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世界の代行者  作者: 星之矢
第1章 始まりの過去編

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第28話 過去の背表紙

第1部 過去への贖罪

 四組がそれぞれの方向へ散ろうとした、その時だった。


「……(くろがね)君」


 呼び止められて振り向くと、有栖川結衣(ありすがわゆい)が立っていた。


 八神燈哉(やがみとうや)は何も言わず少し先で足を止め、シエラも俺の隣で立ち止まる。


「少しだけいいかしら」


「今?」


「今だからよ」


 声音はいつも通りだった。

 冷たいというより、まっすぐだった。


 俺はシエラを見る。

 シエラは小さく頷き、「待っています」とだけ言って数歩離れた。

 八神も無言のまま壁際へ寄る。


 短い廊下に、俺と有栖川だけが残った。


「聞きたいことがあるの」


「なに?」


「どうして貴方が、この調査にいるの?」


 思っていたより、ずっと直球だった。


 有栖川は俺から目を逸らさない。


「魔力のない貴方が、魔術痕の調査に加わっている。隊長たちも、それを認めている。正直に言えば、私はまだそこに納得していないわ」


「……そうだろうね」


「当然でしょう。能力の有無じゃないの。理由が見えないのよ」


 俺は少しだけ息を吐いた。


「もっと分かりやすい理由があればよかったんだけど」


「無いの?」


「無い、というより……上手く言えない」


 有栖川の眉が僅かに寄る。


「曖昧ね」


「うん。自分でもそう思う」


 それでも、言葉を探す。


「ただ、無関係じゃない気がするんだ」


「気がする?」


「見えてるものが、たぶんみんなと少し違う時がある。説明はできない。でも、放っておくのも違うと思ってる」


 有栖川は黙って聞いていた。


「自分に何ができるのか、俺も全部は分かってない。でも、何もできないとも思ってない」


「……随分と曖昧な理屈で動くのね」


「そうだね」


「怖くないの?」


「怖いよ」


 即答すると、有栖川はほんの少しだけ目を瞬いた。


「でも、怖いから何もしないって決める方が、たぶん後で気分が悪い」


 そこで初めて、有栖川の視線が僅かに緩んだ。


「変な人ね」


「よく言われる」


「褒めてないわ」


「知ってる」


 一拍。


 有栖川は、さっきより少し静かな声で言った。


「私は、前まで貴方を最初から枠の外に置いていたわ」


 その言い方は、何だか心に刺さった。


「魔力がない。それだけで、見る価値がないと思っていた」


「……うん」


「でも、それでは見えないものもあるって分かった」


 彼女はそこで少しだけ言葉を選ぶ。


「まだ全部を信用したわけじゃない。でも、最初から切り捨てるのはやめる」


 それは有栖川なりの、かなり大きな譲歩だった。


「そっか」


「ええ」


 彼女は俺をまっすぐ見た。


「だから、ちゃんと見せて。貴方がここにいる意味を」


「急に上からだな」


「そういう性格なの」


 少しだけ、笑いそうになった。


「分かった。できるだけ期待は裏切らないようにするよ」


「期待してるとは言ってないわ」


「じゃあ何?」


 有栖川は少し間を置いて答えた。


「判断を保留してるだけ」


「それ、ほとんど同じじゃない?」


「違うわよ」


 有栖川はそう言って踵を返す。


「行きましょう。これ以上ここで立ち話をしていたら、朝霧さんに怒られるわ」


 その背中を見ながら、俺は小さく息を吐いた。


 さっきまでより、ほんの少しだけ空気が動いた気がした。


------------


 誰もいない学院は、思っていたよりずっと音が少なかった。


 俺とシエラは、人気(ひとけ)の消えた廊下を並んで歩いていた。


 窓の外では、夕方の光が校庭の端へ長く伸びている。

 昼間なら聞こえていたはずの掛け声も、ボールの弾む音もない。

 半端に開いたままの教室の扉、引ききられていない椅子、黒板の端に残った文字だけが、少し前までここに人がいたことを教えていた。


 それなのに、今は空っぽだ。


 学院そのものが息を潜めているように見える。


「……静かですね」


 シエラが小さく言った。


「うん」


 自分の声まで、廊下の奥へ吸い込まれていくように感じる。


 手の中の魔力流動検知盤まりょくりゅうどうけんちばんは、今のところ沈黙したままだった。


 表面の術式灯も落ち着いている。

 異常なし。

 そう判断していいはずなのに、何となく気が抜けない。


「こうして人がいなくなっただけで、同じ学院とは思えませんね」


「昼間は普通だったのにね」


「普通、でしたか?」


 足を止めるほどではない。

 けれど、その問いには少しだけ首を傾げた。


「え?」


「いえ。皆さん、普通のふりをしていただけだったのかもしれません」


 言われてみれば、その通りだった。


 今日一日、誰もがいつも通りを装っていた。

 授業を受けて、ノートを取り、何でもない顔で会話をしていた。

 でも、本当に何でもなかったわけじゃない。


 三件すべて、この学院の生徒とその家族が被害者だった。


 さっき生徒会室で聞かされた事実が、改めて胸の内で重く沈む。


「……瑛志くん」


「なに?」


「今日は、いつもよりさらに妙です」


「俺が?」


 シエラは頷く。


「ええ。緊張しているようにも見えますし、逆に妙に落ち着いているようにも見えます」


「曖昧なんだね」


「ええ」


 少しだけ笑いそうになったが、笑いは最後まで形にならなかった。


「自分でも、よく分かってないんだと思う」


「そうでしょうか?」


 そう言って、シエラは前を向く。


「でも、そういう時の方が見えるものもあります」


「見える?」


「言葉にできない違和感です」


 それは少しだけ分かる気がした。


 教室で辰巳を見た時もそうだった。

 何がどうおかしいのか説明はできない。

 けれど、前とは違うとだけは分かった。


 俺たちは特別教室棟の方へ足を向ける。

 美術室、音楽室、準備室、資料庫。

 どこも静かだった。


 扉を開けるたび、少し冷えた空気が流れ出る。

 誰もいない部屋には、昼間の熱だけが置き去りにされているみたいだった。


 検知盤は、まだ反応しない。


 階段の踊り場まで来た時だった。


 何でもない場所のはずなのに、足が一瞬止まる。


「……?」


「どうしましたか?」


「いや……」


 言葉にしようとして、上手くいかなかった。


 古い壁。

 磨き切れていない手すり。

 窓から差し込む夕方の光。


 どこを見ても、ただの学院の階段でしかない。

 なのに、その一角だけ空気が少し深く見えた。


 深い、というのも変な言い方だ。

 暗いわけでも、重いわけでもない。

 ただ、そこだけ景色の重なり方が違う気がする。


「上手く言えないけど……そこだけ、ちょっと気になった」


 シエラは俺の隣へ来て、その場所を見る。

 しばらく黙ってから、小さく頷いた。


「なるほど……」


「え?」


「私も、似た感覚でした」


 検知盤は沈黙している。

 それでも、何もないとは言い切れない。


 シエラは階段を一段下り、ゆっくり周囲を見渡した。


「点ではありませんね」


「点?」


「今まで想定していたような、ひとつの術式反応という感じではありません。もっと薄く広がっているか、あるいは……馴染みすぎていて拾いきれないのか」


「そんなことあるの?」


「あります」


 即答だった。


「人間が見て分かりやすい異常だけが、異常ではありませんから」


 俺はもう一度、その踊り場を見た。


 何でもない場所。

 だからこそ、気味が悪い。


 その時、手の中の端末が短く震えた。


 通信だ。


 画面を開くと、久遠からの全体共有だった。


『天宮・神威組が反応を確認。場所は一年C組。封止に入る』


 一年C組。


 俺のクラスだった。


 思わず足が止まる。


 シエラも表示を見て、少しだけ目を細めた。


「瑛志くんと有栖川さんの教室、ですね」


「……うん」


 胸の奥が、嫌なふうにざわつく。


 何でそこなんだ、と思う。

 けれど今は、自分の担当区画を離れるわけにはいかない。


 俺は短く息を吐いて、画面を閉じた。


「行こう」


「はい」


------------


 天宮蓮次(あまみやれんじ)神威重護(かむいじゅうご)は、教室棟の端から順に一年の教室を見て回っていた。


 放課後の教室は、静かなのに妙に雑然として見える。


 机の上に置きっぱなしの教科書。

 半分だけ閉じたカーテン。

 黒板に残ったその日の板書。


 ついさっきまでそこにいた生徒たちの気配だけが、教室の中へ取り残されていた。


「お前、肩に力入りすぎじゃねぇか?」


 前を歩きながら、重護が振り返りもせずに言った。


「そう見える?」


 蓮次は検知盤から目を離さずに返す。


「見える。見回りっていうより、戦場に入る顔だ」


 蓮次は苦笑しかけて、結局やめた。


「仕方ないだろ。見落としは責任重大なんだから」


「責任、ね」


 重護が鼻を鳴らす。


「お前、そういう言い方好きだよな」


「好きで言ってるわけじゃないよ」


「じゃあ何だよ」


 蓮次は数歩進んだあとで答えた。


(うち)は昔に落ちこぼれてるから」


 重護が足を止める。


 蓮次もそれにつられて立ち止まった。


「落ちこぼれてる?」


「ああ。“落ちた名家”、ってやつ」


 蓮次は少しだけ目を伏せた。


「今でこそ天宮の名前はまた表に出てきてるけど、中身まで簡単に戻るわけじゃない。三年前に、俺が初代当主と同じ性質の魔力と鬼の適性を持ってるって分かってから、急に周りの目が変わったんだ」


 重護は口を挟まずに聞いていた。


「それまでは、正直そこまで期待もされてなかった。けど、分かった瞬間から全部が変わったんだ。何もなかったところへ、一気に重さだけが増えた感じかな」


「……なるほどな」


「だから、こういう機会は無駄にしたくない。学べるなら学びたいし、できることは増やしたい。見落としもしたくない」


 重護はしばらく黙ってから、低く息を吐いた。


「真面目すぎるんだよ、お前」


「よく言われる」


「でもまあ、そういう理由なら分からなくもない」


 そこでようやく、少しだけ空気が緩んだ。


「だったら次も見つけるぞ。背負うのは勝手だけど、ひとりで全部背負うな」


 蓮次は一瞬だけ目を丸くして、それから小さく笑った。


「うん。そうする」


 そのまま二人は一年C組の前へ来た。


 瑛志と有栖川の教室だ。


 重護が扉を開ける。

 夕日の赤が、無人の教室へ斜めに流れ込んでいた。


「ここも、ただの教室にしか見えねぇな」


 そう言いながら中へ入った瞬間、蓮次の手の中で検知盤がぴくりと震えた。


「……待って」


 重護が動きを止める。


「何だ?」


 検知盤の表面に走る術式灯が、今までと違う脈で揺れていた。

 弱い。

 だが、偶然や誤作動で片づけられる反応じゃない。


 蓮次は教室の中をゆっくり見渡す。


 何でもない教室だ。

 机が並び、黒板があり、後ろに掃除用具入れがある。

 だが、教壇脇の壁、その下の床の継ぎ目だけが妙に視線を引いた。


「……ある」


 重護もそちらへ近づく。


 教壇の横、壁紙の継ぎ目と床の境目。

 その一角だけ、光の吸われ方が違って見えた。

 黒く汚れているわけではない。

 けれど、そこだけ景色が少し沈んでいる。


「これか」


「たぶん」


 重護の声から軽さが消える。


「冗談みてぇな場所だな。普通ならこんなの、誰も気にしねぇぞ」


 蓮次は無言で頷いた。


 嫌な感じがした。

 派手なものではない。

 人目を引くためのものでもない。


 ただ、学院の景色の中に紛れ込んで、誰にも気づかれずそこにある。


 それが余計に気味が悪い。


「貼るぞ」


 重護がポケットから魔素(マナ)ちゃんのシールを取り出す。


「本当に効果はあるんだよな……」


 蓮次が思わず漏らすと、重護は「それは貼ってみてからだ」と低く返した。


 シールを壁際の異常箇所へ押し当てる。


 一瞬、紙の裏側の術式がかすかに光った。


 次の瞬間、教室に薄く張っていた圧が、すっと抜けた。


 何かが派手に変わったわけじゃない。

 風も吹かないし、光も走らない。

 それでも二人には分かった。


 今までそこにあった“嫌なもの”が、一段だけ静まった。


「……効いたな」


 重護が小さく言う。


 蓮次はすぐに端末を開き、共有を飛ばした。


『一年C組に魔術痕を確認。封止完了』


 短い振動と共に、久遠から受信確認が返る。


 続けて、エイミーの声が端末から流れた。


『封止を確認。そのまま続行して』


 仙道の声も重なる。


『深追いは不要だ。位置だけ押さえてくれればいい』


 蓮次は「了解」と短く返して端末を閉じた。


 教室の中はまた、さっきまでと同じように静かだった。


 だが、もう何もない場所には見えない。


 その後、二人は被服室へも足を運び、同じ種類の反応を見つけることになるのだが、その時にはもう、さっきまでの“半信半疑”は消えていた。


------------


 久遠託徒(くおんたくと)朝霧澪(あさぎりみお)は、生徒会室を拠点に校内を行き来しながら、各組から送られてくる反応位置を見取り図へ落としていた。


 赤い印が、一つ。

 また一つ。


 久遠は資料の上へ細い線を引き、朝霧は時刻と封止の有無を記録していく。


「一年C組、被服室、封止完了です」


「ああ」


 久遠は穏やかな声で答えた。


 だが、その表情に安堵はない。


 ひとつ見つかったということは、無かったと安心できる段階が終わったということでもある。


「思ったより早かったですね」


「そうだな」


 久遠は視線を地図から外さない。


 朝霧は窓の外へ目をやった。


「……静かすぎますね」


「学院は、こういう時ほど妙に広く見えるものだからな」


「そういう意味ではありません」


 久遠が少しだけ笑う。


「分かってる」


 そう返した声も、やはり少しだけ硬かった。


------------


 管理棟の一角は、他の校舎よりさらに静かだった。


 八神燈哉(やがみとうや)は前を歩き、有栖川結衣(ありすがわゆい)はその半歩後ろを進む。

 職員室、職員用倉庫、会議室の脇を抜けるたび、紙と埃の匂いが少しずつ濃くなる。


「八神君って、本当に必要なことしか喋りませんよね」


 唐突に、有栖川が言った。


 八神は足を止めずに答える。


()えてそうしてるだけだ」


「そうしている?」


「喋らないんじゃない。余計なことを言わないだけだ」


 有栖川は少しだけ眉を上げる。


「家のせい?」


 今度は、八神の足が一拍だけ遅れた。


「……どうしてそう思う」


「見れば分かるわ。言葉を選びすぎてるもの」


 数秒の沈黙。


 やがて八神は、低く言った。


「言葉一つひとつに責任が伴う立場なんだ」


 それだけだった。


 説明にはほど遠い。

 だが、その短さの方が重かった。


「そう」


 有栖川はそれ以上すぐには踏み込まなかった。


 二人は資料棚の並ぶ廊下へ入る。


 この棟に入ってから、検知盤はごく弱く揺れ続けていた。

 点の反応ではない。

 空気の中に薄く何かが散っているみたいで、逆に気味が悪い。


「さっきより近いですね」


 有栖川が小声で言う。


 八神も検知盤に視線を落としたまま頷く。


「……微弱だが、今までより明確だ」


「魔術痕、ってこと?」


「断定にはまだ早い」


 そう言いながら、八神の視線は資料棚の奥へ吸い寄せられていた。


 古いファイルがぎっしりと並ぶ棚。

 その一角だけ、検知盤の術式灯が僅かに明滅を速めている。


 有栖川が棚へ近づき、指先で埃を払った。


「この辺ですね」


 八神が無言で一冊を引き抜く。


 分厚いファイルだった。

 いかにも内部資料らしい簡素な作りをしている。


「何なの、それ」


 有栖川が問う。


 八神はそれを少し持ち上げ、背表紙を見た。


 次の瞬間、その手が止まる。


 有栖川も、その文字を追った。


 背表紙には、はっきりとこう打たれていた。


『魔族侵攻災害被害報告書』


 廊下の静けさが、一段深く沈んだ気がした。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけるととても嬉しいです。

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