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世界の代行者  作者: 星之矢
第1章 始まりの過去編

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第39話 背負っているもの

第1部 過去への贖罪

 真正面から飛び込んできた犬型の魔獣を、重護は拳で顔面ごと叩き潰した。


 頭部が弾け、赤黒い血飛沫(ちしぶき)が廊下へ散る。


 そんなことを気にしている余裕はない。


 横合いから低く走り込んできた別個体へ、身体を捻るようにして蹴りを叩き込む。

 骨の折れる鈍い感触。

 犬型の身体が横回転しながら壁へ激突した。


 だが、そこで足を止める気はない。


 目の前には、閉ざされた扉がある。

 その向こうから、学院のどこよりも濃い魔力の圧が滲み出していた。


 第一体育館。

 そこが当たりだ。


 頭上から、また一体。


 重護は頭を沈め、掠めた爪を外すと同時に踏み込み、そのまま肩からぶつかるように相手を壁へ叩きつけた。


「邪魔なんだよ!」


 短く吐き捨てる。


 速い個体はまだいる。

 正面だけじゃない。

 左右の壁、天井、割れた床の陰から、最短の間合いで喉笛と死角を狙ってくる。


 ただの足止めじゃない。

 明らかに、この先へ行かせないための防衛だ。


 なら、答えはひとつだった。


 重護は真正面から来た犬型の首根っこを掴む。

 そのまま片腕だけで持ち上げ、横殴りに振り抜いた。


 鈍い衝突音。


 振り回された身体が、横から迫っていた二体をまとめて巻き込み、床へ叩き落とす。


 その隙を逃さない。


 一歩。

 二歩。

 踏み込む。


 最後に扉の正面へ立ち塞がった高速個体が、低く唸りながら床すれすれを滑るように突っ込んできた。


 重護は避けない。


 半歩だけ前へ出る。


 飛び込んできた頭部へ、下から拳を突き上げた。


 鈍い破砕音(はさいおん)

 犬型の身体が浮き、そのまま扉へ叩きつけられる。


 重護は周囲の気配を一瞬で確かめた。

 追ってくる魔獣はいない。


 そこで初めて、扉へ手を掛ける。


 開いた先は、静かだった。


 だが、安全ではない。


 床板を走る赤黒い筋が、壁を伝い、天井へ伸び、その全部が同じ方向――中庭の方角へ脈打っている。


 重護は感覚で掴む。


 床下を走る流れ。

 学院各所から押し集められた魔力。

 それを中庭へ送り込むための圧送(あっそう)経路。


 理屈の全部が分かるわけじゃない。

 だが、間違いない。


 第一体育館は、深蝕封界を支える要所のひとつだ。


「……気色悪ぃな」


 低く漏らした、その瞬間だった。


 中央の赤黒い筋が、一斉に強く脈打った。


 床が軋む。

 空気が重く(よど)む。

 温度は変わらないのに、圧だけが増していく。


「……来るか」


 重護が声を落とす。


 次の瞬間、床板が内側から押し上げられるように持ち上がった。


 轟音。


 割れた床の中心から、巨大な影が立ち上がる。


 ゴリラ型魔獣。


 ゴリラに似ている。

 だが、あれを獣と呼ぶには凶暴すぎた。


 首は短く、胸板は異様に厚い。

 盛り上がった肩と前腕は、筋肉というより攻城槌(こうじょうつい)そのものだ。

 黒鉄色(くろがねいろ)の外皮の隙間を、赤黒い筋が生き物みたいに脈打っている。


 背中は不自然なほど盛り上がり、その中心――肩甲骨の奥だけに、濃い赤黒さが沈んでいた。


 頭部には、捻れた鋭い角。

 小さな眼窩(がんか)の奥に灯る光は鈍いのに、敵意だけが重い。


 ただ立っているだけで、体育館の空気そのものが押し潰されそうになる。


「グオォ……」


 低い唸りが落ちる。

 獣の喉じゃない。

 岩の奥で鉄が軋むみたいな音だった。


 重護は一目で理解した。


 速さで翻弄する相手じゃない。

 一撃一撃が危険な相手だ。


「……今の俺に倒せ(やれ)るか」


 短く吐いた直後、ゴリラ型が床を蹴った。


 その踏み込みだけで、床板がめくれ上がる。


 最初の一撃は、両腕を頭上で組んで叩きつける振り下ろしだった。


「グオォォッ!!」


 重い咆哮とともに振り下ろされた両腕を、重護は真正面から迎える。


 腕を合わせ、腰を落とす。


 轟音。


 両腕がぶつかった瞬間、床板が耐えきれず陥没した。

 体育館の白線が裂け、木片が跳ね飛ぶ。


 衝撃は骨まで響いた。

 だが、重護の姿勢は崩れない。


「……ッ、痛ってぇな!」


 受けた両腕をそのまま外へ払い上げ、開いた懐へ肩から踏み込む。


 ぶつかったのは拳じゃない。

 全身だった。


 巨体が初めて、僅かに仰け反る。

 踏み締めていた両脚が半歩だけ浮き、黒鉄色(くろがねいろ)の外皮の奥で赤黒い筋が不快に脈打った。


「重いだけなら、押し返せる!」


 低く吐き捨て、追撃。


 脇腹へ拳。

 顎下へ掌底。


 重い手応え。

 だが、まだ浅い。


 ゴリラ型は一歩も引かず、逆に肩からぶつかるように重護を押し返した。


 そのまま突進。


 角を前へ出した一直線の体当たりが来る。


 重護は一歩だけ外へずれる。

 掠めた角が制服の袖を裂き、そのまま背後の器具庫へ突き刺さった。


 金属扉がひしゃげる。

 中に積まれていた跳び箱、ボールかご、パイプ椅子が一斉に吹き飛び、床へ散乱した。


 重護はそこへ追い打ちを入れようと踏み込む。


 だが、ゴリラ型は角を引き抜くより先に、反対側の腕一本だけを横へ振り抜いた。


 大振りではない。

 だが圧がある。


 横殴りの一撃が、器具棚ごと空間を薙ぎ払う。


「――っ」


 重護は両腕で受ける。

 だが勢いは殺しきれない。


 身体ごと吹き飛ばされ、崩れた器具棚へ叩き込まれた。

 木片と金具が背中へ食い込み、脇腹の奥で鈍い破裂音みたいな感触が走る。


「ぐ、っ……!」


 息が止まった。


 吸おうとしても肺が広がらない。

 右の脇腹の深いところで、呼吸に合わせて鋭く痛みが軋む。


 肋骨をやられた。

 それも一本や二本じゃない。


 受けに使った前腕も痺れていた。

 掌の皮が裂けているのか、握った拳の内側がぬるりと滑る。


 それでも重護はすぐに立ち上がる。


 口の端から垂れた血を親指で拭い、何事もなかったみたいに拳を作り直した。

 指はまだ動く。

 脚も、踏める。


 なら、充分だ。


 目の前ではゴリラ型がゆっくりと向き直っていた。

 黒鉄色(くろがねいろ)の外皮の隙間で、赤黒い筋が脈を打つ。

 ただ立っているだけなのに、壁みたいな圧がある。


 真正面から力比べを続ければ削り負ける。

 受け切ることはできても、押し返し続けるには相手が硬すぎる。


 外皮が硬い。

 浅い打撃では崩れない。

 しかも深蝕封界(しんしょくふうかい)は、この瞬間も魔力を吸い続けている。


 長引かせるのはまずい。


「……なら、やることは一つだ」


 重護は重心を落とした。


 ゴリラ型が低く唸り、再び踏み込んでくる。

 重護は真っ向からではなく、斜めに入った。


 掌底。

 膝。

 肘。


 短い打撃だけを連ねる。


 脇腹へ入れる。

 肩は揺れる。

 だが、脚は止まらない。


 胸へ打ち込む。

 重い。まだ浅い。


 それでも止めない。

 半歩潜る。

 外へ回る。

 さらに半歩。


 押し潰しに来た肘の内側へ腕を差し込み、肩を滑らせるように巨体の脇を擦り抜ける。


「取った――」


 背後へ回り切る、その寸前。


 ゴリラ型の背筋が、ぞわりと粟立(あわだ)った。


 振り向かない。

 代わりに、背中ごと落としてきた。


 巨体そのものを叩き潰すみたいな、滅茶苦茶な後方圧殺。


「チッ!」


 重護は横へ転がる。

 半拍遅れて、さっきまでいた床が轟音とともに陥没した。


 砕けた木片が頬を裂く。

 転がった勢いのまま片膝をつくが、その瞬間、傷んだ脇腹へ鋭い痛みが走った。


「っ……!」


 立ち上がる。

 ゴリラ型も向き直る。


 今ので確信した。


 こいつは背を取られることを本能で嫌がっている。

 しかも、さっきより対応が早い。


「厄介だな……」


 感心ではない。

 面倒さへの確認に近い。


 館内はさらに壊れていく。


 次の振り下ろしで床板が大きく割れた。

 支えを失ったバスケットゴールの支柱が傾き、フレームが鈍い音とともに床へ倒れ込む。

 倉庫用ネットが千切れて舞い、散乱したボールがあちこちへ転がる。

 壁際のマットは裂け、器具棚の残骸が踏み砕かれる。


 修繕しなければ、もう体育館として使えないだろう。

 そのくらいまで、館内は壊れ始めていた。


 重護は焦っている。

 だが、理性は手放さない。


 感情に呑まれれば、隙が生まれる。

 だから見る。


 踏み込みの前に肩が落ちる。

 腕を振り切った後の戻しが遅い。

 背を崩されるのを嫌って、どうしてもこちらを正面へ置こうとする。


 その癖を、一つずつ積み上げていく。


 だが、その途中で最大の一撃が来た。


 ゴリラ型が真上から、両腕を振り下ろす。


 今までで一番深い踏み込み。

 今までで一番重い圧。


 重護は避け切れず、両腕を上げて受けた。


 床が爆ぜた。


 重護の身体ごと沈み込み、衝撃が骨へ突き抜ける。

 砕けた床板の木片が飛び、館内に轟音が反響した。


「……っ、ぐ……!」


 受け切った。

 だが、今のでさらに悪化した。


 脇腹の奥で軋んでいた痛みが、一段重くなる。

 胸の片側だけ呼吸が遅れる。

 片腕の痺れは消えず、握った拳から力が抜けそうになる。


 喉の奥へ鉄の味が上がった。

 血だ。


 視界の端で、講堂の方角が一瞬だけよぎる。


 陽奈。


 講堂で苦しそうに目を開けていた顔。

 自分が短く告げた、「すぐ戻る」という言葉。


 ――戻る。


 それだけが、今の重護を立たせていた。


 重護は崩れた床へ片膝をついたまま、ゆっくりと立ち上がる。


「約束、したからな……」


 それだけを、ほとんど独り言みたいに吐き出した。


 ゴリラ型がまた来る。


 角を前へ出した突進。

 今度は迷いがない。


 重護は正面から迎えるように見せて、寸前で半歩だけ外した。


 巨体の流れが、ほんの僅かにずれる。


 そこへ潜る。


 左肩を沈める。

 腰を落とす。

 踏み込んだ足の裏で、割れた床がめり、と鈍く鳴った。


 打つんじゃない。

 押し上げる。


 そういう形で畳まれた掌の周りの空気が、ゆらりと陽炎みたいに揺れる。


神威龍術(かむいりゅうじゅつ)――新式(しんしき)肆之型(よんのかた)熱波掌(ねっぱしょう)!」


 顎下へ打ち込まれた掌打は、見た目には浅い。


 炎は噴かない。

 派手な閃光もない。


 だが、掌が触れた一点の空気だけが幾重にも揺らぎ、透明な熱の輪が顎下から胸元へ波紋みたいに広がった。


 次の一拍で、遅れて内側が熱を持つ。


 外皮ではない。

 骨格の奥へ。

 呼吸の芯へ。


 掌から送り込まれた内熱が、顎から胸へ静かに潜り込み、巨体の芯を下から押し開いた。

 黒鉄色(くろがねいろ)の外皮の隙間を走る赤黒い筋が、熱に煽られたようにぶわりと脈打つ。


「グ、ォ……ッ!」


 ゴリラ型の喉が潰れたように鳴る。


 上体が持ち上がる。

 分厚い胸板が開く。

 守っていた背中の角度が、ほんの一瞬だけ崩れた。


 今だ。


 重護の踏み込みが、さらに深く沈む。


 左足を軸に腰を絞る。

 右肩を引く。

 肘を畳み、全身の力を一点へ束ねていく。


 痛みは消えない。

 脇腹は軋み、前腕は痺れたままだ。

 それでも、その全部をねじ伏せるみたいに力を寄せる。


 拳を放つ前から、その周りの空気だけが細く捻れていた。

 白い裂線みたいな風圧が、拳へまとわりつくように螺旋を描く。


 狙うのは、肩甲骨の間。

 赤黒い筋が最も濃く集まる、背部真核(コア)の一点。


神威龍術(かむいりゅうじゅつ)――新式(しんしき)参之型(さんのかた)螺旋弾空(らせんだんくう)!」


 拳が走る。


 その周囲の空気だけが、細く削げて捻れた。

 渦を巻くような白い裂線が拳へ絡みつき、回転しながら一点へ絞り込まれていく。


 風は荒れない。

 散らない。

 ただ拳の前だけが、真空めいた螺旋の(あな)になった。


 命中の瞬間、音が消えた。


 外皮は大きく裂けない。


 その代わり、拳の触れた一点を中心に空気が内側へ吸い込まれ、背部の赤黒い筋がぐるりと渦を描いて歪む。

 見えない(すい)が、肩甲骨の奥へ捻じ込まれた。


 短い真空の螺旋が、背部の真核(コア)だけを狙って内側から抉り、捻り砕く。


 遅れて、背中の一点が内側から爆ぜた。


「ゴァァァッ!!」


 ゴリラ型が初めて明確な苦鳴を上げた。


 巨体が大きくのけ反る。

 背部の内側から裂けるような衝撃が走り、守られていた真核(コア)が耐えきれず崩れた。


 そのままゴリラ型は膝を折り、床を揺らして崩れ落ちる。


 第一体育館の床を走っていた赤黒い流れも、一瞬だけ明確に鈍った。

 中庭へ向かっていた魔力圧送(あっそう)の気配が、はっきり乱れる。


「……砕けた、か」


 重護は荒い息を吐きながら、倒れた巨体を睨み据えた。


 第一体育館は間違いなく支柱のひとつだった。

 今ので、そこを鈍らせた。


 だが、安堵は一瞬も続かなかった。


 深蝕封界に吸われ続けていた反動が、一気に身体へ返ってくる。

 肋骨は焼けたように痛み、腕は鉛みたいに重い。

 脚も、もうまともに踏ん張れない。


 それでも重護は、講堂の方角を見た。


 戻らないといけない場所。

 仲間たちがいる場所。

 陽奈がいる場所。


「……戻らねぇ……とな」


 その言葉の直後だった。


 静寂の中で、また赤黒い筋が脈打ち始める。


 さっきまで鈍っていた流路が、生き物みたいにざわりと震える。

 体育館全体が大きく揺れた。


 床の中央へ魔法陣が広がる。


 赤黒い光が幾重にも重なり、その中心の上空から、天井を突き破って何かが落ちてくるような気配が生まれる。


 次の瞬間、巨体が降ってきた。


 轟音と衝撃。


 割れた床の上へ着地したそれは、さっき倒したばかりのゴリラ型魔獣とまったく同じ姿をしていた。


 同じ角。

 同じ体躯。

 同じ、壁みたいな圧。


 重護は一瞬だけ苦い顔をした。


「……こりゃ、まいったぜ」


 そこで膝が折れる。


 それでも、まだ倒れない。

 倒れるわけにはいかない。


 重護は床へ手をつきながら、もう一度立ち上がろうとした。


 片膝を上げる。

 身体を持ち上げる。

 だが、そこで限界が来た。


 脚に力が入らない。

 腕も上がりきらない。

 視界が暗く揺れる。


「こんな姿……陽奈には……見せられねぇな……」


 それでも重護は最後まで顔だけは上げた。


 視線の先は、講堂の方角だった。


 陽奈との約束。

 倒れている皆。

 瑛志、蓮次、八神、シエラ。


 その方向だけを見たまま、重護はついに力尽きる。


 身体が横へ傾き、そのまま崩れ落ちた。


「グオォ……」


 第一体育館には、再召喚されたゴリラ型魔獣の低い唸り声だけが残った。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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