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世界の代行者【第1章完結】  作者: 星之矢
第1章 始まりの過去編

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第41話 空白の記憶

第1部 過去への贖罪

 拍手の音で、目が覚めた。


「――は?」


 俺は立っていた。


 いや、立っているという感覚が、遅れて追いついてきた。

 足の裏は確かに石畳を踏んでいるはずなのに、自分の感覚だけがどこか遠い。


 目の前には、さっきのキメラがいた。


 ただし――もう、“生きてはいない”。


 首は飛び、翼は根元から()がれ、蛇尾は千切れ、胴体は何分割にも解体されたみたいに裂けていた。


 中庭のタイルも、不朽桜の根元も、全部キメラの血で染まっている。


 戦って倒した、という壊れ方じゃない。


 解体した。


 そんな言葉の方が近かった。


「なんだよ……、これ……」


 自分の身体を見る。


 制服には裂け目が残っている。

 血もべったりついている。


 なのに、その下の肌に傷がない。


 肩も。

 胸元も。

 脇腹も。


 さっきまで焼けるように痛みを感じていた箇所が、全部、最初から何もなかったみたいに塞がっていた。


 その代わりだった。


 遅れて、一気に身体の力が抜け、膝から崩れそうになる。


「っ……!」


 重い、なんてものじゃない。


 空っぽだ。


 手足の芯まで絞り切られたみたいに力が入らない。

 呼吸はできるのに肺が追いつかず、心臓だけが、異様な速さで打っている。

 立っているだけで、今にもその場に倒れ込みそうだった。


 痛みは消えている。

 傷もない。


 なのに、消えたはずの怪我の分までまとめて疲労だけを押しつけられたみたいに、全身が鉛みたいに重かった。


「何が……起きたんだ……」


「イやァ、見事ダッタぜ」


 話しかけられて、ようやく、そこに()()がいるのを認識した。


 影の奥から、誰かが拍手をしながら歩いてくる。


 黒い(もや)が、目線の先にあった。


 その内側に、無理やり人の輪郭を押し込めたみたいなものが立っている。


 人型ではある。

 だが、人間には見えない。


 肩から背、腕、足元へかけて、ぬめるような黒い(もや)が絶えず滲み出し、輪郭の端を曖昧にしていた。


 煙みたいに漂っているんじゃない。


 そいつ自身の一部が、形を保ちきれずに溢れ出しているみたいだった。


 体つきは筋肉質なのに、妙に細く見える。

 強張った肩。

 僅かに長い腕。

 指先は人のものより細く、不自然に鋭い。


 顔も人型ではあった。


 だが、頬は削げ、口元は裂けたように吊り上がっている。

 笑うたびに、奥で獣じみた歯が覗いた。


 黒い(もや)の奥で、目だけが鈍く赤く光っている。


 立ち方も、笑い方も、空気の馴染み方も、人間のものじゃない。


「誰だ……お前は」


 そいつの笑みが、ほんの一瞬だけ止まる。


「……ハ?」


「何者なんだ」


 睨みつけると、そいつは肩をすくめてまた笑った。


「覚えてねェのカ。そりャまタ傑作ダな」


「知らないな。答えろ」


「ゼルゲディア。オマエとは旧知の仲ダ」


 ゼルゲディア。


 聞いたことはない。

 なのに、その名前だけで背筋に悪寒が走る。


「お前が……これをやったのか」


「ヤッタとは?」


「この結界はお前の仕業なのかってことだよ」


「アァ、ソウイウコトカ。半分正解ダ。確カに準備シタのはオレダ。発動させタのは別ノ人間ダガ……まァ、元凶は誰ダって聞カれりャ、オレでイイ」


 あっさり認めた。


 怒りより先に、気味悪さが来る。


「オマエは自分ヲ知ラなすぎる」


 ゼルゲディアは、さっきの拍手の続きをするみたいに指を鳴らした。


「コノ惨状ヲ見て、自分ガナニをヤッタのカも分カッてねェんダろ?」


「……どういう意味だ」


「ソノまんまの意味ダ」


 笑っている。


 でも、その目だけは笑っていない。


 まるで面白い実験結果を前にした研究者みたいに、俺の反応だけを観察している。


「ココで片ヲつけタいナラ、もう一回ヤってみろ」


 ゼルゲディアは愉しげに笑った。


「オマエの中のソレガ、どこまで反応スルのカ……見セてみろよ」


 そう言って、ゼルゲディアは掌を上げた。


 赤黒い魔法陣が浮かぶ。


 嫌な予感がした時には、もう遅い。


 逆五芒星(デビルスター)の中心から、また魔力が噴き上がる。

 骨格が組まれ、肉が巻きつき、翼と尾が形を取る。


 新しいキメラが、そこに顕現した。


 今度の個体は額に刻印がある。


 逆五芒星(デビルスター)――あの形だ。


 刻印付きのキメラは、喉の奥で低く濁った唸りを漏らした。


「グルル……」


「ソイツヲ殺せば、コノ結界ガ解除さレるかもシれねェぜ?」


「……かもしれない、だと?」


「断言シてもイイが、曖昧な方ガ必死ニなるダろ」


 ふざけた口調だった。


 俺は歯を食いしばる。


 記憶はない。


 さっき何が起こったのかも、本当に分からない。

 しかも身体の奥には、立っているだけで意識を持っていかれそうなくらい疲労が溜まっている。


 でも、ここで立ち止まるわけにはいかない。


 刻印付きのキメラが低く唸り、地を蹴った。


 速い。


 咄嗟に横へ飛び、足元のコンクリート片を剣に変えて斬り込む。


 腹部を掠める。

 血が散る。

 だが浅い。


 翼が打たれる。

 風圧で身体が流される。


 後ろへ体勢を立て直した瞬間、背中に衝撃が走った。


「ぐっ……!」


 ゼルゲディアだ。

 後ろから蹴りを入れてきやがった。


 吹き飛ばされた先が、ちょうどキメラの正面。


「この……!」


 前脚が振り下ろされる。


 転がるように避け、そのまま剣を短槍へ変えて投げる。

 蛇尾を狙う。

 刺さる。


 だが、その一瞬でキメラ本体が横へ回り込み、爪撃(そうげき)が振り下ろされる。


 今度は、空気を裂くみたいな複数の斬撃。


解析起動ディセクト・アクティブスタート――」


 目の端に補助線が走る。


 見える。


 軌道。

 位置。

 角度。


 避けられる。


 はずなのに、足が半拍遅い。


「っ……!」


 一撃目は避ける。

 二撃目は掠る。

 三撃目で肩を裂かれた。


 血が飛ぶ。


 読めているのに、身体が追いつかない。

 さっきまでなら踏み込めたはずの一歩が、今はひどく遠かった。


 すぐに近くの破片を掴み、今度は刺突用の細い槍へ変える。


 翼の軌道を読む。


 今なら崩せる。


「――ッ!」


 踏み込みざまに突き出す。


 槍が腹部へ入り、刻印付きキメラが吼える。


「グォァッ!」


 けれど、それで止まらない。

 むしろ怒った。


 獣眼が露骨に吊り上がる。


 さっきの個体より、数段反応が速い。

 まるでこちらの手を一度見たうえで組み直されたみたいに。


 次の瞬間、視界から消えた。


「――っ!?」


 どこだ、と見回した瞬間、身体中に熱い線が走る。


 遅れて血が吹き出した。


 無数の切り傷。


 高速移動だ。


 目では追えない。

 解析起動ディセクト・アクティブスタートで読み取れても、身体の方が一拍遅れる。


 そこへ背後から、ぬるりと気配。


 振り向くより早く、脇腹に刃物の感触が走った。


「……っ、ぁ゙……!」


 ゼルゲディア。


 深い。

 腰の近くを刺された。


 足から力が抜け、両膝が崩れる。


「ソレじャあ捉えきれねェよ、()()()


 耳元で笑う声。


 名前を呼ばれたはずなのに、別の誰かを呼ばれた気がした。


 瑛志。


 そう呼ばれたわけではない。


 もっと別の何かを、あいつは見ている。


「読めテンのに間に合わねェ。今のオマエじャ、そこまでダ」


 次の瞬間、正面に現れたキメラの飛び蹴りが、顔面を真っ向から打ち抜いた。


 世界が反転する。


 視界が暗転して、そのまま意識が遠のいていった。


------------


 夢を見ているみたいだった。


 白い。


 けれど、眩しくはない。


 倒れていたはずなのに、立っている気がした。


 本当に立っていたのか、それともそう錯覚しただけなのか、自分でも分からない。


 目の前に、刻印付きのキメラがいた。


 いや、いた……と思う。


 景色が飛ぶ。


 血が散る。

 何かが千切れる。

 赤黒い肉片が宙を舞う。


 俺が動いたのか。


 俺の身体が、勝手に動いたのか。


 それすら曖昧だった。


 俺は見ていた。

 多分、俺の目で。


 でも、そこにいる俺は、俺の意思で動いてはいなかった。


 ただ、ひとつだけはっきりしている。


 怒りも、焦りも、何もない。


 壊すべき場所が分かっているかのように、身体が適切にキメラを解体していく。


 最初から知っていたみたいに。


 それが、一番怖かった。


 恐怖は、キメラに向けたものじゃなかった。

 怖いのは、目の前の異形じゃない。


 それを壊していく自分の身体だった。


 また景色が飛ぶ。


 どこかで、獣の絶叫みたいなものが遅れて響いた気がした。


 けれど、その音すら現実のものなのか分からない。


 どこかに、水面みたいな反射があった。

 そこに映った目が、自分のものに見えなかった気がする。


 瞳の奥に、青白い光とは違う、獣じみた金色が一瞬だけたゆたっていた。


 頬から首筋、肩へかけて、見覚えのない駆動線が紋様のように浮いていたようにも思う。

 腕にも、胸元にも、もっと濃い何かが走っていた気もする。


 でも、それを本当に見たのかどうかは分からない。


 金色の眼が、途切れる。

 翼の影が崩れる。

 何かが地面に転がる。


 そこでまた、景色が飛んだ。


 赤黒い何かがあった。


 肉にも鉱石にも見える、脈打つ塊。


 その表面に、無数の流れが食い込んでいる。


 血管みたいに。

 根みたいに。

 学院のどこかと、どこかと、どこかを繋ぐみたいに。


 中央実技演習場。

 第一体育館。

 中庭。


 知らないはずなのに、そうだと分かった気がした。


 そこへ手を伸ばした、ような気がする。


 いや、手じゃなかったのかもしれない。

 俺じゃなかったのかもしれない。


 ただ――掌の前に、青白い神紋のようなものが浮かび上がっていた。


 魔法陣に似ている。


 けれど、違う。


 術式というより、世界の継ぎ目に直接刻まれた印みたいだった。


 魔力という感じがしない。

 魔素(マナ)から集めた力でも、内側の力を巡らせたものでもない。


 魔力ではない、もっと深いところを流れる光だった。


 目の前が光に包まれて、何も見えなくなる。


 次の瞬間、学院全体が軋んだ。


 光がぶれる。

 何かが逆流する。

 赤黒い線が、逆向きに脈打つ。


 薄い(もや)みたいなものが剥がれて、吸い込まれて、消えていく。


 世界の継ぎ目そのものが軋んだみたいだった。


 でも、そこから先はもう分からない。


 白さが遠のく。

 音が消える。

 意識が途切れる。


 最後に残ったのは、誰かの声だった気がする。


 (あざけ)るみたいな声。


 あるいは、愉しげな声。


「……マダ、完全じャねェカ」


 それすら確かじゃないまま、俺の意識は完全に沈んだ。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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