、日付の書き方。粗を探すつもりで見れば、どんな帳面からでも30は出る。だから指摘の数は、書いた者の落ち度ではなく、監査する側の意思を表している。


彼女の父の報告書を書いた人間には意思があった。


「今日のあの方は、そういう書き方をなさらなかった。……そういう方も、いるのですね」


「いるらしいな」


「ですが、あの方は財務卿の下におられます」


「そうだ」


そこで話は終わった。終わらせたのは俺のほうだ。この先を口に出すと、まだ形になっていないものに名前をつけてしまう気がした。



その晩、俺は上着の内ポケットから油紙の包みを出した。


春に王都を出てから、一度も開いていない。折り目が白い筋になって、指で押すと粉のようなものが落ちた。


中の数字は当然ながら何ひとつ変わっていない。俺は蝋燭を近づけ、上から順に目を通した。合わないところは、まだ合わないままだ。


そして、あの言葉を思い返した。


正確すぎる帳簿が罪になる土地。


妙な言い方をする。罪になった帳簿を実際に見た人間でなければ、あの順番では言葉が出てこない。


俺は油紙を畳み直し、もとの場所へ戻した。

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