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子爵令嬢は推しを王国一の歌い手にすることにした  作者: kkkkk


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4/10

2-1.推しの初公演

 王都の中心部にあるアウレリア劇場は、神殿を模した三階建ての石造りで、正面には大理石の円柱が等間隔に並んでいた。アーチ状の大きな窓から、蝋燭の灯が通りに漏れていた。入口へ続く石段の前では、色鮮やかな衣装を身にまとった貴族たちが次々と馬車から降り立った。


 一方、アウレリア劇場の楽屋には、開演前特有の張り詰めた空気が流れていた。

 その片隅で、衣装に着替えたジャンは、鏡に映る自分の姿をじっと見つめていた。八か月前まで貧民街の路地裏で歌っていた少年が、今や王都でも有数の劇場の舞台に立とうとしていた。ジャンには、その現実が信じられなかった。


「緊張してるの?」


 扉を開けて楽屋に入ったエリザベートは、ジャンに声をかけた。


「……少し」

「出番はたった五分。演劇の場面転換の間、暗転している時間を埋めるだけ。観客を飽きさせないために、ジャンの歌を挟む。それだけのことだわ」

「はい」


 エリザベートはジャンの手を握った。


「その五分がジャンの将来を決めるわけじゃない。失敗したって大丈夫よ。私が舞台袖にいてあげるから、楽しみなさい」


 エリザベートが弾むように話すと、ジャンの強張っていた指先の力がゆるんだ。

 ジャンは深く息を吐き出した。


 **


 客席は半円形に広がり、一階は一般席、二階は裕福な商人や騎士のための桟敷席、そして舞台正面の最上段には貴族のための特等席。どの席も観客で埋め尽くされていた。シャンデリアの灯りの下、ドレスと礼装に身を包んだ観客が談笑しながら開演を待っていた。


 演劇の第一幕が始まった。身分差による悲しい別れの物語。お互いを想い合っているにもかかわらず、結ばれない平民の男と貴族令嬢。男は女の幸せを願い、遠くへ旅立つ。観客は俳優たちの熱演に引き込まれた。


 第二幕との間に設けられた場面転換の暗転。早く続きが見たい婦人は、大声で次の展開を予想して隣の婦人と話していた。隣の者と小声で話す紳士は退屈そうにしていた。暗がりの中、観客のざわめきが広がった。


 その時、ぼやけた照明が舞台の中央を照らすと、一人の少年が現れた。緊張した面持ちのジャンだった。

 白い衣装に身を包んだ金髪の少年。ジャンの姿は、観客の視線を引き寄せる力を持っていた。


 ジャンは客席に目を向けた。これほど多くの視線を一身に浴びた経験はなかった。

 ジャンが舞台袖に視線を向けると、笑顔で両手を胸の前で握るエリザベートが見えた。体の奥に溜めていた緊張を抜くように、ジャンは深く息を吐き出した。


 ジャンは客席に向かって、声を発した。澄み切った声だった。

 観客の談笑が消えた。扇子を動かしていた婦人も、隣の者と話していた紳士も、誰もが息を呑んで舞台に釘付けになった。


 大切な人と別れた男の後悔、その後の葛藤。そして男は女に会いに行くことを決意する。観客の第二幕への期待は最高潮に達した。

 特に婦人たちの反応は顕著だった。うっとりとした目で舞台上のジャンを見つめ、まるで夢の中にいるかのような表情を浮かべた。哀れで胸が締め付けられる歌声でありながら、どこか希望を感じさせる。暗転した舞台に、ジャンは温かな光を灯した。


 ジャンの出演は瞬く間に過ぎた。最後の歌声は、鐘の余韻のように長く美しく響いた。それが完全に消えるまで、観客は一言も発しなかった。

 最初に誰かが手を叩くと、嵐のような拍手が巻き起こった。舞台から照明が消えて、第二幕が始まっても、観客の心にはジャンの歌声の余韻が残り続けていた。


 演劇が終演を迎えた後、エリザベートは劇場を後にする観客を見送った。観客が話していたのは、演劇についてではなく、あの五分間の歌だった。


「アウレリア劇場には素晴らしい歌い手がいるのね」

「あの少年は誰なの?」


 ジャンの才能は本物だった……エリザベートは胸に手を当てて深く息をついた。

 アウレリア劇場に突如現れた謎の少年。その噂は翌日には王都中に広がっていた。


 **


 それから、ジャンが出演するたびに、観客は惜しみない歓声と拍手を送った。

 ジャンが出演する公演のチケットは発売と同時に完売し、その発売日には劇場前に長蛇の列ができた。


 アウレリア劇場の収益は目に見えて増えた。エリザベートの父は当初の懐疑的な態度を改め、ジャンの歌い手としての能力を認めるようになった。


 だが、ジャンの人気の高まりは、劇団内に軋轢を生んだ。劇場の演者の中には、新参の歌い手に客を奪われたことを嫉妬する者もいた。その軋轢は、ジャンに対する楽屋での冷たい視線、陰口となって現れた。

 それでも、ジャンが他の演者と揉めることはなかった。エリザベートが「ジャンに何かあれば、必ず私に報告しなさい」と劇場の支配人に厳命していたからだった。


 エリザベートの庇護は、劇場内でジャンを守る盾となっていた。支配人はシモン子爵令嬢の意向を無視できず、ジャンに対する嫌がらせや不当な扱いを未然に防いだ。

 ジャン自身はそのことを知らず、結果として、純粋に歌に専念できた。


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